3話
バイエルが初めて塔の中に姿を現したとき,ハノンは喜びのあまりダンスを踊りそうになった.
初恋の女性は,想像以上に美しくなっていた.
緩やかな波のある長い髪も澄んだ緑の瞳も,すべてが輝いて見えた.
バイエルは素直な性格は変わらずに,まっすぐに育っていた.
けれどハノンが何もできないでいるうちに,バイエルは塔を登らなくなってしまった.
塔のてっぺんの部屋で,ハノンはふさぎこむ.
三日と開けずに来てくれたバイエルが,もう十日も来ない.
ハノンは自分のぼさぼさの髪を引っぱり,ひたすらうじうじとした.
空はどんよりとくもっている.
そのときコンコンコンと,下の方で銅鐘が鳴った.
バイエルが来た! と窓から下をのぞくが,いたのは城の兵士である.
兵士は王の書簡を置いて立ち去った.
「ソナタ,取りに行って.」
ソファーの上で,毛繕いをしている猫に命じる.
「私は姫のためでなければ動かない.」
「使い魔でしょ,取りに行ってよ.」
「私の主は,今でもソナチネ様だ.」
ソナタはぺろぺろと,しっぽをなめる.
「いつ姫が来てもいいように,身奇麗にしておかねばならぬ.」
お主のように,よれよれの服では恥ずかしいと言い募る.
仕方がないので,ハノンは一人で階段を降りた.
おそらく,塔から出ろといういつもの命令だろう.
ハノンは,大陸一とうたわれた魔法使いソナチネの技を受けついでいる.
しかしハノンは,薬作りの仕事しかしていない.
本当は塔から出て,もっと色々な仕事をしなくてはならないのに.
ハノンは塔から一歩だけ出て,さっと書簡を取り上げて,すぐさま塔へ戻る.
書面に目を通した瞬間,血の気がひいた.
――塔から出てこない魔法使いに,姫はやれない.
「うそ.」
ソナタも階段を降りてくる.
ハノンが落とした書類をのぞきこんで,つぶやいた.
「ついにツェルニー陛下がしびれを切らしたか.」
「まさかバイエルが塔へ来ないのは…….」
ハノンの中に最悪の想像が駆けめぐった.
塔へ行かないように,足止めされているだけならいい.
だがすでにハノン以外の,王にとって都合のいい男性があてがわれていたら.
ハノンはぞっとした.
バイエルはずっと前から,ハノンのための花なのに.
奪われてたまるものか!
ハノンは塔から飛び出した.
とたんに,空模様が荒れてくる.
ごろごろと雷が鳴り,暗い色のくもが厚さを増す.
ハノンはおじけづいたが,落ちつけ,落ちつけとつぶやいて瞳を閉じた.
ゆっくりと深呼吸をする.
――この子の力は大きい.子供のうちは制御できないだろう.
師匠のソナチネは,いつもハノンのことを心配してくれた.
――今は私が抑えているが,私が死んだ後はどうすればいいのか.
だから王は,ハノンのために魔力を抑える塔を作った.
ソナチネの死後ハノンは塔にこもり,魔法の修行に明け暮れた.
いつか塔の外へ出て,王国を守る魔法使いになるために.
ハノンは,魔法の呪文を唱える.
徐々にあたりは明るく,暖かくなった.
呪文を終えて目を開くと,空はすっかり晴れている.
「大丈夫だ.」
ハノンはつぶやいた.
「大丈夫,大丈夫だ.僕はもう十八歳だ,子供じゃない!」
自分を勇気づけるために,大きな声で言う.
「ソナタ,バイエルのところまで飛ぼう.」
ソナタはぴょんと,ハノンの腕に飛び乗った.
ハノンの力は,師匠のソナチネよりも大きい.
塔の中にこもっていたときでさえ,バイエルの言動ひとつで晴れたりくもったりした.
その大きな力に振り回されるのではなく,使いこなすのだ.
誰よりも大切なバイエルのために.
風をまとい,ハノンはソナタとともに宙を飛んだ.




