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前編「こんばんわ、私は殺し屋です」

 

「では、ありがとう」


 一人の男が庶務室を後にし、ドアが閉まる音が響いた。その場に残されたゴーレスは、机の引き出しから取り出した特級ウィスキーをグラスに注いだ。琥珀色の液体が静かに揺れ、灯りに照らされて輝きを放つ。一気に喉に流し込むと、心地よい灼熱感が胸に広がった。


 交易の要である都市ノールドで冒険者ギルドのマスターを務めるゴーレス。今年で就任してから15年になる。その間、この街は目覚ましい発展を遂げた。かつては寂れた東方の小さな港町に過ぎなかったノールドが、今では大陸一の交易都市として栄えている。


 ゴーレスは窓から街の灯りを眺めた。ギルドの庶務室からは、夜になっても活気に満ちた商店街や港の様子が一望できる。船から下ろされる荷物、行き交う人々、光り輝く高級店の看板。すべてが彼の功績だと言っても過言ではなかった。


「酒が切れたか」


 グラスを傾けて最後の一滴まで飲み干したゴーレスは、考えに耽っていた。交易都市とともに、いまではここ一帯のギルドでもっとも力を持つと言われるまでに冒険者ギルドを大きくした自身の人生を。


 若き日の彼は、ただの腕っぷしの強い冒険者だった。しかし、その才能と狡猾さで次々と難関クエストを成功させ、S級冒険者としての名声を勝ち取った。そして今やギルドの長として、若い冒険者たちからは「ゴーレス爺さん」と慕われている。


 街の住民たちからも「この街の守護者」と称賛される存在だ。ギルドが安定した収益を上げるようになったのは、彼が独自に開発した依頼システムのおかげだと多くの人が認めている。困っている町民の依頼から、冒険者の能力に合わせたダンジョン攻略まで、あらゆる需要を満たす体制を整えた。


「ふ、S級のユリアンにでもマスターを譲って悠々自適に田舎で過ごすか」


 リラックスした表情で椅子に深く腰掛けると、ゴーレスはもう一杯酒を飲もうとした。しかし、瓶は空になっていた。


「地下の保管庫にはまだあるはずだな」


 立ち上がったゴーレスは、書棚の隅にある小さな魔法陣に触れた。音もなく壁の一部が滑るように開き、螺旋階段が現れる。誰にも知られていない秘密の通路だ。彼は慣れた足取りで階段を降り始めた。


 階段を降りきると、そこには彼だけが知る保管庫があった。表向きは古い書物や貴重品を保管する場所となっているが、実際にはゴーレスの「裏の仕事」の証拠が隠されている。彼は保管庫の奥に進み、特製の鍵で開く小さな金庫を取り出した。


 中には、街の権力者たちの弱みを記した文書や、非合法な依頼の記録が整然と保管されていた。ここ数年で蓄えた富の大部分は、こうした闇の仕事から得たものだ。依頼人の秘密を握り、必要とあらば脅しもいとわない。それが彼の真の姿だった。


「これぞ真の力というものだ」


 金庫を閉じ、置いてあった酒の瓶を手に取る。満足げな表情で階段を上り、元の庶務室へと戻った。


 椅子に座りグラスに酒を注ごうとした時だった。何かがおかしい。窓の近くに人影がある。ゴーレスは即座に警戒態勢に入った。気が付くと窓際に一人の青年が静かに立っていた。


「お前は誰だ」


 低い声で威嚇するゴーレス。腰には短剣を隠し持っていた。かつてS級冒険者として名を馳せた彼の反射神経と戦闘能力は、今でも侮れない。


(引退して数十年経つが、こんな小僧など秒で蹴散らせる)


 そう思った瞬間、青年が無言で革袋を投げてきた。ゴーレスはそれを片手で受け止め、青年から視線を外さずにゆっくりと袋を開けた。


 中には人間の手があった。切断された新鮮な手だった。そこに着いている指輪に見覚えがあった。


「これはユリアンの…」


 ゴーレスの顔から血の気が引いた。その指輪は、自分の後継者と目していたS級冒険者ユリアンが常に身につけていたものだった。


「こんばんわ、私は殺し屋です」


 青年の声は感情がなく、まるで天気の話をするかのように淡々としていた。その姿をよく見ると、彼の顔には生気がなかった。目は冷たく、まるで死人のように生命の輝きを失っている。


「ユリアンを殺したのはお前か」


「彼はとても強かったです。でも、もう…」


 青年は薄く笑みを浮かべたが、その表情には何の感情も宿っていなかった。


「何の用だ」


「あなたを殺しに来ました」


 その言葉に、ゴーレスは即座に短剣を抜き放った。だが青年は動じる様子もない。


「無駄です。このギルドの出入口はすべて魔法で封じられています。逃げられません」


 青年は右手を軽く挙げた。その指先から淡い青い光が漏れている。魔術師でもあるらしい。


「何故俺を殺そうとする?依頼主は誰だ?」


「心当たりあるのでは」


 青年は相変わらず淡々と言った。


「だれだ?」


「あなたが殺した勇者パーティのメンバー、その親族からの依頼です」


 その言葉にゴーレスの顔が一瞬強張った。


「勇者パーティ?何を言っている。勇者は30年前に失踪したんだ。彼らのおかげで人類はスタンピードから救われた。英雄だ。彼らに手を出すわけがない」


「嘘をつかないでください。あなたは彼らを裏切った。そして一人ずつ消していった」


 青年は懐から古ぼけた羊皮紙を取り出した。それは魔法の契約書のようだった。


「私の依頼者は、契約を交わしました。彼の魂の力で私を動かし、あなたを殺すことを」


 ゴーレスは慎重に距離を取りながら、部屋の中を見回した。脱出経路を探している。だが、窓には見えない結界が張られているのがわかる。ドアも同様だろう。


「何故ユリアンを殺した。やつがいなければ、このギルドは機能しなくなる。街全体が混乱するぞ」


「それはあなたの問題です」


 青年の表情が少し変わった。何かを楽しんでいるような、不気味な笑みが浮かんだ。


「さて、どうやって殺しましょうか。依頼は『苦しませて殺せ』と。あなたに苦しめられたように」


 青年は懐から小さなナイフを取り出した。その刃は黒く、何かの毒が塗られているようだ。


「私の名前はシアン。あなたの命を奪う者です」


 青年は床に何かを落とした。それは小さな砂時計だった。


「この砂が落ちきるまでの間に、あなたは死ぬでしょう」


 シアンはゆっくりとゴーレスに近づき始めた。その足取りには無駄がなく、訓練された殺し屋の動きだった。


 ゴーレスは短剣を構えた。かつてのS級冒険者としての鋭さが蘇る。


「舐めるな、小僧。俺はこんな年でも簡単には死なんぞ」


「それはどうでしょう」


 シアンは不意に姿を消した。瞬間移動の魔法だ。ゴーレスは本能的に後ろに飛び退いた。その直後、彼がいた場所にナイフが突き刺さる。


「なかなかやるじゃないか」


 シアンの声が部屋のどこからともなく響いた。


「しかし、時間の問題です」


 ゴーレスは冷や汗を浮かべながらも、冷静に状況を分析していた。


(この密室から脱出する方法は?殺し屋の弱点は?そもそも勇者パーティのことをどうして知っている?)


 ゴーレスの心に不安が芽生え始めた。30年前の過去が、今、彼の命を脅かしている。今や街の英雄となった彼の裏の顔、そして誰にも語ることのなかった勇者パーティとの関係。


 それは、彼が最も隠しておきたかった秘密だった。


(続く)

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