流星の詩
インプレッション
1944年4月15日。連合国軍は雪解けの西部戦線にて大規模な攻勢作戦を発動した。
作戦名は、マーケット・ガーデン作戦。
空挺降下と地上部隊の連携攻勢であるマーケット作戦と強襲上陸のガーデン作戦を組み合わせた立体攻勢によってオランダを解放し、ジークフリート線を迂回してドイツ本土へ雪崩れ込み、年内に戦争を終わらせるのが作戦の目的だった。
連合国は1943年8月の竜号作戦、オーバー・ロード作戦によって南北フランスに上陸し、第2戦線を開いて攻勢を強めていた。10月にパリが解放され、12月時点にはほぼフランス全土が解放されていたが、急進撃で補給線が伸びきっていた。さらに12月以降は積雪と天候悪化が重なり、攻勢継続は不可能と判断されたのだった。
軍事常識的判断により雪解けと天候回復を待ち春季に攻勢を再開するとされた。
問題は1944年の春に、西部戦線のどこで攻勢を行うかだった。
南は、開戦前に築かれた独仏国境要塞であるジークフリート線があった。最初から、この国境要塞地帯を突破するのは容易なことではないと考えられた。のちに判明したことだが、ジークフリート線はゲッベルス博士お得意のプロパガンダによる虚構であり、連合国軍が評価するほどの威力はなかった。しかし、それが分かるのはずっと後の話で、要塞を正面攻撃するのは躊躇われた。
中央には、大規模な森林地帯であるアルデンヌの森があり、大軍の通行には向いていない。
北は、ベルギー、オランダの低地諸国があった。この方面には強固な要塞はなかったものの、無数の河川が天然の障壁となって連合国軍の前に立ちはだかっていた。
しかし、この方面を攻略することで既に占領していたベルギーのアントワープ港の周辺からドイツ軍を排除して港湾機能を回復させることができる上に、オランダの各港湾が使用可能になるという大きなメリットがあった。
冬季に整備が進んでいたが、連合国軍の大規模な補給港はノルマンディーのシェルブールと南仏のトゥーロン、マルセイユにしかなかった。陸揚げされた物資を陸路で前線まで輸送しており、戦略上のボトルネックだった。そのため、ドイツ本土への進撃には、新たな補給港の確保が必須とされていた。
当初、連合国軍総司令官のアイゼンハワー元帥は攻勢を6月まで延期して、より多くの補給物資を積み上げた上で、西部戦線の全ての正面で攻勢に出る構想を立てていたとされる。
6月には東部戦線でソヴィエト軍の夏期攻勢、バグラチオン作戦が始まる。それと連動する西部での攻勢により、ドイツ軍の対応能力を飽和させることを意図していた。
しかし、経済的な限界から戦争の継続が困難になりつつある日本と、人的資源の枯渇から同じく戦争継続が困難になりつつあるイギリスから、政治的な圧力がかかっていた。
また、Uボートとの戦いが消化試合になり、戦争の焦点からフェードアウトしつつあった日英米の海軍上層部が、西部戦線北部での沿岸作戦を強行に求めていた。
特に日米の両海軍は、戦時計画で大量に建造した戦艦と空母を完全に持て余しており、納税者から少なくない突き上げを受けていたので、その要求は切実だった。
ロンドン海軍軍縮条約に反対したことで海軍をクビになり政界に転出という来歴をもつ山本五十六総理大臣は、日米両海軍の強力な援護者であり、自ら立案した上陸作戦をアイゼンハワー元帥に開陳して、元帥を閉口させたと言われている。
ちなみに、山本首相の軍事手腕は卓越したものであり、作戦立案に参謀将校を必要としないほどだった。
しかし、投機的な作戦を好むことから、派手な失敗も多かった。
1940年のクレタ島攻防戦では、ドイツ空軍相手に帝国海軍の貴重な正規空母4隻が沈む大敗を喫したが、この作戦は山本首相が主導したものだったことは広く知られている。
結局、元帥は様々な政治的な圧力に屈する形で、戦線北部での攻勢を許可せざる得なくなった。
作戦もイギリス軍のモントゴメリー元帥が最初に立案した空挺作戦と地上攻勢を組み合わせた中規模なものから、強襲上陸を含む大規模な陸海空の統合作戦に変化していった。
この作戦のために日英米の3大海軍は空前絶後の連合艦隊を編成した。戦艦30隻、巡洋艦56隻、駆逐艦200隻以上。正規空母、軽空母、護衛空母が合計40隻、艦上機は3,500機に及ぶ。
オランダのアーネムへ向かって南下する試製四式艦上攻撃機『流星』の4機編隊は、その極々一部に過ぎなかった。
1944年4月15日 オランダ アーネム郊外
空には、春の日差しが満ちていた。それは彼方まで広がっており、緑が芽吹いたばかりの大地と融合することで、地平線を形作っている。
半刻ほど前までは、その下半分が空と同じ色をした海と呼ばれる水素と酸素と塩化ナトリウムとその他微少元素の化合物で形成されていたが、現時点では地平線の彼方に消えてしまった。
御前茂菜海軍中尉は、4機の試製四式艦上攻撃機『流星』を従えて、高度2,500mを南へ飛行中だった。
流星の心臓であるP&WR-2800-10Wの調子は最高だった。
18本の排気管から、窒素化合物と二酸化炭素を景気よく撒き散らしている。
「そろそろ、変針点じゃないのか?」
射爆照準器の微調整をしながら御前は言った。
後席で航空チャートに顔を埋めていた義士庵徳雄一等飛行曹が顔を上げる。
「Wait 5 minutes after」
母音が酷く強調された英語で義士庵は答えた。
それを聞いて御前は、猫のような或いは熊のようにも見える独特の風貌を不快げに歪めた。
「おい、日本語で話してくれよ」
「マンドクセ」
一応日本語?で答えた義士庵はこう付け加えた。
「服務規程違反だ。作戦指揮語は英語だ」
「別にいいだろ。機内の会話ぐらい」
チャートに再び顔を埋もれさせた義士庵が答える。
「普段から使ってないとイザという時に使えなくて困る。次は通訳なんてしてやらないからな」
「冷たいやつだよお前は」
御前も、自分の英語力の低さについては自覚がある。それで苦労したことは数多い。
第二次世界大戦における帝国陸海軍の欧州派兵は多くの困難にぶつかったが、その困難のうちで、最後まで克服されなかったのは、言語の壁だったと言われている。
極東の弧状列島のみで利用され、起源不明の世界的に見ても特殊な構造をもつ日本語は、旅情や自然の美しさ、細かやな感情の機微を伝えるのには向いていたが、ヨーロッパで戦争をするのには全く向いていなかった。
これで戦争遂行に致命的な支障を来さなかったのは、第一次世界大戦で欧州に派遣されて速成の英語教育を受けた世代が、この戦争のあちこちで指導的な地位についていたためだ。内閣総理大臣の山本五十六や、欧州派遣軍総司令官の東条英機などがその代表者だった。
派遣軍兵士への英語教育には、高千穂型戦艦5隻が建造可能なほどの予算が投じられたが、結果は芳しいものではなかったとされる。
この時の反省が戦後の言語教育に反映され、徹底した教育改革を行うことで非英語圏において最も英会話普及率(85%)が高まることになるのだが、それは半世紀後の話だった。
「Attention,attention・・・Starboard now」
変針点に到達した流星を御前はゆるく右旋回させた。
右手側にオランダの田園風景が広がり、左手側に雲一つない穏やかな空に太陽が見えた。
攻撃的な上半角をつけた主翼がこの時は水平に近い角度で見える。逆ガル翼という、カモメの翼を上下にひっくり返したような形状の主翼だった。
空力学的な特性はさほど優れたものではないが、主脚を短くできるという利点がある。空中では完全なデッドウェイトである主脚を軽量化するには効果的だ。
翼下には2t近い各種兵装を装備していた。しかし、旋回は軽い。日本機離れした重厚なフォルムにしては、その挙動は手弱女のように繊細だ。
御前は笑みを強くした。この新型攻撃機は実に彼の好みに合う機体だったからだ。
「30 miles to the target」
眼下にはチラホラと民家が増えていた。のどかな田園風景が、歴史情緒溢れるレンガ造りの都市に変わっていく様を御前は見ている。
戦場はオランダの地方都市とのことだった。事前の打ち合わせでは、作戦の重要目標である橋梁を確保した空挺部隊が、ドイツ軍支配地域で孤立していると聞いていた。
空挺降下という特性から、持ち込める自前の火力に限りがある空挺部隊にとって、航空支援は命綱だ。
確かこの辺りに降下したのは、イギリスの空挺部隊だったはずである。
マーケット・ガーデン作戦で降下した空挺師団は5つあった。
英第1空挺師団、英第6空挺師団。米第101空挺師団、米第82空挺師団。日第1挺身集団の5個師団である。
各師団の目標は、ライン川に架かる5箇所の橋梁の占拠と友軍の到着までこれを固守することだった。
このうち南部にあった4箇所は極めて迅速に確保された。橋を防衛するドイツ軍が沿岸防衛のために移動していたためだ。
空挺降下に先立って始まった強襲上陸(マーケット作戦)は、ある種の陽動作戦だった。すなわち、降下地点に布陣したドイツ軍を沿岸におびき寄せるための罠だった。
軍事常識的な判断から連合国軍と同じ結論に至ったドイツ軍は、第1SS装甲師団を含む7個装甲師団をオランダ防衛に投入し、連合国軍の攻勢を待ち構えていた。
何れも師団も冬季の戦線膠着を利用して、十分な補充を受けていたので戦力は十分だった。
しかし、その戦力の運用についてヒトラーはミスを犯した。
連合国軍は陽動のために意図的に上陸作戦の実施をドイツ側にリークしており、この対処には装甲師団を以てあたる他なかった。
ヒトラーは上陸作戦が行われた場合、装甲師団を以て水際で上陸軍を撃退するように命じていた。しかし、沿岸に戦力を集中すると空挺降下に対応できなくなる恐れがあった。
ドイツ軍西方総軍司令官のゲルト・フォン・ルントシュテット元帥は連合国軍の戦艦から激しい艦砲射撃を浴びる水際での戦闘は不可能と考えており、空挺作戦への対応も容易な内陸での防戦を提案したとされる。
しかし、ヒトラーの決定は水際での迎撃だった。ヒトラーが水際作戦にこだわったのは、日英の上陸軍に壊滅的な打撃を与えた1942年のシチリア島攻防戦が念頭にあったためとされる。
もっとも、連合国軍はその失敗から十分に学んでおり、ヒトラーの思い通りにはならなかった。
水際に向かった装甲師団の大半は、戦艦30隻による常識を超えた艦砲射撃と3,500機の艦上機による爆撃によって、戦場にたどり着くことなく壊滅した。
連合国軍の各空挺部隊は、総統の判断ミスという恩恵に預かることができたのだった。
しかし、恩恵に預かり損ねた部隊もあった。
もっとも遠方のアーネム地区に降下した英第1空挺師団がそれだった。
沿岸に近い北部のアーネム地区は、水際迎撃に向かうドイツ軍装甲部隊でごった返していたのだ。
降下と同時にドイツ軍戦車と対面を果たしたイギリス軍空挺隊員は、大半がその場で射殺された。しかし、幾つかの部隊はドイツ軍の攻撃を搔い潜り、一本の道路橋を奇跡的に確保していた。
この一本の橋が、今や全ての攻防の焦点にあった。
1944年4月15日 オランダ アーネム
英第1空挺師団第1空挺旅団第2大隊が本部を置いたのは、道路橋の袂に建つ民家だった。
3階建てのレンガと木を組み合わせて作られた白亜のフランドル風な瀟洒な屋敷だったが、現在は見る影もなく荒れ果てていた。
最初に荒らしたのは、この屋敷を本部代わりに占拠したジョン・フロスト中佐とその面々だったが、以後は主にドイツ軍の攻撃によるものだった。
今、この瞬間も冷気を撒き散らすようなドイツ軍の大口径砲弾が飛翔音を響かせている。
土嚢の代わりに積み上げた家具、調度品の影で、アンソニー・ホプキンス陸軍少尉は、本日何度目か忘れた航空支援の符丁を呼び出していた。
「こちら、ラクダ21。ラクダ21。ダガー01。応答せよ。送レ」
応答は幸いすぐにあった。
「こちら、ダガー01。受信感度良好。ただし、そちらの符丁が間違っている。符丁を確認されたし」
酷く訛りの強い母音が無闇に強調されたヘンテコな英語を話すパイロットだった。
「何を言っている?ラクダ21だ。わからないのか?」
「そんな符丁はない。ほんとに友軍か?」
アンソニーは、通信機のマイクを床に叩きつけたい衝動に駆られた。
「もう一度、繰り返す。こちらはラクダ21だ。C・A・M・E・Lだ。分かったか!?」
「C・A・M・E・L・・・・?ああ、これってキャメルじゃなくて、カメルって発音するのか。知らなかった」
「地獄に落ちろ!」
この後に続くあらんかぎりの罵り言葉を飲み込んで、アンソニーはマイクを握った。
ドイツ軍の砲撃が、彼の潜む民家の酷く近くに着弾したからだ。着弾と爆発の衝撃で、壁の漆喰がパラパラと剥がれ落ちる。
生命の危機に曝されたものだけが放つ独特の光を瞳に宿らせて、アンソニーはマイク向かって怒鳴った。
「ダガー01。そちらの装備と編隊を知りたい。送レ」
「当方は、試製四式。えーっと、エクスペリエンス・タイプ・フォー?4機編隊だ」
アンソニーは顎に手を当てた。不可解なことに直面したときに現れる彼の癖だった。
聞いたこともない機種だった。しかも、外国人らしかった。
せめて、まともに英語を喋れるやつを寄越せとアンソニーは神を呪ったが、その不安は続く装備の報告で一気に解消された。
「装備は、500ポンドが4つ。1000ポンド集束爆弾が1つ。高速ロケットが8つ。機銃は20mmが4丁。弾薬は1丁につき300発。弾は徹甲弾と炸裂弾、曳光弾が少々。送レ」
「そちらは、重爆撃機か?」
絨毯爆撃でこちらまで吹き飛ばされかねない。
通常、近接航空支援に投入されるのは運動性高く、精密攻撃に向いた単発機だった。ただし、聞いた話によると日本人はB-24を近接航空支援に投入しているらしい。
さすがに冗談だろうとアンソニーは思ったが、数日前に超低空飛行するB-24がナパーム弾の束をドイツ軍の車列にぶちまけるのを見て考えるのを止めた。
きっと、イースタンマジックかなにかに違いない。
「いや、単発で2人乗りの攻撃機だ」
アンソニーは呻いた。
重爆撃機並の爆弾をぶら下げた単発機なんて、どんな飛行機なんだ?
こいつは酔っ払ってるんじゃないか?とアンソニーは疑ったが、しかし、今は火力が多ければ多いほどよかった。360度全て、ドイツ軍に囲まれているようなときは特にそうだ。
「ラクダ21。了解。こちらの状況は把握できるか?橋の袂の左右に民家が2家見えるだろう。そこが本部だ。本部が南の対岸から対戦車砲か、戦車から砲撃されている。北からも戦車と歩兵が接近中だ」
「ダガー01から、ラクダ21へ。確認した。そちらの現在位置は、橋の真横にある赤い屋根の民家だな?」
「そうだ。その周辺1ブロックの市街地は攻撃禁止だ。攻撃は、まず対岸の戦車か、火砲を収束爆弾で制圧してくれ。その後は、500ポンドで北から来る敵を叩いてくれ」
「ラジャー・アウト」
しばらくするとアンソニーの耳にも、急降下する航空機の風切り音が聞こえてきた。
一瞬、スツーカかと思った。
アンソニーは北アフリカでそれを聞いた覚えがあった。
その頃、イギリス軍はロンメルを相手に苦戦に次ぐ、苦戦を重ねていた。去年のノルマンディー上陸がピクニックに思えるぐらいの苦しい戦いだった。
1941年11月、クルセイダー作戦のことだ。
ドイツ軍に包囲されたトブルクで、絶望的な状況に陥ったアンソニーを助けに来たのは、極東から来た侍たちだった。
つくづく、俺は日本人に縁があるらしい。アンソニーはそう思った。
どんよりとした空から日の丸をつけた単発機が急降下してくるのが見えたのだ。
日本的な美意識と兵器機能として一つの到達点に達した機能美を高度に融合させた艦上攻撃機は、オランダの大地に向けて突進した。
白い物体を投下する。空中でそれが細切れになったのは、小型爆弾を内装したクラスター爆弾だからだ。
小型爆弾は成形炸薬弾になっている。
運動エネルギーではなく、化学エネルギーを使って戦車の分厚い装甲板を貫通する。だが、エネルギーの7割は周辺へ飛散するため面制圧兵器として都合が良かった。
轟音、そして爆発。黒煙。飛び散る何か。
マーケットガーデン作戦開始以来、オランダのあちこちで繰り返されている日常風景だった。
御前は急降下で得た速度を使って、試製流星を戦場から引き離した。
長居は危険だった。
ゲーリングとそのゆかいな仲間たちがあてにならないことを知ったドイツ陸軍は最近、むやみに対空砲の数を増やしているからだ。
このときもそうだった。猛烈な速度で曳光弾が少し前まで試製流星のいた空間を薙ぎ払った。
隠れていた高射機関砲が射撃を始めたのだ。
「ダガー01より各機へ、まず高射砲を叩く。ロケットの使用を許可する」
御前は機体を再上昇させつつ、兵装の切り替えスイッチを操作した。高速ロケット弾(HVAR)が使用可能な状態になった。
高速ロケット弾は、アメリカ軍が開発した地上攻撃兵器だった。
足が早いので狙いがつけやすく、射程距離も長い。
試製流星は再びオランダの大地に向けて再び突進した。
自分が狙われていることに気がついた高射砲兵は鉄十字勲章ものの勇気を発揮して、試製流星を迎え撃った。
彼らの示した勇気と態度は、フリードリヒ大王さえも満足させただろう。
だが、試製流星は対空砲の射程距離外からロケットを発射して、即座に離脱してしまった。
戦争は平等ではありえなかった。
高射砲兵は友軍を守り切ることができなかった。
「残った敵は、25番弾で叩く」
御前は部下に指示を出しながら、試製流星の高度を稼ぐ。爆撃開始高度は2500mだ。
敵を探した。
だが、爆煙で視界が落ちていた。
敵味方の区別がつかない。
「義士庵、地上に聞いてみてくれ」
「copy」
こういうとき、複座の試製流星は分業が効くため楽だった。
戦後に開発された日本軍の全ての地上攻撃機が、21世紀に至るまで複座なのはこのときの戦訓に依るほどだった。
彼らはコンピューター化されたステルス攻撃機にさえ2人乗りであることを求めた。
とにかく、見張りの目が多いに越したことはなかった。
特にパイロットは飛行に集中していなければならない。
御前の目が、水蒸気過多の空に4つの黒い点を捕らえていた。
「メッサーシュミット!2時方向。全機、爆装放棄!」
指示を出しながら、御前は機体を左旋回させた。
降下旋回で速度を稼ぐ。スロットルは既に全開だった。水メタノール噴射装置が作動。フル・ブースト。
爆弾を捨てた試製流星は戦闘機並に高速がでる。だが、状況が悪い。試製流星は爆撃のために上昇中だった。つまり、速度がない。
同時に考える。護衛の戦闘機がいない。彼らはどこに行ったのか?
御前は無線で護衛戦闘機を呼び出した。
切迫した精神状態だった故に、その問いかけは意図したものとは微妙に違うものとなった。
彼はアメリカ文学を好んでいたのだ。
「護衛の戦闘機は何処にありや?全世界は知らんと欲す」
相手は高度も速度もたっぷりと持っていた。絶対有利。
初撃はかわす以外にない。
回避できるかは速度の回復量に依る。回避運動には運動エネルギーが必要だからだ。運動エネルギーがない状態の機動は、失速を意味する。
敵機が後ろから迫っている時に、それは致命的だった。
回復量が最も小さいのは御前の機体だった。最後に逃走を開始したからだ。そうすることで、御前は部下を逃がそうとしていた。
「お前はちょっと度胸がありすぎるよ!」
後部機銃の安全装置を解除して義士庵は叫んだ。
長い付き合いなので、御前が何をしたのかすぐに理解した。
義士庵の怒声は正当な理由によるものだったので、御前は詫びるしかなかった。
「しょうがねぇから付き合ってやるよ」
九九式艦爆に乗っていたときから、一緒に飛んできた相棒は笑って言った。
そのため、御前は深い魂の孤独を覚えずに済んだ。
御前が礼を言う前に試製流星の後部機銃が発砲。迫るメッサーシュミットに弾幕を張った。
戦闘機に追われた攻撃機が取るべき最もベーシックな防御方法だった。そして、これまで何度も繰り替えされ、失敗していたパターンだった。
攻撃機の後部機銃は、酷く命中率が悪いことで有名なのだ。
それよりももっといい方法があった。
反撃だ。
「break!break!break!」
後部機銃を撃ちまくったことで幾らか落ち着きを取り戻した義士庵は得意の英語で叫んだ。
同時に試製流星は右急旋回した。
そうすることで、御前はメッサーシュミットの攻撃をかわそうとしていた。メッサーが発砲。ぎりぎりで試製流星はドイツ製の20mm機関砲弾を回避する。
速度の乗っていたメッサーシュミットは急旋回を追尾できなかった。オーバースピードだ。
速度の優位は有利だが、有利は必ずしも勝利を意味しない。
オーバーシュートしたメッサーは試製流星の外側を大回りした。そこから試製流星は切り替えして、バレルロールでメッサーの背後へつく。
戦闘機並の機動性を持つ試製流星ならではのカウンターマニューバーだった。
試製流星の意図に気がついたメッサーは離脱を試みる。最高速度はメッサーの方が速い。
だが、御前の方が先にメッサーを射爆照準器に捉えていた。
発砲。
曳光弾と徹甲弾と炸裂弾のカクテルをぶちまけた。
エレベーターを飛ばされたメッサーからパイロットが脱出した。白いパラシュートの花が咲いた。
そのことに御前は気がついていなかった。
発砲した時さえ、御前はメッサーを目で追っていなかったからだ。トリガーを引いた時には、既に次の敵を探していた。
上空にメッサーがいた。
速度も高度も相手の方が有利。回避のために速度を貯めなくてはいけないが、試製流星は既に貯金を使い尽くしていた。
次は逃げられなかった。
この後に及んで御前は古典的なターンファイトで何とかならないかと思案した。
御前は帝国海軍が将校に求めて止まない(そして、滅多にいない)特殊な資質の持ち主だった。
だが、メッサーは反転して逃げていった。
「騎兵隊だ」
護衛のF6Fがメッサーを追っていった。
一瞬だけ、御前は気を抜くことを自分に許した。汗が吹き出る。重い疲労があった。
ハイになっていたので御前は気がついていなかったが、御前の試製流星は被弾しており、右腕に浅い裂傷を負っていた。
ため息をついて、部下に集結と帰投の指示を出した。
戦闘終了。試製流星は翼を翻す。
数日に渡って続いた激戦の後、戦場を制したは連合国軍だった。
イギリス軍空挺部隊の驚異的な奮戦と的確な航空支援、さらに日本軍第7戦車師団の損害を省みない攻勢がドイツ軍に戦闘継続を諦めさせた。
アーネムにかかる鉄橋はついに守りきられ、合衆国海兵隊による敵前渡河によって連合国軍はライン川を渡り、ドイツ本土へと雪崩込んだ。
戦争はそれから3ヶ月続いたが、合衆国海兵隊によってベルリンの国会議事堂に星条旗が翻り、ヒトラーの自殺によって第三帝国は崩壊し、戦争は終わった。
その後、連合国軍はドイツ軍を武装解除させるため東進を続け、ソビエト軍と握手したのはポーランド・ワルシャワでのことだった。