(2)犬と猫と空き巣…奇妙な道連れ、世は情け
――うむ。あの犬、賢い犬だな。
目暮啓司は電信柱の陰で、犬の行動に同感しつつ、感心していた。あの『ジジ眉毛』、眉毛に立派な白毛が混じっているだけあって、ちっとは知恵も回っているのは、確からしい。
――俺だって、あのくたびれた中年男、『身体だけ大きくなった子供』と言うべき、甘ったれたヤツだと思うよ。
目暮啓司は、内心でブツブツとボヤいた。
――就職・超氷河期に巻き込まれたロスジェネ世代に当たってるようだから、それは同情するが。何だろね、母親に対して、あの態度は。おまけに舌っ足らずな口調で、『ママ、カレェ』だとよ。イイ年して、赤ちゃんプレイ漫才やってんじゃねえよ、ケッ!
目暮啓司が眺めているうちに、ヨレヨレの水色トレーナーの上下をまとった無精ひげの中年男は、パチンコの袋をブラブラさせて幹線道路の方へと歩み去った。
幹線道路の脇に、スーパーマーケットやコンビニの類と並んで、無意味にハデハデなパチンコ店が複数ある。水色トレーナーの中年男は、そこへ行くのだろう――しかも、勝利チートな台を探して、ハシゴするのであろう――と予想できる。
住所の丁目が変わる曲がり角で、くだんの水色トレーナー中年男は、同類と思しき、もう一人の貧相な中年男と一緒になっている。
もう一人の中年男の方は、『デロンとしたハワイアン』と言うべき出で立ちだ。
色あせ過ぎて元の色柄の判別も付かない、グリーン系のハワイアンシャツ。その上に引っ掛けているのは、量販店で売られていると思しきワンコイン値段レベルの、グレーの安物ジップパーカー。下はジーパンなのだが、今風の若者ファッションを気取っているのか、ボロボロのジーパンだ。しかも、センスに問題があるのか無いのか、そのボロ・ジーパンは無意味なまでに加工が入り過ぎていて、もはや、『そろそろ、廃物回収に回さんかい!』というレベルである。
――ああいう手合いは良く見るから、これは確信に近い。あのくたびれた中年男ども、ハローワークを回って就活どころか、パチンコ三昧してくる予定なんだろう。
目暮啓司は、目立つような音を一切立てずに、器用に『フンッ』と鼻を鳴らした。
先程から後ろに控えている灰色ネコが、ピッカピカの金色の目を細めて感心しているのだが、目暮啓司は相変わらず気づかない。
――まぁ、人生裏街道を爆走中の、「俺の方がマシ」だなんて言うつもりは無いがよ。
目暮啓司は電信柱の傍を離れて、目星をつけたターゲットを目指した。
瞬間。
灰色ネコの金色の目が、神々しいまでに『ピカーッ』と光った!
「キャン! キャン!」
――しまった! 油断していて、犬に感づかれた!
目暮啓司は足元に不意打ちを食らって、たたらを踏んだ。奇妙な灰色ネコが尻尾を振り回してニヤニヤしているのが、視界の端に入ったが――今は、それどころでは無い。
――おい、こら、このスーツは商売道具なんだ。尖った犬歯で穴を開けるんじゃない、このクソの、フッサフサのテリアの、ジジ眉毛の犬が!
ようやくの事で、婆さんが飼い犬の妙な行動に気付いて、リードを引きつつ、犬をなだめ始めた。
「おや、ズボンの裾を噛んじゃいけないよ、トップスター」
「トップスター?」
それどころでは無いのだが、目暮啓司は一瞬、呆然と感心の混ざった心持ちになったのであった。
――このジジ眉毛のテリア種、愉快にも『トップスター』って名前なのか! 何気に時代を感じるね!
「ぐるうぅ~、がるうぅ~」
――困った。この犬、なかなか離してくれない。
ちなみに、この小型テリア種が、いきなり目暮啓司を狙って飛び掛かったのには、れっきとした理由があるのだが……
目暮啓司は困惑顔で婆さんを眺めるのみだ。
――このボロい住宅街でのミッション、すなわち『空き巣』は中止するしかない。婆さん、俺の人相と着衣をシッカリ覚えた筈だからな。
婆さんも困惑顔をしている。何処にでも居るような、割と崩れた身体ラインの、中肉中背の中高年のオバサン……というか、フツウの婆さんという風である。
「ゴメンナサイね、この子、いつもは大人しいんだけど……今日は一体、どうしたんでしょうね」
たかが小型犬に、見事に足止めされる形となった目暮啓司は、内心、悪態をつき続けた。
――どうもこうも無いよ。俺の稼ぎをパァにしやがって。
先刻、視界に入った灰色ネコは、今は電信柱の前に全身を現して、目暮啓司に向かって盛大なニヤニヤ笑いをしている。まるで『不思議の国のアリス』に出て来る、あのチェシャ猫だ。そのキレイな三日月形になったピッカピカの金色の目は、何故か、目暮啓司の心を奇妙にざわつかせた。
目暮啓司とジジ眉毛のテリア種が、数回、グルグルしているうちに――
――ぐぅ。
「さっきの大きいの……その、お腹の音?」
「はぁ……」
マジメ百点のサラリーマンを装っている目暮啓司は、婆さんの指摘に、大人しくうなづいて見せる他に無い。
――失念していたが、イライラ、カッカしていると、お腹が空くんだっけか。食費を切り詰めるために一日二食な生活だから、肝心なところでアラが出ちまった。チクショウ。
ジジ眉毛のテリア種は、まだしつこく唸って、ズボンの裾に噛み付いている。
――そろそろ、蹴とばしてやろうか。
そんな犯罪じみた事を目暮啓司が考えていると、小型犬は何故か、急に態度をコロッと変えた。ワフワフ言いながら足にじゃれついて来る。
実は、これにも、『金色の目ピッカピカの灰色ネコに示唆されたため』という、れっきとしたオカルトな理由があるのだが……それは、今の目暮啓司にとっては、あずかり知らぬ事である。
――つくづく犬ってのは分からん。
目暮啓司が心の内で毒づいている間、婆さんは戸惑いの余り、ポカンとしているままだったが……やがて、パッと閃いたような顔になった。
流石に目暮啓司も、『何なんだ』とばかりに、ギョッとする。
「そこの川の堤防のところを一回り、このトップスターと散歩して来て下さるかしら? 戻ってくる頃には、カレーが出来てるから……お詫びに食べて行って下さいな」
「はぁ……」
らしくも無い事だが、目暮啓司は素で口を引きつらせて、ただ呆然とうなづくのみだった。
実際、目暮啓司の手元には『おサツ』と呼べる金が無い。『タダで食べさせてくれる』となれば、今夜の食費が浮く。
――もしかしたら腹具合によっちゃ、翌朝の食費も、だ。
そんな打算を巡らせているうちに、目暮啓司の口元は、知らず、ゆるみ出していた。正直言って、大変ありがたい事なのである。
次の機会に、この住宅街で改めて、念入りに空き巣をやる時は、『この婆さんの家は見逃しておいてやろう』と思う程度には。