18 悪女は、毒草を手に入れました。
どうぞよろしくお願いいたします。
「……やはり、そう簡単に見つかりませんわよね……」
二人が森の中で毒草探しを始めて丸二日が経とうとしていた。
明日には屋敷に戻らなければならない。
リリスは顔を暗くして呟いた。
その手には、スープの入った木の器がある。リリスお手製のスープだ。
ルーヴ専用のスープには、彼が仕留めたイノシシの肉が入っている。
持ち込んだ食量は収納魔法で軒並み味が劣化していたが、森で手に入る山菜なども利用して、そこそこ美味しい物が食べられていた。
森の中は木々が鬱蒼と茂っており、また、魔界が近いからか狭間でなくとも、日中から薄暗かった。
今は夕暮れ時を過ぎたあたりだったが、辺りは既に真っ暗だった。
これまでリリスたち二人は、魔界と人間界の狭間で草を掻き分け、木の根の隙間を覗いて回った。狭間の異様な空気に興奮した野生のイノシシに襲われたが、幸運にも魔物に襲われることはなかった。
ちなみに、その襲ってきたイノシシは今、ルーヴが美味しく頂いている。
しかし、お目当ての毒草は見つからなかった。
山菜がたっぷり入ったスープを横に置いて、リリスは羊皮紙を取り出した。
どれだけ見詰めてもそこには、当然ながら、今まで何回も見直した内容しか書かれていなかった。リリスは溜息を吐く。
「わたくしたちが探している、『グリーフアマポラ』と『アゴールアクナイト』ですが……この書物の作者様も伝聞でしか聞いたことがないようなのですわ」
つまり、その伝聞が間違っているとしたら、この記載内容も間違いなのだ。
それでは、リリスたちは存在しない物を探していたことになる。
「本当に、幻の毒草など……、『奇跡の万能薬』など、存在するのでしょうか?」
リリスは急激な不安に襲われた。両手で顔を覆う。
「――だが、お前の母親はあると言ったんだろう?」
ルーヴはイノシシ肉のスープを平らげ、口を開いた。
「……ええ」
博識だった母は、何でも知っていた。幼いリリスの質問も何でも答えてくれたし、母からたくさんのことを学んだ。
「なら、ある。諦めるにはまだ早い」
「ルーヴ……」
リリスは顔を上げ、ルーヴを見た。ルーヴは真剣だった。
リリスは胸に手を当てて、手をぎゅっと握る。
そうだ。その通りだ。
尊敬する薬師であった母が、あると言ったのだ。
ならば、ある。絶対に。
リリスは、ペチンッ、と自分の頬を叩いた。
「ルーヴの言う通りですわ。時間ギリギリまで探しましょう!」
ジンジンする頬のまま、リリスは立ち上がった。
「大丈夫、きっと見つかりますわ!」
そう、自分に言い聞かせる。
「ああ」
リリスが決意を新たにした、その瞬間だった。
パチパチと音がしたかと思ったら、プツンと魔術式ランプの光が消える。
何とも間が悪いことだ。
「…………」
「…………」
何とも言えない空気が二人の間に流れる。
(やっぱり、駄目かもしれませんわ……)
リリスは、涙目で、再び点灯させようとランプを手に取った。
「――ちょっと、待て」
「え?」
ルーヴの声に、リリスは手を止めて首を傾げた。
暗闇の中でルーヴの黄色い眼が光っていた。その眼はリリスの後ろを見ている。リリスもその眼を追って振り返った。
「……あっ!」
青く淡く光る何かが宙を漂っていた。それは――
「蝶……?」
リリスはそっと囁いた。
その発光する蝶は暫く同じところを羽ばたいていたが、少し木の奥へ飛んで行ったかと思えば、またその場に留まって羽ばたいている。そして、行ったり来たりを繰り返す。まるで、リリスたちを誘っているようだった。
リリスとルーヴは顔を見合わせた。
「……行ってみましょう」
二人はその蝶に導かれるように歩き出した。
*
もう、どれくらい歩いたかわからなかった。
リリスとルーヴは、人間界側の野営地から離れ、魔界と人間界の狭間をずっと歩き続けた。
丸二日毒草を探し歩いた、否、移動も含めたら五日動き続けた身体が限界を叫んでいた。
それでも、リリスは蝶を追いかけることを止めない。
「どこまで歩かせるつもりだ? あの蝶は」
リリスのすぐ後ろを歩くルーヴはまだ平気そうだ。
「わ、わかりませんわ……ですが、わたくしたちが立ち止まれば……、あ、あの蝶も同じ場所に留まるのです。どこかへ……案内しているのは確かですわ……」
リリスは息を切らしながら言った。一方、ルーヴは涼しい顔だ。根本的な体力が違い過ぎる。
「おい、大丈夫か? 俺がお前を担いで――」
「いいえ。自分の足で歩きますわ」
ルーヴには、既にここまで付き合わせてしまっている。
リリスは、これ以上、ルーヴの負担になりたくなかった。
「――おい」
「ですから、自分で……!――」
「――違うッ! 避けろ!」
意地になって、ルーヴに言い返そうとしたリリスだったが、ルーヴの叫びにビクッと身体を跳ねさせた。
「――えっ⁉」
ルーヴがリリスの腕を掴んで引っ張った。リリスはルーヴの胸に抱かれた。次の瞬間、リリスが居たところを目掛けて、何かが飛んで来た。ドスン、ベちゃぁ、と嫌な音を立てて木に絡み付いた。それは、白い粘着質の糸の塊だった。
「――チッ……囲まれた」
ルーヴはそう吐き捨てると、腰に下げていた短剣を抜いた。
遅れてリリスは状況を把握する。
「あ、ああ、ああ……ッ!」
いつの間にか、リリスたちは蜘蛛に囲まれていた。一匹一匹が、人間の子供程の大きさがある。上も右も左も……幾つもの光る赤い眼がリリスとルーヴを注視していた。
それは、悍ましい光景だった。
この蜘蛛は、魔界から出て来た魔物だった。
リリスは叫び出しそうなのを寸でのところで堪える。
蝶はいつの間にか消えていた。
「……お前は結界を張って、ここでじっとしていろ」
ルーヴは唸り声混じりに言った。髪の毛を逆立てて全身で威嚇していた。ルーヴの気配がざわざわしている。人狼化するつもりなのだ。
「い、いいえ! わたくしも戦いますわ!」
リリスは守られるだけは絶対に嫌だった。
「……なら、お前は前の敵をやれ。――俺は後ろだ」
ルーヴは素早く判断した。迷っている暇はなかった。二人は短くやり取りする。
「――行くぞ!」
リリスとルーヴは同時に動き出した。
打ち合わせ通り、リリスは頭上で閃光魔法を発動させる。突然の眼を焼く程の光量に半数の蜘蛛がひっくり返った。素早く人狼化したルーヴが、その隙を突いて目にも留まらぬ速さで急所を切り裂いていく。
リリスも風で作りだした刃で蜘蛛を両断していった。
一瞬、リリスとルーヴの背中が、トン、と背中合わせになった。
こんな状況下で、リリスはひとりではないと、胸が温かくなった。また、それぞれ蜘蛛を倒そうと動き出す。
最後に残った蜘蛛がルーヴに狙いを定めた。
ルーヴの背後を襲う蜘蛛の牙は、リリスが展開した防壁魔法で弾かれた。そして、身を翻したルーヴに貫かれ、沈黙した。
「……はぁ、……はぁ」
周囲には、幾十ものの蜘蛛の屍が転がっていた。
リリスは大きく息を吐いて座り込んだ。張り詰めた緊張の糸が途切れたような、脱力感がリリスを襲った。
「……チッ! 結局、あの蝶は蜘蛛のもとへ誘き寄せる為のものだったのか?」
ルーヴは人狼化を解いた。口に咥えていた短剣を腰に仕舞いながら、舌打ちを共に吐き捨てた。
「…………ッ!」
リリスは言葉が出なかった。震える手で口を押える。
「……おい、聞いているのか? ――ッ、まさか、どこか怪我でも……――」
ルーヴは血相を変えてリリスを覗き込んだ。しかし、リリスの顔を見て、ぽかんと口を開ける。
「ルーヴ……! やりましたわ……!」
リリスは一点を見詰めて、頬を染めて綻ばせていたのだ。まるで、甘いケーキを目の前にした乙女のような表情だ。
顔所が指で示す先には、青く光る蝶と――
「グリーフアマポラですわ!」
濃い紫色の薄い花びらが特徴的な植物があった。
リリスはそっとその毒草に近づくと、優しく掘り出して根っ子ごと瓶の中に入れた。
蝶は再び、ふわりと羽ばたくと、リリスたちを導くように宙を漂い出す。また、誘うように飛んでいた。
ルーヴは嫌そうにそれを見た。
「……おい、また追いかけるのか?」
「勿論ですわ!」
ルーヴは顔を顰めたが、やる気に満ち溢れるリリスを見て溜息を吐いた。
「わかった。なら、俺が先に行く。次、何があるかわからないからな。お前も警戒しておけ」
しかし、その警戒は必要なかった。再び、蝶を追いかけて暫く――
「――アゴールアクナイトもありましたわ!」
リリスは歓喜に小躍りした。
森は相変わらず暗かったが、既に、空が白み始める時刻だった。
一晩中歩き回った――しかも、戦闘も交えた――疲れてくたくたになった身体だったが、この瞬間はそんな疲労も感じなかった。
ルーヴも安堵したように長く浅く息を吐いた。
「やれやれ……一時はどうなることかと思ったが……」
「あ! あの蝶は……!」
リリスがお礼を言おうと蝶を探した。そして、リリスは目を見開く。
蝶は光を点滅させながら、さらさらと砂が風に飛ばされてなくなるように消えた。
「……一体、あの蝶はなんだったのでしょうか……」
「……さぁな」
リリスとルーヴは顔を見合わせた。
それから二人は、人間界側で仮眠を取ってから魔界へ帰ることになった。
大変な目に遭ったが、予定の日時に間に合った。
少しだけ眠って、少しだけ回復したリリスたちは野営の後片付けをしていた。
「――おい、これを洗ってくる」
「わかりました」
「勝手にふらふらするなよ」
「しませんわ!」
リリスはくわっと食い気味で言った。ルーヴは鍋と食器を持って近くの小川まで行った。
木の奥に消えゆくルーヴの背を見送り、リリスは持って来た物を収納魔法で片付けていった。
(さて、ルーヴは、もうそろそろ帰って来る頃でしょうか)
後片付けも終わり、リリスはルーヴの帰りを待っていた。
これから、移転魔法でレイヴィンズ公爵家屋敷の近くの森へ移転することになっていた。
(魔法陣の準備をしていても良いでしょうか……?)
人間界から魔界への大移動だ。それなりに準備が必要だった。
魔法陣を書こうかとリリスが立ち上がった時だった。背後でガサガサと物音がした。
「……ルーヴ?」
リリスはそっと声を掛けた。しかし、返事はない。
まさか、また魔物か。もしくは、人間界の獣か。
どちらにせよ、リリスは警戒した。いつでも魔法を放てるように身構えた。しかし――
「……えっ⁉」
リリスは驚愕した。
*
「……なんだ、これは」
食器洗いから戻って来たルーヴは顔を顰めていた。とても不機嫌だ。
一方、リリスは澄ました顔をしている。
「これ、ではありませんわ」
「じゃあ、言い方を変えよう。コイツは誰だ?」
盛大な溜息を吐くルーヴの目の前には、薄汚いやせ細った子供が居た。しかも、リリスはその子どもに餌付けをしている。
「エリオットですわ!」
リリスは胸を張って言った。
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