16 悪女、人間界へ行きます。
どうぞよろしくお願いいたします。
リリスは、学園の図書室でこの魔法薬について詳しく調べていた。
母の話では、『奇跡の万能薬』に必要な毒草は、魔界と人間界の狭間に生息するという。
しかし、何分、幼い頃の話なので、詳細までは知らなかった。
学園の図書室は、魔界中の書物が集まると言われている。しかし、見つけることが困難という植物なだけあり、この毒草を取り扱っている書物は一冊しかなかった。
リリスは持参した羊皮紙に、特徴やより詳しい生息地を書き写していく。
「――おい、来たぞ」
「はい?」
リリスは誰かに声をかけられて顔を上げた。そして、ビクッと身体を揺らす。目の前の席には、いつの間にかルーヴが座っていたからだ。
「ルーヴ!」
図書室なので、周りの迷惑にならない程度の音量で彼の名前を呼んだ。
「ちゃんと、前から声を掛けたぞ。なのに、何故驚く?」
そう言って眉を寄せるルーヴに、リリスは苦笑いした。
何と言うか、もはやこれは条件反射だった。
「……それで? 今度は何をしているんだ」
「毒草を調べていますの」
「は?」
ルーヴは目を見開いた。そして、次の瞬間には険しい顔になる。今度こそ、毒薬を作りは始めたのかと思われているのは明白だった。リリスは慌てて言った。
「毒草と言っても、毒草と毒草を掛け合わせることによって毒が相殺されるのですわ! そして、そこから生まれた成分が万能薬の元となるのです」
「万能薬?」
「どんな病や怪我でも、たちどころに癒すと言われる奇跡の魔法薬ですわ」
「そんなもの、存在するのか?」
「ええ! 見てください」
リリスは書物の開いていたページをルーヴの方へ向ける。そして、二か所を指し示す。
「必要なのは、この二つの毒草ですわ」
「ふうん。世にはこんな魔法薬も存在しているんだな。――って、おい、これ……魔界と人間界の狭間に生息すると書いてあるぞ⁉」
「そうなのですわ」
「そう、って……お前、こんなもの探しに行くつもりじゃないだろうな?」
ルーヴはギロリとリリスを睨む。
「い、いえ……そんな……」
リリスはしどろもどろに言った。「行く」などと言えば、反対されるのは明白だ。
ルーヴは、暫く、冷や汗を描きながら決して彼を見ようとしないリリスを見ていたが、深く長い溜息を吐いた。
「……俺も行く」
「え?」
「だから、俺も行くと言っているんだ。お前はどうせ、止めても行くだろう? ならば、共に行動した方がマシだ」
「で、ですが……危険ですよ?」
リリスの言葉に、ルーヴは眉間の皺を深くした。グルル、と唸り声も小さく聞こえてくる。
リリスは己の失言を自覚した。
「だから、付いて行くと言っているんだろうが」
「で、ですが……」
「グルルルル」
なおも、逡巡するリリスに、ルーヴは本格的に唸りだした。遠くの席で本を読んでいた生徒が何事かと、驚いた顔でこちらを見た。リリスは焦った。
「わ、わかりましたわ!」
そう言うと、ルーヴは満足したように頷いた。
「それで、どうするんだ? 闇雲に探しても見つかるものではないだろう。しかも、二種類だ」
「ええ。一応、場所は絞ってありますわ」
リリスは再び、別にしていた羊皮紙を取り出した。
「以前、魔界と人間界について調べていたのですが、その時に魔界の浸食地域を書き留めていたのです。これをどうぞ」
「浸食地域? また、何でそんなものを」
リリスはドキリとした。
世界の浸食原因から、世界滅亡を阻止出来ないかと考えていた頃に調べたとは言えない。
「ど、どこまで浸食が及んでいるのか、興味がありましたの」
嘘は吐いていない。リリスは、本当に、人間界がどの範囲まで狭まっているのか知りたかったのだから。
「……そうか。それで?」
「ええっと、北と西は魔界の辺境地で魔物の巣窟となっていますので、そこはあまりにも危険すぎて行けませんわ。南は遠すぎて、これも無理です。よって、東に絞りたいと思いますの。東のこの町に、幼い頃住んでいましたので、転移魔法で行けますわ」
転移魔法とは、文字通り、場所を転移する魔法なのだが、これは、過去に行ったことのある場所にしか行けないという条件があった。
しかし、丁度幸運なことに、リリスが母と暮らしていた町が浸食地から近い場所にあった。
「その町から二つ隣の町の森が近年、魔界に浸食されていますの」
「なるほど、ではその森で探すのか」
「はい。幸い、この森の環境的にも、毒草が生息している可能性は高いかと」
「そうか。出発はいつだ?」
「それは……」
リリスは言い淀んだ。
本音では、今すぐにも飛び出して行きたかった。
しかし、屋敷には父が居る。
オラティオの為に毒草を採りに行きたいと言ったところで、許してはもらえないだろう。
父とオラティオの関係は微妙だ。
父はリリス程ではないが、実の息子として大切にしている。しかし、その病弱さから跡取りとしては諦めている。幸い、他家からレイヴィンズ公爵家への養子の話はまだないが、このままでは、近いうちに父は家を継がせる為の養子をとることになるだろう。
幾ら、オラティオの為とはいえ、魔界と人間界の狭間にあるかもしれない不確かな毒草を、わざわざ危険を冒してまで採りに行くなど、父は絶対に許さない。
よって、リリスは父が出張で屋敷を留守にする間に、行動に移すことにした。
「……一週間後ですわ」
「……わかった」
ルーヴもリリスが黙って行くのだろうと、察しはついているのだろう。これ以上何も言わなかった。
*
――そして。
「準備は良いですか?」
「問題ない」
旅用の軽装と魔族であること――角を隠すフードを被ったリリスとルーヴは、学園から離れたとある森に居た。
二人の足元には、青白く光る魔法陣がある。
魔法が使えないルーヴに代り、リリスが展開したものだった。
万が一にも、移転中にはぐれてしまわないように、二人はしっかりと手を繋ぐ。
「行きますわよ、ルーヴ!」
「ああ」
ルーヴが頷いたのを確認したリリスは、魔法陣に魔力を流し込む。
魔法陣から眩い白い光が二人を包み込む。
次の瞬間には、光と共に、二人の姿は消えていた。
「――ッ!」
ふわり、とした浮遊感の後、ズシリ、と重力を感じた。
地面から数センチのところでリリスたち二人は現れる。
リリスはなんとか着地した。一方、ルーヴは軽々と着地する。着地の瞬間、ルーヴがリリスを支えてくれたおかげで、リリスは足を捻らずに済んだ。
「ここは?」
ルーヴは周りを見渡しながら言った。
森の中の開けた場所だった。
魔界と違い、空は青く澄み渡っている。
「お母様と薬草摘みによく訪れた場所ですわ。でも、もう誰もここを手入れする人は居ないのですね……」
記憶の中の景色は様変わりしていた。
薬草だけではなく雑草も鬱蒼と生え、リリスの腰まで草で埋まってしまっていた。
リリスは少し寂しくなったが、誰とも遭遇しなかったことに安堵した。
「行くぞ」
「ルーヴ、道がわかるのですか⁉」
「森の匂いと町の匂いは違うだろう。あっちから、人間の匂いがする」
「なるほど……! 流石、ルーヴですわね!」
「…………別に、これくらい大したことはない」
ルーヴはぶっきらぼうにそう言ったが、リリスはそんなことはないと思う。
幾ら、人狼になれるとはいえ、普通はここまで匂いを嗅ぎ分けられない。ルーヴの生まれつきの魔力の高さが、彼の身体能力を更に高めているのだ。
ルーヴの先導でリリスは森を抜ける。
「わあぁ!」
物陰から顔を出したリリスは、感嘆の声を上げた。
目前には、久しぶりの街並みが広がっていた。森を抜けた二人は人通りの少ないところを選んで町の中心部へ来ていた。
そこでは、物が溢れ、人々が行き交い、皆それぞれの仕事をしたり、仲間と話をして笑い合っている。記憶と違わず、活気があった。
「……ほら、行くぞ」
ルーヴはリリスを小突いた。彼はフードを被り直すと、リリスのフードも引っ張って顔を隠させる。
「気を付けろよ。ここは魔界じゃない。教会に見つかれば厄介だ」
「わかっていますわ……」
ルーヴの言葉に、リリスは気を引き締めた。
教会の恐ろしさは身をもって知っている。十年前に母を火刑にしたのは教会だ。リリス自身も未遂だが、火刑に処された。
二人は物陰から何食わぬ顔で出て行くと、他人の流れに合わせて歩いて行く。
その後は、乗合馬車に乗って隣町を目指した。
屋敷の馬車とは違い、乗り心地の悪い馬車の中でリリスは極力俯いていたが、不意に、目の前に座る老婆と目が合ってしまった。
「お二人さんは、旅の人かね? 夫婦かい?」
気の良さそうな老婆はにこやかに聞いて来た。
「……兄妹だ。仕事を探してオルテアを目指している」
リリスではなく、ルーヴが答えた。リリスでは何かボロを出すかもしれないからと、事前の取り決めで、何か喋らなければいけない時はルーヴが話すことになっていた。
ちなみに、二人は兄妹という設定になっていた。
しかし、町の名前を聞いて、老婆は顔を曇らせた。
「オルテアかい? あそこは、今はいかない方が賢明だよ」
「何故だ?」
「――なんだ、アンタたち、オルテアへ行くのか?」
ルーヴの隣に座っていた中年の男が会話に加わって来た。
「……何か、不味いのか?」
「そりゃ、不味いだろ。なんたって、厄介な流行り病が流行しているらしいからな」
「魔族が流行らしたって話だよ。ああ、怖いねぇ……」
中年男の言葉に、老婆も続く。老婆はスカーフを巻いた肩を摩った。
「何故、魔族が病を流行らせる?」
ルーヴは心底、疑問そうに二人に聞いた。
リリスも不思議だった。魔族が人間に病を流行らせて、何の得があるのか。
「なんでって、そりゃあ……ねぇ?」
「魔族のすることにゃあ、俺たち人間にはわからねぇよ」
二人はそう言って、顔を見合わせた。
つまりは、これと言った理由はないが、病を流行らせたのは魔族で間違いないと思っているらしかった。
「……そうか。気を付ける」
これ以上の会話は危険だった。ルーヴは、そう言って話を切り上げた。
その後、目の前に居るのが魔族と知らない老婆と中年男は、今まであった魔族が関わっている事件や事故の話を怖い話をするかのようにおどろおどろしく、また、熱心に語った。
ルーヴとリリスはその話に、適当に相槌を打ちながら静かに聞いた。
数時間後、隣町に着いた乗合馬車を降りたルーヴとリリスは、老婆と中年男に分かれの挨拶をすると、宿探しを始めた。
この町からオルテアまでは十時間以上かかる。
現時点で既に夕刻だ。
この時間から走っている馬車はない。
場末の安宿を見つけて部屋をそれぞれ借りた。万が一にも、身元がバレないように、不特定多数の人間が出入りしているところを選んだ。
これまた、不特定多数が出入りする安酒場で食事を取る。持って来た食料にも限りがある。出来るだけ温存したかった。
フードが取れないので怪しまれるかと思ったが、治安の悪いところらしく、リリスたちのような身元の怪しい人間は多かった。フードを被ったままの人間も少なからず居る。
酒場の隅の目立たない場所に座り、リリスはルーヴを見た。
「流行り病……町の人々は大丈夫でしょうか」
「ここでも、他人の心配か。お前は相変わらずだな。……目的を忘れるなよ」
「わかっていますわ……」
心配そうに眉を寄せるリリスに、ルーヴは呆れながら忠告した。
二人は素早く食事を終えると、宿で一晩を明かした。
明日は、目的の地――オルテアを目指す。
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