8 悪女、容疑者を調査します。
どうぞよろしくお願いいたします。
8 悪役令嬢、容疑者を調査します。
(まったく、手掛かりなしですわ……)
ディレットの言う通り、オットは良くも悪くも目立たない、地味な生徒だった。
オットは、優等生だが交友関係も狭く、教師たちの評判もまあまあで、悪い噂もない。
実家も問題を抱えているようには見えなかった。
リリスは、昼食を厨房に預けることを再開し、犯行の決定的な瞬間を押さえようともしたが、そちらもまったく手ごたえがなかった。
というか、オットは食堂で食事を取らない。いつも持参した食事を静かな場所で、ひとりで食べていた。調査を始めてから今まで、厨房に近づくこともない。
(マリー様の証言が正しければ、あの日、トラース様は厨房の裏口を出入りしていた。……何のために?)
業を煮やしたリリスは、オットに接触してみることにした。
リリスは、建物の陰から、こそっ、と顔を出す。
今日もオットは、学園の閑散とした場所でベンチにひとり座って、静かに食事を取っていた。
気が付かれないよう、リリスは一旦、顔を引っ込める。
ぺちんと両頬を叩いて、ぐっと手を握る。臆病者ながら、ありったけの勇気を振り絞った。
(……行きますわよ、リリス!)
公爵令嬢らしく胸を張ると、オットに向かって歩き出した。
「――失礼します。お隣、よろしいですか?」
リリスは、にっこりと微笑んで、努めて手優しくオットに声をかけた。
ここで逃げられたら、意味はない。
悪女の一欠けらも見せないよう気を遣う。
「え、ええ……ど、どうぞ」
オットは、どもりながらも頷いた。
リリスは、心の中でガッツポーズを決める。
(第一関門は、突破ですわ!)
「ありがとうございます」
また、にこっ、と笑って隣に座った。
「わたくし、リリス・レイヴィンズと申しますわ。貴方様は……」
「オ、オット・トラース……です」
「ええ、存じ上げていますわ。美術室にトラース様の絵画が飾られていましたもの。わたくし、その絵画がとても好きなのですわ。だから、いつかお話してみたいと思っていたのです」
「え……そ、それは、嬉しいな」
リリスの言葉に、オットははにかみながら頬を掻いた。
これは半分、本音だった。
オットを調べていた時に、オットの描いた絵を見つけた。繊細な色彩が美しい絵画だった。
リリスは、バスケットからランチボックスを取り出すと蓋を開ける。今日はバケットに野菜やチーズなどの具を挟んだものだ。
隣のオットを見ると、彼も似たようなものを食べていた。しかし、ルーヴに比べると随分と量が少ない。リリスは、これで足りるのかと少し心配になった。
せめて、食堂で食べれば、もっと栄養豊富で量の多いものが食べられる筈である。
「トラース様は食堂で昼食を取られないのですね」
「ええ……。あそこは賑やかで、落ち着かなくて……」
「そうでしたか。……わたくしと同じですわね」
そう言うと、オットは驚いたような顔をした。
「レイヴィンズ様でも、そう思われるのですか?」
今のリリスは小心者だが、昔のリリスは派手好きの目立ちたがり。
記憶云々の話を知らないオットには、リリスの言葉は意外だったのだろう。
「ええ……わたくしについて、沢山、噂が流れているでしょう? 食堂では周りからの好奇の目に晒されて、ゆっくり食事が出来ないのですわ」
「レイヴィンズ様も大変ですね……」
「ええ……。最近は、己の所業を悔い改めたというのに……生徒に毒を盛ったと噂されていますし……」
リリスはふぅ、と頬に手を当ててさぞかし困っているという風に言うと、オットは気の毒そうな顔で頷いた。
「ああ……その噂は私も聞いたことがあります。根も葉もないことを勝手に噂されるのはお辛いですね」
オットは同情的に言った。
「え……?」
リリスは驚いた。
「もしや、トラース様は、わたくしが毒を盛ったのではないとお思いで?」
リリスの悪行を知らない筈はない。
学園の百人中、百人が、リリスが毒を盛ったと思っている中で、こうも言い切れるのは何故か?
もしオットが犯人で、リリスに毒を盛ろうとして失敗してしまったのなら、このまま噂に乗って事実を隠し、リリスに罪を擦り付けてしまえばいい。
ということは、オットは犯人ではないのだろうか?
「ええ……。だって、最近のレイヴィンズ様は心優しいではありませんか。……私も以前、レイヴィンズ様に助けられたことがあるのです」
覚えていらっしゃらないかもしれませんが、と、オットは苦笑いした。
「前に、私が、教師に資料室の片付けを命じられた時、レイヴィンズ様は嫌な顔を一つせずに手伝ってくださいました。あの時、あまりの量に途方に暮れていたので、本当にありがたかったのです。そんな方はレイヴィンズ様しかおられませんでした」
リリスは、ああ、と思った。そんなことがあったかもしれない。
前世の記憶が戻ってからというもの、リリスは、悪女の評判を払拭する為に奔走していた。
困っている人がいたら、積極的に手伝うようにしている。
その中のひとりにオットが居たということか。
「そんなお優しい方が、毒を盛るとは考えられません」
「トラース様……」
控え目ながらも、力強く言ったオットに、リリスは、純粋に嬉しかった。
こんなことを言ってくれたのは、オットが初めてだった。
「信じてくださって、ありがとうございます」
頭を下げたリリスに、オットは慌てた。
「あっ、そんな、顔を上げてください……! 私は、思ったことを言っただけですので!」
リリスが顔を上げても、オットは顔を赤く染めて、そわそわとしていた。
「……その、『獣落ち』の生徒とは、どのようなご関係で? 隷属魔法は解かれたと聞いていましたが、その後もよく一緒に昼食を取られていたでしょう? しかも、わざわざ彼の好物まで作って」
オットは、気まずい空気を変えるように聞いてきた。
リリスは、ここでもルーヴが『獣落ち』と呼ばれたことが気になったが、リリスは口を噤んだ。ヴィンセントやディレットの時のようにカッとなって、オットを怖がらせる訳にはいかない。
しかし、悪い噂ばかりリリスの耳に入っていたが、それ以外の噂も流れていたのか。
そういえば、ヴィンセントもそのことを知っていたし、ルーヴと昼食を取っていたことも噂が広がっていたらしい。
リリスに関する噂は余りにも多く、すべては、とても把握しきれない。
リリスは少し考えて、口を開いた。
「……隷属魔法を解除してから、わたくしは、ルーヴとはお友達のように感じていましたわ。勿論、わたくしがルーヴにして来たとこは、簡単に許されることではありません。ですが、ルーヴと一緒に過ごしたあの時間は本当に楽しかったのです。……叶うことならば、またルーヴと一緒に過ごしたいと思っていますわ」
「レイヴィンズ様は、その方をとても大切に思っているのですね」
「ええ。それはもう、とっても」
リリスはかつての楽しかった日々を思い出しながら頷いた。その日々も今はないのだと思うと悲しみが湧きおこる。
「そうですか。……仲直りが出来ると良いですね」
そう言って、オットは微笑んだ。
その後は他愛もない話をしながら昼食を取り、昼休みが終わったことを告げる鐘が鳴る。
リリスは片付けをして立ち上がった。
「――あのっ」
「はい?」
「……もしレイヴィンズ様がよろしければ……明日も一緒に昼食を食べませんか?」
おずおずと、そう言ったオットに、リリスは頷いた。
「ええ、是非。……でしたら、明日、わたくしが厨房からトラース様のランチボックスも取って参りますわ」
リリスの言葉に、オットは、ぱぁ、と笑顔になった。
「それは良かった! ですが、私は昼食を厨房に預けていないので、そちらは大丈夫ですよ」
「そうなのですか? ……この前、厨房の裏口を出入りするトラース様を、お見掛けしたと思ったのですが……」
リリスは、こてん、と小首を傾げた。
「いいえ? 私は、厨房には行っていませんが……誰かと見間違えたのではないですか?」
「……そうですわね。失礼しました。……では、また明日」
リリスは、そう言って微笑んだ。
*
(さて、どういうことなのでしょう?)
リリスは、午後の授業を受けながら昼間のことを考えていた。
ペンを片手に、うーん、と頭を悩ます。
(トラース様のお話を聞く限り、わたくしへの悪意は感じませんでしたわ)
それに、厨房には行っていないという。
(マリー様の見間違いでしょうか?)
もしくは、オットが嘘を吐いているか。
嘘ならば、嘘を吐いた理由が気になる。
(マリー様にも、もう一度確認をした方が良いですわね)
リリスは、放課後、マリーに会いに行こうと決めた。
残りの授業が終わるのを、今か今と待ちわびて、やっと解放されたリリスは、早速、マリーの教室へ向かった。
丁度、教室から出て来た男子生徒を捕まえて、マリーを呼んだ。
「あのぅ、お話とは何のことでしょうか……?」
マリーは、可愛らしい顔を青くしながら、リリスの前に現れた。
「ここで話すには、ちょっと……中庭まで一緒に来てもらってもよろしいでしょうか?」
怖がらせないよう、優しく言ったつもりだったが、マリーは震えながら頷いた。
中庭のベンチに一緒に座って、リリスは、口を開いた。
「ディレットから、マリー様が厨房の裏口を出入りするトラース様を見たと聞いたのですが、それは、間違いないのでしょうか?」
「え、ええ……」
マリーは、こくこくと頷く。
顔面蒼白で、今にも倒れてしまうのではないかとリリスは心配になった。
「オットとは幼馴染なのです。見間違いではないと思います。なので、決して、嘘を吐いた訳では……!」
「ああ、別に責めている訳ではないのです。ただ、改めて、確認を取りたかっただけなのですわ」
優しく微笑んで、安心してください、と言えば、少し顔色が良くなった。
用が済み、逃げるように中庭を後にしたマリーの後ろ姿を、リリスは見送る。
(……さて)
マリーの話から、取り敢えずは、オットが嘘を吐いているらしいとだけはわかった。
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