(6)一件落着とするのだニャン
金魚の釣り堀屋の隣、胡乱なアウトレット店の前に、警察メンバーがそろった。
リーダーは、セレブ風の中年刑事、伊織・ド・ボルジア・権堂。
人類に可能な限りの最速で、捜査令状を取って来たのだ。
次の瞬間。
アウトレット店の扉が、バターンと開いた。
ギョッとする警察メンバー。
「ニンジャ・キットォ、ジャボォ!」
ヒゲ面の男が、『金属製の何か』を振り回しながら飛び出して来た。明らかに正気ではない。
オリンピック種目ハンマー投げのハンマーよろしく、鎖につながれたソレを、物騒な速度で回転している。
「わわわ!」
異様な光景に浮き足立っていた目暮啓司は、謎のハンマーを顔面に食らいそうになった若い刑事と共に、無様に地面に転がってしまった。
「無駄な抵抗はやめよ」
付き添って来ていた老人が、腰の刀に手を掛けた。昔ながらの剣豪の気迫を持つ、和装・帯剣姿のかくしゃくたる香多湯出翁だ。
まさに神技と言うべき、達人の居合抜き。
ガキーン!
一瞬の火花を散らし、刺激臭にまみれた『金属製の何か』が、宵闇の空へと斬り飛ばされた。
香多湯出翁の返す刀が、ヒゲ面の男の急所を打つ。
芸術的なまでに美しい峰打ち。
ヒゲ面の無国籍風の魔法使いのような男は、白目をむいて、ドウと倒れ込んだのだった。
*****
「――かくして、違法植物の栽培、違法薬物取引、不法入国、不法侵入、器物損壊、動物虐待致死、業務執行妨害、その他の余罪も多々……と、フルコース料理みたいなセット込みで、お縄になったという」
目暮啓司が、擦りむいた額や膝に絆創膏を貼りながら、ブツブツと呟く。
一夜明け、香多湯出・探偵事務所は、いつものように爽やかな朝を迎えていた。
テレビから、興奮で甲高くなったキャスターの声が、よどみなく流れつづけている。内容は、『金魚の釣り堀』事件の顛末だ。
別の一角では、香多湯出翁が愛刀を手入れしている。
「結局、あの路地裏がポイントだったのじゃな。黄金スカジャン男はいったん、倉庫へ身を隠して、追跡をかわしていた。仲間にしてボスであるヒゲ面の男の方は、面格子窓を通して首尾よく札束入りのカバンを受け取り、路地裏をサッと走って、隣のアウトレット店に潜むという形。あの倉庫、二段構えで姿をくらますのに都合の良い潜伏先だったし、道理で警察が、なかなか追跡できなかった訳じゃ」
「ただ今回は、あのカバンを触った時に、ヌルヌルしていて『もう使えん』と感じたから、適当に小石を入れて、釣り堀の方に投げ捨てていた。証拠隠滅……ついでに、以前から見かけていた中年アルバイト男に、罪をかぶせることも含めて。それがアダとなったというか、金魚の大量死という想定外の大騒ぎになった訳っすね」
「うむ。あのヒゲ面の男、仲間の黄金スカジャン男が、まったくの不慮の事故で既に死んでいたとは知らなかったそうじゃよ。言語の壁じゃのう。取調室の方で、通訳を通じて知ってショックを受けていたそうじゃ」
重々しく語る香多湯出翁であった。
「あの刺激臭のする香炉を焚いていたのは、違法植物の栽培を隠蔽するためだったとか。収穫時期になると、あの種の草は特徴的な香りを持つからのう」
「何だか、『策士策に溺れる』の図を見てる気がするっす。においを長く嗅ぎつづけていると、人間の鼻、バカになるんじゃなかったっけ」
目暮啓司は顔をしかめた。
――あの男子高生が、最初に受け取った時のカバンは、どれだけキツイにおいがしていたのだろう。
「そう言えば、札束の行方は判明したっすか?」
「光熱費など経費を支払った後、仮想通貨の取引に、残額すべて突っ込んだと聞いておる」
「祖国だっていう、『某Z国』向けの送金じゃなかったって事すか?」
やがて、テレビニュースが切り替わった。
政情不安定な途上国『某Z国』のトピックだ。相変わらず武装勢力による各種テロや小競り合いが続き、難民が増えている状態。
ボランティアで『某Z国』への技術指導や難民支援を続けているという日本人へのインタビュー画面が映し出された。武装勢力が横行している中、身の安全を図るためということで、その顔面には、ボカシが入っている。
ゆっくりと、苦い顔をする香多湯出翁。
「かの危険な『某Z国』に、命懸けで残った日本人が居る一方で……日本に何とかして潜り込み、違法行為に手を染めてまで大儲けを狙う『某Z国』人も居る、ということじゃな。あのヒゲ面の男も、黄金スカジャン男も、祖国『某Z国』では特権階級というか、富裕層クラスの人物だったようじゃ。国外脱出のための不法ビザや航空券を買えるほどの財産がある……本当の難民ではない。インターネットが発達した現代、先進国の豊かな生活をネットで垣間見て、自分も同じような生活をしたい……となるのは理解できるがの」
「何のためにボランティアが頑張ってるんだか、つくづく分からんっす」
「いつまでも事態が改善しない、新興国や途上国の全般に言えることじゃな。援助マネーは、そのまま、当該国の特権階級のポケットマネーになってしまい、本当に支援を必要とする一般の人々には行き渡らぬ。おまけに、そのマネー還流は複雑怪奇な状況になっておるからの。日本などの安全な国から出ぬまま、当該国からの還流を特権的に受けている名誉貴族の人権団体や宗教団体も多い」
「いまどきの人権団体と宗教団体、胡散臭いのが多いっすね」
「リベラル系らしき人権団体と宗教団体の一部の走狗が、早くも警察に噛みついているそうじゃよ。あのヒゲ面の宗教関係者を理由なく拘束しているのは、かわいそうな外国人や移民への差別であり、人権侵害であり、宗教迫害であり、即刻、生活保護も込みで釈放せよ……とな」
「頭わいてるっすね」
「案外、彼らの金づるを調査すれば、興味深い事実が分かるかも知れんぞ。マネー還流ビジネスと、マネロンの醍醐味というところじゃな」
――あのヒゲ面の男、釈放されたら釈放されたで、ろくでもない人権団体や宗教団体の金づるとして利用され、夢に見た先進国での豊かな生活どころか、祖国よりもひどい貧困の中で飼われて、死ぬまで……という可能性も、ある訳だ。
神猫にして猫神『猫天狗ニャニャオ』の方から、神の声が聞こえて来る。
《先進国の豊かな生活ってのはニャ、ヒゲ面の魔法使いや黄金スカジャン男が思っているような、選ばれた富裕層のための『特権』じゃないのニャ。それが理解できれば、『某Z国』も豊かな先進国へ変身することができるニャ。『某Z国』の神、ヒゲ面の魔法使いの想像以上に、深遠にして偉大なる神ニャ》
目暮啓司は絆創膏だらけになり、ソファにグッタリと沈み込んだ。
灰色ネコが横に来て、ことさらにお行儀よく座る。訳知り顔のニヤニヤ笑い。
「……昨夜、あのヒゲ面の魔法使いが急に錯乱したのって、七尾のせいじゃねぇのか? お蔭でこっちは怪我人だぞ、妖怪猫め」
「ニャーオ」
「そいつは冤罪だと抗議しているようじゃなあ。実際、彼奴が吸い込んだ薬物の粉末、急性の錯乱症状を起こす成分が含まれているそうじゃ」
やがて、香多湯出翁が首を傾げる。
「伊織くんが言うことには、例のヒゲ面の男、薬物摂取の後遺症なのか、金魚の亡霊に取りつかれている様子。たびたび幻覚を見て『おぉ、窓に! 窓に!』と叫んでいるとか。ほぼ廃人じゃな。彼奴の信仰するところの『某Z国』の神が、そういう神罰メニューも取りそろえているとは寡聞にして知らなかったがのう」
俗世の灰色ネコの姿をした猫天狗・七尾は、無邪気な顔で毛づくろいを始めている。
……こやつ、絶対、超次元『神サミット』か何かで、『某Z国』の神と話し合っただろう。
疑惑タップリの眼差しでもって、偉大なる神猫にして猫神『猫天狗ニャニャオ様』を眺める、目暮啓司であった。
―《終》―