(5)お控えなすって…いよいよ、ご対面!
――ヤキが回ったもんだ。
――この俺が。
――天才プロフェッショナルな空き巣を自負する、この俺様が!
「いい加減、(ドン)、自供しろ! あんたの余罪の数々、(ドン)、すでに挙がってるんだ、(ドドン)、この、(ドン)、ケチな空き巣めが! 残留物たる髪の毛、(ドン)、フケ、(ドン)、指紋、(ドン)、汗DNA、(ドン)、いずれも一致する被害件数が、(ドドン)、20件以上あるんだ(ドドドン)!」
「まぁ、落ち着け。そろそろ、あらいざらい白状する気になったんじゃ無いかね? 空き巣くん」
学生ボンボンの印象が抜け切ってない若い刑事が、目の前の机を拳で叩きまくり、いきり立っている。そして、それを、妙にセレブ風のベテラン中年刑事が抑えている格好だ。
そう、ここは最寄りの警察署の聴取室だ。
目暮啓司の手持ちのカバンは奪われ、調べられた。当然、ピッキング用、ハッキング用といった、フツウのサラリーマンではありえない、『空き巣専用』道具の数々が出て来た。
――あの住宅街では見かけない『不審者』という事もあって、俺様は、すぐその場でお縄になったと、こういう訳だ。
おまけに。
――恥の上塗り、いや、冤罪の上塗りと言うべきだな。
目暮啓司に、あの『鈴木』家で起きた殺人事件の容疑が掛かって来たのだ。
――はぁ。全くもって、冗談じゃねぇ。
目暮啓司は、苛立ちが止まらない。二人の刑事の手前、『ふてくされた振り』をして無言と無反応を貫いているが、その『ふてくされた振り』は、半分は本物だ。
――今日、この日、この時、この瞬間に至るまで、一度も見た事も聞いた事も無かった、存在すらも知らなかったババに対して、いきなり火事と殺人をやらかしたなんて、そんなアホな事があるかよ。
――第一、この俺様は、あの『鈴木』とかいう家には、そもそも上がってねぇってのに。
あの家の玄関で腰を抜かしていた、あの貧相な中年男――今回の被害者の甥だそうだ――は、刑事の手によってパトカーに押し込められた目暮啓司に向かって、ものすごい勢いで、『あんたが犯人だ! この人殺しの空き巣野郎めが!』なんて、わめき散らして来やがったのだ。
だが。
目暮啓司のカバンの中には、血痕が付着した道具類は、一切なく。毒物の取引記録や、怪しげな付着粉末、などと言った痕跡すらなく。
警察の側にしても、決め手を欠いたまま、目暮啓司を拘束している状態――と言う訳だ。
やがて一刻。
目暮啓司が『ふてくれた振り』をして黙秘を続けていると、程なくして、別の刑事が、聴取室のドアを開けて入って来た。
順番に耳打ちされたベテラン刑事と新人刑事が、奇妙な表情で目暮啓司を振り返りながら、三人目の刑事の後に続いて、聴取室を出て行く。
聴取室のドアがバタンと閉まった。
だが、ドアの前には、相変わらず見張り担当の刑事が頑張っている気配がある。脱走を図って、余計に容疑を濃密にして警察を喜ばせるつもりは、目暮啓司には髪一筋ほども無い。
――やっと、ゆっくり出来そうだな。
目暮啓司は『ふぅ』と息をつき、今まで七三に分けていた髪型をグシャグシャとやって崩した。
不思議なもので、ヘアスタイルが変わると、あっと言う間に『マジメ百点のサラリーマン』から、『胡散臭い無職の流れ者』といった印象に早変わりである。
――疾風怒濤というべき変化だったから、『空き巣』としての本能で、思考を止めていたんだ。考えるのは、このバカな騒動を脱してからでも充分だし、『下手な考え、休むに似たり』と言うからな。
目暮啓司は、この奇妙な殺人事件を、改めて思い起こした。
まず検討するのは――あの哀れな被害者の『鈴木』とか言うババと、その住宅だ。
あの、毒殺されたと思しき鈴木ババは、いつ死んだのか。目暮啓司が、あのジジ眉毛のテリア種を引っ張って住宅街に戻って来た時は、まだ生きていたのだろうか。
そして、あのババは、煮魚料理を作っていた――それは確実だ。あの、しょうゆ煮の独特のシンプルな匂い。
目暮啓司は、思案している内容を口に出して、ブツブツと呟いた。
「カップ麺やレンジ炒飯くらいしか、料理の事は知らねぇが。湯を注いだり、レンジでチンしたりする訳じゃ無いから、煮物料理の時間は、一時間ほどと判断して良いんだろうな。日暮の婆さんも、同じ煮物料理のカレーを完成させるのに、一時間ほど必要だったみたいだからな。その一時間の間に、あの鈴木ババは……」
その瞬間。
「やっぱり、見込んだ通りだニャ。死亡時刻を正確に絞り込んでのけたニャネ、ニイさん」
ネコの鳴き声によく似た、全く記憶に無い声音だ。目暮啓司は思わず、パイプ椅子から腰を浮かせていた。
目の前に――密室たる聴取室の真ん中に――いつの間にか、あの金色の目ピッカピカの灰色ネコが出現している。いつから、そこに居たのか。
「……何だ、てめぇは?!」
一瞬の絶句の後、目暮啓司は身体を強張らせて、上ずった声を出していた。
――ありえねぇ! ネコが喋った?!
灰色ネコは、先刻まで若い刑事が座っていた、机の向こう側にあるパイプ椅子の真上の――空中に浮かんでいる。しかも身体サイズが明らかに違う。人類サイズ並みのデカさだ。
おまけに――その背中には、カラスのような黒い羽が生えている。尻尾は六本だ。
「ミーの言葉が分かるのニャネ。大した霊感の持ち主ニャネ、ニイさん」
灰色ネコの金色の目が、満足そうにピッカピカと光った。
「金色の目のピッカピカ、いとも凛凛しき三角耳ぞ。風切る黒き烏羽、末になびくは、奇しき六尾――という、『六尾の猫天狗』の事ニャー、ミーの事だニャ」
「聞いた事ねぇよッ!」
大型の奇怪な灰色ネコは、まさに『不思議の国のアリス』に出て来るチェシャ猫さながらに、金色の目ピッカピカのニヤニヤ笑いを浮かべている。
「これから名が売れるから、知っといてくれニャ。それはともかくニイさん、ミーとのテレパシー応答、ほぼ完全成立ニャネ。ちょっとした感覚シンクロ調整を施しただけで、これ程ストレートに相通じるとは、実に優秀な巫女体質の人材ニャ。ご先祖様に、優秀な巫女が居たからという事実もあるだろうがニャ、ミーは、とっても気に入ったニャン」
目暮啓司は、目の前で進行する信じがたい出来事の連続に、口をパクパクさせているのみだ。
「テレパシー応答……感覚シンクロ調整? 巫女体質? 俺の先祖が巫女?」
猫天狗のニヤニヤ笑いが、いっそう深くなった。
黒い羽が羽ばたきを止めると、猫天狗の身体は、パイプ椅子の上にフワリと落ち着いた。パイプ椅子の上に『ネコ座り』した猫天狗の後ろには、後光さながらに、六本の尾がピンと広がっている。
「ニイさんの生家の、あの裏山の祠は、元々、ニイさんの先祖の巫女が神託を受け取って成立した神社だった所ニャネ。先祖が備えていた巫女体質は、ニイさんの中で再び発現してるのだニャ。ニイさんは神託を受け取る事が出来る程の、高精細なテレパシー霊感を持つ、うってつけの人材ニャ。だからニイさんは、『六尾の猫天狗』という高い格式の存在たるミーとも、ほぼ正確に意を通じる事が出来るのだニャ」
――知りたくねぇ! 分かりたくねぇ! 信じたくねぇ!
頭では全力で拒否しているものの、目暮啓司の身体には、『猫天狗』と名乗った奇妙な灰色ネコの言葉が、スルスルと入って来ていた。猫天狗の言語体系をセットでダウンロードしつつ、猫天狗の言葉を受け入れているので、いちいち、瞬間的に翻訳が出来ているかのようなのだ。
人類の言語体系では、なかなかピッタリ来るような言い方が見つからないが――全身が、『巨大な耳を持つ通訳者』になったかのようなのである。
目暮啓司は、古代日本の或る種の伝説の王たちが、「ミミ」という系統の名前を何故に名乗っていたのか、その理由を、身体全身で理解せざるを得なかった。
――そう言えば、聖徳太子の異名は『豊聡耳命/とよとみみ-の-みこと』と言ったんだっけか。
「まぁ、お座りニャン、ニイさん」
「てめぇの兄じゃねぇ」
「目暮啓司くん」
「フルネームで呼ぶなッ!」
「ニャー、ケイ君」
目暮啓司は、もはや反発するだけの気力を失い、パイプ椅子の上にグッタリと座り込むのみだ。
驚愕が限度を超えると、人間は観念の余り、大人しくなるものなのである。
たとえ事実を受け入れられなくても、だ。