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後編「儀式と終わり」

 

 砂時計の砂が静かに落ちていく。その音だけが、今や密室と化したギルド庶務室に響いていた。


「逃げられない」


 シアンの声が再び虚空から聞こえた。ゴーレスは警戒しながら、部屋の中央に立っていた。背中を壁につけないよう注意し、全方位から攻撃に対応できる体勢を取る。


「ずいぶん用心深いですね。さすがはS級冒険者だった男」


「お前の依頼者は何を話した?」


 ゴーレスは時間を稼ぎながら、シアンの位置を探ろうとしていた。


「すべてです」


 シアンが姿を現したのは、部屋の隅だった。彼は椅子に腰掛け、まるで古い友人との会話を楽しむかのような態度で続けた。


「30年前、勇者アルバスとそのパーティはスタンピードを止めるため、最終ダンジョン『亡国の回廊』へ向かいました。しかし、彼らが発見したのは、スタンピードの真実でした」


 ゴーレスの表情が強張る。


「スタンピードは自然現象ではなかった。ノールド王国がアヴァロン帝国を弱体化させるために仕掛けた策略だった。ダンジョンコアと特殊な魔術式を使い、人工的にモンスターを生み出していたのです」


「黙れ!」


 ゴーレスが短剣を投げたが、シアンはそれをわずかな動きで避けた。


「勇者アルバスは真実を知り、それを公表しようとした。しかし、パーティのメンバーたちは違いました。彼らはすでに英雄として名声を得ていた。真実が明らかになれば、国が傾き、冒険者もいずれ要らなくなる」


 ゴーレスは黙って聞いていた。過去の記憶が鮮明によみがえってくる。


「そこであなたが提案した。『冒険者と国を守るためにアルバスを消そう』と」


 シアンは立ち上がり、ゆっくりとゴーレスに近づいてきた。


「最初の犠牲者は勇者アルバス。パーティ全員で彼を倒し、失踪したことにした。それから次々と、共犯者たちも消していった。最後の一人、エルロンドが死ぬ直前、彼は私に言いました。『ゴーレスを殺せ』と」


 シアンが動いた。一瞬で距離を詰め、毒刃をゴーレスの胸に向かって突き出す。ゴーレスは咄嗟に身を捻り、かろうじて急所への一撃を避けた。しかし、左腕に浅い切り傷を負った。


「毒が回るのに5分。十分に苦しみながら死ねるでしょう」


 ゴーレスはすぐに腕の傷口を締め上げた。毒の拡散を遅らせるための応急処置だ。


「甘いな」


 ゴーレスの声が低く響いた。次の瞬間、彼の姿が消えていた。


「何?」


 今度はシアンが驚いた。S級冒険者としてのゴーレスの真の力が目覚めたのだ。年齢を感じさせない俊敏な動きで、ゴーレスはシアンの背後に現れ、強烈な一撃を放った。


「貴様如きが俺を殺せると思うな!」


 シアンは壁に叩きつけられ、口から血を吐いた。しかし、彼はすぐに立ち上がった。その顔に浮かぶ表情は、もはや人間のものではなかった。


「面白い...」


 二人の戦いは熾烈を極めた。部屋の中を飛び交う二つの影。家具は壊れ、書類は舞い散った。時折、魔法の光が閃き、衝撃波が部屋を揺るがす。


 ゴーレスの左腕は徐々に動かなくなっていた。毒が効き始めている。しかし、彼の動きは衰えを見せない。長年の経験と知恵で、効率的に体力を使いながら戦い続けた。


「お前の依頼者に聞いておくべきだったな」


 ゴーレスが言った。


「俺は単なるS級冒険者ではない。かつて『死角のゴーレス』と呼ばれた冒険者だ」


 彼の右手に集中した魔力が、青白い光となって現れた。それは古代の禁忌魔法、"魂断ち"だった。生者の魂を強制的に肉体から引き離す恐ろしい術だ。


 シアンは初めて表情を変えた。恐怖を感じたのだ。


「そんなこと...言っていなかった...」


「当然だ。これは俺だけが使える秘術だからな」


 ゴーレスの体から放たれた光の刃がシアンの体を貫いた。彼の体から青白い霧のようなものが抜け出し、空中に消えていく。それが彼の魂だった。


 シアンの体は人形のように崩れ落ちた。


「終わったか...」


 ゴーレスは苦しみながら、傷だらけの体でなんとか椅子まで歩き、深く腰掛けた。左腕の毒は確実に全身に回りつつある。解毒剤を飲めば命は助かるだろうが、もはや動く力が残っていなかった。


 そのとき、ドアがゆっくりと開いた。


「大丈夫ですか、マスター」


 声の主は、ユリアンだった。S級冒険者の彼は、ゴーレスの後継者として期待されていた男だ。しかし、先ほどシアンはユリアンの手を見せたはずだ。


「ユリアン...お前は...」


 ゴーレスの声はかすれていた。しかし、彼の頭脳は冴えていた。どこかおかしい。このタイミングでユリアンが来るはずがない。


「黒幕はお前か」


 ゴーレスの問いに、ユリアンはあっさりと頷いた。


「さすがマスター、すぐにお気づきになりましたか」


 ユリアンはシアンの倒れた体の隣に立ち、その顔をじっと見つめた。


「兄さん、よくやってくれた」


 ゴーレスの目が見開いた。


「兄...だと?」


「はい。シアンは私の兄です。正確には、かつての兄の体に依代の術をかけたものですが」


 ユリアンは静かにシアンの目を閉じた。


「兄は5年前に亡くなりました。彼の体は特殊な薬で腐敗を防ぎ、私の操り人形として使っていました。そして今日、ついに彼の役目は終わりました」


「なぜ...」


「なぜか?」


ユリアンは笑った。


「マスター、あなたは父の名前を覚えていますか?エルロンド...勇者パーティの一員だった魔術師です」


 ゴーレスの顔から血の気が引いた。


「そうです。私はエルロンドの息子。兄と共に、あなたに近づくために長い時間をかけました」


 ユリアンはゴーレスの傍に歩み寄り、ひざまずいた。


「父は死の間際、私たちに真実を話しました。そして、復讐を託しました」


「だがお前の兄は...」


「死んでいます。しかし、兄は呪いの魔法を使いました。自分を殺した者を道連れにする魔法を」


 ゴーレスは初めて恐怖を感じた。


「あなたが兄の体から魂を引き離した瞬間、その呪いが発動しました。今、あなたの魂は少しずつ消えていっています」


 ゴーレスは自分の手を見た。確かに、体が透けるように霞んでいる。


「やっと、とうさんの仇がとれる」


 ユリアンの声には感情が戻っていた。長年抑えていた憎しみと悲しみが溢れ出す。


「お前...ギルドを...」


「心配しないでください。私がしっかりと継いでみせます。あなたが築いたすべてのものを」


 ユリアンの表情には、悲しみと勝利の両方が浮かんでいた。


「さようなら、ゴーレス。勇者アルバスがあなたを待っているでしょう」


 ゴーレスの体から最後の光が抜けていった。彼の肉体は椅子に座ったまま、まるで眠るように静かになった。


 ユリアンは立ち上がり、部屋を見回した。激しい戦いの痕跡が至る所に残っている。彼は静かに呟いた。


「これで終わりだ」


 窓の外では、ノールドの街の灯りが揺れていた。新しい時代の始まりを告げるかのように。


 ---


 翌日、冒険者ギルドのマスター・ゴーレスの急死が街中に伝わった。後を継いだユリアンは、葬儀で涙ながらに故人の功績を称え、「彼の遺志を継ぎ、この街とギルドを守る」と誓った。


 勇者アルバスの失踪から30年。真実を知る者はもういない。


 しかし、密室で起きた出来事は、やがて「部下を守ったゴーレスの最後の雄姿」と呼ばれる伝説として、冒険者たちの間で語り継がれることになるのだった—もっとも、その内容は真実とはかけ離れていたが。


 ***


 それから10年後。ギルドマスターとなったユリアンの部屋に、一人の冒険者が訪れた。彼の手には古い羊皮紙が握られていた。


「あの...マスター、これは勇者アルバスの日記だと思うのですが...」


 その言葉に、ユリアンの顔から一瞬血の気が引いた。


 真実は、まだ終わっていなかった。


 真の「伝説」は、これからが始まりだったのだ。


(完)

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