シュガー・パニック
僕自身が普段から甘い物好きなため、『もし、この世から甘い物が無くなったら世界はどうなるのだろう?』と、ふと思ったのがきっかけで書き上げました。変な話のようでハードボイルドであり、かつサイバーパンク。変わった世界観を是非お楽しみ下さい。
【プロローグ】
西暦2032年。
近年の度重なる世界的な自然災害により、農作物への被害が深刻化していた。特に、サトウキビやテンサイをはじめとする甘味料の元となる作物への影響は甚大で、ここ7年間の収穫率はゼロとなっていた。温暖化とはじめとする環境変化で栽培しても育たず、また、育ったとしても以前のように甘みが感じられなくなり、生産が完全に停止。それに加えて果物や蜂蜜などからも同時期に甘みが無くなり、更には今まで生産出来ていたはずの人工甘味料ですらも甘みを作り出すことが出来なくなった。それらの原因は不明だが、世界同時多発的に発生したという記録が残されている。そのため、世界各地で砂糖不足が深刻化し、報道されるや否や、人々はこぞって甘いお菓子や飲み物、それに砂糖そのものを我先にと買い求めた。大量にあった在庫もたった1年で底をつき、2026年には既に砂糖は高級品のひとつとなっていた。既に街中では見かけることが無くなったが、裏では砂糖1グラムにつき1000ドル以上という法外な値段で取引されるようになった。
これに対し、各国政府は“砂糖転売禁止令”を発令した。闇取引は勿論、インターネットをはじめとした個人売買なども摘発の対象となり、10年以下の懲役、もしくは10万ドル以下の罰金、またはそのどちらもが課せられるようになった。
これは、今まで当たり前のように毎日口に含んでいた砂糖が手に入らなくなった時代に生きる人々の話である……。
【1】
深夜の都会はいつも騒々しい。
これは、いつの時代でもそうなのかもしれない。1日24時間、休むことなく動き続けてきたからこそ、現代社会の発展へとつながっている。
そして、そんなある夜。いつものようにパトカーのサイレンがこの街に鳴り響いていた。
「これでどうだい?」
透明のビニール袋を手にした大柄の男が中年の女性に取引していた。丸々と太った女は、ビニール袋の中にキラキラと光る真っ白い粉を見て興奮を隠しきれずにいた。
「か……買うわ! こっ……これっ、いくら?!」
興奮のあまり呂律が回らず、どもりがちになっているのにも気が付かない。それほどまでにこの女は白い粉を欲しているのだ。
「0.2グラムだから、700ドルだ」
大柄の男は表情ひとつ変えずに言った。サングラスの向こう側にあるその目を見ることは出来ないが、彼の醸し出す雰囲気がその冷酷さを物語っていた。
「700?! ちょっ、ちょっと! それはいくら何でも高すぎるんじゃないの?!」
必死の形相で女は値を下げろと交渉した。
「駄目だ。これはそんじょそこらのシロモノとはワケが違うんだよ。純度100%の上物だからな。これでも安いぐらいだ」
非情なまでに男は言った。
「そっ、そんな……。わたっ、わたしが今持ってるのは、これだけよ!」
女が手に握りしめていた札束を大男に見せた。彼はそれを手に取り、札束を一枚一枚丁寧に数え始めた。殆どが10ドル札で、しかも皺だらけなために、数えるのに時間が掛かる。
「370ドルか……。駄目だな。取引不成立だ」
大男は札束を女に返そうとするが、女はそれを受取ろうとはしない。
「何で……何でよ?! どんなに高くても300ドルがいいところよ、そんなの!!」
女は必死で抵抗した。
「だからよ、これは正規のルートでは出回らない上物なんだよ。量は少ないからといっても、一粒舐めただけで違いが分かるやつさ。いいんだぜ、別に。これを欲しがっている連中は他にゴマンといるんだからな」
「わ……分かったわ」
観念したように女は言い、スカートのポケットから更に札束を取り出し、大男の前で数え始めた。
「680……、690……、700……。はいっ! こっ、これで、いいんでしょ!!」
「よし、取引成立だ」
大男がそう言うと同時に女はビニール袋を奪い取った。そして、栓にしている輪ゴムを慌ただしく解くと、その白い粉を勢いよく口に流し込んだ。
しかし、新たに手渡された紙幣を見て、大男の表情が一変した。その鋭い眼光は真っ黒なサングラス越しからでも伺えるほどだ。
「おいババアッ!! これは何だ?!」
大男は女に先ほど受け取った札束を投げつけた。後でスカートのポケットから取り出した札束は、全て偽札だったのだ。
「ひいっ……!!」
追い詰められた猫のように女は後ずさりするも、そこは袋小路で他に逃げ場が無い。
大男がコートのポケットから小型拳銃を取り出し、女の額に向けた。腰が抜けた女は尻もちをつき、震え、小便を漏らした。
「な、何よ! たった0.2グラムぽっちで700ドルも取ろうとする方が悪いんじゃないの! 370でも高すぎるくらいよ!!」
女の必死の抵抗も空しく、大男は引き金を引いた。
“パアアアァーーーーーンッ!!!!”
眉間を撃ち抜かれた女は、力なく後方に倒れこんだ。
「チッ!」大男が舌を鳴らし、女の死体に背を向け去ろうとすると、いつの間にかそこにもう一人、別の男が立っていた。
「砂糖の闇取引だけでなく、殺人罪か……。お前たちの組織を壊滅させるのも我々の役目なんでな。悪いな」
銀髪の男はそう言ってブラスターと呼ばれるレーザー銃を大男に向けた。と、大男も小型拳銃を構え、引き金を引こうと手を掛けた。
“ブシュウウゥッッッ……!!!!”
“パアアアァーーーーーンッ!!!!”
銀髪の男は身を翻しながら弾をかわし、レーザーを大男の額に命中させた。大男はその場に崩れ落ちた。
直ぐに警官二人が現場へ駆け付け、銀髪の男に銃を向け、言い放った。
「おい! 銃を捨てて手を上げろ!!」
銀髪の男は「やれやれ、またか」と言って手を上げ、薄笑いを浮かべながら説明した。
「いつになったら俺の顔を覚えてくれるんだい? サツの皆さんよお」
警官たちが男の顔をよく見ると、ひとりの中年警官が声を上げた。
「あなたは……マッドナーさんでしたか! いや、失礼しました! また闇取引の現場を取り押さえたのですか?」
「ああ、後の処理は任せた。俺はこれから報酬を頂いてこなきゃならないんでね」
そう言い残し、銀髪の男が去ろうとすると、若い警官が再び銃を向けた。
「おい! 勝手に行こうとするんじゃない!」
「いいんだ!」中年の警官が制止した。
「坊や……、俺の顔を覚えておいてくれよ」
肩をすくめ、銀髪の男は去って行った。
「主任、あいつは一体何者なんです?」と若い警官。
「ああ、ヤツはマッドナー……。超一流のバウンティーハンターさ。甘味料の不正取引現場を独自の調査で取り押さえている凄腕だ」
警官たちはマッドナーの後ろ姿を見送り、現場の処理を始めた。
この世界では、こんなことは日常茶飯事だ。今や砂糖は覚せい剤や麻薬より重宝されており、中世ヨーロッパ時代の胡椒よりも価値があると言われるようになった。
人類にとって砂糖とは必要不可欠な存在でありながら、あまりにも身近にあり過ぎたため、誰もありがたみに気が付かなかった。そんな時代を人々は懐かしく思い、あの味を求め、手に入れるためなら犯罪にも手を染めるようになっていたのだ。
【2】
地下室でイアンはひとり黙々と実験を進めていた。彼は砂糖の味を再び世界に取り戻すため、日夜、研究を繰り返していたのだ。世界中にある実験室でもそれは大々的に行われてはいるが、7年経った今も成功まで辿り着いた者はいなかった。この世から甘味料が生成されなくなった今も、人々はソフトクリームやチョコレート、クッキー、ハニーパイ、ケーキ、それに昔食べた果物の味が忘れられずにいた。果物ですら甘みが全て無くなっていたのだ。
イアンの父リオンは研究者だったが3年前に他界した。彼の父は極秘で砂糖、もしくは甘味料を復活させようとしていた。それはこの時代の法律に反することだったが、世界中の人が求めているのを彼の父は知っていたし、2025年以降に生まれてきた子どもたちが甘いものを知らないという事実を悲しく思った父は独自で研究開発し、大量生産して再び世界に届けたいと考えていた。そんな父が夢半ばにして亡くなり、いつもリオンの研究をサポートしていたイアンが後を継いだのだ。
あの懐かしい味を求めてイアンは日々実験を繰り返していた。そして、とうとうその日がやってきた。
出来上がったばかりの白い粉をスプーンで抄い、匂いを嗅いだ後、つまんで口に入れてみた。もう、何百回、いや、何千回と行っている作業だ。毎回、『今度こそは大丈夫』と信じて舐めてみるも、何度その自信が打ち砕かれただろう。だが、それでも彼は諦めなかった。父の意志を継ぎ、人々に再び砂糖から得られる喜びを分かち合ってほしい。そんな想いがイアンの心を突き動かしていた。
「……んっ? …………んんっ?! んんんんんんっ!!」
もう一度舐めてみる。……いける! 大丈夫だ!!
「や、やったぞおーーっ!! ついに……ついにあの味を取り戻したーーーーっ!!」
彼は雄叫びを上げた。遂に、実験に成功したのだ!
彼は新しい甘味料を“ウィッシュガー(Wishugar)”と名付けた。“Wish(希望、望み、願い事)”と“Sugar(砂糖)”を組み合わせた造語だ。
早速、その日からイアンはウィッシュガーの生産を始めた。彼の研究室は自宅の地下にあり、この部屋は父リオンと彼、それに伯父のブランドしか知る者はいなかった。ウィッシュガーは米やトウモロコシといった原材料が必要不可欠だが、それもブランドが全て提供してくれていたため、いくらかは問題なく生産できた。
「おう、イアン。どうだ、調子は?」
米を運んできたブランドが様子を見に来た。
「また駄目だったのか? まあ、しょうがないさ。世界中のお偉いさん達が血眼になって研究しているものを、お前ひとりでやろうとしてるんだからな。気楽にやりなよ、なっ」
慰めの言葉をかけるブランドを見るイアンは無言だ。
「な……何だよ、イアン。どうしたんだ?」
いつもと様子が違うイアンに、ブランドは『もしや?』と思った。
「お……お前、ひょっとして……」
伯父の言葉を制し、イアンはスプーンに盛った粉を差し出した。信じられない思いでブランドがそれを舐めてみると、甘い……っ!!
「こっ、こりゃお前……、成功したのか?!」
「うん。やっとだよ……、やっと出来たよ」
「……大量生産できるのかよ?」
「うん。大丈夫。少しだけど、もう始めてるよ」
イアンは満足した表情を浮かべ、壁際に置いてあるいくつかの袋を指差した。ブランドが近づいて見ると、そこにあるのは全てウィッシュガーだった。
「……こりゃズゲエや。お前、遂にやったなぁ! リオンも天国で喜んでるぞ!」
ブランドはイアンに抱きついた。イアンも喜びを爆発させた。
「それでよ、イアン。どうやってコレを表に出すんだい? お前も承知の通り、砂糖といやあ、今は黄金と同じ、いや、黄金以上の価値があるからな。こんなのがここにあると分かった日にゃ、マフィアだけでなく民間人からも襲撃を受けることになるぞ」
「ブランドさん、僕に任せてくれよ。もう手は打ってある」
自信たっぷりに答えるイアンだが、ブランドにはどんな方法があるのか想像もつかなかった。
「インターネットを通して全世界の人達にこのウィッシュガーのことを知らせるんだ。そうすることで、これを作るために必要な材料や環境が整えさえすれば、どの国でも生産が可能なはずだ」
「な、何ぃっ? ……ってこたぁ、お前、この技術を世界中の人達にタダで教えるつもりなのか?!」
「ああ、勿論。僕は、そのためにこのウィッシュガーを作ったんだからね。それは、僕の父さんの意志でもあるんだ」
真っ直ぐな目をしてイアンは言った。
「バカ言うな! 俺がどれだけお前たちの研究に協力してやったのか分かってんのか?」
ブランドが声を荒げて必死にイアンを説得し始めた。
「ブランドさん、ブランドさんも昔みたいに大好きだったチョコレートを食べたいだろう? だけど、カカオにも甘みの成分が検出されなくなった今、もうあの味を口にすることができなくなって、それをいつも嘆いていたじゃないか。僕はブランドさんのためにもやっていたんだ。ブランドさんだけじゃない。世界中の人達が、砂糖を再び口にできる日を待っていたんだ。自分達の研究したもので皆が喜ぶ姿を見られる、それが科学者にとって重要なことなんだ」
イアンの言葉にブランドは苛立ちを覚えた。その時、壁際にある錆びれた鉄パイプが彼の目に留まった。つい先日、古くなった配水管をイアンが自分で修理したと言っていたのをブランドは思い出した。イアンは設備に気を取られていた。イアンに気付かれないよう、ブランドはそれを静かに手に取った。
「あっ、そうだ。ブランドさん、言い忘れてたけど……」
イアンが振り返ろうとしたその瞬間、頭に強い衝撃が走り、彼は気を失った。
【3】
「フザケやがって。俺がどれだけお前らの世話をしてやったと思ってるんだ? 俺は、お前たちが新しい砂糖を作り出して、カネをガッポリ儲けると思ったから協力を惜しまなかったんだ。これは俺のモンだ!」
その場でイアンの息の根を止めようかと考えたが、ウィッシュガーの生産の方法が彼には分からないため、念のため彼を生かしておくことにした。大量生産できなければ自分は富を得られない。そう思ったブランドはイアンを研究室のもう一つ下にある地下室の暗く狭い部屋に運び、外から鍵を掛けた。
研究室に戻ったブランドはウィッシュガーの生産に関する資料を探したが、いくつかそれらしい資料が見つかったものの、肝心の生成に関する資料が何処を探しても見つからなかった。
「クソッ! あいつが目を覚ましたら、訊き出してやるか」
舌打ちをしたブランドは、先に生産されているウィッシュガーの袋をいくつか抱え、地上へ出て行った。
【4】
その夜、ブランドは人通りの少ない通りで砂糖を欲しがっている連中を探していた。ブランドが幼かった頃はこの辺りの治安は良かったが、月日と共に環境も変わっていき、今ではその当時の活気ある街は見る影も無くなった。
砂糖を欲しがっている連中はゴマンといるが、彼はケチな取引をするつもりは毛頭無かった。『俺が手にしているのは黄金の砂なんだからな』と彼は周囲に聴こえないよう口ずさんだ。
そして、紫のコートを着て帽子を深く被った男が通りをウロウロしているのに気付いた彼は、その男に近付いて行った。マフィアの連中はその独特のオーラで分かる。ブランドは男に声を掛け、近くの路地裏へと誘った。
「なるほど……こりゃ上物だ」
ブランドから差し出された粉を紫のコートの男がひと摘まみし、口に入れた。彼は驚きの表情を隠せなかった。これほど不純物の無い砂糖を見るのは初めてだった。
「どこでこれを手に入れたんだ?」
紫のコートの男が訊いた。
「それは言えないが、うちの組織には大量の在庫がある。とりあえず手元にある1kgを買わないか?」
一般人のブランドにはマフィアの組織になど所属するはずもなかったが、彼は嘘をついた。もし、個人でウィッシュガーを生産していると知られたら、その途端にこいつらだけでなく街中の人達からも狙われることになるとブランドは知っていたのだ。彼は虚勢を張って賭けにでた。
「……分かった。今、120万ドルある。これでいいか?」
紫のコートの男がポケットから札束を取り出した。綺麗な新札だ。カネを手渡されたブランドは偽札ではないかと目を近づけて確認したが、間違いない。本物だ! こんなに綺麗な札束を見るのは久しぶりだとブランドは思い、そして、こんな大金を見たのも生まれて初めてのことだった。
「よし、契約成立だ」
平静を装いながらブランドはショルダーバッグに入れていたウィッシュガーの袋を全部手渡した。
「おい、また取引できるか?」
ブランドが立ち去ろうとすると、紫のコートの男が言った。
「ああ、またこの辺でウロついているだろうから、声を掛けてくれ」
振り返らずに答えたブランドは、その場を後にした。
『スゲエッ……! スゲエぞこりゃあ…………っ!!』
路地裏から出たブランドは小走りした。心臓がバクバクと鳴っている。大金を手にした彼はニヤつきそうになるのを堪えながら走り去っていった。
そんなブランドを街角から銀色の髪をした男が見ていたのを、彼は気付かなかった。
【5】
「…………おい、起きろ。…………おい!!」
荒々しい声にイアンは目覚めた。鉄パイプで殴られ気を失った後、更に彼はクロロホルムを嗅がされ長時間眠らされていたのだ。
「……うっ……うん……」
殴られた後頭部がズキズキし、まだ意識が朦朧としていた。手足を動かそうとするも、彼の身体は柱に縛られていたため、身動きひとつとることができなかった。
薄暗い電球の前に、ブランドの姿があった。ブランドは優しく彼に微笑み、訊いた。
「なあイアンよ。お前、ウィッシュガーに関する資料をどこに隠したんだ? 良い子だから伯父さんに言ってみな」
気持ち悪いほどわざと優しく話しかけてくる伯父に、イアンは恐怖を覚えた。しかし、イアンは答えなかった。ウィッシュガーは人類の希望なんだと信じていた彼は、個人が私腹を肥やすために利用されたくなかったのだ。
返事をしないイアンにブランドは段々と苛立ちはじめ、遂に怒りが爆発した。
「おい、貴様!! 死にたくなかったら言えっ!!」
後ろ手に隠し持っていたスタンガンを突き出し、イアンの左胸に強く当てた。イアンは悲鳴を上げるが、地下二階にあるその薄暗い部屋からは、どんなに叫んでも外に声が漏れることは無かった。
更にブランドはあの鉄パイプを手にした。それを見たイアンの顔面が蒼白になった。
「さあ、言え、イアン!! ウィッシュガーの資料はどこにあるんだ?!」
伯父の脅迫にも屈せず、彼は答えようとしない。
苛立ったブランドは鉄パイプでイアンの左腕を殴りつけた。部屋中に彼の叫び声がこだました。
「おい! 言え、イアン!!」
それでもイアンは答えない。
ブランドが鉄パイプで今度は右足を殴った。あまりの激痛にイアンは叫び、涙が流れるも、それでも耐えた。
鉄パイプを放り投げたブランドは素手で彼の顔面を殴った。一発、二発、三発……。最後に腹を蹴ったあと、イアンは力なくうなだれた。だが、それでも答えようとはしなかった。
「……ちっ! まあいい。まだ生産した分が少し残ってるからな。それを先に売りさばいてから、また訊いてやる。今度はこんなもんじゃないぞ。分かったな!!」
ブランドは電球を消し、部屋を出て行った。イアンはうなだれたまま、気を失っていた。
【6】
次の夜。またあの街の通りにブランドの姿があった。ショルダーバッグをぶら下げた彼は、昨夜の男がいないか探していた。それか、他に大きな取引が出来そうな奴がいないかと、さり気なく辺りを見回していた。
ブランドの前に一人の男が近づいてきた。……昨日の男だ!! この夜は白いコートを着用し、白い帽子を深く被ってはいるが、間違いない。白いコートの男は二度小さく頷いた。それは「また買いたい」という合図だった。ブランドと白いコートの男は人目を避けながら、また近くの路地裏へと入って行った。
先日の一件もあり、今回はスムーズに取引が行われた。1.6kgで300万ドル。前回よりも多くの報酬を手に入れたブランドは、その札束に震えを隠せなかった。そんな彼を白いコートの男は見逃さなかった。
「なあ、あんた、これを何処で手に入れたんだ? こんな綺麗な砂糖、2025年以前にもなかったはずだぞ?」
「それは、言えないな」
ブランドは答えようとしないが、その時、彼の背中に何かが突きつけられているのを感じた。暗闇の中に白いコートの男の仲間が隠れていたのだ!
「動くな。少しでも動いたら撃つぞ」
背後で銃を突き付けている男が言った。
「さあ、行こうか。お前のアジトへ」
白いコートの男が言うと同時に、通りに一台の黒いリムジンが停車した。そして、ブランドは車に押し込まれた。車中にはサングラスを掛けた白髪の年老いた男が居た。その男こそ彼らのボスであるロバートだった。
彼らを乗せた車は、イアンの居る研究所へと向かった。
【7】
身体を動かそうとすると、全身に激痛が走る……。喉も乾いた。口の中が血だらけで気持ちが悪い……。どうにかして、ここを出ないと……!!
暗い地下室でイアンは、発狂しそうになる自分をコントロールするのに必死だった。何も見えないため、彼はわざと目を瞑っていた。自ら視界を閉じれば、いくらかは恐怖を紛らわすことが出来たからだ。
だが、もうどれだけの時間が流れたのか、彼には想像もつかなかった。一日経ったのか、三日経ったのか、一週間経ったのか。この暗闇にひとり取り残されている自分自身を、彼は世界から遮断された人間に思えた。僕がここで、この暗闇の中で、身動きひとつとれずに幽閉されたまま存在し続けているのか。それを知っているのは、叔父のブランド以外に誰もいないのか。彼の心に絶望感が生まれ始めていた。
……と、誰かが階段を下りてくる足音が聴こえてきた。ブランドか? だが、その足音はいくつか聴こえる。もしや、誰かが僕を助けに来てくれたのか?
イアンは神に祈った。
“ガチャンッ……!”
扉が開いたと同時に、イアンめがけ明かりが差し込んできた。久々の光に、閉じた瞼の上からでも眩しく感じた。ぞろぞろと聴こえた足音が一斉に止まった。イアンは、恐る恐る、ゆっくりと瞼を広げていった。
「コイツか、このウィッシュガーというのを作ったってのは?」
聴き慣れない男の声がした。まだ視界がぼやけてよく見えない。
「そっ……そうです……!」
ブランドの声だ!!
次第にイアンの目は明かりに慣れてきて、彼の目の前に居る男たちが視界に入った。
ブランドと、他に三人。白い帽子に白いコートの男、黒いスーツを着た男、それに、サングラスを掛けた白髪の年老いた男。
ブランドは両手を後ろで縛られているようだ。ブルブルと震える彼を黒いスーツの男が横から銃を突き付けているのが見えた。イアンは、その異常な光景に言葉を失った。
「イアンさん、だね?」
年老いた男が言った。
「私はロバートという者です。この街の治安を守るマフィアのボスです。君が開発したというウィッシュガー、私も頂いたよ。いやいや、驚いたね。こんな上物は昔にも存在しなかった。私はね、君の作ったウィッシュガーの生産に協力したいと思ってここへやって来たんだよ」
にこやかにそう話す男は、穏やかな口調ではあるが、威厳が感じられた。それは、伯父のブランドが態度を豹変させた時の何倍もの恐怖があった。
「研究室は先ほどくまなく調べさせていただいたよ。上にある家の中もね。だが、どこにも生産に関する資料が見つからなかった。ということはだね、ウィッシュガーに関する資料は、君の頭の中にある。そういうことなんじゃないかな?」
ロバートの言った通りだった。ウィッシュガーに関する知識の全てはイアンの頭の中にあったのだ。そうすることで先に誰かの手に技術が渡るのを防ぐことができ、彼は世界に向けてその技術を同時に発信することができると思ったからだ。それは、彼の父リオンが教えてくれたことだった。悪用されることなく世界中の人々に再び喜びを取り戻したいと願う父リオンと、息子イアンの想いでもあったのだ。
だが、ここに居る男たちにはそんな想いも通じはしない。私利私欲のためにウィッシュガーを利用しようとする者たちだ。
「私は手荒なことはしたくないんだ。さあ、君を解放してやろうじゃないか。素晴らしい発明をした君に苦痛を味わわせたこの男に天罰を下してあげよう」
ロバートがそう言うと、黒いスーツの男がブランドの左胸に銃先を当てた。
「まっ、待ってくれっ!!」
顔面蒼白になっているブランドに対し、表情ひとつ変えず男は銃を撃った。
“パアアアァーーーーーンッ!!!!”
心臓を貫通したブランドはその場に崩れ落ちた。ブランドは即死した。
「うわあああぁぁぁーーーーーーっ!!」
イアンの絶叫が部屋中に響いた。
「どうだい? これで君もスッキリしたろうに」
ロバートが凍り付くような声で言った。
【8】
その時、扉の向こうから誰かがやって来るのがイアンの視界に入った。と同時に、レーザー銃の音が二度鳴り響いた。
“ブシュッ!! ブシュウウゥッッッ!!!!”
白いコートの男と黒いスーツの男の手に命中し、二人が手にしていた銃が床に転げ落ちた。
「動くな、動くと撃つ」
ブラスターを持つ銀髪の男が言った。バウンティーハンターのマッドナーだ。その後ろに、スキンヘッドの小柄な老人が居る。
「おやおや、これは皆さんお揃いで」
スキンヘッドの老人が言った。
「グ、グラント! 貴様、跡をつけてきたのか?!」
ロバートが驚愕の表情を浮かべた。
「なあロバート、このウィッシュガーの技術は私にくれんかね? 私が世界中の人々にウィッシュガーを届けてあげようじゃないか。イアン君、私に任せたまえ」
グラントと呼ばれた男は眉ひとつ動かさずにロバートとイアンに凝視した。グラントとロバートの組織はこの街の二大勢力なのだ。
「ふん、貴様もウィッシュガーの技術を手に入れて一儲けしようと考えているんだろ! そうはいかんぞ!!」
ロバートは挑発的に言い放った。その言葉を聞いた瞬間、グラントはポケットに入れていたデリンジャーを取り出し、何のためらいもなくロバートを撃った。
“パアァァーーーンッ!!”
「があっ……!!」
ロバートは前のめりに倒れた。それを見た白いコートの男と黒いスーツの男がポケットに手を入れ、もう一丁隠している銃を取り出そうとしたが、それよりも一瞬早くマッドナーが引き金を引いた。
“ブシュッ! ブシュウウゥッッッ!!!!”
二人の男はその場に倒れた。黒いスーツの男は眉間を貫かれていた。白いコートの男が胸からとめどなく流れる大量の血を手で押さえながら言った。
「グラント……マッドナー……。この家の入り口近くには俺達の車が停まっているんだ……。俺達がこの建物から出てこなければ、運転手が異変に気付くはず……。直ぐに応援を呼ぶはずだ……!!」
「悪いな。その車の運転手にはあの世へ行ってもらった」
マッドナーが答えると、コートの男の顔は更に青ざめた。
この研究所へ入る前に、マッドナーはロバートのリムジンを襲撃していた。運転手の身体をシートに縛り付け、アクセルペダルの上にレンガを置いて固定し、車を港めがけて走らせていたのだ。
「くっ!!」
コートの男が最期の力を振り絞り、銃の引き金を引こうとした。が、再びマッドナーのブラスターがコートの男の胸を貫いた。
隣で拍手をしているグラントが言った。
「素晴らしい……! 人を殺すのに何のためらいも無い。マッドナー、いい加減、わしの組織へ入らんか?」感心したように言うグラント。
「何?」とマッドナー。
「ウィッシュガーの技術を独占できれば、わしは世界一の富を得ることになるだろう。どうだ、わしの元で正式に働かんか? バウンティーハンターなんぞよりも良いカネになるぞ」
そう語るグラントの目は刃物のように鋭く、人を殺すのに何のためらいもない目に見えた。
「なあ、イアンさん。わしらと組めば、あんたも大金持ちだ。こんな薄暗い研究室より、もっと広くて新しい施設を作ってやろうじゃないか」
イアンの方を向いてグラントは言った。イアンはしばらくの間、何も答えることができない。そんな彼に業を煮やしたグラントは怒りを露わにした。
「おい!! やるのか!! やらないのか!!」
「やるわけないだろう?」
答えたのはマッドナーだ。驚くグラントの隣で彼は不敵に笑っていた。
「何だと?! 貴様っ!!」
「俺は誰かの下で働きたくはないんでな。俺は誰の命令も受けん」
「貴様アァッ!!」
グラントがデリンジャーを構えようとするより早く、マッドナーは彼を撃ち抜いた。彼の頭が吹っ飛び、大量の血液が天井や壁にへばりついた。
【9】
マッドナーはイアンの紐を解き、ジャケットのポケットからハンカチを手渡した。
「酷くやられたもんだな」
イアンは倒れているブランドの死体を見た。幼い頃から自分のことを可愛がってくれた伯父の豹変した姿が脳裏に焼き付いていた。
グラント達の死体もある。人が殺されるのを目の当たりにしたのも生まれて初めてだが、それもこんなに沢山の人が殺される場に居るのが現実離れしすぎており、安心したはずなのに彼は恐怖を感じた。人は、カネや権力が手に入るなら平気で他人の命を奪うことが出来るのか? そんな疑問がイアンの頭の中を駆け巡った。
「大丈夫か? 立てるか?」
マッドナーが手を差し伸べた。ここに居る連中を殺した、人殺しの手……。だが、この人が居なければ、自分が助かることは無かった。
「何で……僕を助けてくれたんですか?」イアンが訊いた。
「俺は、自分の意志に従っただけだ」マッドナーはニヤリと笑った。
イアンは、自分の力で立ち上がった。
「やれやれ」
マッドナーは肩をすくめた。
「とりあえず、上に出るか。この死体の山は警察に任せた方が良い」
マッドナーが親指で階段の方を指差しながら言った。
傷ついた身体を引きずりながら、イアンは階段へ向かう。
……と、死んだと思われたマフィアのボス、ロバートが瀕死の状態ではあるがまだ息をしていた。ロバートは震えながらも隠し持っていた銃を静かに手に取り、地面に這いつくばりながら彼らを狙う。異変に気付いたマッドナーが振り向いたが、油断していた彼はブラスターを構えるのが一瞬遅れた。そして、ロバートが引き金を引いた。
“パアアアァーーーーーンッ!!!!”
イアンが振り向くと、彼の前にマッドナーが立ちはだかっていた。イアンを狙った弾丸をマッドナーが身代わりになって受けたのだ。
ひざまずき、口元から大量の血を流しながらもマッドナーはまた不敵な笑みを浮かべ、ゆっくりとブラスターを構えた彼は、ロバートの頭を撃ち抜いた。
【10】
「何で、僕を……、かばってくれたんですか?」
仰向けに倒れているマッドナーを見つめながら、イアンは彼に問いかけた。
「何で……だろうな? フッ、俺にも分からん……」
呼吸が荒く、腹から出血が止まらない。直ぐに救急車を呼べば助かると言うイアンを制し、マッドナーは「このままでいい」と告げた。
「俺みたいな奴らの居る世界は終わらせなきゃな……」
マッドナーの呼吸がどんどん荒くなるのを見て、イアンはやはり救急車を呼ぶことにした。「待っててください」と言い残し、彼は傷ついた身体を起こし、階段を駆け上がった。
『僕が望んでいるのは人が死ぬことではない、人が喜ぶ姿を見たいんだ。そのために僕は科学の道を選んだんだ』
研究所にある電話で救急車を呼んだ彼は直ぐに地下室へ戻ろうとした。だが、研究所内にある応急処置の道具ではどうすることもできないのが分かっていた。マッドナーのあの様子では間に合わないのは目に見えていた。
『どうすることもできない。それなら……』
薄暗い地下室で死が訪れるのを待つしかない者に、自分は一体何をしてあげられるだろう? そう自問自答したイアンは、研究所の隅に置いてあるポットを手にし、入っていたお湯を急いでコップへと注いだ。そして、ウィッシュガーを手にして、再び地下へと戻っていった。
マッドナーはもう虫の息だった。イアンは彼の背中を起こし、コップに入れた温かい飲み物をマッドナーの口に入れた。
「……コーヒー…か……。甘いな……。懐かしい……味だ……」
彼はもう、賞金稼ぎという名の、殺しをする者の顔では無くなっていた。マッドナーは人間の表情を取り戻していた。
「あんたの技術を……世界中の人達に、届けて……く…れ……」
彼は笑みを浮かべながら、静かに目を閉じていった。ただ、それまでの不敵な笑いではなく、何か心が晴れたかのような気持ちのいい笑みをしていた。最期に彼は、人間らしくこの世を去っていった。
【エピローグ】
イアンの腕の中で、“人間”として息を引き取ったマッドナー。そして、欲にまみれた者たちの死骸……。
安らかに眠るマッドナーの頬に、彼の涙がこぼれ落ちた。
……と、悲泣するイアンの心に誰かが語りかけてくるのが聴こえてきた。
“泣いている場合じゃないだろう? お前には、やるべきことがあるはずだ。”
もう一度、イアンはマッドナーの顔を見た。彼の心臓は完全に停止し、目を閉じたまま表情は変わってはいない。だが、先ほどの声の主がマッドナーのものだとイアンは確信した。
マッドナーの亡骸を静かに床へと置いた彼は、手の甲で涙を拭った。そして、傷ついた身体を引きずりながら、一歩、また一歩と階段を駆け上がっていった。
そんなイアンの姿を、地下に残された一人の男が見ていたのを、彼は知る由もなかった。
男はギラリと目を光らせ、床に這いつくばったまま、近くに転がっていた銃を手にした。
そして、男はイアンの跡を追うように、ゆっくりと階段を上がった…………。
(完)
昨年夏に勢いで書き上げた作品のひとつで、いくつかの出版社やテレビ局へ送り、あとは数名の友人に読んでもらったまま放置していました。8ヶ月が経過し読み返しましたが、自分でも上手くまとめられた作品だったと思います。ただ、当初はハッピーエンドに仕上げたのですが、友人からの指摘もあり、今回エピローグを修整しました。結果的には今回の方がより満足に仕上がりました。
毎日、投稿しているので(暫くは一週間に一度、短編小説を投稿。それ以外の日は即興での自由詩を毎晩投稿)、今回の作品を通して興味を持たれた方は是非毎晩チェックしてみて下さい。
宜しくお願い致します。