1 前世の記憶が戻りました。
初投稿作品です。
よろしくお願いいたします。
1 前世の記憶が戻りました。
ああ、燃えている。
曇天に向かって燃え上がる炎は、――業火の炎。
人々を恐怖の底に落とした、世にも恐ろしい魔女を滅する、――煉獄の炎。
リリスは頬をじりじりと焼く、燃え盛る炎柱から離れようと身を捩った。しかしそれは、教会の聖魔法士による拘束魔法で、支柱に縛られているので芋虫のように体をくねらせるだけに終わった。
「悪名高き魔女――カミラを、討ち滅ぼしたり!」
厳かで豪奢な衣装に身を包んだ司祭が、声高々に宣言する。
憎悪を剝き出しにして、大罪人の処刑を見守っていた群衆が、司祭の声に雄叫びを上げた。
最前列に陣取ることの出来た幸運な群衆は、それぞれ石を拾い、既に動かなくなった火柱――リリスの母に投げつける。
「――ッ!」
その一つが、隣で磔にされているリリスの額に当たった。石は白い肌をぱっくりと切り裂き、たちまち、鮮血が流れ出す。流れた血は右目にかかり、開けていられなくなった。
リリスを心配してくれる人は、ここには誰一人としていない。
母が動かなくなったことにやっと気が付いた群衆は、憎悪の矛先をリリスに変えた。大量の石礫が私に降り注ぐ。
痛かった。
大量の石礫が当たる身体が。
人々の悪意に晒された心が。
堪らずもう片目も瞑る。
目を閉じることで、この世の全てを、意識から切り離してしまいたかった。
胸を支配するのは、人間に対する恐怖と憎悪。
ふと、その石礫が止まった。
恐る恐ると目を開けると、不気味な黒いフードを被った執行人が、松明を持って歩いてくる姿が見えた。
(今度は、わたくしの番なのだわ……!)
――お母様は本当に、希代の大罪人だったのか?
(いいえ、お母様は薬師を生業にしていただけ)
――わたくしが一体、何をしたというのか?
(娘というだけでこんな仕打ち!)
胸の中で沸々と憎悪の炎が宿る。それは先程までの人間に対する恐怖を焼き尽くし、糧にして、更に勢いを増してごうごうと燃え盛る。
(これから、わたくしを焼くのは、教会の聖なる炎などではないわ)
(わたくしの中で燃え盛る憎悪の炎が、わたくしを焼き尽くすのよ!)
「――聞け、愚か者ども! 私は、炎などに屈しはしない!」
リリスは、憤怒のままに声を張り上げる。
先程まで大人しくしていた子供が、突然、狂ったように暴れだしたのを見て、群衆たちは怯んだ。しかし、所詮は、余命幾ばくかの罪人の戯言だ。誰かが石を投げたのをきっかけに、再び罵声が上がる。
それでも、リリスは、声を張り上げるのを止めない。
「――この地に舞い戻り、いつか必ずこの恨みを晴らし、貴様らを恐怖のどん底に突き落とすだろう!」
執行人は、リリスの足元に火を放った。
***
――『この地に舞い戻り、いつか必ずこの恨みを晴らし、貴様らを恐怖のどん底に突き落とすだろう!』
(ええ。
わたくしも、そう思ったことがありましたわ。
というか十年前に実際、そう宣言いたしました。
あれは、まさしくわたくしの言葉ですわ。
頭に血が上っていたとはいえ、何故、あれほど恐ろしい言葉を口走ったのでしょうか?
ちょっと、わたくし自身の人間性を疑ってしまいますわ……!)
若干六歳にして、人間界で火刑に処されそうになったリリスは、執行人が火を放った瞬間、間一髪、現れた魔族の父とその部下たちに命を救われ、魔界にやって来た。
リリス・レイヴィンズ。
生まれて十六年。
絹糸のような銀の髪に、サファイヤの如き瞳。
豊満ながらもメリハリのある美しい肉体。
豪華なドレスで着飾り、社交界を歩けば振り返らない殿方はいない。
絶世の美女とされたリリスは、同時に、魔界にその名を轟かす悪名高き悪女でもあった。
見目麗しい殿方をとっかえひっかえするのは、もはや当たり前。
得意の毒薬作りで、気紛れに人に毒を盛ってはその苦しむ様を楽しみ、気に入らないことがあれば、躊躇なく魔法で危害を加える……。
幼い頃に体験したトラウマ――火刑が切っ掛けで、リリスはこの通り、すっかり性格が捻じ曲がってしまった。
それからというもの、人間だけではなく、魔族に対しても悪道の限りを尽くしてきた。
(――一体、なんて酷いことを、仕出かしてしまったのでしょう!)
自身が起こしてきた悪行の数々にリリスは、豪奢な調度品が揃っている、魔界の自室の寝台で目を瞑ったまま顔を青くしていた。
所謂、狸寝入りだ。
何故、狸寝入りをしているのかと言うと、寝台の横の一人掛けソファに、長い足を組んで座っているお方に、目覚めたことを悟られたくなかったからだ。
ヴィンセント・フォルターシュタイン。
柔らかそうな金髪を、後ろで一つ結びにしているこの美丈夫は、魔界の第一王子だ。
次期魔王であり、公爵令嬢であるリリスの婚約者だった。
(以前のわたくしであれば、たとえ、冷ややかな視線しか向けられなくとも、好きで好きで仕方がなかったお方……)
しかし、今は恐ろしくて堪らない。
美しいお顔に不思議と良く似合う、嫌悪がたっぷりと籠ったあの眼。
思い出しただけで、ゾッと背筋が凍った。心臓がきゅっと縮む。
(何故、今までのわたくしは、あんな視線を向けられても、平気でいられたのでしょう……)
恋は盲目というが、盲目過ぎる。本当に、何も見えていない。
しかしそれだけ彼のことが好きでも、自慢するように、彼の目の前でも他の男性を連れていたのだから、リリスは肝が太い……というか、浅慮で慎みがない。
リリスは、今更ながら恥じ入った。穴があったら入りたい。
(そもそも、何でわたくしは、魔界の公爵令嬢などに、生まれ変わっているのでしょうっ⁉)
リリスがこれほどまでに自身の行いを、掌を返したように後悔しているのには訳があった。
不幸にも火災に巻き込まれて、人生最大のトラウマを刺激されたリリスは、眠り込んでいる間に過去のトラウマどころか、前世の記憶までも掘り起こしていた。
(ただの女子大生に、第一王子の婚約者は荷が重いですわ……っ!)
享年二〇歳。
漫画やアニメをこよなく愛する、至って普通の女子大生。
若くもころっと逝去して転生した先が、魔界の公爵令嬢。
どういう訳か、前世の人格が勝ってしまったリリスは、頭の中で途方に暮れていた。
これから、どうやって生きていけばいいのかわからない。
悪女だというだけでも、とても手に負えないのに、第一王子の婚約者とは最悪だ。
正直、今は、ヴィンセントと顔を合わせたくない。
とりあえず、彼には申し訳ないが、このまま狸寝入りをさせてもらい、適当な時間でご退場願おう。
たとえ、案ずる気持ちの欠片もない、婚約者の義務的で形式的なものであっても、わざわざ、お見舞いに来てくれた事には変わりないのだが、臆病者のリリスには、これしかこの場を乗り切る方法が思いつかなかった。
薄く目を開けて、ヴィンセントを盗み見る。
相変わらず、大変、美しいお顔だった。
はっきり言って、リリスの好みド真ん中だ。
ただし、それは、遠くから鑑賞する時に限る。
今、間近で薄目で見ているだけでも、割としんどい。これを両目で直視してみたらきっと、彼の溢れんばかりのオーラで、目が潰れることだろう。
(推しは遠くから愛でるのに限るのですわ。それを、婚約者だなんて……ん、『推し』?)
頭の奥で光がパチパチと点滅する。リリスの中で何かが引っ掛かった。思い出したばかりの前世の記憶を辿る。
金色の髪に瞳。彫刻かと見まがう美しさ。
真紅のお召し物が良く似合うその姿は――
うっかり、歩道橋の階段を踏み外すまで握りしめていた、乙女ゲームの――
「ぬあっ⁉」
思わず、変な声を出してしまったリリスは、しまったと口に手を当てた。
しかし、時すでに遅し。
「……起きたか、リリス」
ヴィンセントは気怠げに、リリスに声をかけた。突然の大声に機嫌も悪そうだ。
「は、はい……殿下」
ヴィンセントの冷たい視線に晒されたリリスは青褪めて、キルトの端を掴み口元まで引き上げた。
「……体調はどうだ?」
「え、ええと……もう平気ですわ。ご心配をおかけして、大変申し訳ありません」
体調を案ずる言葉をかけられたが、本当は一ミリも心配されていないのだと、リリスは知っている。
ヴィンセントは無表情のまま、魔法で小さな鐘を取り出し鳴らした。
今までの、己の所業の所為だとわかっているが、こうもまったく心配されないのは、少し悲しかった。
前世では病に罹ったり怪我を負うと、家族や友人が心配してくれた。
今更ながら、その落差に傷付いた。
鐘の音を聴いた使用人たちが部屋に入って来る。
「……今から医者の診察を受けろ」
「は、はい……。あ、あの、殿下は……?」
魔法で鐘をしまったヴィンセントに、おずおずと尋ねる。いつまで屋敷に居るのか気になった。
ヴィンセントはソファから立ち上がった。もう、こちらを見ようともしない。
「私は帰る」
「か、かしこまりました」
冷たく突き放した言葉だったが、助かった。
リリスは喜色が出ないよう努めながら、心の中でほっと息を吐いた。
部屋にやって来た医者の話では、リリスは火事に巻き込まれてから、一週間昏睡状態だったという。
その間、魔法薬や魔法を駆使して、健康状態を保っていたらしい。
それから、部屋に訪れた医者の検診が終わる頃には、日はすっかり暮れていた。
唯一の救いは、娘を溺愛している父が、リリスの目覚めを喜んでくれた事だった。
やっとひとりになれたリリスは、薄暗い部屋の中一人で、蝋燭の明かりを頼りに、机に着いて物思いに耽る。
持ちうる知識と、この世界の歴史と照らし合わせる。
熟考の末、一つの結論を出した。
ここは、『ギルティ・ラブ』の世界である、と。
――世界は、聖女に託された。
――聖女が選ぶのは、愛か、救済か。
『ギルティ・ラブ』とは、この謳い文句から始まる、許されざる禁断の愛をテーマにした乙女ゲームだ。
聖女であるヒロインは、魔界に侵略されつつある人間界を救う為、とあるアイテムを探しに魔界の貴族学校に潜入する。
そこで個性豊かなイケメンと出会い、いつしか二人は惹かれ合う。
人間界と愛の狭間で揺れる複雑な恋模様は、多くのプレイヤーを魅了した。
ヴィンセントは、そのメイン攻略キャラだった。
(そして、わたくしは……――)
リリスは机の引き出しから鏡を取り出して覗き込む。そこには不安そうに顔を歪めた自分――リリスが映った。
リリス・レイヴィンズ。
心優しく純粋な聖女とは違い、傲慢で残忍な悪役令嬢だ。
他のキャラクターからだけではなく、プレイヤーからも嫌われている、最悪のキャラだった。
ここが、『ギルティ・ラブ』の世界だとわかってしまえば、十年前のあの日、火刑に処されそうになった時に発した言葉や、今までの悪事は原作のリリスのものなのだと思い至る。
リリスは転生してから、自分の人間性が歪んでしまった訳ではないのだ、とわかり少しだけほっとした。
だからと言って、悪行とその罪は消えない。
リリスは、鏡を机に置いた。
(今までの行いは、わたくしの行いに違いない……)
ゲームでは、ヒロインだけではなく、攻略キャラたちにも非道の限りを尽くしたリリスは、すべてのエンドで因果応報の死を迎える。しかも、その死に方は結構、酷い。
今から間に合うかどうかわからないが、償える罪はすべて償いたい。
(それが、わたくしに残された唯一の道……)
たとえ、因果応報でも、自分の意に反して犯してきた罪で、死にたくはなかった。
そして、もう一つ、ここが『ギルティ・ラブ』の世界だとして、問題があった。
迎えるエンドによっては――
(人間界どころか、世界が滅亡してしまいますわ!)
この二つが、ヴィンセントの前で、変な声で叫んでしまった理由だった。
鬼畜極まりない死に方と、世界の滅亡。
それに思い至った時の、絶望たるや、計り知れない。
リリスは椅子から立ち上がって、窓辺まで歩み寄る。窓を開け放てば、魔界特有のひんやりとした風が髪を撫でた。
(リリスの死亡フラグを回避し、世界の滅亡を阻止しなければいけませんわっ!)
出来るだろうか?
赤く輝く月を見上げて己に問う。
(いいえ、やるしかないのです!)
リリスはそう決意したものの、やはり不安だった。
リリスは、怖がりで小心者なのだ。
(――それは、それとして……)
僅か六歳であんなこと言ったリリスも恐ろしい子だが、まだ幼い子どもを処刑しようとする世界も、ちょっとどうかと思う。
(……中世って、恐ろしいですわ……!)
リリスは、当時の恐怖を思い出してブルリと震えた。
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