15 悪女は思い出しました。
どうぞよろしくお願いいたします。
「――まったく、駄目ですわ!」
放課後の実験室でひとり、リリスは頭を抱えていた。
リリスの目の前には、大量の試作品が並んでいた。すべて高品質のものだ。
しかし、どれもオラティオの病を治すには至らない失敗作だった。
既存の魔法薬の成分を調整するのでは病の根本的な治療にはならならず、また、新薬を作るには圧倒的に時間が足りなかった。
オラティオの余命は今も、刻一刻と減り続けている。
(もはや、聖女様に頼るしかないのでしょうか)
リリスは揺らいでいた。
ルーヴには諦めたくないと言ったが、失敗続きで心が折れてしまいそうだった。
深く溜息を吐いたリリスは、図書室へ向かった。気分転換をしようと思ったのだ。
何の本を読もうかと、リリスは本棚の合間をふらふら歩いて行く。
そして、――ヴィンセントとばったり出会ってしまった。
リリスは、ピシ、と石のように固まる。次いで、さあぁ、と顔が青褪めていく。心の中で悲鳴を上げた。
(ヒィ! 本日も大変麗しいですわ……!)
ヴィンセントは顔も髪も立ち姿も、本当にすべてが美しい。しかし、会いたくはなかった。
リリスは、ヴィンセントに、すっかり苦手意識が根付いてしまった。
ヴィンセントはリリスに気が付いていないのか、本棚の方を向いて書物を読んでいた。
これ幸いと、リリスは音を立てないよう細心の注意を払って回れ右をする。
そして、始めの一歩を踏み出した時だった。
「――待て」
これまた、美しい声がリリスを制した。
「うっ……」
リリスは呻く。こうなれば、逃げることは叶わない。
リリスは今すぐ走って逃げだしたい衝動を抑えて恐る恐る振り返ると、ヴィンセントは無表情ながらも冷淡さが滲み出るほどに静かな顔でリリスを見ていた。
「で、殿下……」
「何故、逃げる?」
ヴィンセントは無表情のまま聞いた。
リリスは目を逸らして、困ったように頬に手を当てた。
こうなれば、全力で誤魔化しにかかろうと思った。
「そ、そんな……逃げるだなんて……」
「今、私に背を向けていただろう」
しかし、ヴィンセントは事実を淡々と述べているだけだが、追及は容赦しない。
「あ、う………………申し訳ありません」
リリスはあっさりと白旗を上げた。やはり、あのヴィンセントに対して惚けて見せるなど、無理な話だったのだ。ならば、初めからやらなければ良いのだが、ヴィンセントの目を見たら、思わず逃げたくなったのだ。
リリスは冷や汗を掻きながら深々と頭を下げた。ヴィンセントの怒りを買ってしまっただろうかと恐れたが、彼はリリスの予想に反して冷静だった。
「まぁ、良いだろう。許す」
リリスは、ほっと胸を撫でおろした。
「寛大なお心、感謝いたします。……それで、何か御用でしょうか……?」
御用など無ければ良い、と思いながら、呼び止められたからには何かあるのだろうと、リリスは覚悟を決めた。
「……ふむ。特に、用はない」
「は?」
ヴィンセントは考え込むように顎に手を当てていたが、あっさりと言った。
リリスは目を見開いた。そして、ないのなら呼び止めないで欲しかったと、リリスは心の中で切実に思った。
彼は何がしたかったのだろう、と思ったが、当の本人も、自分の行動を不思議そうにしている。
暫く、思案していたが、彼は口を開く。
「……しかし、少々、気になった」
ヴィンセントはリリスを見る。二人は目が合った。こうして見つめ合うのは、初めてのような気がした。リリスは困惑しながらも、吸い込まれるようにヴィンセントの金色の瞳から目が離せなかった。心がざわざわして落ち着かない。
「……何故、今、私から逃げようとした?」
ヴィンセントはいつもの無表情だった。しかし、その声には純粋に疑問の色がありありと現れていた。
(貴方が怖いからです、……とは、とても言えませんわ!)
リリスは答え難い質問に困った。
「え、えと……」
しかし、リリスの答えを待たずに、ヴィンセントは続ける。
「……何故、今までの所業を悔い改めた?」
「あ、の……」
またも、答えるには難しい質問だった。
そこに、更に、彼は質問を重ねる。
「……何故、他人や……『獣落ち』の為に、懸命に尽くす?」
「そ、それは……」
怒涛の質問責めに、リリスは瞠目した。
「あの、ええっと……」
何から、また、どう弁明しようか、とリリスが途方に暮れている内に、ヴィンセントが再び口を開いた。そして、彼は核心を突く。
「お前は本当に、リリス・レイヴィンズなのか?」
リリスは一瞬、息が詰まった。
「そ、それは……」
どうしよう。
何と答える?
まさか、前世の記憶のことを言う訳にはいかない。
ヴィンセントを前にして、リリスは答え難い質問をどう乗り切れば良いのか困り果てた。
リリスはヴィンセントから目を逸らせないまま、無意識の内に制服の裾をぎゅっと掴んだ。
――その時だった。
「――リリスお嬢様!」
リリスの侍女アンヌが二人の間に飛び込んできた。
そして、ヴィンセントの姿を見ると慌てて膝を折って深謝した。
「あ……! た、大変、申し訳ございません。殿下とのお話し中とは思わず……」
「構わない。どうした?」
ヴィンセントはアンヌに問うた。
アンヌはおずおずと顔を上げ、ちらりとリリスを見て口を開いた。
「その、オラティオ様が倒れられました」
リリスはオラティオの体調の急変があれば知らせるよう、アンヌに事前に頼んでいた。
「ッ! それは、本当ですか⁉ 殿下、大変申し訳ありませんが、失礼します!」
リリスはヴィンセントに一礼すると、彼を置いて屋敷に帰る為に走った。
*
リリスは、屋敷のオラティオの部屋の前で、そわそわと行ったり来たりしていた。
久しぶりに登校したオラティオは高熱を出して倒れ、そのまま屋敷に送られたらしい。
今は、主治医が彼の診察をしていた。
リリスは駆け付けたものの、出来ることはないので、こうして部屋の前でオラティオの無事を祈っていた。
そんなことしか出来ない自分が不甲斐ない。
眼の奥に熱いものが込み上げてくるが、グッと我慢する。
その時、ガチャリと音がした。
「――あっ」
オラティオの部屋の扉が開いて、初老の魔族が出て来た。
「先生、お兄様は……?」
「リリス様が煎じられた魔法薬をお飲みになられて、今はお休みになっていますよ」
「そうですか……」
リリスはこれまで自分で作った魔法薬の一部を医者に渡していた。
その出来を確認した医者は、その完成度に驚き、その魔法薬を買い取りたいと申し出て来たので、リリスは無償で渡していた。
学校の実験室で作ったこれらの魔法薬の材料は自費で出していたが、商売をする為に作った訳ではなかったので、リリスはそれで良かった。
「先生、お兄様の病は……」
医者はリリスが最後まで言わずとも、わかったようで、重々しく頷いた。
「……残念ながら、これ以上良くなることはないでしょう。お力になれず、申し訳ありません」
頭を下げて帰って行く医者を見送った後、リリスは自室へ戻った。
机に着いて顔を手で覆う。
リリスの頭の中には、病で苦しむオラティオと、献身的に支える聖女の姿があった。
オラティオルートのスチルの一枚だ。
(やはり、聖女様に……)
聖女にどうにか頼み込んで病を癒してもらうしかない。
それは、あと四か月程、オラティオには我慢してもらうことになるということだった。
(それでも、お兄様は、その間も苦しみ続けるのですわよね……)
そんなこと、リリスには耐えられなかった。
いつの間にか、リリスは机に突っ伏して眠り込んでいた。
夢に出てくるのは、いつかの記憶。
幼い頃は、人間界で母と二人で暮らしていた。
母は腕の良い薬師だった。
リリスは、よく母と手を繋いで、薬草採りに森の中へ訪れた。母の手伝いをしながら薬草や薬について学んだのだ。
母は、いつも他人の為に、一生懸命に働いていた。
それなのに、母は魔族と交わったという罪で火刑に処された。
どういう経緯があって、魔族の父と知り合ったのかはわからないが、他人の幸せを願う善人だった母を、教会は磔にして火を放った。
許せなかった。
魔族との関わりを知ると、掌を返したように罵詈雑言を吐く人間も。
母を火刑にした原因である魔族も。
この世界の者はすべて敵なのだと思った。
だから、リリスは――
「――はっ!」
リリスは顔を上げた。
急激に覚醒した頭が、チカチカと痛んだ。
窓から入って来る光の加減から、居眠りの時間はそう長くはないと察した。
随分と懐かしい夢を見ていた。そして、恐ろしい夢だった。
こうして、改めてリリスの感情を追体験すると、彼女が悪女になった理由もわからなくはない。
(復讐したくもなりますわよね……)
しかし、復讐は復讐しか呼ばない、と今のリリスはそう思うのだ。
ましてや、他の関係ない者たちを傷つけて良い理由にもならない。
「はぁ……」
リリスは深く溜息を吐き、今は亡き母に想いを馳せた。
母はどんな気持ちだったのだろう。
やはり、自分に火をつけた人間を恨んでいるだろうか?
「お母様……」
立派な薬師だった母。
母であったら、オラティオにどんな処方をするだろう。
リリスは母の教えを思い出していた。
母はいつも真剣に、患者と向き合っていた。
リリスは、そんな母に憧れていた。
(それでもその後は人々への憎しみのあまり、毒薬を盛って楽しんでいたというのだから、目も当てられませんが……)
「毒物……」
そういえば、母もよく毒物の話をしていた。
幼いリリスが誤って口にしないように、その恐ろしさをよく語って聞かせていたのだ。
薬草やキノコ、薬品……様々な種類の毒物を学んだ。
「――あ!」
リリスは、母のとある毒草の話を思い出して声を上げた。
とある二種類の毒草を掛け合わせて作った魔法薬が、どのような病や傷を癒す万能の薬になるという話だ。
その毒草たちは特定の環境下で、稀に育つという。
二種類とも見つけるのは困難であるし、煎じるにも高度な技術がいる為に、その魔法薬を作るのは、ほぼ不可能とされている。
そのような意味で、『奇跡の万能薬』と呼ばれていた。
「これですわ!」
リリスは勢いよく椅子から立ち上がった。
新薬開発もほぼ不可能。
この万能薬を作るのもほぼ不可能。
ならば、最後は『奇跡』に賭けてみようとリリスは思った。
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