6.殺意と惑いと逃亡と
大広間周辺の喧騒から離れた人気のない廊下で、アデルはようやく足を止めた。
「まだ何も口にしていませんよね?」
「え、ええ。ちょうど手をつけようかと思ったところで、まだ……」
「……よかった」
心底ほっとした顔で、呟くようにアデルは言った。
「……なにか、あったの?」
「…………」
アデルは、眉根をよせる。
「……おそらく、あの軽食には毒が仕込まれています」
喉の奥が萎縮する。息が詰まる心地がした。
「ユリシス様の従者に、取り引きを持ちかけられました……フリージア様を切り捨ててこちらにつけば、奴隷身分から解放してやる、と」
ユリシスお兄さま。マテウスお兄さまに次ぐ継承権を持つ、第2皇子。
「……なんて、答えたの?」
「俺は、フリージア様の従者です」
迷いのない口調だった。
「なにがあったって……____あなたの味方です」
私が最初に課した制約。
強制力なんてほとんどない3つ目のそれを、アデルは口にした。
「覚えていて、くれたの?」
胸の内に、温かい思いが込み上げる。
それを言葉にしようとした時。大広間の方から、空気を切り裂くような悲鳴が聞こえた。
「なに……?」
こぼれた自分の声もアデルの表情も、固い。
「彼は……この国を統べる血は、一度入れ替わるべきだと言っていました」
急き立てられるように、言う。
「ユリシス様は魔力を持つ人間をこの国の中枢から排除する気です。ここにいたら危険だ…!」
「フリージア、こんなところで何をしているんだい?」
ふいに、この場にいないはずの人の声がきこえた。
響きだけは優しげな、その声。
「……っ!」
アデルは私を庇うように1歩踏みだした。
秋の早い夕暮れ。淡い橙の陽光の差し込みはすでに絶えた、薄暗い廊下。
第2皇子が柔和な微笑みをうかべて、立っていた。
「……ユリシスお兄さま」
すぐ隣には、先刻アデルに取り引きを持ちかけたと思しき従者も控えている。
お兄さまは、アデルに笑いかけた。
「フリージアにはこのまま退場してもらおうと思ったのに……君のせいで台なしだよ。
それとも、彼女が死ぬと、君も死ぬような制約をかけられているのかい?」
「私に、何をするつもりですか?」
かわいた喉を自覚しながら、私はお兄さまに問うた。
「……フリージア。君とはほとんど話したことがなかったね」
細められる、茜色の瞳。
「この国の貴族は腐ってる」
滔々と、どこか歌うように。淡々としていていながら、計り知れない嫌悪感のこもった物言い。
「魔力の強いものが、弱いものを支配し、好き放題虐げて、弄ぶ。魔力の無いものは、それを甘んじて受け入れるしかない」
ゾッとするほど色の消えた目で、お兄様は言った。
「君の従者や、ベラの"お気に入り"たち______それに、僕のように」
反射的に、嫌な想像が胸をよぎった。お兄さまの首元…_____隷属紋が刻まれうる場所に視線を送る。
お兄さまは、その視線に気がついたようだった。
「……まさか、マテウスお兄さまに?」
そんな悪趣味な話があってたまるものか、と思いながらも私の口はことばをつむいでいた。
「…………お兄様には、これまで散々"可愛がって"いただいたよ」
それは、遠回しな肯定だった。
わずかに動いたアデルに反応して、お兄さまの従者が剣の柄に手をかける。
お兄さまは言う。あくまで朗らかに、淡々と。
「民に対しても、同じだ。強すぎる魔力は、この国にとって害でしかない」
まるで、明日の天気の話でもするような口調で、お兄さまは言った。
「君個人に恨みはない。けれど_____
帝国のために、死ね」
毒の盛られた軽食。先程の悲鳴。あからさまな殺意を向けられている、今この状況。
_____大勢の貴族が集まる場で騒ぎを起こすとは考えにくい?
……迂闊だった。
ユリシスお兄様は、この国を。まるごとひっくり返すつもりだ。
私は今、自分が殺されかけているという事実を冷たくなった頭で認識した。
-*-
大きく身体がゆれ、私は目を覚ます。
少し微睡んでいたようだ。
乗り合い馬車には私たちの他に、5人ほどの乗客がいた。馬車と言っても、簡易なものだ。荷車とよんだ方がより適切だろう。
お兄さまに殺されかけてから、まだ半日も経っていない。それなのに、随分と遠くまで来たような心地がする。
すぐ隣に、私のからだを支える温もりを感じた。
「……アデル、その……なんだか、距離が近いわ」
「あなたがずっと不安そうな顔をしているからです」
小声でささやくと、不貞腐れたような返答が返ってきた。
目線よりも少しだけ高い位置から、空色の瞳が私を見下ろす。
「嫌なら離れますけど」
「嫌ではないけれど……」
嫌ではないのだが、さすがに少しきはずかしい。
昔はよく、2人きりのときは手を繋いだり、となりで眠ったりしたものだけど、いつの頃からかアデルはあまりそういうことをしてくれなくなった。
こんな、互いの息遣いが分かるほどの距離で接するのは、いつぶりだろうか。
他の乗客は、見るからに仕立ての良い服を着ている私たちを少し遠巻きにしている。
すでに、日は昇りきっていた。
「どうしてこんな馬鹿なことを?」
ずっと胸中に巣くっていた問いを口にする。
アデルは信じられないものを見る目をした。
「……本気で言ってるんですか?」
「だって……あなたを縛るものはもう無いのに」
「あなたは、自分が今まで俺にしてきたことを忘れたのか?」
その口調は、怨みがましいというより、心底呆れ果てた響きをおびていた。
「……私があなたにしてきたこと?」
「以前、第4皇女様の下級奴隷に命を狙われた時のこと、覚えていますか?」
唐突な昔話に、私は困惑する。
「隷属紋を刻まれた奴隷っていうのは、大概ああいう使い方をされる。あなたは、その気になればいくらでも俺を貶めることができた。
だけど、あなたが俺を虐げるような命令をしたことが、一度だってあったか?」
表情が、翳る。
「……俺があなたを見殺しにするはずないのに」
アデルは傷ついた顔をしていた。
こんな顔をさせたかったわけではない。
「ごめんなさい」
私はすなおに謝罪する。
ただし、私にだって言い分はあった。
「けれど……私のせいであなたの死に場所まで定めてしまうのは……やっぱり嫌よ」
「俺は、別に構わない。あなたのために死ねるなら本望だ」
アデルは強い口調でそう言いきった。
まっすぐに見つめられて、言葉に詰まる。
……そんなふうに思っていたなんて、ちっとも知らなかった。
硬直してしまった私から、アデルは視線をそらす。
なにか、言わなければ。
「……ええと、……つまり……」
顔が熱い。体温が変だ。からだの熱を意識しておさえて、私は言う。
「あなたは、自分の意思で私についてきてくれたということ……?契約に縛られてではなく……?」
「そうですが?」
半ば、自棄になったような返答だった。
「あの……アデル」
「……なんですか」
目が、合って。なんとか、言葉を絞り出した。
「….…ありがとう。とても、心強いわ」
アデルの瞳が、驚いたように見開かれる。
「…..はい」
嬉しそうにほころんだその顔を、なぜか直視できない。私は視線と話題をそらした。
「それで……これからどうしましょう」
「アーノルド様のところに向かいます」
「侯爵領まで…!?かなりの距離よ…?」
「だいたいの算段はついている。追手の方も問題ない」
アデルは不敵に笑った。
「ご存知ないかもしれませんが……俺、そこそこ強いんですよ」
-*-
第2皇子がクーデターを起こしたことは、すぐに市井に広まった。
第1皇子と第4皇女は殺され、第3皇女は行方知れず。
皇帝は未だ容態不安定。
そんな情勢の中、ユリシスお兄様は各地に遣いを送り、一定以上の魔力を持つ貴族を軒並み処刑し始めた。
いくつもの街を通り過ぎる。道中で、各地の有力貴族が逃亡しているという噂を耳にした。
チラつき始めた初雪は、だんだんと強さを増していく。
いつの間にか、季節は冬になっていた。




