星から落ちた男
※2019/11/04 本文修正、表記ゆれの修正(流石→さすが)
俺は、落ちていた。
出勤のために跨いだ玄関の敷居、その先に地面はなかった。半開きの扉は、今はもう見えない。空の彼方で、星にでもなったのだろうか。
轟音が耳に響く。体に当たる強い風が、これが夢ではないと教えてくれる。
仰向けに落下しているせいで、先も見えない。……見たくもない。地面であろうが、水面であろうが、俺は死ぬのだ。
そう、俺は死ぬ。死にたいと思ったことはなくもないが、こんな派手なのは嫌だ。落ちている間は怖いし、長い。たどり着いたら酷く痛いのだろう。最悪だ。
いつごろ走馬灯がはじまるのだろうか。などと考えていると、視界の端に動くものがちらついた。
隣の男も、落ちていた。
「良かった! 出現位置、割と正確だったな!」
その男はそういうと、俺の手を掴む。引き寄せられた俺は、男の体にベルトで固定された。まるでスカイダイビングのタンデムである。
「確保完了! 伝言を送れ!」
ここには居ない誰かに話しかけるように怒鳴っている。風の音が凄まじいせいだろう、それでもどうにか聞き取れるくらいの声だ。
「大丈夫だ! ちょっと眠らせるから、おとなしくしててくれよ!」
そう言って、男がブツブツと何かを呟くと、俺のまぶたがぐっと重くなる。抗えずに、そのまま眠った。
目が覚めたら、今度は地面が揺れていた。
いや……、地面じゃない。木の板だ。かけられていた薄い布切れを押しのけながら、体を起こす。硬い場所で寝ていたからか、体が痛い。
それに揺れを全身で感じていたのだろう。乗り物酔いのような感覚があった。平たく言えば気持ち悪い。
「あれ、起きたのか」
傍らに居た男が声をかけてきた。茶色の髪をした、不思議な顔をした男だ。西洋風、と言えばそうなのだろう。
ただ彫りが浅いと言うか……、良く言えば親しみやすい。悪く言えばのっぺりとした顔だ。
さっき、俺と一緒に空から落ちていた男だ。
「気持ち悪いです……」
初対面の相手に、開口一番言うセリフではないだろう。だがあいにく、俺には余裕がなかった。
「何だ、酔ったのか? そういや、訪問者は馬車に慣れてないこともあるんだっけ」
馬車。どうやらここは馬車の中らしい。座席なんてものがないところを見るに、荷馬車というやつだろう。御者は別として、男以外にも数人と、箱詰めされた荷物が載っているようだ。
地面が揺れていると思ったのはそのせいか。会話をすると、余計気持ち悪くなってきた。言葉が頭の中で散乱するようだ。たまらずネクタイを緩める。
「すまないが、止まることはできない。行程があるんでね。眠りたいなら魔術をかけてやるが、どうする?」
はあ、と何とも言えない返事をする。……だって、魔術とか言い出すんだもん。さすがにこれが夢だとは思えないが、あまりに現実離れしすぎている。
とはいえ、気持ち悪さは限界だ。眠れるのなら眠りたい。
「魔術って、さっき眠くなったあれですか?」
「そうだ。……そっか、魔術も馴染みが薄いんだな。まあ、悪いものではないよ」
「なら、お願いします」
そう言って横になり、押しのけた布を引き寄せる。男は俺の背中に手を当て、またブツブツと何かを呟いた。
そうやって、何度か眠っては起きを繰り返すうち、馬車は目的地へと近づいたようだ。
酷かった揺れがましになって、後ろに流れていく道が、少しずつ整備されたものになっていく。
夜は明けて朝になり、太陽は真上に近づいていった。大きな門をくぐったときには、皆一様に安堵の息をついていた。良くわからないが、ここまでくれば安全ということだろうか。
しばらく門の内側を走る。家々が敷き詰められ、通りに店が並び、人が行き交う。
馬車が通れるほどの大通りなのに、人がごった返していて度々速度が落ちた。
「さあ、着いたぞ」
しばらくの後、馬車は目的地に到着したようだ。
男はソラと名乗った。そのソラが俺に声をかけ、先に降りる。それに続いて、俺も馬車から降りた。何の役に立つのかはわからないが、通勤カバンも一緒だ。
乗り付けたのは大きな……、屋敷? なのだろうか。もちろん、現代のそれとは違うように見える。レンガ、なのかな?
住居にしては、行き交う人が多すぎるように見える。もしかしたら、召使いとかそういう人なのか、とも思ったけれど、服装を見る限り統一感はない。
「案内する。付いてきてくれ」
そう言って、ソラは俺を先導する。
馬車の中で多少話はしたが、細かい説明は後ほど別の者がする、の一点張りだった。結局、聞き出せたのは彼の名前くらいだ。
建物に入ると、すぐに受付らしきものがあった。やはり、ここはただの屋敷ではないようだ。住居の入り口に受付をつくる文化がない、とは言い切れないが。
「すでに報告している通り、訪問者を確保した。相談窓口の担当に手続きをお願いしたい」
「承知しました。セワが担当します。奥へどうぞ。……あ」
受付の人はそう言って扉を示したが、俺を見て何かに気付いたようだ。
「申し訳ありませんが、手荷物の持ち込みは禁止されております。こちらにいただけますか」
「そうなんですか」
「はい。あ、もちろん、希望があれば後ほどお返ししますよ」
少し引っかかったが、そう言われては仕方がない。まあ、入っているものもたかが知れている。
筆記具、メモ代わりのノート、気分が悪すぎて解いたネクタイ、会社の社員証とIDカードに、スマホ用のモバイルバッテリーくらいだ。
財布やスマホはポケットに入れていたが、とくに言われないならこのまま持っておこう。
カバンを受付に預け、ソラに付いて扉の先へ進む。廊下の先にはいくつかの部屋があるが、ソラはそのうちの1つにノックした。
「どうぞ」
扉の向こうから女性の声がした。ソラはそれを確認すると、扉を開き、中へ入った。
「セワ、連絡の通り、訪問者だ」
「わぁ、連絡は聞いてたけど、無事確保できたのね。良かった。皆、無事?」
「ああ、問題ないよ。……見た感じ、俺らとは比較的遠めみたいだ。結構、質問された。手続きの他に、それにも答えてやってくれよ」
「わかった、任せて」
そこまで言うと、ソラは俺の方を振り返って言った。
「あいつはセワだ。まあ、あんたみたいな人のための窓口をやってる。こっちからも質問があるし、あんたも聞きたいことがあるだろう? 上手くやってくれるから、頼ってやってくれ」
「ああ……、わかりました」
「はじめまして。立ち話も何だから座って頂戴」
セワが向かいの椅子を勧めてくれた。
「じゃ、俺行くわ。最終報告しないと」
「お疲れ様」
部屋に入る俺と入れ替わって、ソラは出ていった。扉を閉め、勧められた椅子へ腰を下ろす。
「改めまして、セワと言います。よろしくおねがいしますね」
「はじめまして、琴場 綾太郎です」
まずは挨拶。セワはソラと同じく、茶色の髪をした女性だ。言動がハキハキしていて、爽やかさを感じる。キャリアウーマンって感じだ。
二人は親しげだったが、顔立ちから受ける印象が違うから、身内というわけではないだろう。ここが何らかの施設であれば、同僚、ということになるのだろうか。
「コトバアヤタロウ。あー……、家名を持つ方なのね」
そんな事を考えていると、ソラはペンと紙のようなものを取り出し、サラサラと何かを書いていた。読んでみる。……どうやら、俺の名前のようだ。
「こちらでは、家名はあまり一般的じゃないんですよ。通称を選んでもらえますか? どちらで呼ばれた方が良いか。もちろん新しく作っても構いません」
「では、琴場で」
「コトバさんね……、了解。早速ですけど、文字は書けますか?」
先ほど書いた俺の名前に注釈を入れながら、セワは質問を続ける。
いかにもそれっぽい質問だ。識字率の高い日本に居ると気付かないが、読み書きはそれ相応に学んだ結果得られるものだ。そしてここでは、それは一般的でないらしい。
1つ問題があるとすれば、ここが異国であるということだが……。なぜか文字は読める。ならば大丈夫ではないだろうか。試してみる価値はある。
「はい」
「良かった。では、こちらに記入をお願いします」
そう言って、ソラは手元のシートとペンを俺に渡す。
どうやらこれは羊皮紙のようだ。まんまRPGの巻物と同じアレである。ペンはつけペンではあるが、羽根ではなかった。木材のような質感だ。
設問を読む。……読解は問題なさそうだ。
「時間がかかると思います。ゆっくりで良いですよ」
セワはそういうが、恐らく俺はすでに住所不定無職の身。今の自分に残っているものと言えば、名前と年齢くらいなものだ。
そう思っていたが……。
名前、性別、種族(思い当たるものがない場合、自分達を何と呼んでいたか)、年齢、直前までの家族構成と親兄弟までの血縁関係。
今まで居住してきた場所1つ1つの気候、暑さや寒さ、雨や風の度合い、その他特徴的な点と、一番長期滞在した環境。
一般的に使用してきた飲料、食事、住居、衣服。
就学、就業の記録。信仰する宗教とその簡単な説明。
選択肢があるものも多々あったが、自由記入欄も多い。そのためか、かなり時間がかかる。
わからないもの、思い出せないもの、回答したくないものは無回答でも良いという。
ただ、無回答は少ない方が、より良い扱いができる、という話だ。
これは、俺を分析したいのかなぁ……。
すぐかすれるペンに少しだけ辟易しながら、そんなことを考える。
今まで俺が生きてきたところと、短時間だが垣間見たこの場所は明らかに違う。その差異を相手が知っているのであれば、そしてそれをもっと知りたいと思っていたら、こういう質問になるのかもしれない。
……だったら、ボールペンでも見せてやれば良かったのだろうか。カバンに入れていた筆記具を恋しく思いながら、空欄を埋めていく。
というか、この状況は、なんなんだ?
# 星
単純に星という場合、天に瞬く星々を指す。
それは力の塊であり、異なる世界へ続く門であると言われている。
訪問者の来訪に際し、星はとても強い力を放つ。