(5)赤き緒のたまゆらを~なかなか深い結びだニャン・前篇
夜明け前の闇は、いっそう深い。
いつの間にか、春の嵐が始まっていた。窓ガラスをたたく、大粒の雨。
「ワラオー所長の身柄を緊急確保、いや拘束せねば」
香多湯出翁は早くもラグジュアリーな客室を大股で横切り、所長専用となっている、続き部屋の扉に手をかけた。
――開かずの扉。
「カギが掛かっておる! 目暮くん!」
「ガッテン」
目暮啓司は、肌身離さず持ち歩いている「空き巣ツール各種」を、仕切り扉の取っ手に突っ込んだ。
手ごたえのある不規則な金属音がつづき……数秒後、扉が開く。
「え、どうやって?」
空き巣の天才の仕事を目撃する形になった、男女チームのボディガード2人は、ポカンとするばかり。
矢のように飛び込んだ銀灰ネコ、すなわち猫天狗が、「フーッ」と、全身の毛を逆立てた。
『もぬけの殻ニャ!』
――慌てて、コソコソ外出したという痕跡が、そこらじゅうにある。
乱暴に開けられたまま放置されている、ミラー付きクローゼット。
掛け布団の下に複数の枕や酒瓶などを詰め込んで、生きた人間がそこで寝ているように細工してあるベッド。
これから食べると言わんばかりに、夜食をチンするようにセッティングされた、備え付けの電子レンジ。まさに今、加熱しているところ。ゴゥンゴゥンという電子音を立てている。
そのチグハグな小細工が、かえって、深刻な疑惑を固めている。
「遅かったか!」
「いったい、どうしたんです先生?」
「ワラオー所長は、そこに寝てないんですか? アルコールをしこたま飲んで」
「修験道をこなすと、アルコールに強い性質になるんじゃ。ともかく。この続き部屋、別の出入り口があるのじゃな!?」
「え、あ、ハイ。当ホテルの構造上」
男性ボディガード渡辺が、その「別の出入り口」扉をサッと開いた。
ラグジュアリー・ホテルの廊下が、堂々と横たわっている。
最初に、香多湯出翁と目暮啓司が通ってきた廊下とは、別の廊下。だが、同じく、エレベーターホールや、その先の地上エントランスへ通じるルートである。
「まずは、マネージャー堀井を、つかまえねばならん。連絡先!」
女性ボディガード佐藤が「5件ほど、持っております」と申し出た。素早く、携帯電話をセットする。
「マネージャー堀井は移動の多い方ですから、即つながるかどうか」
そういいながら、女性ボディガード佐藤は、次々にコールを入れた。
最後の5件目。
「ビンゴ」
付属スピーカーを通じて、マネージャー堀井の、ビックリしたような応答が流れてくる。
「佐藤さん、どうしたの? 樹里に――『ジライちゃん』に緊急事態が?」
「緊急事態は貴殿のところなのじゃ、マネージャー堀井。とにかく、ワラオー所長は、まだ、そちらには現れてないのじゃな?」
「ええ、私は自宅に居ります。マンションの。香多湯出さん? 何故、ワラオー所長が来ると? いま夜明け前――4時にもなってないのですよ? それに、この雨ですよ?」
「よろしいか、ワラオー所長がピンポン押して上がり込もうとするじゃろうが、絶対に、中に入れてはならん。補助杖だのなんだの、準備が大変と理由をつけて、外に居てもらうんじゃ。じゃが、そこに張り付けておかなければならん。我々も急行する。いま、ワラオー所長に行方不明になられると、大変マズいのじゃよ」
「はあ、どういう事?」
「説明している時間は無い。やるんじゃ!」
香多湯出翁は手を出して、女性ボディーガード佐藤の携帯電話を、瞬間切断した。
「佐藤くん、『ジライちゃん』いや樹里の集中警護を。ワラオー所長が急に気が変わって、引き返して来るかも知れん。『金の生る木』を引っこ抜くためにな」
女性ボディガード佐藤は、緊急指令には慣れている様子で、素早くうなづいた。
「よし、渡辺くんは、我々とともに急行じゃ。急ぐぞい!」
「判りました。――佐藤さん、何かあった時のために、無線中継ラインは接続のまま。報告提出用の音声データ記録も込みで!」
大柄な男性ボディガード渡辺は、すでに各種装備を装着していたのだった。
*****
男3匹となった一団は、妖怪のごとき速度で駆ける銀灰ネコを先頭にして、ホテル付属の駐車場へと急いだ。
春の嵐ならではの、暖かいのか冷たいのか分からない空気が、渦巻いている。むせかえるほどの、雨の匂い。
車は3名と1匹を乗せて、急発進した。
運転手は毎度、目暮啓司である。
猫天狗ニャニャオが、その妖怪じみた神業でもって、旧式カーナビに高性能ガイドを召喚している。本格的な雨脚に邪魔されると、通信が乱れやすいのだが……奇跡的なまでに、クリア。
夜明け前のガラガラ道路は、本降りの雨に叩きつけられていた。
慎重に、かつ素早く速度を上げ、いよいよアクセルを踏み込もうとすると。
パトカーが並走してきた。
目暮啓司の運転する車を、速度違反の車と見さだめたのか。
「こんな時に!」
「いや……待て!」
パトカーを運転しているのは、目暮啓司もよく知る、同世代の若手の刑事だ。
――その上司は、確か……
パトカー後部座席の窓が開いた。そこから顔を出したのは、やはり、セレブ風な中年刑事だ。
「伊織くん、どうしたんじゃ?」
「例の、麻薬で酔っぱらって、衝突事故を起こした転売屋が、ついに海賊版データ取引先の名前の白状を」
「カツオ氏が推測し、私が想像したとおりの人物なら、なおさら緊急じゃな!」
「それに、襲撃現場の近くで血液輸送車が拾って警察へ届けてきた、修験道ロープ……赤い『貝の緒』の謎も、鑑定で驚きの結果が……香多湯出先生こそ、どちらへ急行されておいでで?」
「ワラオー所長を緊急確保じゃ」
「我々は同時に、同じ結論に到達したようですな。ワラオー所長の行方を追う。我がパトカーが同伴いたしましょう、ぶっちぎりでね」
――伊織・ド・ボルジア・権堂も、熱い男なのであった。
パトカーがサイレン灯を回しはじめた。
夜明け前の道路を走行する数々の輸送トラックが察して、協力して道を開けてくれる。さすが大型車の免許を取得したプロフェッショナルというところ。
アクセルをいっぱいに踏み込む目暮啓司。
道路で跳ね上がる水しぶきが、いっそう高い。
ありとあらゆる信号を無視して、みるみるうちに速度を増してゆき……
自動車の速度メーターは、時速100キロへと急上昇したのだった。
*****
目指す中古マンションの、最寄りの公園が見えてきた。
車2台、そろって急減速した。パトカーのほうは、いつの間にか覆面タイプである。
公園の植え込みの脇に車を停め、全員で雨に紛れて、忍者さながらにマンションへ潜入する。それぞれに鍛えた男の足でもって、みるみるうちに目標の階層へ駆けあがった。
あと一歩のところで、慎重に一帯を探る。
静寂の中に響きわたるのは、春の嵐に伴う大雨の音のみ。
それらしき怪しい人影は、まだ見えないが、油断はできない。
香多湯出翁が素早く携帯電話をかける……
……と、同時に。
目暮啓司の脳ミソへ、霊界通信による、電話音声の中継が入りはじめた。
猫天狗ニャニャオの神業――
――
「マネージャー堀井、到着したぞよ。ワラオー所長は来とるか?」
「ええ。先ほど。玄関カメラから確認済みです――あんな襲撃事件の後だから、少し話し相手が欲しくなったと。落ち着いたら善後策を相談しようとか……」
「明らかに嘘じゃな」
「ひとまず着替えと補助杖に時間かかると伝えました。それから、この階層は子供も多いので、あまりウロウロしていると、このマンションの当直明け・早朝出勤サラリーマンたちが間違いなく怪しんで、撮影したうえで不審者として通報する可能性も」
こんな時ではあるが、目暮啓司は少し複雑な気持ちになった。
――昨今は、どこもかしこも、安心できない世の中になったものだ。
マネージャー堀井の伝言が、テキパキとつづく。
「待ち合わせ場所として、エレベーターホールと表階段をつなげる公共スペースを案内しましたから、所長はそこに移動しているかと。自販機があって、配送業者もよく休憩するから、知らない人が居ても特に騒がれないポイントなんです」
「上出来じゃ。そのまま待機してくれたまえ。皆の者、エレベーターの間へ向かう。足音を立てずに行け」
電話を切り上げ、慎重に、公共スペースへと移動する。
次の瞬間、鉢合わせした。
――あからさまに「しびれを切らした」という風の、剣呑な坊主頭ガチムチ中年男。
お互いに男どうし、察するところ――大。
「てめぇら!」
「観念して縄につけい!」
夜明け前の、中古マンションの中階層。
数種の自販機がならぶ、中ていどの空間。
――公共スペースは、開放的な造りとなっていた。
端からの思わぬ落下を防ぐ設備はシッカリ存在するが……それでも、腰の高さほどのガードと、手すりアルミ落下防止フェンスの組み合わせ。
大きく広がった開口部からは、春の嵐がゴウゴウと吹き込んできている――
乱闘さながらの逮捕劇が炸裂した。
ワラオー所長が、ポンチョの下から、ギョッとするほど大きな山岳ナイフを振り上げる。今どきの、お洒落な折りたたみ式では無い。古典的なタイプのもの。
ちょうど悪い位置にいた目暮啓司の黒トレンチ・ハーフ丈が、ザックリと裂けた。
「うえッ」
もと『空き巣の天才』といえど目暮啓司は、銃刀バトルは専門では無い。本能的に、反射的に飛びすさる。
はずみで若手の刑事と衝突して、一緒になって転がってしまう。
だが、その「先手必勝」とばかりに踏み込んだ選択が、ワラオー所長の失敗だった。
踏み込んだ足元で、踏まれた形になった銀灰ネコ、すなわち猫天狗ニャニャオ。
必死ネコの、すさまじい絶叫。
「グエ――――!!」
坊主頭ガチムチ中年男の体軸が、わずかに揺らぎ。
和装の剣客・香多湯出翁が前に出た――その瞬間、日本刀が現れる。
空間を照らす天井灯に、青白い反射光。
ガキーン!
超人的なまでの居合術だ。山岳ナイフが弾き飛ばされ。
セレブ風な中年刑事・伊織が、意外なほどに器用な身のこなしで、その凶器を確保した。ワラオー所長の手が伸び、格闘で見るような足蹴りが繰り出されたが、いずれも、巧みに回避する。
「うおぉ!」
大柄な男性ボディガード渡辺が、横から急襲する。坊主頭ガチムチ中年男へと、一気に間合いを詰めた。
そのまま、大柄な体格どうしガップリと組み。
猛烈な足蹴りがつづいて左右ふらついた後、双方ともに「ドウ」とコンクリート床へ倒れ込んだ。
またたくまに柔道の固め技が展開する。さすがプロフェッショナル・ボディガードの仕事。
再び、開放的な公共スペースの開口部から、春の嵐が、ザアッと吹き込んでくる。
妖怪めいた銀灰ネコ――猫天狗ニャニャオが、興奮した銀色の弾丸のように、高速で、対決の場の周りを駆け回った。
気のせいかも知れないが、『量子的ボンヤリ』とながら、唖然とするような姿をしているように見える。
――金色の目のピッカピカ、いとも凛凛しき三角耳ぞ――
――風切る黒き烏羽、末になびくは、奇しき七尾――
理由は明らかではないが、オカルト的には、なんらかの意義がある様子……結界とか。
――勝敗の状況は、確定した。
坊主頭ワラオー所長の、抵抗の叫びが吹きあがった。
「押さえろ、手錠だ!」
中年刑事・伊織と、早くも跳ね起きた若手の部下とで、手際よく手錠をかけてゆく。
「銃刀法違反、動物愛護法管理法違反、公務執行妨害および暴行……現行犯逮捕!」
「本日04時21分、逮捕しました!」
「チクショウ……チクショウ! あいつらを逮捕しろよ! いきなり襲ってきやがって!」
拘束されながらも、ワラオー所長は傲然と顎を突き出して、あからさまに示した。
和装の香多湯出翁、男性ボディガード渡辺、いまやボロの浮浪者な目暮啓司……
…………
……




