第六部:取り返しのつかない言葉
大学も配信も、もうどうでもよくなってきた頃。
先輩はいつものように僕に抱きつき、甘えていた。
胸に顔を埋め、宮坂先輩は僕に漏らした。
「俺はね、昔っから壊すのが好きで、リモコンや掛け時計なんかを分解するのが好きな子どもだったんだ」
「そうなんですか」
「そうしている内に、エスカレートしていって、カエルやザリガニ、昆虫を嬲り殺すのが好きになって……」
先輩は恍惚とした表情で僕を見上げる。
「俺は自分の腕の血管が気になって、カッターナイフで切ったこともある」
「え……」
「悠人、君は気にならない? 見えている血管を切ったらどうなるか」
これは脅迫だ。
「俺は君がいなくなったら、試すつもりだよ」
目が蕩け、潤む瞳。
今、止めないと取り返しがつかなくなる。
「試さないでください。僕はずっとそばにいますから」
「俺は知ってるよ。深夜、ゴミ出しに行ってるのを」
それすら、ダメなのか。
「それは、生活するうえで必要な〝作業〟じゃないですか」
分かってくれるはずだ。
「ダメだよ。ひとときも離れないと約束したじゃないか」
自信家の目はすっかりなくなり、甘えてすがる目に変わっていた。
もう、誰に取り繕う必要もないのだろう。
「先輩、僕のこと信用してないの?」
「うん。誰も信用してないよ。親も友人も、悠人も」
ふらりと立ち上がり、キッチンに消えていく。
戻ってきた時には、包丁を片手に自分の首に刃を当てていた。
背中が冷えて、両手を挙げる。
「……落ち着いてください。なにしてるんですか」
ニヤリ。目と口が歪んだ先輩がアゴを突き出し、首に当てた刃に力を込める。
一筋の赤い線が重力のままに垂れた。
「証明してあげるよ。ほら、俺は本気だよ」
「やめてください!」
大声をあげ、先輩は包丁を床に落とした。
「あれ……? 悠人を困らせるつもりはないのに……俺は、俺は!」
金切り声が部屋に響き、僕は先輩を抱きしめる。
「大丈夫です。落ち着きましょう。ほら、怪我しているじゃないですか。早く手当てしましょう」
背中をやさしく叩き、僕はティッシュで先輩の首元を押さえる。
しかし、どんどん赤く染まっていく。
ああ、失敗した。
刺激するつもりはないのに。
先輩はこのところ泣いてばかりだ。
あの自殺未遂以来、彼は僕に謝罪ばかりしている。
「ごめん、困らせて」
「俺は悠人になんてことをしてしまったんだ」
「俺は最低なやつだ」
黒岩先輩からは進捗の確認が来ている。
『直人はどうしているのか』
『あいつは昔っから危なっかしいやつなんだ』
『自信家に見えるかもしれないが、誰よりも傷つきやすいやつなんだ』
僕は板挟み状態だ。
宮坂先輩は病院へは行きたくないと言うし、黒岩先輩は病院へ連れて行けという。
「どうしたらいいんだ……」
選択肢は示されている。
社会に返すか、僕も彼と一緒に閉じこもるか。
病院へは行けない。彼がどうなるか分からないからだ。
ずっとそばにいる。その言葉が頭の中で何度も反芻されていた。
泣きつかれて眠る先輩の寝顔に、僕は決意を固めるのだった。




