第五部:日常という檻
宮坂先輩はその後も帰らなかった。
「しばらくここにいさせてくれないか」
僕は疲弊した先輩の言葉に、追い出すわけにもいかず同棲する羽目になってしまった。
あの後、僕はお風呂に入り、先輩にも気持ちを落ち着かせるために勧めてみた。
だいぶ落ち着きはしたが、まだ怯えているようなそんな様子だ。
時折、静かに泣いたり、自分の頭を掻きむしったりと情緒は不安定。
「……そろそろ、お腹が空いたんじゃないですか? なにか頼みましょう。なにがいいですか?」
「なんでもいい。悠人のそばにいれるなら、なんだっていいよ」
彼はすっかり僕に依存しきっていた。
こんな状況で配信をするわけにもいかず、どうやって生きていけばいいのだろう。
「……俺に構わず、YUEとして活動してくれ」
そうは言ってくれたが、この狭いマンションの一室で長時間、先輩から目を離すのも不安だ。
「不特定多数の女の子に僕が好意を振りまくのは、堪えられるんですか?」
「……それは」
い、や、だ。口パクで僕に伝える。
彼は同性愛者なのだろうか? それとも。
分かっているのは、先輩は僕が好きで、誰にも取られたくないという思いがあるということ。
もうすぐ大学もはじまるというのに、僕らはこのままでいいのだろうか。
でも、この人は僕がいないと壊れる。
このままでは、先輩を〝壊れたままにしている〟状態じゃないか?
彼は殺してくれとは言わなくなった。
「ずっと、一緒にいろ」
「どこへも行くなよ」
デリバリーのもので食事をし、ゴミ出しはできず、溜まっていく一方。
ゴミ溜めの中に、僕らはいる。
整理整頓された部屋は、すっかり歪になっていた。
荒れていく部屋と、僕に頼りっきりになる先輩。
こんな結末、僕は望んでいないはずなのに。
僕も先輩も溺れていく。
深海の深いとこに一緒に。
一ヶ月は経っただろうか。
僕らは寝食をともにし、大学も配信もお休みしていた。
先輩のスマホは、いつのまにかテーブルの上に伏せておくようになっていた。
「悠人、俺は幸せだよ」
「…………」
僕はなにも答えない。
この甘い毒は僕の感覚を麻痺させていったのだ。
――ピロリピロリ。
宮坂先輩のスマホに着信が入る。
彼は無視する。――嫌な予感がした。
この数日、先輩はメッセージも着信も無視をしている。
「出ないんですか?」
「気にしなくていいよ」
続いて僕のスマホも鳴る。
「ちょっと出ますね」
僕はキッチンに移動し、着信に出た。
『白石、悠人だな?』
「誰です?」
『オレは黒岩ってんだ。三上に聞いてお前の番号にかけさせてもらってる』
黒岩……。その名前に聞き覚えがあった。
確か僕が大学でぶつかってしまった、宮坂先輩の知り合いのはずだ。
「黒岩先輩、先日はその、すみませんでした。前方不注意の件ですよね?」
『あ? ちげーよ。宮坂直人は近くにいんのか?』
「今は、ちょっといませんけど……」
とっさに嘘を吐いてしまった。
『まぁ、いいや。三上ってやつにお前と直人が最近、仲がいいって聞いていたからよ。あいつ、今はどこにいるか知らねぇか?』
正直に答えるべきなのか。
答えは……。
「知らないですね。僕も心配なんですよね」
まだ宮坂先輩は精神が不安定だ。
普通に考えれば、病院に連れて行くのが最適解だろう。でも――。
罪悪感で喉が渇く。
胸の奥でなにかがひやりと冷えた。
――ああ、僕は今、あの人を隠してしまったんだ。
『……嘘だな』
「えっ」
『お前は直人を匿っているな』
「いや、あの――」
『〝今はちょっといない〟って言ったよな?』
「…………」
僕に嘘つきの才能はないようだ。
『あいつ、様子が変だったんだよ。いいか、お前が直人を病院へ連れてけ』
「そんな、大げさな」
『数日前から連絡は無視してるし、連絡がとれた時には〝もう近づくな。俺は満ち足りている〟って言っていたし』
「…………」
『そのくらい、あいつは変なんだよ。オレもよく知らねーやつに頼むのは癪だが、友だちなんだ』
「……分かりました。様子を見て、連れていきます」
電話はそこで切れた。
「悠人、誰だった?」
「…………」
黒岩先輩だったことは伏せておこう。
病院につれていくかどうかは、先輩の様子が落ち着いてからでいい。
僕の様子がおかしかったのか、宮坂先輩は不安そうな顔で僕の顔に手を添える。
「俺を捨てるのか?」
「……捨てませんよ」
「俺は、悠人がいなきゃ、ダメなんだ」
「分かっています」
ここは地獄か天国か。
三上や黒岩先輩からは、この関係をどう思うのだろう。
僕には、もう確かめに行く勇気はなかった。




