アヤカシ探偵社。其の八
日本の妖怪を相手に案件を解決してきたアヤカシ探偵社ですが今回は西洋の魔物を登場させてみました。最後に探偵社に新たなメンバーが加わります。見せ場は魔術対妖術のバトル。また鞍馬に来られた経験ある方はその情景を思い浮かべながらお楽しみください。
京都の冬は想像以上に寒い。盆地で寒気が逃げない為他都市と比べ物にならない程冷え込む。新年を迎えたある粉雪がちらほら舞い散る朝。雪に混じって黒い影が空からあんじーの離れに舞い降りた。庭で雪掻きをしていた爽と箔はその姿を見て驚いた。降り立ったのは二羽の烏天狗。彼等には初見であったのでその異様な見た目に大騒ぎ。烏天狗達は二匹に話しかけた。
「此方はアヤカシ探偵社で間違いはないかな?」
突然話しかけられた箔は慌てて答える。
「あ?え?あ、そうだよ!あんじーにご用?」
その時障子を開けてあんじーが現れた。
「騒がしいのう。如何した、爽・箔」
あんじーの姿を見た烏天狗達は縁側に駆け寄った。
「あんじー殿、突然押し掛けご無礼致します。主の命によりお迎えに参りました」
あんじーは軽く欠伸をした。
「ほう、僧上坊が儂に用とな?珍しい事もあるものじゃ。大天狗の事じゃから頼み事など何ら無かろうに」
烏天狗は困ったような顔で答えた。
「そうなのですが此度ばかりは勝手が違うようでして、主が直接お会いしてお話したいと。兎も角鞍馬にお越しください」
あんじーは腕組みして返答した。
「左様か。僧上坊のご依頼とあらば伺うしかなかろう。暫し待たれよ、直ぐ支度する故」
あんじーはぬこ神を呼び寄せた。特に危険も無いと思われるので爽・箔・巳之助も連れて行く事に。鎌鼬も誘ったがただでさえ寒い日に寒冷地の鞍馬は嫌らしく拒否された。本社の留守番をすると言い張る。アンジー達は烏天狗に先導され雪の中一路鞍馬寺に向かった。
到着すると辺りは一面銀世界である。鞍馬山の大天狗・僧上坊の本拠は山頂付近にある魔王殿の更に奥にあり、通称天狗屋敷と呼ばれている。黒塗りの、屋敷と言うより最早武田(信玄)の砦である。案内の烏に続いてぬこ神と一行は中庭に降り立った。周りを烏天狗が取り巻いている。皆一様に錫杖を向けてあんじー達を警戒していた。
「止めよ。皆錫杖を納めい」
僧上坊が現れ、皆を諫めた。
「久しぶりじゃな、あんじー。百鬼夜行祭以来か」
あんじーが笑顔で答えた。
「お元気そうで何より、僧上坊」
僧上坊はご機嫌である。
「その節は完敗したがその内雪辱戦を所望したい」
僧上坊の言葉に呆れるあんじー。
「その為に儂を呼んだのか?」
「いや、これはほんの冗談。頼みたいのは他の件じゃ。此処では何なので中で話そう」
そりゃそうだろう、この寒空の中わざわざ手合わせの為に呼び出されては堪らん、とあんじーは心の中で呟いた。僧上坊に促されて屋敷内に入る。此処は聚楽第か?と思わせる豪奢な造り。一行は大広間に通された。
僧上坊は一段高い玉座に座る。
「客人を下座に座らせて申し訳ないが此処が我の定席でな、他だと居心地が悪い。まあ気にせんでくれ」
「儂は一向に構わんが早く本題を聞かせてくれ」
あんじーの催促に僧上坊は強面に似合わずもじもじと話し始めた。
「実はだな、最近鞍馬山に住み着いた者がおってな。こ奴が人外の、西洋の物の怪なのじゃ。インバウンドとやらで来日したそうな。村人に尋ねると鞍馬がいたく気に入ったらしく、そのまま帰国せず古民家を借りて暮らしている。見た目は人の成りなんだが…どうやら…その…魔女とかいう類の妖怪らしい」
魔女!あんじーは絶句した。
「そいつは大変な事じゃぞ、僧上坊。魔女とは、人間なのだが様々な魔法を操り時に災厄をもたらす厄介な存在。何を仕出かすかわからぬぞ」
僧上坊は困惑気に相槌した。
「そうなのだ、最初は目を瞑っておったが後で知恵者の知り合いに聞いて困っておる。其処であんじー、貴殿に説得をお願いしたい。何とか穏便に自国へお帰り願えないかと」
あんじーは腕組みして唸った。
「今までに難題は幾度となくクリアしてきたが今回は勝手が違う。果たして魔女を説得など出来得るものか?」
僧上坊は珍しく弱気な声で懇願した。
「そこを何とか…皆魔女と聞いて困惑し尻込みしよる。貴殿しか頼める者はおらんのだ、宜しく頼む」
僧上坊に頭を下げられ恐縮するあんじー。
「顔を上げてくだされ僧上坊。仕方ない、どうなるか判らんがやれるだけの事はやってみよう」
毎度お馴染みのあんじーの台詞である。
「そうか、貴殿のことだ、期待しているぞ」
笑顔になった僧上坊に対しあんじーは憂鬱な表情である。
「さてどうしたものか…取り敢えず様子を伺うとしよう。その魔女はどうやって暮らしているのじゃ?」
「聞くところによると集落の外れの住まいで怪しげな薬を売っているらしい。なんでも惚れ薬や媚薬が参拝客に人気なのだとか」
僧上坊の話に相槌を打つあんじー。
「そりゃ効くじゃろう。なんせ魔女の作る薬じゃからな。ならばウチの者に偵察に行かせるか」
あんじーは庭で遊んでいる爽と箔を呼び寄せた。
「お前達、ちょっとお使いを頼まれてくれぬか。とある店に行って滋養強壮に効く薬を買ってきてくれ」
爽も箔もキョトンとしている。
「でもあんじー、オイラ達人間の言葉は話せないよ」
「心配するな、店主も物の怪なのじゃ。話は通じるじゃろう」
巳之助があんじーに懇願した。
「オイラも一緒に行く~」
あんじーは困った様な苦笑い。
「お前は駄目じゃ。蛇は切り刻まれて薬の材料にされてしまうぞ」
巳之助は震え上がって黙ってしまった。僧上坊は不安気である。
「この様なおチビ共で大丈夫か?危険なのでは」
「なあに、西洋にもドラゴンと呼ばれる龍が存在しての、昔から魔女とは縁があるらしい。ましてやこ奴らは蛟、仔龍じゃ。無下に殺傷する事はないじゃろう」
「確かか?」
僧上坊の心配そうな顔を見てあんじーは軽く答えた。
「まあ本で読んだ知識じゃが」
益々不安になる僧上坊を気にもせずあんじーは爽・箔に命じた。
「行ってこい。何時もの調子で明るく振舞うのじゃぞ」
二匹は言われるまま返事した。
「あい~♪」
爽・箔は元気よく飛び出して行った。
魔女の店は駅前から五分程下った所にある民家である。築百年は経っているだろうか、元は農家だった建物である。鞍馬の住人も高齢化で空き家が増えカントリーライフを望む若者に自治体が格安で貸し出しているのだ。爽と箔は門の前に辿り着いた。古い木の板に「LОVE МAHǑDǑ」と英文字表記されている。が、蛟の彼等には当然読む事ができない。二匹は気にも留めず中に入っていく。母屋の玄関前には様々な魔法具が飾られていた。端には飛行用の箒まである。爽・箔は只ならぬ異様な雰囲気に身震いしたが思い切って土間に入った。
「ごめんください」
声を掛けた心算だが人にはキィキィ鳴いてるようにしか聞こえない。だが台所から返事をする者が。
「あいよ、ちょっと待っておくんなまし」
現れたのは黒髪ショートカットの、黒革のスタッズがびっしり張り付けられたライダース(ジャケット)にこれまた黒革のショートパンツ、網タイツにスタッズまみれの上げ底ロングブーツの美女。背が高く派手な化粧で両耳に螺旋状の羊の角が付いている。口紅は血の様な赤でアイシャドウはラメ入りのパープル、見た目はライブに出ているパンクシンガーそのものである。
「おや?誰かと思えばベビィ・ドラゴンかい。この辺りじゃ珍しいね。てか、日本に来てからは初かも」
爽・箔は驚いた。あんじーに聞いてはいたが彼女はちゃんと龍の言葉を理解している。
「あ、あの、お話できるの?」
爽が問いかけるとパンク美女は答えた。
「ああ、以前竜を飼っていてね。まあ飼うと言うより家来だったんだけど」
爽・箔は嬉しくなった。箔は懐から小さな紙の袋を取り出した。
「婆ちゃんから貰ったんだけど食べる?」
パンク美女は受け取ると袋を開けてみた。
「小さいカラフルな玉が入ってるね。これはお菓子かい?」
「そうだよ。お豆のお菓子。五色豆って言うんだ。オイラ達あんまり好きじゃないからあげる」
パンク美女は一つ摘まんで口に入れてみた。
「旨いねえ!お姉さんはナッツが大好きなんだよ。今までいろんな豆を食べてきたけどこの豆菓子は一・二を争う美味しさだね」
「へえ。京都のお土産なんだけど今は人気無くて…婆ちゃんの手作りだから時々くれるんだ。でもオイラ達には合わなくてさ。家に来ればまだまだあるよ」
パンク美女は目を輝かせた。
「そうかい。その内お邪魔するよ、近い内にさ。ところで、今日は何の用だい」
爽・箔は顔を見合わせた。
「そうだ。オイラ達お使い頼まれてたんだ。あんじーにじようきょうそう?の薬を買って来いって」
「アンジー?アンジェリカかアンジェラって言う名前なのか。で、何者なんだい?そのアンジーってのは」
爽が答えた。
「先生だよ。オイラ達西の遠い国から来てるの。ぎょうぎみならい、っていうので」
「ふうん。そうなのか。滋養強壮ってそのアンジーとやら、相当歳なのかい」
今度は箔が答える。
「よく知らないけど二千年は生きてるって言ってた」
パンク美女は古参の大妖怪なのでは、と感じた。
「待ってな、滋養強壮剤じゃないが回復薬を調合してやるから。なに、ものの五分もあれば出来るからさ」
パンク美女はそう言いながら台所に消えて行った。待っている間二匹は店内を物色してみる。棚やガラスのショーケースに小瓶に入った色取り取りの液体が並んでいる。効能の書かれた札は二匹には読めないが陳列された薬は爽と箔には凄く魅力的に映った。程なくパンク美女が小瓶を携えて戻って来た。
「お待たせ。これは回復薬と言ってダメージを治す薬さ。死にかけの状態でも一口で元気にする優れものだよ。アンジーとやらに持ってってやんな」
爽・箔は礼を言った。
「ありがとう。お代を預かってるんだけど」
爽は懐の小判を差し出した。パンク美女は受け取るとしげしげと小判を眺めた。
「随分薄っぺらい金貨だね、昔の日本の通貨かい。まあこの重量なら対価としては十分か。頂いとくよ」
爽・箔はパンク美女にお辞儀し、玄関に向かった。パンク美女が声を掛ける。
「そうだ、名前を聞いてなかったね。あたいはリリトって言うんだ」
「オイラ爽」
「オイラは箔」
「爽と箔か。覚えておくよ。さっきの、五色豆だっけ?貰いに行くから」
「何時でも来て。婆ちゃんがいっぱい作ってるから」
爽・箔が店を出る時リリトと名乗るパンク美女は二匹が見えなくなるまで手を振って見送ってくれた。爽・箔はご機嫌で天狗屋敷に戻って行った。
天狗屋敷。僧上坊・あんじーの他に陰陽師・小野昴の姿があった。西洋魔術に知識のある昴をあんじーがアドバイザーとして招聘したのである。魔女対策を討議している処に爽・箔が戻って来た。
「買ってきたよ、あんじー」
ニコニコしながら薬を渡す爽にあんじーが尋ねた。
「店はどうじゃった?主人はどんな人かな」
箔はう~んと記憶を巡らし説明した。
「お家はアヤカシ探偵社と似てるけどお店の中はお洒落で可愛い。お姉ちゃんは美人で優しかったよ」
あんじーは僧上坊と昴に耳打ちする。
「思っていた程恐ろしい存在ではないようじゃ。もっとも蛟のこ奴等相手だからかも知れぬが」
僧上坊が更に尋ねる。
「その店主とは何か話したか?」
爽が答える。
「リリトは豆が大好きなんだって。五色豆を上げたら美味しいって食べてたよ」
昴は突然絶叫した。
「リリトだって⁈そう名乗ったのか?」
顔面蒼白の昴を見て訝しそうにあんじーが聞いた。
「何を慌てておる?そもリリトとは何者なのじゃ?」
昴は声を震わせながら語った。
「大変な事ですよ!相手は魔女とは比較にならないヤバい奴です。リリトは悪魔なんです!それも魔王サタンより前の、始祖の悪魔と言われてるんです」
状況が呑み込めぬままあんじーが質問する。
「悪魔の事は聞いた事が有るが昴殿が恐怖する程の存在なのか?そのリリトとやらは」
昴は詳しく説明した。
「いいですか、悪魔には下級から上級、魔王クラスに至るまで細かい階級が存在します。中でも天界から闇落ちした堕天使は最強の悪魔で神に戦いを挑むほどの実力者。中でもリリトはリリスとも呼ばれ一番最初に天使から地獄に堕とされた悪魔なのです。言わば魔王サタンの先輩、別格なのです」
「じゃが何故こんな東洋の島国で妖しげな薬屋なぞやっておるのじゃ?」
あんじーの素朴な疑問に昴は考えあぐね、ある伝説を話した。
「リリトは人類の祖先アダムの最初の配偶者に任命されたのですが、人間の存在を見下していたのでその子孫を産むことを嫌い拒否したそうです。おまけに蛇に化けて二番目の妻イブとアダムに知恵の林檎の実を食べさせ、楽園のエデンから追放されるよう仕向けた。事実を知った神は怒り、リリトは熾天使の立場から地獄に落とされ最初の悪魔となったのです。ここからは憶測ですが当時闇落ちしたのはリリスだけだった為、後に魔王軍を率いるサタンとは共闘せず神々との戦いの際は傍観者だったと聞き及んでいます。言わば逸れ者の一匹狼的な…リリスが悪行とか災難を巻き起こした話は殆ど聴きませんし、おそらく神に見放されて気儘に現世を楽しんでいるのでは」
あんじーは昴の話を聞いて少し安堵した。
「ならば問題はあるまい。このまま平和に暮らしてもらえれば」
昴が慌てて反論する。
「とんでもない!悪魔なんですよ!いざとなればこの日本列島ごと海底に沈没させる恐ろしい魔力を持っているんです。機嫌を損ねると大惨事になりかねない」
あんじーはフッと溜息をついた。僧上坊も激しく同意。
「その通りじゃ、その西洋の悪魔とやらには早々に日本からお引き取り願おう」
その時彼らの背後で怒鳴り声が聞こえた。
「失礼な奴等だね、アタイの居ないとこで追い出す相談かい」
皆が声のする方を向くと其処には腕組みしたリリトが立っていた。僧上坊は思わず声を荒げた。
「貴様がリリトか?何時から其処にいた?」
「あんた等がおチビさん達に質問した辺りからだよ。親代わりのアンジーとやらが気になって追けて来たんだ。それといくらアタイでも大陸を沈める程の力はないからね」
あんじーが前に出た。
「儂がそのあんじーじゃ。お主がリリトか。もう儂等の目論見はバレてしまったから単刀直入に伺おう、お国に帰ってはくれぬか」
「断る!」
リリトの返事は即答だった。
「アタイは日本が気に入ってんだ。この山も地元ハルツのブロッケンの森に似てるし居心地は最高さ。此処はアタイの終の棲家にするのさ」
昴が突っ込む。
「終の棲家って、あんた死なないでしょ神様に消されない限り」
リリトは呆けた顔で空を見上げた。
「それもそうだね、気にも留めてなかった。じゃあアタイがこの国を永遠に支配してやるよ」
リリトの発言に僧上坊が怒りに震えた。
「なんと!そのような事は絶対許さん」
あんじーも同意。
「お前の暴言は聞き捨てならぬ。悪魔と言えど儂等の全力で阻止する!」
昴は背筋が凍る思いであった。
「儂等って、私も含まれるんですか?勘弁してくださいよ。魔王クラス相手に勝てる訳がない」
あんじーは昴を励ました。
「過去人間が悪魔を攻略した事もあったんじゃろ?お前さんの知識のみが頼りじゃ。宜しく頼む」
昴はあんじーの発言に驚いた。
「何でそんな事知ってるんですか。確かに悪魔を利用して賢者が様々な魔法を行った史実はありますが」
あんじーはニヤッと微笑んだ。
「なに、小説や漫画で知り得た知識じゃ」
「困った人だな、中途半端に博識なんだから。この状況では逃げられませんし、まあ出来る限りの事は協力しますよ」
昴は呼び出されてのこのこ出張ってきたのを後悔した。リリトはニヤニヤ笑っている。
「おチビさん達に聞いた二千年生きてる大妖怪ってあんたの事だろ?成りは小さいが凄まじい妖気を感じるよ。どんな力を持ってるか興味あったんだ。そっちの爺いもなかなかやるようだね。人間は…魔導士か。相手にとって不足は無いようだね。戦るかい?」
昴は驚いてあんじーに尋ねた。
「あんじーさん、二千年も生きてたんですか?古の大妖怪じゃないですか」
あんじーは昴の空気を読まない発言にイラっとした。
「今はそんな事どうでもいいじゃろ」
あんじーは呪文を唱え戦闘モードに変身しデッキブラシを地に立てた。僧上坊も錫杖を構え戦闘態勢に。昴は内ポケットから魔法の杖を出し、リリトに向けた。リリトは一瞬炎に包まれ、衣服を焼いた。消えた中から現れた姿は大きくなった羊の角に蝙蝠の羽、真っ黒な体毛にドラゴンの尾。尻尾の先は楔状に尖っている。まさに絵に描いた悪魔の姿だった。
「アタイはハルツでは羊角の魔女と呼ばれているんだ。もっとも魔女じゃなく悪魔なんだけどね。じゃあ遠慮なくいかせてもらうよ!」
リリトは腕を上げ魔術を発動させるような仕草をした。
「いかん!」
あんじーは慌てて印を結んだ。
「亜空間転移!」
あんじーは得意の結界術で鞍馬山を疑似空間に封じた。驚くリリト。
「面白い技を使うねえ。被害を及ぼさない為かい、アタイも村人には迷惑かけたくないからね。あんたのお陰で全力を出せる」
リリトは指を広げ両手を天に翳した。上空に巨大な火の玉が出現。回転しながら更に巨大化する。リリトが手を前に振り下ろすと大火球が落ちた。あんじーは素早くパンダ・ポシェットから瓢箪を取り出し火球に向ける。大火球は呆気なく瓢箪の口に吸い込まれた。
「凄いね!アタイのファイアー・ボールを吸収するとは。異空間を操るのが得意なんだね。じゃあこっちはどうだい?」
リリトは腕を湾曲し手前に掴むような仕草を。すると三人の空間が歪んだように見えた。三人は強大な重圧に地面に押し付けられた。昴が渾身の力で魔法の杖を振る。ドーム状の空気の壁が超重力を緩和したがかなり不安定で今にも押し潰されそうだ。
「急場凌ぎの無効ゾーンですが私の魔力ではそんなに持ちませんよ。何とかしないと」
昴が嘆いているとリリトの背後から体当たりする物体が。ぬこ神である。リリトは前につんのめり、超重力は解けた。
「こりゃ驚いた。この国にもキメラが居たんだね。アタイと同じように向こう(地中海)から渡って来たのかい」
ぬこ神は不思議な顔をした。
「西洋にも仲間はいるらしいがアジアにも似た同族は居るんだ。俺はれっきとした日本生まれだ」
ぬこ神は答えるなり口から火球を噴き出した。リリトに直撃するが左手人差し指で弾かれた。
「火を噴くのも同じかね。生憎大火球の元祖はアタイなのさ」
リリトが右手を突き出すと先から竜巻が起こりぬこ神を呑み込んで空に舞い上がった。
「いかん、ぬこ神!」
あんじーが叫ぶ。
「任せておけ!」
僧上坊が手の団扇で逆回転の疾風を起こし竜巻を打ち消した。衝撃で気絶し墜落するぬこ神を追い掛けて来た辻神が噴き上げる風塵で受け止める。辻神は浮遊しながら着地した。
「おやおや、今度は風神かい。揃いも揃って曲者ばかりだね」
リリトは必死で戦っているあんじー達を見て楽しんでいる様である。おそらく本来の実力の十分の一も出してはいまい。昴はあんじーに申し出た。
「あんじーさん、私に考えが有ります。ちょっとの間持たせてください」
「ならば我が相手をしておこう」
横で聞いていた僧上坊が名乗り出るなり背中の翼を広げた。すると翼から十数枚の羽根が抜け、空中に浮かび上がると反転。リリト目掛けて針の様な付け根が降り注いだ。リリトは全身に劫火を纏い、羽根は到達する前に焼失してしまった。だが羽根手裏剣は目暗ましで僧上坊はその隙に錫杖を突き出して突進していたのである。当たる寸前後方に飛び退くが間に合わずダメージを受けるリリト。間髪入れずあんじーがデッキブラシの毛先で右腕と羽根を消去する。片腕と羽を無くしたしたリリトはあんじーを睨みつけた。
「何だいその武器は!殺傷じゃなくこの世から消される感じだね。とんでもない魔具だ。けどアタイには効かないね」
リリトはグッと全身に力を込めた。消された腕と羽根から細胞が増殖しあっという間に元の姿に戻ってしまった。
「凄い再生能力じゃ。奴が不死身である所以か…不老不死も納得じゃわい」
あんじーが妙に感心していると昴が素っ頓狂な声を上げた。
「出来た!お待たせしましたあんじーさん」
あんじーがビックリして昴を見る。昴は空間に白く光る小さな魔法陣を展開していた。
「エコエコアザラク」
と呟くとその魔法陣を杖を使いリリトの真上に移動させた。魔法陣は見る見る巨大化し、回転しながらリリトに直下。何故かリリトは金縛り状態で動けない。昴が説明する。
「悪魔召喚の術を逆に使ったんです。これでリリトは地獄に送還される筈です」
その通り、環が通過する部分のリリトの姿は消えていき地面に着いた時には完全に消えていた。決着はついたかに見えた。あんじー・僧上坊・昴はホッと溜息をついた。が、そう易々と遣られてくれる相手ではない。
轟音が響き天空に黒雲が渦巻く。先程と似た魔法陣が表れ、中央からリリトがゆっくりと降下した。
「やれやれ、いくらアタイでも現世降臨は相当な魔力を費やすんだ、勘弁しておくれ」
リリトは指を組み印を結ぶ仕草を見せた。
「お返しにあんた等を冥府に送ってあげるよ」
天空にブラックホールの様な黒い穴が開いた。左周りに渦を巻きながら徐々に広がっていく。リリトは悪魔の笑みを浮かべている。穴は空間をどんどん呑み込んでいく。焦る三人。
「昴殿、何か対処する方法は無いのか」
「おそらく魔界に通じるゲートなんでしょう。上級悪魔でもない限り扱える魔法じゃないですよ」
あんじー達は眺めているしかなかった。
「痛っ!」
その時リリトは蚊に刺された様な痛みを感じた。リリトが集中力を維持できないせいで呆気なくゲートは消失。振り返ると巳之助が尻尾の付け根に噛み付いていたのである。そう、リリトの唯一の弱点は尾なのだが非力な巳之助では大した効果は無かった。
「痛いね、何するんだい」
リリトは尾を振り上げ巳之助を蹴散らした。巳之助は空に舞い上がり地面に打ち付けられた。
「巳之助!」
怒った爽と箔は成龍丸を口に含み呑み込んだ。爆炎と共に巨大な龍へと変貌する。
「たとえお姉ちゃんと言えども仲間の巳之助を虐めるのは許さない!」
二匹の龍はリリトに向かって行った。唖然とするリリト。
「待っておくれ、おチビちゃん達と戦う気は無いんだよ。参ったねえ…。じゃあアタイの負けでいいや」
リリトはあっさり攻撃の手を止めてしまう。皆一瞬立ち止まった。リリトは姿も変身前に戻っている。
「元々争う気は無かったんだ。ちょっと試したくなっただけさ、あんた等の実力ってヤツを」
あんじーはリリトを睨んだ。まだ警戒しているのだ。
「それなら気は済んだじゃろう。今負けを認めると申したな、ならば国に帰ってはくれまいか」
リリトは不敵な笑みを返した。
「そいつは嫌だね。さっきも言った通りアタイは此処が気に入ってんだ、誰の指図も受けないよ」
僧上坊がリリトに錫杖を向けた。
「やはりこ奴は退治するしかなかろう」
リリトは焦った。
「待っとくれ。アタイは平和主義者なんだ、もう争う気はないんだよ。話し合おうじゃないか」
あんじーは強い口調で言い返した。
「悪魔の言葉とも思えん、何を話し合おうと言うんじゃ」
「アタイは此処を気に入っている、自由気儘にカントリーライフを楽しみたいだけさ。あんた等に迷惑をかける気は無い」
リリトの言葉を聞いて昴はあんじーに囁いた。
「とても悪魔の発言とは思えません、諸悪の根源みたいな存在なんです。歴史上の災厄は殆どが悪魔の仕業と言われてるんです」
昴の言動にリリトが弁明する。
「まあ確かに災いを起こすのが悪魔なんだけどアタイは逸れ者だからね。特に人間に悪意は無いんだ」
僧上坊があんじーに衷心。
「昴殿の言う通りじゃ。妖怪達とは違う、得体の知れない怪異なのじゃからな」
双方の意見に頭を抱えるあんじー。するととんでもない結論を出す。
「リリトとやら、どうじゃ儂の運営するアヤカシ探偵社に入らぬか。ウチの社員になればお主の身柄は儂が責任を持って保証するし動向を管理もできる。まあ束縛する気は無いんじゃが、周りの妖怪達も安心できるじゃろう」
昴は耳を疑った。悪魔を管理?
「あんじーさん、白魔術の契約みたく、ですか。相手は下級悪魔じゃなくて魔王なんですよ?魔王と契約なんて聞いた事も無い」
あんじーは昴の方を?な顔で見た。
「何じゃその白魔術とか契約とか言うのは」
「知らないで思い付いたんですか」
昴は驚いた。あんじーは悪魔攻略の方法までは詳しくなかったのである。
「何だかよく解からないけどアンタの会社に入れば此処に住んでいいって事かい。アタイとしちゃ願ってもない事だけど一つ難点がある。社員ってのは制約がありそうで窮屈なんだよ。アンタの命令に従えって事だろ」
あんじーは思考を巡らせた。
「ならば正社員ではなく契約社員という事でどうじゃ?仕事の依頼内容でその都度請け負うか判断してもらう。成功報酬は出来高払いじゃ。但し揉め事を起こせば儂に従ってもらう」
リリトは暫く考え込んでいたが決心した。
「わかった。申し出を受けよう。給料は五色豆一か月分でいいよ。毎日貰いに行くから」
聞いていた皆は何故五色豆なのかと不思議顔であったが爽・箔は大喜びであった。
僧上坊があんじーに注文を付けた。
「あんじー殿が身元を引き受けるなら京に住む事は認めよう。じゃが我の近所におられるのは堪らん。何処かへ引っ越して貰いたい」
また無茶ぶりを、とあんじーは思ったがリリトの返答は思いもよらぬものだった。
「此処は結構気に入ってたんだけどそこまで言われちゃ仕方ないね。まあ京都なら似たような場所はあるし特に拘りはないよ」
昴は目を輝かせた。
「ならば私がお世話しましょう。きっとお眼鏡に叶う物件をご紹介できますよ」
あんじーは呆れた。
「昴殿、不動産屋もしておるのか」
昴は照れ臭さそうに答えた。
「はあ、一応宅建の免許も持ってまして店の約款にも不動産業登録をしてるんです」
「手広いのう。そうじゃ、気になっておったんじゃがリリトと言う名前のことじゃ」
あんじーの言葉に反応するリリト。
「悪魔ってバレるって事だろ。ちょっと詳しい奴なら誰でも知ってる名だからね」
「そこで日本に居る間だけでも名を変えてみてはどうじゃ?なに、ニックネームみたいなものじゃ。探偵じゃからコードネームか」
リリトはこの案がいたく気に入ったらしい。
「そうだね、元は人間が勝手に付けた名称だからね。何とでも呼ぶがいいさ」
あんじーも共感するものがあった。
「儂等妖怪も本来名前を持たぬ存在じゃ。種別も固有の名称も人がそう呼ぶのをいつしか仲間同士でも使うようになった。儂の名も飼い主が付けたものじゃ」
爽と箔はへえ、と驚いた。あんじーの名前の由来も飼い猫の時の物だったとは。
「そうかい。あんた飼い猫だったのか。アンジェラって言うのかい?」
「アンジェラかどうかは知らぬが最初の名は安寿、あんじーは最後の飼い主が愛でていた人形から取ったものじゃ。それと、アンジーでは無く平仮名であんじーと申す。気を付けてくれ」
リリトはどう違うのか理解できなかった。
「同じだろ?どう違うんだい」
あんじーは弱りはてた。英語圏のリリトに日本語の微妙な機微は理解できないのだろう。説明は諦めて話を戻した。
「まあこの際儂の呼び方などどうでもいい。問題は貴殿の名前じゃ。何か案はあるか」
リリトはう~んと考え込んだ。
「そうさね…何がいいかね」
爽と箔が提案。
「お姉ちゃん豆が大好きだからお豆さんはどう?」
昴が苦言。
「いや、この見た目でお豆はないだろ」
「そうかい?アタイは豆が大好物なんだ。まあ豆はどうかと思うから…ナッツなんてのはどうだい」
あんじーと昴は顔を見合わせた。
「そいつはいい!イメージにピッタリだ」
昴の感想にあんじーも同調。
「確かに。何より呼び易い。リリト改めナッツ。どうかな、皆の衆」
「異議なし!」
昴・爽・箔が答えた。
「じゃあアタイは今からナッツだ。そう呼んでおくれ」
一同高笑い。鞍馬寺の騒動は一件落着となった。
その後、リリト改めナッツは昴の口利きで嵯峨野の外れに土地を借り居を構えた。鞍馬とは真逆の瀟洒な洋館である。例によって惚れ薬を売って生計を立てているのだが雰囲気としては此方の方が合っているようだ。土地柄もあってか客足も倍以上は伸びている。仲介してもらう際に昴からしつこく共同事業を持ちかけられたがキッパリ断ったらしい。魔法薬のレシピを盗まれる恐れがあったからである。因みに屋号は日本語表記に替えたそうな。魔女ナッツの館、である。アヤカシ探偵社の仕事はたまに協力する程度だが老婆の五色豆目当てで事務所には頻繁に出入りしている。爽も箔も良い遊び相手が出来て大喜びだが鎌鼬やぬこ神はナッツが苦手らしく彼女が出社した時は居合わせた事が無い。貴方も月の綺麗な夜に空を見上げれば箒に乗った魔女ナッツの姿を見る事が出来るかもしれない。京都に来られた時はお試しあれ。
ーアヤカシ探偵社。其の八・完ー
筆者は妖怪マニアですが西洋のヒロイックファンタジーも大好きです。いずれはあんじー達を海外へ連れ出したいと構想を練っております。アニメ原作として書いておりますので二期か三期には西洋編もあるかも?まあ続いていればの話ですが。本作はその布石となる作品です。