2.第3皇女と奴隷の契約
「いやぁ第3皇女様にお引き取りいただけるとはありがたい!……しかし、お付きの従者が、闘技場の戦闘奴隷なんかでいいんですかい?
ああいやいや、こちらとしてはひじょーにありがたい限りでございますんで!ええ、ええ」
闘技場の主人は、商売人らしく、こちらが何も言わずともよく喋る。
まるでこぼした水が流れ落ちていくみたいに、止まることがない。
「もちろんこいつは最近のうちの目玉ですからて。なんせこんなチビのくせにいやに強くて!みーんなこのガキに掛けやがるもんだから、こっちとしちゃ商売上がったりですよ!ははは!」
今年10歳になる私の身長にあわせて身をかがめ、大げさに芝居がかった口調で主人は言う。
「ここだけの話、そろそろ負けさせようとおもってましてね……。飯もしばらく抜いてたんですが、それでもまあ強いのなんの!
さすがは混ざり者のケダモノってところですわ!」
私はなんと言ったらいいのか分からなくて、あいまいに微笑んだ。
実際のところ、皇女とは名ばかりだ。
私に継承権が回ってくることは、おそらくない。けれど、血筋だけは良いせいで、他の皇子、皇女を時代の国王にと望む勢力からは蛇蝎の如く疎まれている。
だからこそ、訓練された騎士や、諸侯の公子ではなく、法令スレスレの闘技場の戦闘奴隷を従者としてむかえることにしたのだ。
ただでさえ命を狙われやすい身なのに、これ以上力をつけて政治的な立場をややこしくするわけにはいかない。
せめて奴隷の中では護衛として役に立つものを、というのは、私のことを心配してくれた母の兄_____ 侯爵である、叔父様の配慮だ。
床にひざまづいた少年をみる。
私と同じくらいの年頃だ。顔立ちを見るに、異国の血が混じっている。
赤を基調とした、繊細で豪華な装飾が施された応接間。大きさの合っていない、簡素な服を着た彼の存在は異質で、浮いていた。
かなり状態が悪い。顔には血色がなく、ふらついている。
「あの……大丈夫?」
声をかけると、奴隷の少年は、一瞬、驚いたように目を見開いた。無造作に切られた、荒れて傷んだ金髪の向こうで、ギラつく瞳が私を見すがめる。
射し込む午後の光に、細かな埃がきらきらとくうを舞う。
彼は、私から目を逸らした。
とたんに主人が、少年を蹴り飛ばした。にぶい音とともに、小柄な身体が崩れるように倒れこみ、私はとっさに言葉を失って息を詰める。
「てめぇ、皇女様に声をかけていただいてその態度はなんだ!?あぁ?」
主人は床に倒れこんだ彼を幾度も、幾度も蹴りつけた。
「______っ…ぐぅ……」
突然の暴力にさらされた少年が、苦しげなうめき声をもらす。
気がついた時には叫んでいた。
「やめて!」
やみくもに蹴りつけていた脚が止まる。
闘技場の主人は、ごまかすような笑顔を浮かべた。
「いやぁすみませんね、躾がなっておりませんで」
ぐったりと横たわったまま動かない少年を傍目に、うすら笑みを顔に貼り付けたまま、闘技場の主人は揉み手で私ににじり寄る。舐るようなその目に、首筋のうぶ毛がぞわぞわと逆立つような不快感を覚えながら、それでも表情を変えないように堪えた。
「皇女様は魔力をお持ちですから、隷属紋での魔力契約をお望みですよね?
魔力契約であれば、魂まで強力に縛ることができますから!逆らえば、手軽に躾けることだってできます。ええ、ええ、問題ございません!」
動かない少年をもうひとつ蹴り飛ばした。
「いつまで寝てんだ!立て!」
どん、と響いた重い音に、身がすくむ。
よろけながら、のろのろとした動きで身を起こした少年の上衣を主人は乱暴に取り払う。傷あとだらけの体があらわになった。
ミミズ腫れのような細い傷がいくつも浮いている。
体中、いたるところに黒や紫のアザがある。
先ほど蹴られた場所がところどころ赤く腫れ、さらに新しいアザになろうとしていた。
「さあ、契約を」
商人の言葉に、私は椅子から立ち上がる。ゆっくりと商人の元まで歩み寄り、手を伸ばして、奴隷の少年の首元、鎖骨の下あたりに刻まれた隷属紋にそっと指を添わせた。
魔力を注ぐと、隷属紋は淡い光を放った。
これで、仮契約は完了だ。
「いやぁ、ありがとうございます!
今後もうちの闘技場をお引き立ていただけるよう、どうか皇帝にお伝えください!」
闘技場の主人は、足音も高らかに上機嫌で応接間を退出していった。
……私が皇帝と顔を合わせる機会など、ほとんどないというのに。
-*-
「あらためて、名前を教えてもらえる?」
自室に戻り、少年に向き合って問いかけた。
少年はかたくなに口を閉ざし、視線を合わせようとしない。
次の瞬間、彼は体をのけぞらせて悶えた。
隷属紋が彼を罰したのだ。
仮契約の状態で契約者に逆らえば、隷属者にはひどい痛みが奔る。
「……その状態で逆らい続けるのは、あまり利口と言えないわ 」
正式な契約を結べば、契約主は隷属者の身体を自由に動かせるようになる。
命令を課せば、それがどんなものであろうと隷属者の身体は本人の意思と関係なく動く。
……そうなれば、痛みを与えるまでもない。
「……っ」
うすい空色の瞳が、苦悶の色をやどし、葛藤にゆれる。
「_____アデル」
奴隷の少年は、吐き捨てるように名を告げた。
痛みから解放され、肩で大きく息をする彼の隷属紋に手を伸ばすと、少年……アデルは、びくりと身をすくめた。
「我、汝を縛るもの。我、汝アデルに制約を課す」
契約の言葉を口にする。
通常、最初に課す制約は3つ。最初の2つは、もう決めている。
「ひとつ。あなたは私に危害を加えてはならない」
うつむいたアデルが、くちびるを強く噛みしめたのが分かった。
「ふたつ。あなたは、私を害する者から、私をまもらなければならない」
……最後の1つは。
すこし迷ったすえに、私はそれを口にする。
「みっつ。
……どうか、私の味方でいて」
3つの制約を受けた隷属紋は、ひときわ強い光を放った。
アデルは、怪訝な顔をしていた。
私の口にした3つ目の制約が、制約というより願いに近いものだったからだろう。
「私はフリージア。どうぞよろしくね」
こうして私は彼の人生を、わたしに縛り付けた。
これから従者になる同年代の少年に向けた笑顔は、おそらくとてもぎこちないものだった。




