(3)出血多量な殺人未遂~今夜が峠でございます
世間的には「普通に深夜」と定義されている、23時の前後。
港湾エリアに程々に近い街区を縦横する、大きな道路。
深夜トラックの数が増えている。
若き探偵・目暮啓司は、車のアクセルを踏み込んだ。追い越し車線へとコースを変える。
先行している転売屋の車が、探偵の尾行に気づいたのだ。
逃走追跡劇へと、瞬時に切り替わる。
「チクショウ、見失いそうだ」
『追跡を止めたら駄目ニャ!』
助手席で、人体と同じサイズほどの巨大ネコ・猫天狗が、七本のネコ尾を純白の後光のように展開させながら、鋭い声で突っ込んだ。金色ピッカピカのネコ目が、いまや炎のように燃えている。
『奴は、ドラッグで酔っぱらってるニャ! スピード上げて! 交通事故が発生する前に止めるニャ!』
「ムチャな矛盾を言うな!」
とは言いながらも、目暮啓司の、かつての「天才プロフェッショナル空き巣」ならではの直感力は、冴えわたっていた。
見る見るうちに、制限速度の領域へと到達する。深夜トラックの数々を抜けて、車間距離が詰まっていった。
坂の多い町の定番――丁字の交差点。
信号を完全に無視して暴走していた転売屋の車は、運転手の酔いが深くなったこともあったのか、角を曲がりそこねた。
ドガシャーン!!
アクセルとブレーキを間違えたらしく、さらなる暴走でもって直進して……高くたちはだかる「のり面」の藪へ、突っ込んでいたのだった!
*****
「ホントに幸運だったな。藪がクッションになって」
目暮啓司の通報で、早くも、警察が現場へ駆けつけてきた。
猫天狗ニャニャオの神業のせいなのかどうかは不明だが、毎度の顔なじみ、あのセレブ風の中年ベテラン刑事と、若手の部下たちのチームだ。
丁字路「のり面」の藪の中で、転売屋の車だったブツの残骸が、逆立ちしている。
周辺に、例の海賊版グッズが散らばっていた。
火気は無く、煙も上がっていない。幸いなことに。
ドラッグ性の深酔いで朦朧としていた男は、昨今の犯罪トラブルの多い移民事情を反映したかのように、特定の外国方面の、顔立ちであった。耳の上部をぶち抜く型の勇ましいボディピアス『インダストリアル』が目立つ。
――違法ドラッグ男のボディピアス『インダストリアル』は、気持ち悪さを感じさせる歪んだ意匠だ。特定の外国方面の文化に、この類の趣味や習慣は無いと聞いている。違法ドラッグを好むようになると、この類の意匠を好むようになるのだろうか。
それなりに原理主義なテキストが、袖から見える手首の部分に、刺青されている。四六時中ありがたい「神の言葉(?)」として、見返せるように。
「禁制ドラッグ末端価格は、おそろしく高騰している。まさに濡れ手に粟。目がくらんで、はき違えるのも、さもありなん。外国の宗教は、ガッツリ倫理を仕込むというが、その辺どうなってるのかね、まったく」
「手前の身勝手な都合にあわせて都合よく宗教だの礼拝だのを持ち出して、精神怠惰するのが習慣なんでしょ。そして『自分探し』だか『神の存在』だかスピ迷妄の末に、社会正義テロだの無差別テロだのに走るんですよ。ロシア文学『大審問官』読書感想文くらいは必修にしておいてほしいですね」
同時並行で駆けつけていた救急隊の面々が首を振り振り、それでも任務に忠実に、診断と搬送の手続きを進めている。
自動車のエアバッグが正常に機能したお蔭で、転売屋の男は軽傷。一刻を争う状況では無い。
意識を取り戻すまで、救急車の設備でバイタルサインなど様子を見て、余裕のある病院へ搬送する手筈。そして、もちろん、厳重に身柄拘束のうえ警察で事情聴取するのだ。
いろいろの手続きが進み、セレブ中年ベテラン刑事の伊織は、若手の部下へ後続の業務を移行しはじめた。
その時。
セレブ刑事・伊織の携帯電話から、緊急コール音。
概要を聞き終えた後、伊織・ド・ボルジア・権堂は、厳しい眼差しになった。
「緊急事態だ。目暮くん。カツオ氏が襲撃された。大量出血の重傷で意識不明だそうだ」
「……はあッ!?」
*****
シニア先輩カツオ氏が搬送された病院へ、パトカーで駆けつける。
伊織と共に同乗した目暮啓司と猫天狗ニャニャオは、サイレン音の合間に流れる、刻々の最新情報に耳をそばだてていた。
現在、判明している概要は、以下のようになる。
――事件が起きた場所は、『ジライちゃん』深夜ショー舞台となったライブハウス――の、スタッフ向けの非常階段である。
さきほど、深夜0時を相当に過ぎた頃。
深夜ショーが終了し、マネージャー堀井の手配で、『ジライちゃん』のための送迎車が回された。
脅迫状トラブルが続いて『ジライちゃん』は極度に神経過敏・精神不安定になっていた。
前もって人払いを実施しておいて、ほぼほぼ無人となったタイミング。
ボディガードを務めるシニア男カツオ氏と共に、ショー会場のスタッフ用の非常階段から、『ジライちゃん』は送迎車に乗りこむ手筈となっていた。
だが、その非常階段を地上階へ移動する、わずかな隙間タイミングに、暴漢が襲撃してきた「らしい」。
暴漢の目的が『ジライちゃん』だったのか、ボディガード・カツオ氏だったのかは、判らない。
カツオ氏は任務にしたがって『ジライちゃん』を警護し、その結果、暴漢の刃物を急所に受けて大量出血を起こした。
襲撃にかかった時間は、3分も無かったのではと推測される。
常に『ジライちゃん』から目を離さない有能マネージャー堀井が、続いて現場へ駆けつけていたのだ。
結果として、襲撃現場の状況は、不可解なものとなっていた。
非常階段の途中の階層で、大量出血で意識を失い、瀕死となったボディガード・カツオ氏。
再度の薬物過剰摂取で、失神せんばかりに朦朧としていた地下アイドル女子高生『ジライちゃん』。
ワラオー芸能事務所の所長は、かねてから地上に居た。その先の駐車場ロータリーのところで、契約の送迎車の到着を待ち受けて、乗降の予定の位置へ誘導しているところだった。
犯人を目撃した人は居ない――
*****
不吉な流れじゃねえか、と目暮啓司は呟いた。
マネージャー堀井が第一容疑者になるところだ。
ワラオー芸能事務所の所長が、まさかの犯人である可能性もあるが。
――1分そこらで、非常階段の途中の位置から、駐車場ロータリーまで、移動できるだろうか?
――非常階段を駆け下りる時は、とんでもない足音がする筈だ。それらしい、怪しい物音すら立てずに?
ワラオー所長は、自己流だか、修験道の覚えがあるとか。
まさかのまさかで……天狗よろしく烏羽を生やして空を飛べるとか……とんでもない変態アスリートの可能性もあるじゃないか!
まずは、本人を確認してからだろう……
*****
あっという間に、救急搬送先の病院へ到着した。
常にせわしない雰囲気がただよっている区域。いまはいっそう、切羽詰まった雰囲気がピリピリと感じられるところである。
看護師たちに案内されて、目暮啓司たちが移動した先は、ナースステーションである。
近くに設けられている待合場所には、3人ほどの男女が……憔悴したように座り込んでいた。
坊主頭のゴツゴツした印象の、ガチムチ中年男。
特殊な形をした補助杖を携えているシニア女性。
――この男女2人が、ワラオー芸能事務所の所長・破螺氏と、マネージャー堀井に違いない。
残り1人は、急遽、駆けつけたという風の、かくしゃくとした和装老人。香多湯出翁だ。厳しい表情で鎮座していた。
はやくも香多湯出翁が、中年ベテラン刑事・伊織と、若き探偵・目暮啓司の到着に気づいて、振り返って来る。
「おお、伊織くんに、目暮くん」
「このたびは。……香多湯出先生。カツオ氏の状況は、いったい」
「いまは集中治療室に居る。まだ意識は戻っておらんようじゃ」
さすがに目暮啓司も、不安でソワソワするところはある。
「よっぽど、……大怪我だったんすね」
「おお、紹介しなければのう。こちらがワラオー芸能事務所のワラオー所長、こちらがマネージャー堀井じゃ」
ひとまず紹介された順番に、一礼を交わす。
「おふたかた、この若いのは、わが探偵事務所の所員、目暮くんじゃ。カツオ氏に代わって助手をすることになるゆえ、お見知りおきを」
…………
……
ほどなくして、看護師がテキパキと近づいてきた。医師も居る。
重要な連絡事項に違いない。
香多湯出翁も、坊主頭ワラオー所長も、サッと立ち上がった。
坊主頭をしたガチムチ中年男の動作は、意外に機敏だ。「山の男」といった風。これまた「山の男」好みと思しきポンチョ。
マネージャー堀井も不自由な脚をおして、慎重に立ち上がっていた。最近、ハードワークで体調が思わしくないと聞いていたとおり……顔色が相当に悪い。
補助杖をつかむ手が震えている。アッと思う間に、マネージャー堀井は危なっかしく、ふらついていた。看護師が飛び出して支えようとしたが、幸い転倒の気配は無く、事なきを得る。しかし、その体軸の不安定さは、割合にハラハラさせられるところがある。
「ご無理なさらず」
医師は、慎重に、口を開いた。
「患者さん――麻生勝雄さんの血液型は、О型マイナスですね」
「うむ、相違ないぞい」
「年度末ということもあって、すべての血液型にわたり、輸血用血液が確保困難な状況です。まして、О型マイナスは……正月以来、ほぼほぼ在庫が枯渇しているところで。いずれにしても今夜が峠です。たいへん心苦しく残念ですが、最悪もありうるかと。病院としては手を尽くしますが」
「うむ……、お手数おかけ申し上げる」
医師はサッと一礼し、ナースステーションでスタンバイしていた別の看護師と専門的なやりとりを済ませると、助手の看護師と共に、テキパキと集中治療室のほうへ戻っていった。ナースステーション電話コール音が、1台、また1台と、鳴りつづけている……
…………
……
セレブ風の中年刑事・伊織が、珍しく表情をゆがませ、頭を抱える格好だ。
「なんという事だ!」
ワラオー芸能事務所の坊主頭所長が、イライラと足踏みをする。
極度の不安とストレスを感じているに違いない。
中年男の、ガチムチ・ゴツゴツとした印象の大柄な身体が、ガタガタと震えているのが、傍目にも判る。ガバッとかぶった風の、オーバーサイズなポンチョ型コートを通していてさえ。
ポンチョの端が揺れた拍子に、片方の腰から、古典的な赤い色をした複雑なロープの輪を垂らしているのが見えた。
――凝りに凝った財布用チェーンに見える。
「ボディガードは、いったい何をボンヤリしていたんだ!? おかげで、ウチは『金の生る木』を失うところだったんだぞ! カツオ氏は無能だったんじゃないか、香多湯出ジジイ!」
――財布用チェーンにこだわるのも、納得するばかり……坊主頭ワラオー所長の、カネへの執着心。
香多湯出翁の眼光が、ギラリと閃いた。
「私は部下の能力を信じるぞい。自慢の弟子のひとりじゃ。まったくの想定外の状況があった筈じゃよ。我々には見えていない、謎の真相が」
「謎の真相……?」
ボンヤリと、マネージャー堀井が聞き返していた。しかし内容のある返答は期待していなかった様子で、再び補助杖にすがって、ヨロヨロとソファに腰を下ろしていた……
病院の外側から、別種のザワザワとした音が聞こえてくる。
坊主頭ワラオー所長は、その方向の窓に駆け寄って、素早く様子をうかがい。
「マスコミが嗅ぎつけたらしい。ヤツラは、どこへでも傍若無人に出入りするゴキブリだ!」
盛大な舌打ちの音が挟まった。
「例の『ジライちゃん』休養だの治療だので押さえてたホテル予約は、ウチの分までも取り消してないな。そこへ『ジライちゃん』を押し込んでるから、フラフラと出歩いて変なことしないように、あたらしいボディガードを雇って、見張らなければ」
あっという間に、坊主頭ワラオー所長は立ち去って行った。
*****
――芸能クリエイター業界というところは、過剰に冷酷で、訳の分からない部分が多すぎる。
目暮啓司はポカンとしながらも、当座の疑問点を口にした。
「噂のアイドル『ジライちゃん』、いまはホテルに居るんすか」
「あ、ええ、そう……そうですね」
答えたのはマネージャー堀井だ。
「警察から簡単な聞き取りを受けたけど、あの子、朦朧してて話にならなくて。いったん、ホテルに」
「襲撃の前から、もう再度の薬物過剰摂取で、トリップしてたとか?」
「錠剤を隠し持っていて、ショー後半から大量摂取してたの。舞台の裏で、ちょっとしたスキマ時間に、水なしで、こう、ガッと飲み下してしまうのね。こちらの病院で緊急に胃洗浄をしていただいて――胃に残っていた分だけではあるけど――それから、ホテルへ移動させておいてある」
目暮啓司の足元で、巧みに透明になった猫天狗ニャニャオが漂っている。
『重要なポイントニャネ。襲撃前から朦朧していたとすると、襲撃の瞬間『ジライちゃん』は、カツオ氏の指示どおり動けなかった状況ニャ。素早く逃げるとか、そういう行動ができなかった筈だニャ』
さっそく、目暮啓司は、その言及を通訳した。
香多湯出翁が、我が意を得たとばかりに大きくうなづく。
「自衛行動を取れなくなった――しかも、トリップゆえの予期せぬ挙動もする――警護対象を保護するのは、困難な仕事じゃよ。カツオ氏は、間違いなく最善を尽くした筈じゃ。わずかな時間といえど、必要なだけの幅を勝ち取った。そして、襲撃犯は『ジライちゃん』に手を出せないままに……マネージャーたちが到着する前に、逃走せざるをえなかったんじゃ。どうやって逃走したのかは謎じゃがの」
「あの子、現場をまったく覚えてない筈です。お役に立てず。あの様子では、正常な感覚が戻るまで1日……2日は、かかるかも知れません。勝雄さんには、お詫びしてもしきれません。申し訳ありません」
耐えかねたように、マネージャー堀井はうつむき、頭を抱えていた。苦悩の嗚咽が漏れ出てきている。
「お気になさらずじゃ」
それぞれに思案しつつ……やがて。
ナースステーション電話が再び鳴り、看護師がサッと受話器を取る。
「……はい、いつもお世話になっております。はい、その通りです要請は……え、見つかった!? 到着した……ぜひ! 緊急で!」
看護師は最後には浮足立つあまり、立ち上がってピョンピョンしていた。よほどビックリした様子だ。
一部の数人の看護師が、見事なチーム連携で、それぞれに走り回りはじめた……
「ふむ、何があったんじゃ?」
「あ、集中治療室の患者の……O型マイナス輸血パックが到着しました! 先ほど、その血液輸送車が到着したと」
あまりにも予想外の展開。
しばし全員で沈黙し、看護師たちが走り回っているのを眺めるのみだ。
「2単位!」
「緊急輸血、準備して! ちゃんと適合チェック通して!」
ボンヤリとするままに、目暮啓司は、その辺をフワフワと漂う透明な猫天狗ニャニャオを見やった。
(なんか、したか?)
『友神クスタマ君が来てるニャ。少し訳を聞いてくるニャ』
ナースステーションのほど近くで、不思議な光球が、ふたつばかり……フワフワと漂いはじめる。
いつかのように「或る角度」を取って、凝視してみると。
二重写しに、特徴ある姿形が、映し出されているのが判る。
一方は、我らが猫天狗ニャニャオ。
もう一方は、あのふわもち・きらきら・ヌイグルミな「テルテル坊主」風の姿だ。
テルテル坊主が、パッと純白マントを広げて一回転した。
なにかを召喚したらしく、もうひとつの光球が現れる。
――ポン。
その光球のなかから、なにやら以前に見たことのあるような、血のように赤い装飾を持つ「ゆるキャラ」が真剣な顔で飛び出してきて……
空色の旗を掲げながら、看護師たちが駆け込んだ別扉のなかへと、飛び込んでいった。
不意に、目暮啓司の脳裏に、最近の記憶がよみがえる。
(いつだったか献血イベントに来てた女子高生……? あの水色の旗は、献血バスの「ゆるキャラ」が持っていたような……?)
しばらくして、猫天狗からの霊界通信が飛び込んできた。
『確認が取れたニャ。ケイ君ご明察のとおり、いま来た輸血パックは、クスタマ君の氏子由来ニャネ。こんな状況だから、クスタマ君の神業で、例の輸血パックの中身を増強しといてくれたニャ』
(……何とかなるのか!?)
『あとはカツオ氏の体力しだいニャ。翌日になったら、クスタマ君の知ってる別のO型マイナス血液型の氏子が、血液センターからの献血要請に応じてくれる見込みである。だけど、いずれにせよ「今夜が峠」との医師の判断は間違っていない。付け加えることは無いニャ。神業は、そこまでは干渉しないゆえ』
目暮啓司が霊界通信の内容を咀嚼していると、横から、中年セレブ刑事・伊織が、ポンと肩をたたいてきた。
「なにか、オカルト直感が働いたようだな、目暮くん? 目暮くんの直感は異常に当たる、空振りも多いが。話してくれるね?」
穏やかで上品なセレブ所作だが、そのベテラン中年刑事の眼差しには、冗談では無い光がある。
思わずひるむ目暮啓司であった。
一方で。
マネージャー堀井は、香多湯出翁と、いくつか相談を交わしていた。そして。
「もし、よろしければ、もう少し此処で待機させていただければ。あの人の近くに、もう少し居させていただきたく」
シニア女性の頬には、乙女らしい赤みがさしていた。
「ご迷惑でなければ是非お願いしたいと思っていたところじゃよ、マネージャー堀井。無理のない範囲での。万が一の時は、こちらの携帯電話へ緊急連絡を入れてくださるかの」
「かしこまりました、香多湯出さん」




