第八十八話 直江は選択肢を間違えてみる③
「わたしに任せなさい直江、あんたは……わたしというぬるま湯の中で、眠っていればいいの」
と、直江の服へと手をのばしてくる綾瀬。
いったい何をするつもりか知らないが、嫌な予感しかしない。
けれど、逃れるすべがない。
できることと言えば――。
「あ、綾瀬! ちょっと……な、なにをするつもり?」
「…………」
綾瀬さん無言。
うん、交渉の余地もない様だ。
だが、ここで折れたらすべてが終わる気がする。
「あ、ちょ――ダメだって! 僕に何する気!? いや、ちょ!」
「……大丈夫」
と、ようやく喋ってくれる綾瀬。
彼女は黒く淀んだ瞳で、直江へと言葉を続けてくる。
「天井の染みでも数えていないさいな……すぐに終わるわ」
「いや、終わって欲しくないっていうか! 始まって欲しくもないんですけど!?」
「恥ずかしがらなくていいのよ」
もうダメだ。
きっと綾瀬は止まらない。
直江はこのまま大事なものを奪われ――。
ドガッ!
っと、直江の思考を断ち切る様に聞こえてきた破壊音。
いったい何が起きたのか。
きっと綾瀬も同じことを思ったに違いない。
綾瀬と直江、音が聞こえてきた方を見ていると――。
「あ、直江! あたしも来ちゃったぞ!」
なんと、やってきたのは笑顔の柚木さん。
どうしてここがわかったのか。
というか。
(え、さっきの音ってまさか……ドア蹴りで破ったの?)
そうか、なるほど。
ドアって一蹴りで壊れるものなのか。
日本のセキュリティもまだまだだな。
などなど。
直江がそんな事を考えていると。
「お、お兄!」
「直江さん、大丈夫ですか!?」
と、柚木の横から入ってくるのはヒナとクロだ。
彼女達は直江と綾瀬の手前で止まると、綾瀬を何か言いたげな視線で見ている。
すると綾瀬は、ヒナとクロへと言う。
「あらあら、大丈夫じゃないのはわたしよ。せっかく直江とイチャコラしようと思ったのに、どうしてあんた達が来るのかしら?」
「どうしてって……予定にない旅行にお兄が行くわけない――しかも、ヒナに声もかけずに……絶対におかしい」
「私はヒナさんに相談を受けたので、一緒に来ました――柚木さんも一緒です」
「なるほど……直江の両親に、旅行先を伝えていたのが仇になったかしら」
「なんにせよこれで終わり……お姉は超えてはならない一線を越えた」
「抜け駆けは禁止と、かつてそう約束をしたのは綾瀬さんです! 自ら破るのは、さすがに許されませんよ!」
言って、ジリジリ直江と綾瀬の方へ近づいて来るヒナとクロ。
そして、柚木は未だ出入り口を固めている。
間違いない。
彼女達は綾瀬をここで捕え、なにかペナルティを与える気に違いない。
なんにせよ、これで直江は助か――。
「待ちなさい」
と、立ち上がりヒナたちの方へと手を翳す綾瀬。
彼女はにこにこ笑顔で、彼女達へと言う。
「直江と旅行よ……いいの?」
「いったいそれがなんだと言うんですか? 何を言われても――っ!」
と、途中で言葉をとぎらせるクロ。
見ればヒナと柚木も、ピクリと完全に固まっている、
うん。
またしても嫌な予感がするね。
と、直江が考えたまさにその時。
「直江! あたし、みんなで旅行するの楽しみだ!」
「お姉……荷物はどこに置けばいい?」
「口さみしいので、ちょっとおやつを買ってきますね」
柚木、ヒナ、そしてクロ。
三人のそんな声が聞こえてくるのだった。