終わった日
息抜きです。
もしかしたら後々続きかくカモ
戦場にしては、随分と静かな日だった。
いつもなら砲弾の炸裂音や銃弾が空気を切り裂く音が絶えず、朝起きれば爆音と共に必ず誰かの苦しむうめき声が聞こえ、夜寝る前は敵の夜襲によって死がすぐそばを通り過ぎる音の間を縫って、四肢が無くなり助けを求める耳を塞ぎたくなるような哀れな声が聞こえてくるはずなのに、
今日に限ってはそれが無い。
ただ、腐った肉とぐちゃぐちゃになった泥の混ざった酷い匂いと、珍しく隅々まで晴れ渡った空だけが、
そこにはあった。
ここでは『劇的な死』なんてものは存在しない。
三日前は軍の情報を敵に流した者が処刑され、
二日前は名前も知らない敵を射殺して、
昨日は前を走っていた者が砲弾に吹き飛ばされて、
今日は薄目を開けてみたら一緒にこの戦争を生きて切り抜けようと約束した戦友が、耐えきれず、自分の目の前で拳銃で頭を撃ち抜いて死んでいる。
それらを見て、思い出し、男は目覚めて一日を始める決断をする。
まともな暖房器具なんて無い戦場の冬の朝は恐ろしく寒く、男は寒そうに体を震わせながら体を起こす。
そして迫りくる終わりの足音にもまた震えながら、いつも、いつもいつも思うのだ。
『あぁ、自分はまだなんだ』と。
人はいつか死ぬ。
それは間違いなく、
思っているよりあっさりと。
そして気づけば、
たった一人、
自分だけが生きている。
「クソ…相変わらず寒いな」
昨日は確か、都市の一区画に残った最後の建物を制圧して、久しぶりに土の上以外で眠ることが出来た。
男はそんなことを思いながら視線を下に落す。
その視線の先、手に握るは昨日の…もしかしたら今日だったかもしれないが———まあとにかく寝る前に寒さを少しだけ紛らわそうと掴んだ毛布が、朱殷に染まって元の色や模様が分からない毛布が握られている。
上げれば、
そのまま顔を
男の瞳に映る辺りに転がる死の山。
———見慣れた光景だ。
この数年間、何度も見てきた景色。
もはや何の感情も湧いてこない。
「ッチ、最後の一本かよ…マッチもねェ……オマエ持ってねェか?」
男は胸のポケットから煙草を取り出し、切らしていた火種を求めて二度と動くことのない戦友の亡骸を探る。
「おっ…あった……………ピッタリ、一本ってワケか。ありがとうな■■。お前ので吸わせてもらうぜ」
そう言って男は亡骸の胸ポケットから大切そうに紙で包まれた火種を取り出すと、銜えた煙草に火をつけ、その火種が包まれていた紙も残り火で燃やし尽くす。
「…とりあえず、俺しか生きてないみてェだし、本隊にでも戻るとするかね」
煙草を吸いつくすと男はそう言い立ち上がり、自分が使っていた毛布を亡骸にかけて、
転がる骸を無意識ながら踏まぬように気を付けてこの建物を後にする。
「……ホント、いつ終わるんだか」
「終わった?何がだ?都市ならまだ一区画しか制圧できていないが?」
「まあ落ち着け落ち着け。そう詰め寄って話すなよ。詳しく説明してやるから落ち着いて聞け」
本隊に戻った男は同じ部隊に所属している後ろで長髪をまとめた男から信じられないような、とんでもないことを聞いたような声を出す。
長髪の男は全く理解できていない様子の男に教えてやろうとコホンと咳ばらいを一回して話し出す。
「こんな状況で『終わった』って言ったら一つしかないだろ———」
———戦争が終わったんだよ。
男の記憶はそこで途切れている。
気づいたときには男は自分の家が、愛する家族が、間違いない平穏が待つ土地に戻って来ていた。
辺りは日が沈みかけ夕日が男の足元から影を伸ばす。
今が何日なのか、どうやってここに来たのか、本当に戦争が終わったのか、何もかも分からないまま、男は真新しい殺し合いの記憶の間を縫って微かに思い出される道を通って家族の待つ家へと歩みを進めていく。
段々と人通りが少なくなってゆき、道端に力なく座り込む人々が増え、街灯が少ないのか先ほどまでよりも明らかに暗くなっていく。
そして、ついに目的の場所にたどり着き、男はこの数年間ひたすらに望んでいたものを見上げる。
廃墟
男の目に映る建物は男の記憶とは大きくかけ離れており、人の気配がしないだけでなく、その建物の在り方からは戦闘の後が見える。
男の脳に一瞬何かが通り過ぎる。
男はその『何か』を意図的に認識しない。
「そんなバカなことあるかよ…」
男は震える声で『何か』を見ないようにしながら建物の、家の扉を開ける。
鍵はかかっていなかった。
扉に着いた銃痕は見ない、見えない。
そして廊下、キッチン、リビング、記憶にある部屋を片っ端から扉を開けて中を見ては見ないでどんどんと奥へと進んで行く。
それらが終わり、男は建物の外へと出て、思考をめぐらす。
そしてその思考の果て、男は確信を抱く。
ここは間違いなく自分と家族の家なのだと。
どこか別の場所などではなく、絶対に。
じゃあ愛する家族は?どこへ行ったというのだろうか?
「…!……おい、そこのお前!待ってくれ!聞きたいことがあるんだ」
男は偶然目の前を通りかかった人影に声をかける。
明かりが無いせいで顔は良く見えない。
「…何だよ」
疲労を感じさせるようなかすれた声が人影から聞こえてくる。
「お前ここに住んでいた奴らがどこに行ったか知らないか?」
男はその質問を口から出した直後、少し後悔する。
もしかしたら———と嫌な考えが再び、一瞬だけ顔を見せたからだ。
いや、そんな訳がない。
きっと何かの間違いだ。
もしそうだったら、そんなことがあれば俺は———
「…?あんた知らないのか?ここら辺に住んでいた奴らは皆———死んじまったよ。どこから来たかも分からない軍人に皆殺されちまった」
一番聞きたくなかったことを人影から言われ、男は体が硬直し、言葉が出なくなる。
しかし長く動かずにいることは出来ず、男の体は意識しない内に建物の方へと振る帰り、そして男はよく知った、家族の名前が刻まれた粗末な墓標を見ることになる。
「しかも酷いもんでその死体もまとめて適当に焼かれてもう誰が誰だか分からなくなっちまった」
膝から崩れ落ち、手を地に着く。
そうだ、そうだった。
ここは国境の境目にあるんだった。
それによく思い出してみれば戦争の最初の方でここが攻撃されたとかいう噂も聞いていた。
そういえば家族から何の手紙も来ていなかったが、今までは頻繁に動く前線に居たからだと思っていたが、そういうワケじゃなかった。
知らないワケじゃなかった。
知ろうとすればいくらでも知れたハズだ。
俺が、知りたくなかっただけだ。
男は無意識に軍から持ち出していた拳銃を片手に、つい最近までそこに居て愚かな殺し合いを演じた戦場に、最後に制圧した建物へと向かう。
当然ながら、戦争が終わってまだ日が浅く、そこらへんに乱雑にばらまかれた地雷や戦中に臨時製造され、その粗雑な作りのために爆発することなく残った砲弾の処理が終わっていない都市に人の気配は無い。
そんな中を歩くとまるで自分が世界にたった一人残されたような感覚になる。
寂しくも悲しくも無い。
今まで遠ざかろうと必死にもがいていた死の足音に近づいていくだけ。
そしてじきに男は目的の場所に着く。
その場所は男が最後に見た時と何ら変わらない。
多くの死が転がり、そのままになっている。
「…最後までお前の世話になっちまうなァ……まぁ、少し遅くなったがお前を独りにはせんぜ。今からそっちに———誰だ?」
男が銃口を自らのこめかみに押し付け、いざ引き金を引こうとしたとき、男のすぐ後ろでガタリと何かが物を動かしたような音が聞こえてくる。
多分、普通の人間ならば気にも留めない音なのだろうが、あまりにも長く戦場の空気にさらされた男は反射的に音のした暗がり銃口を向ける。
敵の残党だろうか?
死体を漁りに来た盗人の類だろうか?
逃げ遅れた住民だろうか?
不意の事態に思考が高速で回転する。
つい今まで死んでしまおうとしていたというのに、男は本能的に自身の安全を確保しようとしていた。
その行動はもはや病の域に達していると言っても間違いないだろう。
もし今の状態の男の前で何かが動けば、きっと、
男は躊躇なく引き金を引く。
男の見る暗がりで『何か』が動く。
戦場で散々命の取り合いをした男がそれを見逃すことは無い。
撃った
残りの弾の数も数えず
男は恐怖に動かされ、
我を忘れ、とにかく撃った。
気づけば弾倉に入っていた銃弾が撃ち尽くされ、そこでようやく男は気づき、止まる。
「何してんだ、俺は…さっきまで死のうとしてたじゃねェか……なのに、何で…」
男はそう言いながら自分が撃ったものが何であったかを確認するため、まだ生きているかを確認するため、先ほど何かが動いた場所に歩を進める。
「…ガキか?……何でこんな所に………は?」
段々とその暗がりに目が慣れ、倒れ込んだそれが何であったかが分かる。
男は困惑した。
それは相手が子供であったからでも、こんな不気味な場所に居たからでもない。
男は銃を手にした少年兵を何人も殺してきたし、人間は本当に必要になればどんな場所にでも居ることが出来ることは身をもって体験したからだ。
では何故男は困惑したのだろうか?
答えは簡単
あれ程撃ったのに一滴の血も落ちていなかった
からだ。
そして、さらに目が慣れていくと、それの倒れている者が幼い少女で、どういうわけか死んだ筈の自分の娘と似た容姿であることが分かってくる。
男はますます混乱する。
「どうなってやがるんだ…何かの夢なのか?それとも………!」
そんなことを言っていると、倒れていた少女が目を開け、こちらを見て来る。
「…■■■なのか?」
男は微かな希望を含み、娘の名前を口に出す。
もしかしたら─
「✕」
こちらを見る少女は違うと言うふうに首を横に振る。
男は落胆した。
その可能性が限りなく低いと言うことは分かっていても、男はその感情を抱かずにはいられなかった。
「お前は誰なんだ?」
「…✕」
それでも男は黙っていることが出来ず、言葉を絞り出す。
その質問に対して少女は少し考えるようなしぐさをし、首を横に振る。
何者でもないということだろうか?
「お前は一人か?」
「〇」
「そうか…とりあえず、ここの夜は死ぬほど寒い。多少マシな場所まで案内してやる」
「〇」
「よし、じゃあ行くか」
少女は男の言葉に頷き、歩き始めた男の後を早足で付いていく。
もし少女がこのままここに居れば死んでしまうことは間違いないだろう。
男にはこの少女に何かをしてやる義理なんて欠片も無い。
しかし少なくとも男はこの少女を見捨てることは出来なかった。
歩く二人は日が沈み凍える寒さに包まれた都市の影に消えていく。
都市には誰も居なくなり、
雪
その果て役目を失った都市は一時の眠りを迎える。
しかし死ぬことは無い。
人々の記憶がそれを許さない。
あぁ、ただ全てのモノがそうであらんことを。
「頼んだよ、◆◆」
「ワタシの可愛い愛しい最愛の娘」
「どうか役目を果たして戻っておいで」