3話:現世界
ふと瞼が開く。窓から入ってくる太陽の光が眩しかった。
「もう朝か……」
上半身に力を入れ、体をゆっくりと起こしていく。
時刻は9時を回っていた。どうやらぐっすり寝てしまっていたようだ。
今まで以上にかなり変化のあった夢だった。それに夢の中に出て来た碧の存在がとても気になった。
大人びた碧の姿は今の碧とは別人であったためそのギャップから俺の頭の中にはっきりと残った。
「お兄ちゃん、碧ちゃんから電話だよ」
ベッドの上でボーッとしていると千尋が俺の部屋に入って来た。千尋は俺の元までくると電話を差し出してくる。電話を受け取り、耳元へと持っていった。
「もしもし、碧」
「もしもーし、龍くん。遊園地に行こっ!」
開口一番、碧は元気よくそう叫んだ。声が大きかったため反射的に耳から遠ざけてしまう。
いつもの碧だった。なぜだか少し安堵してしまう。
「遊園地って、また急だな」
「うん。さっきね、お母さんが遊園地のチケットくれたの。昨日のお買い物の時に福引で当たったらしくてね。だから今日のお出かけは遊園地に決まり! すぐにそっち行くから準備しててね。それじゃ」
意気揚々と話し、電話を切られる。これもいつもと同じなため、特に何を思うわけでもなく、言われた通り準備に取り掛かる。
「遊園地行くの?」
話を聞いていたのか、立ち上がろうと前を見たときに千尋が目の前にいた。
「福引でチケットが当たったらしいんだ。それで今日のお出かけは遊園地に決定だって」
「そっか。今日はうちで遊ばないんだね」
大抵、休日は俺あるいは碧の家で遊ぶことが多い。その時は千尋も一緒によく遊んでいる。
「千尋も遊園地行くか?」
「えっ。いや、私はいいよ。お兄ちゃんと碧ちゃんで楽しんで来て。私、今日はお友達と遊ぶから」
千尋は少しためらいながら喋っている気がした。あまり気遣わなくたっていいんだけどな。
「遠慮することはないよ。行きたかったら行きたいって言ってもいいんだからな」
「でも、チケットって二枚でしょ」
「そうかもしれないけど向こうに行って買えばいいさ」
「でも……」
「お金は俺が払うからさ。きっと母さんも『いい』って言ってくれるって」
「碧ちゃんは嫌じゃないかな。私、場違いじゃないかな」
「碧はそんなこと気にしないよ。それに碧がこうしてくれているのは俺が無くした中学の記憶の分を埋めるということであるからむしろ千尋もいてくれた方がいいんだよ」
「私も?」
「俺にとっては千尋も大切な人の一人だから思い出を作っていきたいんだ」
パッと、俺の言葉に千尋は思わず顔を赤らめた。
「お兄ちゃんって、学校でもそんなこと何気無く言えちゃうの?」
「いや、言う機会あまりないな。学校だと戒めの言葉しか言ってないかもしれないな」
『洗浄かな』とかかなり度が効いた発言とかしちゃってるしな。
「戒め……それは置いといて。いい、あまり何気無くそんな思い出を作って行きたいみたいなことを他の人に言っちゃいけないからね。妹の私なら大丈夫だけど、あと碧ちゃんも大丈夫だけど。でも! それ以外の人には絶対言っちゃいけないからね」
千尋は勢いよく俺の部屋の扉を閉める。何か気に障ってしまっただろうか。
思春期の妹が少し怖く見えてしまった。次回からは発言を控えることにしよう。でも、何を言ってはいけないのかが全く読めない。
悩んでも仕方がないので、俺もひとまず着替えることにした。
****
ピンポーン!
しばらくするとインターホンが鳴る。
「龍くん、おはよう!」
扉を開けるとそこには私服姿の碧の姿があった。
服装はラフな感じで、Tシャツに短パンといった形だ。斜めがけのリュックを背負っていうが、無意識のうちに手で持っているため谷間は強調されずに済んでいる。
「遊園地だよ! 遊園地、楽しみだな」
「そうだな」
一度後ろに視線をそらす。俺の後ろでは千尋がおどおどとしながらこちらをのぞいていた。
どうやらまださっきの件を気にしているらしい。碧のことだから流石に大丈夫だとは思うが。
「碧、一緒に連れていっていいか? 本人が行きたそうにしてたから」
そう提案してみると後ろから千尋が「行きたそうとかは言わないで」と小声で言ってくる。
「えっ? 千尋ちゃんって来るんじゃなかったの。そのためにチケット三枚分あるのに」
疑問な表情を浮かべながらこちらを覗く。
「だから言ったろ」
千尋に目を向けるとそこに姿は見えなかった。
「碧ちゃん、ありがとう! 信じてたよ」
「ええ、千尋ちゃんどうしたの? ってくすぐったいよ。はははははっ」
姿を消した千尋は碧に飛びつき、二人でじゃれあっていた。仲睦まじい風景に思わず、
ほおが上がってしまった。
そうして、俺たちは遊園地へと向かうことにした。
****
公共交通機関を使うこと一時間。目的地である遊園地へとたどり着いた。
「久しぶりの遊園地だ!」「お兄ちゃん、最初何乗る?」
目の前に広がるアトラクションの数々に横二人は目を光らせている。
「千尋ちゃん、まずはあれ乗ろう!」
碧が勢いよく指差す。瞬間に絶叫したような声がこちらへと響き渡ってきた。
猛スピードで天と地を行き来する蛇のような長乗り物。遊園地といえば、定番の乗り物を碧は最初にチョイスした。
「ジェットコースターいいですね! 碧ちゃん早く行きましょう」
「うん! 龍くんも早く行くよ!」
「でも、あお……」
喋ろうとすると横にいた碧に手を引っ張られる。そのまま走ってアトラクションの方へと向かう形となった。
絶叫マシンに乗って、病気に影響が出ないか心配だが、碧から言ったことだから流石に大丈夫か。不安を持ちつつも理由を作ることで気持ちを抑えた。
****
「では、次の方々。お乗りください」
行列をしばらく待つとようやく俺たちの番がやって来た。
「じゃあ、お兄ちゃんと碧ちゃんが二人で乗ってください。私は一人で大丈夫ですので」
「何言っているの、千尋ちゃん。ここは公平にじゃんけんだよ」
「千尋、遠慮はしなくていいんだぞ」
「えっ……わ、わかった」
「行くよ! じゃんけーん、ぽい!」
負けた。碧と千尋がグーに対し、チョキを出して一人負けだった。
「じゃあ、千尋ちゃんと私が後ろで二人、龍くんが前ね」
俺は一人後ろの席へと乗った。隣は小学生くらいの女の子が乗ることとなった。
前の二人は楽しそうに盛り上がっているのかこちら側に声が聞こえて来た。
乗った場所は中間くらいであるためあまり怖さを感じないところだった。
「では、行ってらっしゃい」
スタッフさんの合図により、ジェットコースターはゆっくりと動き始める。
ガタガタと音を鳴らしながら最初の坂を登っていく。高所恐怖症の人にとっては、ここ
が一番の難関だろう。だが、逆に高いところからの景色が好きな俺としては最初のここが
一番心地いいものだった。
「もうすぐきますね」「いよいよかー、緊張するね」
二人のワクワクした声がこちらに聞こえてくる。楽しそうで何よりだった。
そして、いよいよジェットコースターは醍醐味の場所へと足を踏み入れていく。前にいる人たちは次から次へと手を上げていく。
そんな様子を見ていたら、不意に左頬に強い衝撃を受けた。
「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
衝撃の意味がわかる間も無く、ジェットコースターは猛スピードでレールの上をかけていく。その間、俺はずっと左頬を抑え続けていた。よくわからないが、殴られたような尋常でない痛みだった。軽く涙が出ているのがわかる。
周囲からくる絶叫の声は全て痛みにかき消されていた。
ジェットコースターは無事到着。みんなそろって、「楽しかったね」とか「また乗ろう」とか言っているのが耳に入ってきた。
到着を得て、ようやく引いてきた痛み。それとともに感覚が鮮明になり、何が起こったのかをようやく理解した。
ジェットコースターが降りる直後、ほとんどの人が手を上げていたように俺の横の小学生も手を上げたのだろう。だが、背丈的に伸ばした手が俺のほおを直撃したというのがことの顛末といったところか。
さすがに小学生に怒るのも大人気ない。だからと言って、痛みは尋常ではなかったため無意識に小学生を睨んでしまっていた。
「お兄ちゃん、いくらなんでも小学生を狙うのは良くないよ。ていうか、もう手を伸ばしちゃったの!」
「なんで、そうなるんだよ」
「だって、打たれているから振られたのかと思って」
「そんなことないよ。これはたまたまだ」
「怪しいー、碧ちゃん、お兄ちゃんが変た……」
千尋の口を抑え、喋るのをやめさせる。
身体的だけでなく、精神的にダメージを与えてくるのはやめてくれ。もう十分傷だらけだから。
「千尋、碧にそういうのは通じないから。変なことを言うのはやめておけよ」
「えっ。千尋ちゃんが何か言ったの?」
「次なんのアトラクション乗る? だって」
「次か……よし! 次はゴーカート乗ろう」
そうと決まれば、すぐ行動。碧は元気よく歩き出した。そこで千尋から手を解く。
「はあ、はあ。息できなかったよ。お兄ちゃんは私を殺す気だったの!」
「千尋が変なこと言うからだろ。早く行くぞ、碧とはぐれちゃう」
「もう、お兄ちゃんの淫乱、変態、スケベ。小学生狙うなんて最低!」
公衆の場で淫らな発言をされて、精神的に侵されたが、心を鋼にして軽く受け流す。
妹が元気で良かった、と間違ったテンションの上がり方には触れないでおいた。