(4)カバンのアレの秘密はね
香多湯出・探偵事務所への依頼人である、大手会社の社長の――豪邸。
その豪華な応接間に、香多湯出翁と目暮啓司は居た。
香多湯出翁はビシッと決めた紋付袴の和装姿。目暮啓司は髪を七三に分け、マジメ百点スーツ姿だ。
茶注ぎメイドが下がった後、少し時間が空く。
午後の後半を指す高級な振り時計の辺りに、視線を走らせる。
――そこかよ。
世が世なら、『神の啓示』『神託』専門の神職が務まったであろう目暮啓司。それほどの高精細な霊感の持ち主でなければ、気付かない。
高級な振り時計の、銀細工を多く使っている辺りに、空中に浮かぶ透明な『ニヤニヤ笑い』がある。『隠遁の神通力』発動中の、七尾の猫。猫天狗ニャニャオだ。
――ガチャリと音を立てて、応接間の扉が開く。
折り目正しそうな印象の社長と、オドオドした風の男子高生が入って来た。父と息子だけに、顔立ちは似通っている。
「待たせて申し訳ありません、香多湯出さん」
「いや、こちらこそ急に訪問いたしましたから」
「愚息に確認したいことがあるとか。学校や警察の補導の方で、時間がおしているので、できれば手短に……」
社長は、痛む頭を押さえる格好で、どさりとソファに腰を下ろした。
禁断のドラッグ取引に手を出してしまった息子について、警察や学校との話し合いも含めて、色々と大変なのであろうということが、うかがえる。
男子高生はオドオドと落ち着かぬ様子だが、着ている制服は、富裕層メインの学校のものと言うだけあって、ガッツリ、ブランド製品だ。
――社長の跡取り御曹司として、将来を約束された若者なのだ。起きてしまったことは残念だし、当面はゴタゴタで大変だろうが、早々に露見したことは決して悪い結果にはならない筈。
実際、社長はマスコミへの影響力もある。この事件に血縁者がかかわっていた事実そのものがボカされて、伏せられている状態だ。
目暮啓司は再び、応接間のテーブルの上に、サッと目を走らせた。
今日付けの夕刊。
社会面の一角に、今回の事件のタイトルがある。
――『X県X市X区、金魚の釣り堀屋の住み込みアルバイト日暮XX(男、年齢N)が、本日、氏名不詳の男性(某Z国)殺害容疑により任意同行を求められる』
試してみようと、ついつい金に飽かせて手を出した男子高生の方は、匿名のまま保護され、ボカされ。
出所して、真面目にやり直そうとしていた中年男性の方は、当分は余計に名誉回復に苦労すること確実な、実名報道だ。過去は致し方ないが、男子高生の愚かな行動ゆえの、とばっちりだ。
この、微妙な格差。
理不尽な、因縁の波及。
微妙なだけに、未成年という条件を加味して考えてみてさえ、フツフツと来るものを感じる。
目暮啓司の目は据わっていた。剣呑にギラギラする視線を受けて、男子高生が、いっそう顔色を悪くする。
「単刀直入に聞くっす」
「はぁ」
「金ピカのスカジャン男に渡していた、札束入りのナイロンバッグ。スカジャン男から指定された種類サイズのカバンを用意していた。合ってるっすか?」
「え、はい、いえ」
「どっちなのか、ハッキリしろ」
男子高生はモゴモゴと口ごもった後、小さくなった。
「ちゃんと説明しなさい。それが社会的責任を取るということだ」
父親に諭され、男子高生は泣きそうな顔になっている。人生経験も考えも浅いだけであって、本質は邪悪ではないのだろう――『無知は罪』に通じる部分が、大きすぎるが。
「え、えと、あのカバンは、前もって、そこの駅のロッカーで受け取ってて。あれにお金を入れて渡せば、……あの、目がパッチリして頭が良くなるクスリ……テオシ……ヤサイを、くれるってことで」
社長が不意に首を傾げた。
「あぁ、妻と私が気付いたのも、カバンがきっかけでした。ツンとした奇妙なにおいがして、あのカバンを発見し愚息を問い詰めたら、このような次第だったという訳です」
「におってた?」
男子高生が、驚いたように面を上げる。
父親が生真面目そうに顔をしかめた。
「そこはかとなく。香道で使われる香や、流行のアロマの類なんかとは全く違う、不自然な」
香多湯出翁が身を乗り出す。
「駅のロッカーには、前の利用者が独創的な漬物なんかを入れたりして、その異臭が染みつくことがあるが、そういうものではなく?」
「ええ。スパイスのブレンドのような」
「洗濯してたのに」
何もかも恵まれて、自分の事を何もしていなさそうな男子高生からの、意外な言葉――『洗濯』。
目暮啓司の口が、パカッと開いた。
「洗濯?」
「え、最初、ツンと来てキツかったから……それに何だかボロで、きたなかったし、少しでも落とそうと思って……洗濯機のところ行って、ちょうど棚にあった洗剤で……」
「問題のカバンは、よほど傷んでいて、ツンと来ていたのじゃな」
「はぁ、あの、悪臭と言う訳じゃないけど、普通に手に持って歩いてたら目立つかも、という感じで……」
社長がブツブツ言い始めた。その後、社長は茶注ぎメイドを呼び出した。
「お呼びですか?」
「妙なことを聞くが、最近、洗剤が減っていたか? 洗濯用の」
「はぁ。はい、確かに。急に二日分……三日分くらい、一気に減ったことがございまして、在庫も無くなりかけていたので、急遽、新しい洗剤を買い足しておりましたが。何か不都合ございましたでしょうか」
「いやいや、問題は無い。状況を知りたかっただけだから、報告ありがとう」
「では失礼いたします」
茶注ぎメイドが退出した後、香多湯出翁が、呆れ顔で首を振り始めた。
「また随分と大量に使ったものじゃな。泡で一杯になったじゃろう。普通は、そんなに使わんでも落ちる。現代のハイテク洗剤は優秀じゃ」
「はぁ。えっと、だいたい泡が消えるまで、すすいで、乾かして……その後で、お金を入れて……」
次の瞬間。
香多湯出翁の携帯電話が、和装の中の何処かで、呼び出し音を奏で始めた。
ポッポー♪
思わず目暮啓司が、応接間の一角を荘厳する高級振り時計の方を確認したのは、此処だけの秘密である。
「警察からの緊急連絡じゃな。もしもし?」
やがて、香多湯出翁の立派なお眉が、ギリッと吊り上がった。達人の剣豪ならではの気迫。
「伊織くんからの連絡だ。例の金魚の釣り堀で、金魚の死体が大量に浮いて来たそうだ。マスコミが嗅ぎつけて、『ペラッター(SNS)』でも騒ぎが始まっとる。殺人事件との関係があるかどうかも含めて、緊急で死因を調べているとのことだ」
「金魚の死体ですと?」
「まじ?」
唖然とする社長と、男子高生である。
「現場へ急がねばならん。急な訪問にも関わらず、会って頂いて感謝いたしますぞ。もう質問は無いな、目暮くん?」
「無いっすね」
「それでは、これにて失礼をば、社長どの」
「ああ、はい、ご苦労さんでした」