3.命令
アデルと契約を結んでから、1ヶ月。
書斎にこもり、紙の上で筆記具を滑らせる私の手元をアデルがのぞき込んだ。
「何を書いて……る、んですか?」
「手紙のお返事よ。叔父様……アーノルド侯爵からのね」
アデルの敬語は、まだぎこちない。
これから私の従者となる彼は今、皇室付きの教員の元で教育を受けている。
礼儀作法の教師はとても厳格だ。きっと苦労している。
……そこで私は、ふと気がついた。
「そういえばあなた、読み書きはできるの?」
アデルは首を横に振る。
……もっと早く思いあたるべきだった。
通常、皇族の従者は少なくとも下級貴族以上がなるものだ。彼らはもちろん文字が読める。
これから先、文字が読めなければついていけない講義もあるはずだ。
そして、教師が奴隷に文字を教えてくれるようなことは、おそらくない。
「私が教えるわ。こっちに来て」
アデルは無感情に私を見た。
「……別に、文字なんか読めなくたって、戦える」
私は苦笑した。
「文字が読めれば知識を得られる。知識があれば、無用な争いを避けることもできるわ。読めた方がなにかと便利よ」
「…………それは、命令?」
「……ええ。命令よ」
試すような響きを帯びたアデルの問いに、私は答える。
「どうしてもいやなら、無理にとは言わないけれど……よかったら、私といっしょに勉強しましょう?」
アデルはわずかに目を見張った。
私の、長く伸ばした銀の髪。その先端を視線が追う。
「…………わかった」
彼は、まだどこか納得がいかないような様子でうなずいた。
-*-
文字を教え始めて2ヶ月。アデルと契約を結んでから、3ヶ月がたった。
私は書棚から本を手に取り、中身を軽く検める。
「これと、それと……。アデルも、これを」
「……おれも、読むんですか?」
「ええ。特に、強い魔力を持つ家系のことはあなたも知っておいた方がいいわ」
アデルは渡された本の表紙を、年のわりに角ばった手でかるく撫でた。
最近は表情から固さがわずかに薄れ、とがっていた目つきも、すこしだけやわらかくなったように思う。
まもなく私は10歳になる。
1ヶ月後には、皇族の10歳の生誕祭____黎明式がある。
出席する貴族との会話に困らないよう、各領地のことを復習しておかなければならない。
本を抱えたアデルが、ふと通路の方に視線を向けた。
同時に、私も人の気配を感じて顔を上げる。
壁一面にぎっしりと本の詰まった棚が並んだ書庫は、薄暗い。
並びたった棚の間、書庫をつらぬく中央通路とは逆側の、ひときわ光が届きにくい場所。
そこに見慣れない少年が立っていた。
私よりもいくぶんか幼い、少女とも見紛うような端正な面立ち。それなりに仕立ての良さそうな服を着ている。
彼は、思い詰めたような虚ろな表情をしていた。
……誰かの使用人だろうか?
「ここは皇族の書庫よ?迷ってしまったの?」
入口には衛兵もいたはずだけど。
私は、うつむいてしまった少年に歩み寄る。堅い石材質の床が、思ったよりも高い音で鳴った。
顔を覗き込もうとして______
少年は突然顔を上げ、その目をカッと見開いた。
「っ!危ない!!」
「きゃっ」
すぐ後ろに、ぴたりとついてきていたアデルが私の手を強くひいた。
数秒前に私がいた場所を銀色の光が通り過ぎる。たたらを踏み、よろけた拍子にぶつかった書棚から何冊か本が落ちた。
少年はナイフを持っていた。
にび色の刃が、光を反射する。
思考が、凍りつく。
「______あああああああぁ!!!」
少年が、叫ぶ。
魂を削られているかのような、苛烈な響きを帯びた声。
私はうごけなかった。
ドサリと音がした。アデルが、持っていた本を投げ捨てたのだ。
身軽になった彼はそのままフワリと身をかがめ、振りかぶられた少年の腕を思い切り叩いた。
思わぬ角度から打撃を受けた少年が、刃物を取り落とす。
流れるような動きで背後をとったアデルは、そのまま少年を後ろ手に拘束した。
床に落ちたナイフが、乾いた音をたてる。
見惚れてしまいそうなほど、鮮やかな手際だった。
……ハッとする。
どっと冷や汗が吹き出てきた。
呆けている場合では無い。
少年は拘束されたままもがき、首元まできちんと止められていた衣服がそのはずみではだけ、見たことのある紋様がのぞいた。
「隷属紋……?」
魔力の弱い者から自由を奪い、命令ひとつでどんなことでもさせられる、この国の在り方そのものを体現するような紋様。
少年の首元に刻まれた隷属紋は、見る間に禍々しく、赤い光を放つ。
「っかは______」
吐き出された血が、彼自身を汚した。
がっくりと項垂れ。
少年は、それ以上動かなくなった。
「…………死んだ」
アデルが、つぶやく。
おそらくは、口封じだ、と、目の前の光景をどこか別の場所から見ているかのような沈着を備えた自分が思う。
私に致命傷を与えることができなかったら、死ぬ。そういう命令だったのだろう。
あるいは成功したとしても、同じ末路だったのかもしれない。
………………めまいがする。
赤い色が、目に痛い。
私はずるずるとその場に座り込み、胃の中のものを吐いた。
-*-
汚れてしまった服を着替え、私は寝台に倒れ込む。
先ほどの出来事は。いうなれば暗殺未遂だ。
アデルがいなければ、殺されるまではいかなくとも間違いなく怪我は負っていた。
さして大きな騒ぎにはならなかった。あれくらいのことは、宮廷ではよくあるから。
本職の暗殺者ではなく、訓練もさせていない適当な下級奴隷に、成功率の低い襲撃を行わせるなどというのは、軽い嫌がらせの範疇といえる。趣向は最悪だが。
あの場所を選べるということは、首謀者は皇族かそれに準ずる者。内々に処理されるのだろう。
こんな悪趣味な嫌がらせをしてくるのは、おそらく第4皇女_____妹の、ベラ。
第1皇子のマテウスお兄さまは私のことなど気にもとめていない。第2皇子のユリシスお兄さまは魔力をほとんどもっていないから、そもそも魔力契約ができないはずだ。
私が貴族ではなく下級奴隷を従者に迎え入れたことは、すでにそれなりに広まっている。
使い捨ての下級奴隷を重用する私に、本来の使い方の手本を見せる。いかにも、自分が世界の理の中心にいると思っている無邪気な彼女の好きそうなことだ。
物のように片付けられる、下級奴隷の少年の、濁った瞳を思い出してまた少し気分が悪くなる。
たぶんあの子は、ベラの所有していた奴隷のうちの1人だ。
「アデル、もう少し近くに来て」
私は起き上がり、所在なさげに立ち尽くすアデルをよぶ。
そばに来たアデルの片手をとって、かたい手の平を、自分の両手で包み込むように握った。
「助けてくれて、ありがとう……とてもこわかった」
この王宮で、奴隷の命は吹けば飛ぶほど軽い。
私は小さく息を吸う。
「命令よ」
アデルの手が、ぴくりとうごいた。
「私がとなりにいない時、命の危険を感じたら、相手が誰であろうと自分の身を守りなさい」
彼は奴隷だ。だけど、私の従者でもあるのだ。
いなくなられては、困る。
つないだ手が、じんわりと温かい。
冷えきった自身の指先からアデルの体温が伝わってくる。
「しばらく、こうしていてもいい……?」
アデルは数度まばたきした。
「……それが命令なら、別に」
無愛想で素っ気のないそのことばに甘えて、私は、そのまましばらくアデルの手を握りしめていた。
数日後。
アデルが、突然倒れた。




