9.あなたに自由を
夢を、見ていた。
夢の中で、私は皇女でも貴族でもなく、アデルは奴隷でも従者でもなかった。
血のしがらみも魔力の縛りも存在しない場所に生まれ、育ち、互いをほんの少し意識する。
私たちは対等に笑い合っていた。
幸せな、夢だ。
……分かっている。
こんなことは、ありえない。
私は皇女で、アデルは奴隷。
それ以外の出会い方は、選べなかった。
-*-
最初に感じたのは、全身を包む温もりだった。
ついで、引き攣れたような痛みが背中に迸る。
「フリージア、聞こえるかい?」
かけられた声に、重いまぶたをゆっくりと持ちあげた。
「おじ、さま?」
アーノルド叔父さまは、ひとつ頷き微笑んだ。
横たわったまま視線を動かすと、窓から差し込む弱い陽の光が目にはいる。窓掛けにつけられた装飾の意匠は、侯爵家のもの。
背中の傷が呼吸にあわせて、ずきりと痛んだ。
「アデルは……?」
「別の部屋で休ませている。今、よびに行かせた。
君のそばにいたがったが、彼も怪我をしていたからね。だけど、無事だよ」
落ち着いたやわらかい声音に、すこし安心する。
「治癒魔術は使えるかい?」
問われ、呪文を呟いた。
痛みがゆっくりとひいていく。
「私、どうやってここまで……」
「アデルが君をここまで連れてきた。危険な状態だったが、応急処置がよかったんだろう。君の従者は優秀だ」
「……ええ」
胸に満ちたこの気持ちをなんと呼ぶのか、私はしらない。
「私には、……もったいないくらい」
叔父さまは、眉を上げる。
「従者というのはある意味、主を映す鏡のようなものだ。
そんなに自分を卑下するものではないよ」
わずかに諌めるような口調だった。
沈黙がおりる。
「……皇帝が、亡くなったそうだ」
叔父さまは、ため息を吐くように言った。
「まだ民には公にされていないが、その影響でごたついていてね。最近、領境付近は特に治安が悪かった。
きみがこんな怪我をすることになったのは、取り締まりまで手が回り切っていない、私の落ち度でもある」
叔父さまは、深々と頭を下げた。
「本当にすまない」
あわててわたしは起きあがる。
身体はまだ少し重いが、上体を起こせないほどではない。
「そんな……叔父さまが謝るようなことなんて、何もないわ」
心から、言う。こうして私を迎え入れ、休める場所を用意してくれたというだけで、どれほどありがたいことか。
「これから本格的にユリシス様の治世になる。私には、君を守りきることができない」
叔父さまは顔をあげる。目を閉じた。
「フリージア。この国を出なさい」
それは、私にはとても思いつけない選択肢だった。
「______帝国を……出る?」
「北西諸国に、古くからの友人がいてね。彼が近々この領地に来るんだ」
叔父さまは、とおくのなにかを思い起こすような、懐かしさをおぼえた顔をしていた。
「収穫祭のすぐ後に早馬で、君が行方知れずだと知った。私は表立って自由に動くことができない。もともと彼に協力してもらう手筈だったんだ」
はるか彼方に馳せられていたまなざしは、目の前の私に向けられる。
「本当によく、ここまで辿りついてくれた」
「叔父さま……」
ひどく申し訳無さそうな顔だった。
「君を直接助けることができなくて、本当にすまない」
「いいえ……充分すぎるほどだわ」
叔父さまはいつも、私が道を選べるよう、優しく手を差し伸べ、背を押してくれる。
派閥なんてつくりたくない、今以上に命を狙われることになるなら、従者なんていらない。かつて、そう駄々をこねた幼い私に、別の選択肢を提示してくれたのは、叔父さまだ。
叔父さまのおかげで、私はアデルに会うことができた。
……そして、それと同時に、私のわがままがアデルの生き方を縛った。
「皇女ではなく、上級貴族として亡命するかたちであれば、今後ユリシスさまの目にとまることもないだろう。身分は捨てることになるが……」
今さら身分など惜しくはない。皇女でいてよかったと思えたことなど、なかった。
できることなら、皇族になんて生まれたくなかった。
「あの国は帝国ほど血に重きをおかない。きっと、きみにとっては生きやすい国だ」
「ありがとう、叔父さま。これまでも、今も、ほんとうに……」
「……きみは、私の妹によく似ているな」
それは、どこか寂しそうな笑顔だった。
-*-
慌ただしい足音がした。
部屋の扉が乱暴に開かれる。屋敷の侍女がアデルを咎める声が聞こえた。
身体を起こした私を見て、アデルは目を見開いた。
今にも、泣き出しそうな顔だった。
唇を固く噛み締めてうつむくアデルの肩に、叔父さまは手を添える。
「アデル。きみも自分がどうしたいのか、フリージアにどうしてほしいのか、ちゃんと伝えなさい」
ふっ、と、いつくしむように、その目が細められた。
「もう、後悔しないようにね」




