4 悪女は、狼にお菓子を貢ぎます。
どうぞよろしくお願いいたします。
4 悪役令嬢は、狼にお菓子を貢ぎます。
腰を抜かしたリリスは、結局、授業に遅れた。
目を丸くする教師に頭を下げ、自主的に廊下に立つ。
リリスは、自分の不甲斐なさに、溜息を吐く。
目を閉じれば思い出すのは、ルーヴの憎悪と当惑が入り混じったあの顔だ。
これでは、許されたとは言えないだろう。
死亡フラグを、完全に折ったとは、思えなかった。
それに、リリス心の中は、罪悪感でいっぱいだ。
(何か、償いが出来ればいいのですけれど……)
しかし、ルーヴには「二度と目の前に現れるな」と忠告されている。
リリスは自分の頬をペチペチと叩いた。
(……よし)
やれるだけやってみようと、リリスは気合を入れた。
***
翌日、いつもより早く登校したリリスは、コソコソと行動を開始する。
ルーヴのクラスの扉を少しだけ開き、片目で中を覗く。ぐるりと見渡し誰も居ないことを確認すると中に滑り込んだ。
ルーヴの席に近づき、机の中にある物を入れる。
それは、お菓子だった。リリスの手作りだ。綺麗にラッピングもしてある。
(前世の趣味が、上手く活かされましたわね)
流石に、自分の屋敷のキッチンは、前世のそれと時代が違う為、勝手が違って手間取ったが、シェフに頼み込み、使い方を教えてもらった。
ちなみに、ルーヴは、意外にも甘いものが好きだということは、ゲーム知識で知っている。
(これで、よし! ですわ)
小さくガッツポーズをすると、リリスは教室から抜け出した。
この方法なら、姿を現さずにお詫びが出来る。
最高のアイデアだった。
ちなみに、差出人の名前は敢えて書いていない。
ルーヴは、リリスの名前も見たくないだろうと思われたからだ。
しかし、誰からの贈り物かわからない食べ物は恐ろしいかもしれない。よって、変なものは入れていないという意味を込めて、原材料はきっちり記載しておいた。
翌日も同じように教室に忍び込み、机の中に贈り物を突っ込んで逃げるように出て行く。
そんな日々が、暫く続いた。
リリスは、ちょっと楽しくなってきていた。
元々、お菓子作りが趣味なこともあり、いい気分転換になっていたのだ。
(ついつい、味見が多くなってしまうのは玉に傷ですが……)
余ったお菓子は使用人に配って、食べてもらった。最初は、今までの行いが災いし、怖れられ、警戒されることが殆どだったが、今では屋敷の中でも美味しいと評判になっている。
自分が作ったものを、美味しいと食べてもらえる。
これ程、嬉しいことはない。
(明日は、何を作りましょう?)
空中庭園の隅にある大きな木の下で、リリスは昼食を取っていた。
学園には、それは立派な大食堂があった。
学園お抱えのシェフが作る料理は、どれも絶品なのだが、己の行いを悔い改めてからは、利用を避けていた。
周りからの視線が痛かったからだ。
ここ最近のリリスの変わりようは、学園中の注目を集めていた。
以前は腫物を扱うように、また、逆鱗に触れないように、殆どの生徒に避けられていた。今も避けられているのには変わりなかったが、そこに好奇の目もプラスされ、小心者のリリスには、とても耐えられなかったのだ。
よって、今日も屋敷で作ってもらったお弁当を食べる。
ひとりっきりの食事は少し寂しかったが、これも自業自得だ。
正しくは、昔のリリスの――であるが。
「――おい」
不機嫌な声が聞こえて、リリスは顔を上げる。腕を組んだルーヴがこちらを睨んでいた。
現れるな、と言ったルーヴの方から現れるとは思わなかった。
心臓がドキンと鳴った。
「な、なんでしょう?」
「なんだ、ではない。これはどういうつもりだ」
グルルと唸ると、ルーヴは、今日貢いだお菓子を放って寄越した。
中身は、まったく手を付けられていない。
「こ、これはなんですか? まったく、覚えがないのですが……」
リリスは内心の焦りを隠し、惚けて見せる。
「嘘を言うな。お前が入れたものだろう。匂いでわかる」
(そうでした……ルーヴ様は嗅覚も良いのでしたわ)
完全に失念していた。リリスは己の作戦の失敗を悟った。
「……申し訳ありません。ご迷惑でしたか?」
「迷惑だ。弱者に、施しを与えたつもりか?」
ルーヴは眉間に皺を寄せ、はっきりと言った。
「そんなつもりでは……」
リリスは目を見開いた。
そんな意図は、当然、ない。
しかし、リリスにそんな意図はなくとも、ルーヴにはそう取られていたのだ。
否、と考えを改める。
(いえ……、わたくしは償いたいなんて、自分勝手な思いを押し付けていただけなのですわ)
今更ながら、気が付き、リリスはしおれた。
「申し訳ありません」
リリスは素直に頭を下げた。
しゅんと、手にしたお菓子を見詰める。
「……なんだ、その顔は」
ルーヴは嫌悪感を丸出しにした、苦々しい顔をした。
「いえ、……ただ、……お菓子作りには、ちょっとした自信がありましたの」
良い作戦だと思っていたのだ。
思い込みで動いて、空回りして。結局は、お詫びをしたい相手に、逆に迷惑を掛けていた自分が恥ずかしい。
リリスは、お菓子の包みをぎゅっと握った。
「――……お前は、どこまでも腹立たしい奴だな」
「えっ」
リリスは驚いた。目を見開いてルーヴを見る。
ルーヴは嫌悪を剥き出しにした顔で、リリスを見ていた。
「そんな顔をして、被害者のつもりか?」
「い、いえ……!」
寧ろ、リリスは加害者だ。
そういうつもりではないのだと、言おうとした。しかし、ルーヴの方が早かった。
「急に、掌を返して謝ったかと思えば、善意の押し付けか。挙句の果てには、被害者面だ」
鋭く冷たい言い方だが、しかし尤もな言葉に、リリスは俯いた。
「……そう取られても、致し方ありません。……軽率な行動でしたわ」
ルーヴは何も言わず、舌打ちをした。
「もう二度と、こんなこと致しません。勿論、目の前にも現れませんわ」
他に謝罪した人たちにも、お詫びの品を送ったが、きっと、それも余計なことだった。
贈り物をして、許されたつもりになっていただけなのだ。
どこまでも、自分勝手なのだろう。
(これでは、昔の自分と同じですわ……)
リリスは、浅はかな自分にうんざりした。お弁当を片付けて立ち上がる。
「……おい、どこへ行く」
「取り敢えず、ルーヴ様の目に届かないところへ行こうかと」
ルーヴは、もう一度、苛立たしそうに大きな舌打ちをすると、リリスの制服を掴んで木の下に引き倒した。リリスは小さな悲鳴を上げる。
今度こそ、八つ裂きかと身構えたが、ルーヴは、どさりと隣に座っただけだった。
「寄越せ」
「えっ……?」
「菓子だ」
「は、はい」
ルーヴは受け取ったお菓子の包装を開けると、中身をスンスンと嗅ぐ。中に不審なものが入っていないか確かめているようだった。一つ取り出して、まじまじと見る。
今日は、マドレーヌだった。ルーヴは、一口齧る。
「……い、如何でしょう?」
リリスはドキドキしながら聞いた。
「……悪くない」
ぶっきらぼうにルーヴは言った。
「そ、そうですか!」
ほっと胸を撫でおろした。
(少なくとも、お口に合わないなんてことに、ならなくて良かった……!)
リリスの笑顔を見て、ルーヴは妙なものを見たような顔をした。
「最近のお前はおかしい。……何か拾い喰いでもしたのか?」
ルーヴは、至極、真剣にそんなことを聞いた。
「拾い食いなんて致しませんわ!」
聞き捨てならない言葉だった。思わず大きな声が出た。
ルーヴは眉を寄せて、目を細めた。
リリスは、誤魔化すように小さく咳をした。
「失礼致しました。――ただ、今までの所業を悔い改めただけですわ」
「……お前に限って……信じられんな」
「そう、ですわね。……それだけのことをしてきましたわ」
ルーヴはこれ以上何も言わずに、マドレーヌを食べた。
リリスも食事を再開した。
その後は、お互い何も言わず、休み時間をただ木の下に座って過ごした。
意外にも、穏やかな時間だった。
*
「――今日は、何だ」
「本日は、ダークブルのローストビーフサンドイッチですわ。付け合わせにポテトサラダを作ってきました。それと、デザートはシュークリームですわ。 ルーヴ様は以前、食べたいと仰っていたでしょう?」
リリスは大きなバスケットからランチボックスを取り出し、ルーヴに中身を見せた。中には、具沢山のサンドイッチとポテトサラダ、そして、リリスのこぶし程の大きさのシュークリームが入っていた。
「……それもお前が作ったのか?」
ルーヴは聞いた。
それ、とは、サンドイッチとポテトサラダのことだった。
最近は、空中庭園でリリスと一緒に昼食を食べるルーヴの為に、お菓子の他に食事も作って持って来ていた。
「ええ。わたくし、お料理も好きなのですわ。あ、でも、ローストビーフだけは我が家のシェフが作りましたの。自信作だそうですわ」
そう言ったシェフの顔を思い出して、リリスは微笑んだ。
「……ふん」
リリスは、ルーヴ用のお弁当箱を渡した。
自分のものも取り出して、サンドイッチを一口食べた。
「――おい、俺のものとお前のものの中身が違うぞ」
リリスが食べている様子を見ていたルーヴは言った。
リリスのサンドイッチは、たっぷりと野菜が挟まっていたが、肝心のローストビーフが入っていなかった。
「公爵家に金は腐るほどあるだろう」
「ああ……。その、わたくし、お肉が苦手なのですわ」
「は?」
肉が好物のルーヴは鼻に皺を寄せた。理由はそれだけではない。
「以前は、喰っていただろう」
隷属契約を結んでいた頃の話をしているのだろう。
昔のリリスは、ルーヴをあっちこっち連れまわしていた。確かに、あの頃は肉もよく食べていた。どちらかと言えば、魚よりも好きだったくらいだ。しかし――
「……火災に巻き込まれて以来、昔を思い出してしまって……」
肉や炎を見ると、幼い頃に火刑にあった時の――燃え上がるお母様のことを、思い出してしまうようになったのだ。
(よく、昔のリリスは耐えられたものね……)
やっぱり、今のリリスと昔のリリスは違うのだと実感する。
実を言うと、肉が焼ける臭いも、肉を触ることも、駄目だ。だから、ローストビーフはシェフに作ってもらったのだった。
ちなみに、キッチンのコンロは魔法式なので、炎が上がらない。よって、火も怖くなってしまったリリスは助かっていた。
(料理も出来なくならなくて、本当に良かったですわ)
「………………」
ルーヴは、何とも言えない顔をした。
リリスの過去の話は魔界でも有名だった。
本人の前でその話をすると激昂するので、面と向かって話す者は殆どいなかったが。
暫く、黙ったままだったルーヴだったが、切り替えたのか、残りのサンドイッチを平らげると、シュークリームを取り出し頬張った。
「……まあまあだな」
「そうですか……!」
ルーヴの感想はいつも、「悪くない」だとか「まあまあだ」だとかで、一度も褒めてくれない。
しかし、それは「美味しい」の意味なのだと、ここ数日のやり取りでわかっていた。
何故なら、お菓子を頬張った後のルーヴは、いつもの無表情がほんの少しだけ柔らかくなるのだ。
リリスは嬉しくなって、自分もシュークリームを食べる。
自画自賛だが、生クリームとカスタードクリームが、丁度いい甘さで美味しかった。
シューの部分もふわっとしていて、中々の出来だ。
(今度は、サクサクの生地で作ってみても、いいかもしれませんわね)
「――様はいらない」
ふと、ルーヴは呟いた。
「ふぇ? ふぁんのほぉこでしょう?」
口いっぱいにクリームを頬張っていた為、変な返事になってしまった。
ごくんと飲み込んで、もう一度言った。
「なんのことでしょう?」
「名前のことだ。俺の名前に『様』などつけなくていい。……前までそうだっただろ」
「で、ですが……」
「俺もお前に敬語を使っていない」
そういえば、そうだ。
隷属魔法をかけている時――昔のリリスは敬語を強要していた。
まぁ、魔界の最有力貴族の公爵令嬢を前に、敬語で話さない相手は殆どいないのだが、契約内容に自動的に入っていた。
隷属魔法が解除されたルーヴはずっと敬語なしで喋っていた。そんなこと、昔のリリスは絶対に許さないだろう。
「今更、付けられても気持ちが悪い」
「……そういうことなら、わかりましたわ」
本人が嫌がることはしたくない。ならば、昔の通りに呼ぼうと決めた。
「ではルーヴ、明日は何が良いですか?」
自分で献立を考えるのも楽しいが、ルーヴの意見も取り入れたい。
「――そうだな……」
何にしようかと考えだしたルーヴを、リリスは微笑んで見ていた。
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