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探偵ごっこはいつもの場所で

作者: 水茄子

 俺の名は円城寺彰人(えんじょうじあきと)。この大阪という魔都の、いや日本という国で『最後の私立探偵』だ。

 大阪という混沌が渦巻く街で、その光と闇の境界を歩く一匹狼。それが俺だ。時には依頼のために命を懸け、時には謎の美女との駆け引きを行う。俺はただ、自らの信念が赴くまま、最後の私立探偵という生き方を貫くだけ。

 人や物、時代は移り変わるもの。

 それは仕方がない。世の中の流れは早く、変わらなければ時代の濁流に飲み込まれるだけだ。

 脱皮しない蛇は死ぬ、変化しない人間も然り。

 そんな激流の中で信念という名の硬い一本の芯を削られ、折られそうになりながら貫いていく。

 それこそが俺の『私立探偵』という生き方、俺の思うハードボイルドだ。

 そう、俺は『最後の私立探偵』、円城寺彰人。ラッキーストライクを咥えて大阪の夜を流離う、しがない探偵だ。


「――はい、よっしー。里芋のにっころがし」

 行きつけのバーで一人、カウンター席に座って自らの世界に酔っていた俺の前へ、無慈悲にも里芋のにっころがしが差し出される。

 和風だしの落ち着く香りが俺の鼻腔をくすぐり、思わず口に涎が出始めるが、ハードボイルドな私立探偵には縁遠いものだろう。里芋のにっころがしは。

 別に里芋が嫌いなわけではない。むしろ30歳にもなると、和食のやさしい味が好ましく思えてくる。

 よくハードボイルドな洋画などでは、分厚いステーキやジャンクフードといった脂っこいものを、まるで自らの胃腸を痛めつけるように喰らっているが、俺はもうあの画を見ただけでも、うっとえづいてしまう。

 しかし、だからといって折角の雰囲気を台無しにされてしまっては、こちらとしても嫌な顔をせざるを得ないわけで。

 俺は口をへの字に曲げ、カウンターの向こうでシェイカーを振るう、このバーの店主である江幡智華(えばたともか)へと苦々しい表情をこれみよがしに見せる。

 この店の店主であり、常連のおっさん連中からは姐さんと親しまれている美女だ。

「私が和食しか作れないのは知ってるでしょう。はい、ピンクジン」

 ピンクジン。

 淡い桃色をしたそのカクテルが意味する言葉は、ナルシスト。

 無論、里芋のにっころがしと合う酒ではないし、智華さんは確実に意味を知っているはずだ。つまり、俺に対する嫌がらせである。

 というか、和食しか作れない上に、艶のある紫の着物を着た日本酒好きのバーの店主とは何なのか。バーテン服も着ず、客が来なければカウンターで堂々と一升瓶で日本酒を呑み、折角客が雰囲気に酔っているところを粉砕する。

 大人しく居酒屋を開業しなさいと、俺は智華さんに度々勧めていた。


「今日はもうお客さんも来ないみたいだし、探偵ごっこはお終いにして、家に帰ったらどう。明日も仕事、あるんでしょう」

 ごっことは、何と失礼なことを言うのか。大阪の闇に巣食う幾多の修羅場を潜り抜け、解決不可能といわれた難事件を、まるで小学生が出題したなぞなぞを解くかのように解決してみせたこの俺に向かって。

 しかし、そんな俺の主張を一蹴するかのように、智華さんはその様子を鼻で笑った。

藤山吉広(ふじやまよしひろ)。30歳独身で、小さな書店に勤務。酒は下戸もいいトコで、たったのチューハイ二杯で泥酔。煙草もただふかしているだけで、ラッキーストライクを吸っているのは昔の探偵映画の影響。逆立ちしたってハードボイルドのハの字も出てこない、善良で平凡な一般市民じゃないの」

 何故、この人はここまで詳細な俺の個人情報を知っているのだろうか。

 しかし、いま智華さんが羅列した情報はあくまで表の俺、いわば夜の私立探偵としての顔を隠す仮面にすぎない。

 冴えない風貌の書店員、藤山吉広は世を忍ぶ仮の姿。

 その正体は敏腕にして豪胆な最後の私立探偵、円城寺彰人。前回の依頼で負った頬の傷を指で撫でながら、俺は大阪の闇に潜む凶暴な獣たちと対峙した記憶を思い起こし、それと戦うのはやはり警察ではなく俺しかいないのだと確信していた。

「その傷だって、一昨日一緒に呑んでたおじいちゃんの飼い猫を探している時に、引っ掻かれてついたものでしょう。その猫が実はこの辺りの野良猫共の親分で、虫取り網で捕まえようとしたら十数匹の猫に飛びかかられたって、昨日そのおじいちゃんから報酬を貰う時に言ってたじゃない」

 仕方ない。あの時は流石の俺でも慌てふためき、身体のあちこちを引っ掻かれてしまった。状況が如何に困難であったかを説明し、依頼料を上乗せしてもらわなければ、猫の爪で無惨にも引き裂かれたシャツの代金にすらならない。


「ねぇ、よっしー。本当に、もう探偵ごっこはやめたら? 昼間の仕事だって、ずっと暇ってワケじゃないでしょう。副業にしては、あまり儲かってる様子もないし」

 恐らく、常連客に対する最低限の義理として、一応心配してくれているのだろう。

 だが、心配は無用だ。これは、俺がやりたいからやっているのだ。儲かるだの、儲からないだのの問題ではない。俺にとって私立探偵とは()()ではなく、最もこの世でかっこいい()()()なのだ。

 毎日同じような時間に起きて忌々しく鳴りやがる目覚まし時計を止め、出勤の準備をする。そこから変わり映えのしない道を歩き、死んだ顔で満員電車に乗り込む。ダース単位で工場から出荷される製品と、一体何が違うというのか。番号や経歴、住所なんかのデータで管理されるその生活は、バーコードをスキャンしてレジを通過するスーパーの商品と何か違うのか。

 そう思い始めてしまうと、電車の中でつり革を持つ俺の手に、俄然力が入った。

 そんな人生など、そんな大人など俺は御免だ。俺が小さい頃に見た、探偵映画に登場する探偵たちはそんな熱の冷めたものではなかったはずである。立ちはだかる困難に傷つきながら、それでも己の信念に殉じている男たちの顔は、もっとかっこよかった。

 男たちの背負った業と過去は、一振りの業物のように鈍く輝くその眼光に溶け出し、言い得ぬほど艶のある魅力を纏う光を放っていたはずだ。幾つもの悲しみと怒りを心に沈め、孤独に耐えながら愛や信念を貫くその強さは、男らしいその精悍とした顔に一片の哀愁という装飾を施していたはずだ。


 俺の人生の目標は、そういうかっこいい男になることではなかったのか。子供だった俺の胸を高鳴らせた憧れは、世間の荒波にもまれた程度で消えてしまうちっぽけなものだったのか。

 そう思った時には既に、俺はグレーのロングコートを羽織り、自宅を探偵事務所風に改造していた。

 そしてこのバーに通い始め、酔っ払いのおっさんたちから依頼を受け始めたのである。

 素面(しらふ)であるにも関わらず得意顔で私立探偵だと宣う変人を、この店のおっさんたちはとても面白がった。

 それは白黒をはっきりと分断させなければ気が済まない潔癖症な世の中で、胡散臭い変人は希少種となってしまったからだろうか。

 おっさんたちは飼い猫の捜索や、昔手放してしまった思い出のレコードを探してほしいといった、探偵っぽいようなそうでないような依頼を持ち込んできた。

 この国で私立探偵は違法。

 そんなことなど分かっている。だが、俺は単におじさんたちから頼みごとをされ、見返りに飯を奢られたり少しばかりのお礼を貰っているだけだ。深く突っ込まれればアウトだが、目をつけられなければ黙認される程度。

 つまりは黒でも白でもなく、その隙間を縫うように歩く灰色。


 この色と立ち位置こそ、俺の夢を叶えるために絶好の場所なのだ。


 何もかもが情報の波に飲まれ、はっきりと数値化してしまったこの世界で、俺は最後の私立探偵として何だかよく分からない、灰色の胡散臭い自分の道を歩むことを決めた。

 その灰色のこそ、俺が自分で決めた色であり道。

 その胡散臭い道こそ俺が憧れた夢であり、歩きたかった道なのだ。俺の夢、俺の道を理解できるのは俺だけ。他の誰にも色分けや数値化なんてさせやしない。

 故に、カウンターで頬杖をつく智華に返す言葉はひとつだけ。彼女が作ったピンクジンを一気に飲み干し、かこんと音を立ててグラスを置く。

 そして、自分ができる最高の得意顔を浮かべて、言ってみたかった決め台詞を口にした。

「智華さん、今日のはツケにしておいて――」

 だが、俺は途中で呂律が回らなくなる。後はストールから転げ落ちるように倒れ込み、いつものように始発が出るまで智華さんに介抱してもらうことになった。場の雰囲気に酔って、自分が超のつく下戸だということを忘れてしまうのは俺の悪い癖だ。

 アルコールのせいでぐるぐると回る視界すらも楽しみながら、俺は笑う。酒は苦手だが、ここで酔うのはとても楽しい。この店は、俺の私立探偵としての人生が始まった場所だからか。


 俺は最後の私立探偵、円城寺彰人。大阪に在る白と黒の合間をふらふらと歩く、胡散臭い男だ。



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