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5.好きなもの

 

 静かな書斎に、本のページをめくる音だけが響く。


 先月15歳になった私は、読書の(とも)にと用意した茶菓子に手を伸ばしかけたところで、あることに気がついて眉をひそめる。


「アデル、こっちに来て」


「……?なんですか?」


 少し離れた、扉のわきの椅子に腰掛けて私と同じように本を読んでいた彼は、立ち上がって、私のそばまで歩み寄る。


 アデルの背は近頃ぐんと伸びた。

 これまでずっと、私の方が少しだけ身長が高かったのに、ここ半年ほどのあいだであっという間に追い越されてしまった。

 

 やわらかい陽射しが、ゆるやかに部屋を満たしていた。

 手を伸ばせば、触れられる距離。


「怪我をしてるでしょう。見せて」


 痛む箇所をほんのわずかにかばうような動きをしていたことを、私は見逃さない。

 アデルはわずかに目を見張り、そして露骨に顔をしかめた。


「いやです」

 

「"命令"、してもいいのよ?」

 

「…………」


 アデルはしぶしぶといった調子で服の裾をまくる。

 脇腹に青痣ができていた。

 

 ほらやっぱり、と彼を見れば、つい、と目をそらされた。


「……これくらい、どうってことない」

 

「だめよ。調子が悪い時はちゃんと教えてって、言ってるでしょう?……動かないで」


 私は手を伸ばして、痣に触れる。

 まちがっても痛みを与えたりしないように、そっと。

 

 口の中で呪文を唱え、温かい魔力の塊を流し込んだ。

 一瞬のうちに、痣が消えていく。


「あなた、しょっちゅうあちこち怪我をするのに、平気な顔をしているんだもの」


 いったいどこでこさえてくるのか、アデルには昔から痣やら小さな切り傷やらが絶えない。

 最近は命を狙われるようなことも減ったから、昔よりは怪我をするような機会も減ったはずなのに。


「今日のは、いったいなんの怪我?」

「…………従者同士の、剣術の訓練のときに少々」

「……まったく。目を離すとすぐに無理をするんだから」

 

 ため息混じりに言うと、アデルはどこか挑戦的な目で私を見返してきた。


「あなただって、人のこと言えないだろ」

「あら、どうして?」

「治癒魔術が使えるくらい魔力があるのは、あなたと第1皇子くらいだ。文献も古いものしかないときいた」


 空色が、じとりと私を睨んだ。


「ただでさえ気にかけることが多い立場なのに、最近は治癒魔術まで勉強して……いったいいつ休んでるんですか?」


「………………」


 手痛い追及に、私は視線をアデルから逃がす。

 先ほど手を伸ばしかけた、テーブルの上の焼き菓子が目に入った。


「だいたいあなたは____」「ねぇアデル、あなたも食べない?」


 一瞬呆気にとられたように見開かれた目が、ふたたびじとりと細められる。


「……まだ話は終わってない」


「けれどこれ、以前あなたが好きだと言っていたものよ?」


 アデルは毒気を抜かれた顔で黙り込んだ。


「ほら、口をあけて」


 目を泳がせるアデルの口元に菓子を近づけると、彼は反射的に菓子を口に含んだ。


 さくり、と軽い音がした。

 口の中のものを飲み込んだのを確認して、私はアデルにきいた。


「美味しい?」


「……はい」


 こころなしか、顔が赤い。

 子どものように口に食べものを運ばれるのは、すこし恥ずかしかったのだろう。

 不服そうなアデルの表情がなんだかおかしくて、私は笑う。


「あまり、無茶をしないでね?」


 アデルは何かを言いかけて。

 諦めたのか、観念したようにうなずいた。



 -*-


 17歳を目前にひかえたある日のこと。


 私は、軽い足取りで応接間に足を踏み入れる。


「叔父様!」

「フリージア、久しぶりだね。元気にしていたかい?」

「ええ!」

「はは、しばらく会えない間にずいぶんと大きくなったね」


 叔父様は、その優しげな目もとをゆるやかに細めて笑う。


 他愛のない雑談から領地の話まで。

 会えなかった数年を埋めるように会話は弾んだ。


 やがて話は皇帝の容態のことに及ぶ。


「……半年後の収穫祭まで、もたないかもしれないときいたわ」


 叔父様は、うなずく。


「そのようだね」


 ひそめられた声には、緊張の響きがあった。


「第1皇子と第2皇子の周辺がきな臭い。十分に気をつけるんだよ」


「……ええ」


 -*-


「さて、私はもうそろそろ行かなければならない」


 たのしい時間はあっという間にすぎ、叔父様は立ちあがった。


 去り際、叔父様は私の後ろでずっと立ち控えていたアデルに声をかけた。


「君のことはフリージアからいつもきいているよ。彼女によく仕えてくれてありがとう」


 わたしが叔父様に宛てて書く手紙の内容は、わたしの近況を書いたものだから、必然アデルのこともよく話題にあがる。

 

 下級奴隷に向けるには相応しくない、真摯な声音と眼差し。

 叔父様がアデルを奴隷ではなく、従者として扱おうとしてくれていることを感じとって、うれしくなる。


「これからも、どうかフリージアをそばで護ってあげてくれ」

「はい」


 アデルが頷く。


「2人とも、なにかあれば、いつでも頼りなさい」


 叔父様は、最後にそう言った。


 -*-


 季節は巡り、収穫祭の時期がきた。


 結局、今年の収穫祭は、(いま)だ体調の優れない皇帝の代わりに第1皇子マテウスが取り仕切ることとなった。

 準備も、国民のための催事(さいじ)(とどこお)りなく進み、あとは貴族の宴を残すのみとなり、私は皇族一人一人に与えられた控え室で晩餐会の準備が整うのを待っていた。


 アデルは先程、なにやら従者が行う準備があるとのことで呼び出され、部屋を出ていった。

 

 マテウスお兄さまやユリシスお兄さまに不穏な動きがある中、私のそばを離れることをアデルは少し渋った。

 懸念はもっともだ。

 けれど彼らは、私やベラに皇位を継ぐ意思がないことを知っているはず。多少の火の粉が飛んでくることはあるだろうが、渦中の只中に巻き込まれることは少し考えにくい。

 それに今、宮廷には多くの有力貴族が集まっている。これだけ大勢の人間がいる中で、2人が騒ぎを起こすとは思えない。

 

 だから私は、ある程度落ち着いていた。


 机の上には軽食が用意されている。宴の前に、少しお腹を満たしておいた方がいいだろう。

 

 ほんとうは、アデルが戻ってきてから、一緒に食べようと思っていたのだけど。


 軽食に手を伸ばしたのと、部屋の扉が音を立てて勢いよく開いたのは同時だった。


「!?」

「フリージア様ッ!」


 飛び込んできたアデルは、ひどく焦った顔をしていた。


「っ!?何…!?どうしたの…!?」


 驚く私を見て、彼の顔に安堵の表情が浮かぶ。

 ほころびかけた表情を振り払い、険しい顔で、机の上に伸ばしかけたまま固まっていた私の手首をつかんだ。そのまま強く引き上げられた右手に釣られて、私は立ち上がる。


「こちらへ!早く!」


「ちょっと……!?」


 ただならぬ様子のアデルに手を引かれ、私はそのまま控え室を飛び出した。



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