やらかしてしまったわたし
猛毒体質の大魔法使いと、毒耐性持ちニセ聖女(※実は妖精)の
人違い×隠し事から始まるハイテンションファンタジー
10/23連載開始。11/3まで集中連載中。
平日→20:20の一回更新
10/24(金)と土日祝は8:20/20:20の二回更新
以降は週イチ更新予定です。
「……ん?」
泉の水面を撫でるように吹いてきた風に、わたしは顔を上げた。
――魔物の匂いだ。
間違いない。たぶん、そんなに遠くないところに魔物がいる。
……んだろうけど。
わたしは思わず視線を落としてしまう。
タイミング悪っ…………。
わたし、ちょうどいま、水浴び始めたばっかりなんですけど……。
身体を包む水はひんやりしてて気持ちいい。
澄んだ水の中、白い肌着の裾がゆったり揺らめいている。
このまましばらく水にたゆたって、ついでに軽く洗濯なんかもしちゃったりして。服と髪を乾かしてる間に、木陰でのんびり本でも読もうと思ってたんだけどなあ……。
……でも、まあ、魔物の気配に気づいちゃったら、しかたない。
魔物は人間しか食べない。
たとえ一匹でも、放っておけばいずれ必ず犠牲者が出る。
つまり、見つけたら必ず倒さなきゃいけない、ってこと。
それに、いくらめったに人が来ない森の奥とはいえ、迷い込んだ旅人とか、レア素材目当てのトレジャーハンターと出くわすこともないわけじゃない。
もしかしたら、ちょうど誰かが襲われそうになってるかも。
ちょうど、ついこの前の商隊のひとたちみたいに。
……そう考えると、面倒くさいから気づかないフリ、ってワケにもいかないか。
「……行くかぁ」
ため息ひとつついて、わたしはしぶしぶ泉から上がった。
正直、あんまり気が乗らないけど……でも。
わたしの理想。憧れの少女騎士ピュイルならきっと、こういうときに迷わず飛び出すハズだもんね。
ショートの髪の毛をぎゅっと絞って水を切ると、さっき近くの木の枝へ掛けといた布で髪と身体をざっと拭う。
ついでに濡れた肌着を乾いたやつに取り替えて、いつものシャツとジーンズを身につければ準備はおおかた完了だ。
……さすがに、干してるヒマ、ないか。
ちょっとだけ迷ったあと、わたしは濡れた肌着と布を丸めて防水布にくるみ、リュックのいちばん上へ突っ込んだ。
そのまま肩紐に腕を入れ、かたわらに立てかけてた剣を掴んで森の中へ飛び込んでく。
街道を外れれば、森の中に道なんてものはない。
歩くのさえ大変な森の中を、木の根っこにつまづきながら走る。
濡れたままの前髪が額にぺたりと張りついててうっとうしいけど、いまはそんなの気にしてる場合じゃない。
――魔物の匂い、どんどん濃くなってた。
魔物の毒は空気すらも侵す。
それが、いわゆる『瘴気』っていうやつ。
魔物の瘴気はほんらい無色透明で、匂いもしない。
ありとあらゆる生き物の命を奪う猛毒なのに、目には見えないし、普通じゃ感知できないからこそよけいに厄介……らしいんだけど。妖精であるわたしには魔物の瘴気の匂い、分かっちゃうんだよね。
しかも、風向きによっては、けっこう遠くからでも。
……あっ、ちなみに『妖精』って言っても、べつに自然の中で暮らしてるってわけじゃない。(まあ、母さん達の時代はそうだったらしいけどね……)わたしがさいきんこの森をねぐらにしてるのは、あくまで経済的な事情。
わたしだって、お金に余裕あるなら街で暮らしたいし、清潔なベッドで寝たり、思う存分に食べ歩きしたりしたいんだけどね……閑話休題。
瘴気の匂いがいっそう濃くなる。
きっと魔物はもう、すぐそばだ。
あと、もう少し……!
行く手を塞ぐ低木の茂みをかき分けると、不意に視界が開けた。
「え…………」
その先に待ち受けていた光景に、わたしは息を呑んだ。
目の前に広がっていたのは、聖域、という表現が相応しいような場所だった。
鬱蒼とした森がただそこだけ開けていて、やわらかな木漏れ日が降り注いでる。
なんだかまるで、空気自体がうっすら光ってるみたい。
そして、そんな淡い光の中で、ひとりの青年が眠っていた。
――綺麗な青年だった。
それも、ものすごく。
年齢は、わたしよりもほんの少し上……だいたい、二十歳くらいだろうか?
妖しいまでに美しい顔立ちと、下草に零れた長い黒髪。
透けそうなほど薄い瞼は安らかに閉じられ、黒いローブに包まれた胸が、ゆっくりと規則正しく上下している。
肌に感じる空気さえも、それまでとはどこか違ってた。
しんと静まりかえった世界の中で、青年の寝息だけがかすかに聞こえてくる。
「…………ん……ぃ…………」
眠る青年のくちびるが、僅かに動いた。
……もしかしたら、夢でも見ているのかも知れない。
深い森に抱かれるようにして眠る、とびきり美しい青年。
あまりにも現実離れしたその光景に、わたしはしばし、見とれてしまった。
……って。
いや。ちょっと待って?
ふと、視界になにか映った気がして。
眠る青年のすぐ隣へ視線を向けたわたし、思わず声をあげてしまった。
「竜っ!?」
わたしは一瞬で現実に引き戻された。手にした剣の柄にあわてて力を込める。
青年のかたわらには、一匹の竜がいた。
とはいえ、それほど大きい竜じゃない。せいぜい小型の犬くらいのもの。そいつは漆黒の羽を畳み、青年を静かに見下ろしている。
――魔物の瘴気、さっきよりいっそう濃くなってた。
たぶん、フツーの人間なら目眩を覚えるか、ヘタしたら意識、失うくらいの濃さ。
眠る青年と竜のほかは、あたりに生き物の気配、ない。
つまり……状況からいってこの瘴気の発生源、あの竜しかいない、ってこと!
わたしは茂みの間からそっと竜の様子をうかがった。
なめらかな鱗と流線型のフォルムをした美しい竜だけど、魔物だと思うと、どこか禍々しくも見えてくる。
て、いうかさ!
光の中で呑気に眠る青年を見やり、わたしは心の中で毒づいた。
こいつ、一体なに考えてんだよ!?
魔物がうろついてる森の中で昼寝するなんて、いくらなんでも無防備すぎ!
わたしみたいな妖精ならともかく、人間なら人間らしく魔物を警戒しろっつーのっ!
……たまたまわたしが近くにいたから良いようなものの、そうでなきゃ、どうなってたか!
……でも、間に合って良かった。
わたしは安堵の息を吐く。
こっちとしても、しぶしぶ水浴びを切り上げて飛び出してきた甲斐があった、というもの。
竜型の魔物、様子をうかがってるみたいで、まだ青年へ襲いかかる気配はない。
いまなら、まだ……助けられる!
わたしは剣を強く握り直し、深々と息を吸った。
「――そこまでだっ!」
抜き放った剣を振り上げながらそう叫ぶと、竜型の魔物、驚いたように首をもたげてこちらを向く。
……よし、こっちへ注意が向いたぞ!
茂みから飛び出したわたし、剣を構えたまま魔物めがけて突進した!
――こいつの背中には羽がある。
もしも空中へ逃げられちゃったら、わたしにはもう、打つ手がない。
チャンスはこの一瞬だけ。わたしは思いっきり剣を振るった!
「――――観念するんだッ!」
……けれども。
どうしたことか、振り下ろした剣に手応えは無くって。
「なッ──?」
次の瞬間。
……わたしは、馬になっていた。
『って、なんでっ!? どうしてっ!?』
わたしはあわてて自分の身体を見下ろした。
馬だ。
芦毛に覆われた身体と、ほっそりした脚と、蹄。これはもう、馬以外の何者でもない。
しかも、首を巡らせてみれば、背中にはご丁寧にしっかりした鞍まで設えられてる。
……って!
いや! だから、なんでっ!?
「――…………なんだ、騒がしいな」
すっかり取り乱したわたしが思わずその場をぐるぐるしてると、不意に、背後から声がした。
思わず振り返ると、こちらに向けられた視線と目が合う。
いつの間にか、眠っていた青年が半身を起こし、目を擦りながらこちらを見てた。
目覚めた青年は、寝ているときよりもいっそう綺麗だった。
こちらを値踏みするような眼光は鋭くて、瞳の色はまるで闇に浸したような深い青。
そんな場合じゃないのに、わたしはつい、見入ってしまう。
……なんだか、まるで夜の空みたいな色だな、と思った。
思わず見とれるわたしの前で、青年がわずかに目を細めた。
透き通るまつげの奥で深い瞳が揺れ、形の良いくちびるが静かに言葉を紡ぐ。
「――なんだ、ただの馬か」
『いや、馬じゃねえし!』
「ああ、そうだった。俺が反射的に魔法で馬に変えてしまったんだったな。人の眠りを邪魔した気分はどうだ? 通りすがりの悪党氏よ」
『あ、悪党っ!?』
「なんの罪もない人間にとつぜん襲いかかってきたのだからして、悪党に決まっているだろう」、と、青年があくび混じりに言う。
「……追い剥ぎか、強盗か、人さらいかなにかは知らんが、この俺の寝込みを襲うとは良い度胸だ。まあ、良い度胸ではあるが、残念ながら運の尽きでもある。
……ああ、可哀想に。俺を襲ったから運が尽きたのか、運が尽きてるから俺を襲ったのかは、いまとなっては判然としないが、とにかく、現状お前の運が尽きているという点において間違いはないな」
形の良い顎に指を掛けつつ、青年が一人で勝手にうんうんと頷いた。
『は、はあ……』
なんていうか……寝起きにしてはずいぶんと口が回る男だ。
ていうか、神秘的なくらい綺麗なのに、なんか口開いたらめっちゃ喋るじゃんっ!?
……って、いや、そうじゃなくて!
『これ、あんたの仕業っ!?』
わたしは鼻息も荒く(馬だからね!)青年に詰め寄った。
『なんでわたしを馬に変えたのっ!?』
「だから、先ほども言っただろう。俺は不意打ちを喰らうと反射的に相手を馬にしてしまうんだ」
『いや、だからなんでっ!?』
「なんで、と言われても……古来より、魔法使いの怒りに触れた者は罰として獣に姿を変えられる、と相場が決まっているだろう。
……まあ、特に具体例が浮かぶわけではないが、ほら、なんとなくそんな感じがするし」
『そんなフワフワした理由で!? ていうか、不意打ちってなんだよ!?』
「……どこからどう見ても不意打ちだろうが」
なにを当然のことを、とでも言わんばかりに、魔法使いが嘆息した。
「いいか。客観的に考えてみろ。人が心地よい午睡を堪能しているところへ、とつぜん知らない人間が武器を振りかざして突進して来たのだ。これはもう、一般的に襲撃と見なされる行為ではないだろうか?
どうだろう、通りすがりの追い剥ぎ氏よ」
『誰が追い剥ぎ氏だよっ!?』
「……おっと、失礼。いまは馬氏だったか」
『馬でも追い剥ぎでもないっつーの!』
わたしはぶんぶんと首を振り回して抗議の意を示す。
『わたしだってね! ちょうど水浴びしようと思って水に入ったばっかだったんだから! でも、万が一ってこともあるから! 髪も乾かさないまま走ってきてっ! 魔物に襲われそうになってたあんたを見つけてっ……ていうか!』
そうだよ! 魔物はっ!?
わたしはあわてて辺りを見渡す。
……いた! 魔法使いのすぐ隣に、例の小さな黒い竜!
竜型の魔物は真紅の瞳を輝かせてこちらを睨み、威嚇するみたいに牙を剥き出してる。
どう見たって完全に臨戦態勢。
いまこの瞬間にもわたしたちへ襲いかかってきそう!
『それっ! そいつっ! その魔物っ!』
「……魔物?」
『ああもうっ! いいから! 逃げてっ!』
喚くわたしに怪訝顔をしつつ、魔法使いがかたわらの仔竜へ視線をやった。
『え……』
彼に視線を向けられたとたん、仔竜はすっと牙を収めた。
そのまま漆黒の羽を広げ、ふわり、と魔法使いの肩へ飛び移ってくる。
羽をたたみながらくるりと回ると、竜は長い尾を身体に巻き付けるようにして彼の肩に収まった。
「……ふみゅう」
仔竜、真紅の目をぱちぱちさせながら魔法使いの顔をじっと見上げた。それだけには飽き足らず、鼻先を彼の頬につん、と押し当てる。
まるで「撫でて」、とでも言わんばかりに。
魔法使いは当然のように手を伸ばし、竜の頭をそっと撫でる。
仔竜はどこか満足げに目を細め、甘えるように喉を鳴らした。
『え、ええと……』
「……ふむ」
手袋に包まれた指先で仔竜を撫でつつ、魔法使いは冷ややかな視線をわたしへ向けてくる。
「俺の使い魔が、どうかしたか?」
『で、でもっ、瘴気が…………って、あれっ?』
言いかけたわたし、その段になってようやく気づく。
……いつの間にか、瘴気が消えてた。
さっきまで噎せるほど濃かった瘴気、いまはもう、ほとんど感じられない。
とはいえ、よくよく注意をこらしてみれば、まだどこかに気配はあるような気もするけど、気のせいかって言われたら「そうかも……」ってなるくらいの、そんなレベルになってる。
いったい、どういうこと……?
「……瘴気?」
『な、なんでもないっ!』
怪訝そうに聞き返してくる魔法使いに、わたしはあわてて首を振った。
……って、あぶねっ! フツーの人間には瘴気の匂いなんて分からないんだ。
瘴気を嗅ぎつけてここまで来たのにとつぜん瘴気が消えちゃった、なんて言ったら、正気を疑われちゃう! 瘴気だけにね!(なんちゃって)
……それに、万が一にでもわたしが妖精だってバレたら、非常にまずい。
妖精の翅には癒やしの力がある。
その鱗粉は、生き物の怪我や病を治す薬になるんだ。
お陰で妖精は人間に狩り尽くされて、いまじゃほとんど絶滅寸前。
それでもまだ、しつこく妖精の生き残りを探してる人間もいるとかって話も聞く。
……まあ、わたし自身は翅を失っちゃったんだけど、それでも、わたしの身体には妖精の血が流れてるわけで。もしもわたしが妖精の生き残りだってバレたら、どんなことになるかはだいたい想像がつく。……つきたくないけど。
「……とぼけた馬だな」
呆れ顔をする魔法使いに、わたしははは、と笑ってみせた。
次話「あっさり丸め込まれるわたし」、10/24 20:20更新
主人公、丸め込まれてしまいます。(ちょろい)




