(3)新たな疑惑ジャジャジャジャーン
面格子の窓の外は、何の変哲も無いアスファルト舗装の路地裏が続いている。
雑然とした中小ビル、古びた民家、アパートメント、プレハブ貸倉庫、砂利で舗装された小規模パーキングエリア。
ちょっとした町外れならではの光景。
死亡現場となった平屋の備品倉庫の隣に、狭い路地裏を挟んで、小さなアウトレット店があった。
深夜かつ営業外の時間帯とあって、店内は暗い。
懐中電灯を向けてみると、ガラス窓の奥にマネキンが並んでいるのが見える。裸であったり、海外からの輸入品と思しき、民族衣装のような洋服を着ていたり。
「洋服屋か。エスニック・ファッションとか……民族衣装っぽいな」
《この店、奇妙な気配があるニャ》
「金ピカ野郎も、あっち系のツラだったっけか。アタリか」
《フーッ》
灰色ネコの全身が、ビシィ! と総毛だっている。尻尾もブワッと膨らんで、臨戦態勢だ。
老剣豪・香多湯出翁が、チャキ、と腰の刀に手を添える。
神猫にして猫神、猫天狗ニャニャオ――程では無くても、達人の剣豪ならではの直感で、ただならぬ妖気を感じ取っている様子。
「此処はワシに任せろ、若いの」
「何かあるっすか」
「あるかも知れんし、無いかも知れん」
香多湯出翁は呼び鈴を鳴らし始めた。レトロな呼び鈴が『ポンポーン』と、気の抜けた音を立てる。
やがて、卓上スタンドと思しき照明がパパッと光り、ガラス窓から見えるマネキンのひとつが動いた……いや、マネキンでは無く、ローブをまとう人間だ。
「ウェエルカム、ナンのヨウ?」
古そうなガラス戸を開いて出て来たのは、異世界ファンタジーの魔法使い、もとい、無国籍風のヒゲ面の男だ。
エキゾチックなスパイスを大量に摂取しているのか、ファンタジーな香炉があるのか……異国風の濃厚な空気が漂っている。
「貴殿、この店の主人か? それとも居候か?」
「チガウチガウ。ココ、チンタイ。アパルト? カシのハウス」
「つまり、これは貸家で、オーナーから借りて住んでるって事か」
「ソウソウ。マネー」
「聞きたい事があってな。この先で事件があったんだが、誰か、見なかったかね」
「オウ~。ミテナイネ。ケガ? アル、レッド? ピィポー」
「あぁ、救急車は気付いたんだな」
そんなやり取りをしているうちに、灰色ネコがスルリと中へ入り込み……程なくしてスルリと忍び出て来る。
さすがにヒゲ男も気付き、ギョッとしたように、ネコを見下ろした。
「オウ、ニンジャ? キット?」
「キャットじゃ。猫じゃ」
「ゴールドアイ・キット、デビル。キャスパリーグ。シャパリュ。ラーフ」
バタン。
ヒゲ面の魔法使いのような男は、慌てたように扉を閉めた。
エキゾチックなスパイスの、ツンと来るような残り香が、しつこく漂っていた……
*****
翌朝。
昨夜の一刻、パラパラ降っていた冬の雨は、すっかり上がっている。
目暮啓司は、香多湯出・探偵事務所の休憩室のソファで眠りこけていた。ソファの傍に、もうひとつの毛布の山。
次の瞬間。
電話がコール音を発生した。
――ドッカーン!
毛布の山が『ビョン!』とばかりに、偉大なる『猫天狗ニャニャオ』を噴き出す。人体サイズほどの大きさをした、銀色の大型の猫。七本の尾。背中に黒い烏羽……
「チクショウ、何で呼び出しが爆弾の音なんだよ。変なところでハードボイルド趣味じゃねえか、あの香多湯出ジジイ」
寝ぼけ目をこすりながらも、かつての会社員時代をなぞる生真面目な所作で、サッと電話を取る目暮啓司であった。
「こちら香多湯出・探偵事務所! 寝不足なんだ、とっとと切りやがれ」
『お早う、そして、ご苦労さん、目暮くん』
セレブ風の中年刑事、伊織・ド・ボルジア・権堂だ。
「……香多湯出のオッサンなら、付属の道場で素振りをやってる筈っす」
『ああ、別途メールを送ってあるから大丈夫。目暮くんの個人的な見解も聞きたくてね。実は、あの死体の件で、新しい展開があった。金魚の釣り堀の事務所に潜んでいた容疑者を発見、任意同行した』
「殺人犯が見つかった? 素早くて結構なことっすね」
『そうとも言えるし、そうで無いとも言える』
――要点を言いやがれ。
目暮啓司は電話を肩に挟み、探偵ノート速記の構えだ。
いつの間にか、七本の尾を神々しい光背のようにそろえた『猫天狗ニャニャオ』が傍に陣取り、集音器よろしく背中に黒い烏羽を広げ、キリッとした面持ちで傍聴している。
『被疑者が、日暮夫人のところの御子息でね』
その含むところが、目暮啓司の脳みそに染み込むまで、きっかり三十秒。
「……ちょっと待て、日暮の婆さんとこの、引きこもりでパチンコ三昧だった、無気力プータロー?」
『確かに、目暮くんの転身の切っ掛けになった彼だね』
「ムショを出所してたっすか?」
『三ヶ月ほど前にな。深い反省が見られたということで、時期を繰り上げ……』
「とにかく最近、金魚の釣り堀に来ていたって事実はさておいても、あの体育会系ゾンビ野郎のキンキラ密売人を、コンクリートブロックでナニするなんて意欲が、在ったっすか?」
『実に素晴らしいポイントだ。そう、アリバイは全く無いが、彼の気質を考慮して、決め手に欠けるという状況だ』
探偵ノートの上をペンが走る。しばし小休止する。
いつしか、目暮啓司はペンキャップの方で、こめかみをコリコリとやり始めていた。
「そもそも、日暮の婆さんとこの、引きこもり息子が、何で金魚の釣り堀の……現場に居たんだ?」
考えたままにブツブツと呟く。
その目暮啓司の呟きは、セレブ風の中年刑事、伊織に、シッカリ届いていた。
『正確に言うと、あの金魚の釣り堀屋の備品倉庫から、釣り堀を挟んだ反対側の事務所の中だ。出所後、住み込みの仕事で、釣り堀の管理アルバイトをしていた。清掃とか、ちょっとした備品の修理とか。当然、備品倉庫に入って、予備のコンクリートブロックを整理する業務も含まれていた。現場に残っていた指紋や毛髪ほか遺留物の大部分が、彼のものだった。死体のものを除いて』
――警察が、あの引きこもり男を、『容疑濃厚』ないし『容疑確定』と判断する訳だ。
『被疑者いわく、昨夜、物音には気付いていたが恐ろしくて外に出られなかった。日が昇ってから、恐る恐る、備品倉庫に近付いた。そこを、現場警備していた部下の一人が発見し、任意同行となった、と言う訳だ』
「その光景が想像できるっす」
『しかも金銭がらみの殺害未遂の前科があるのでね。状況は、そちらでも推察している通りの方向へ確定しつつある。今日は、ドラッグ取引ルートや札束の行方を聴取する予定だ。本人が無関係かつ無実なら、大したことは聞けそうに無いが』
「トコトン運の悪い人っすね」
『ほう、目暮くんの見解がそうなのか。もう一肌ほど、脱ぐ気になったかね?』
鼻を鳴らす目暮啓司。
《口は悪いが義理堅さが光ってるニャ、相棒ケイ君は》
金色の目ピッカピカ、訳知り顔をした猫天狗ニャニャオが、ピーンと立てた七本の尾を光背さながらに神々しく光らせ、「ニャー」と鳴いた。
*****
「とにかく基本は、現場百回と言うからな」
例の、金魚の釣り堀屋の前。
冬の朝の空気はキンキンと冷たく、吐く息は白い。
一陣の風が通り過ぎ、ブルッと来た目暮啓司。
いっそうヨレヨレになって怪異の度を増している、ハーフ丈の黒トレンチコートの出で立ち――無造作に襟を立てて、歩き始める。
金魚の釣り堀屋の周りは『立ち入り禁止』の警告テープが取り巻いていて、現場警戒中の刑事がうろついている状態だ。
――確かに、あの怪異な密室と化した死亡現場……備品倉庫から、金魚の釣り堀を挟んだ反対側に、寝食可能なプレハブ小屋がある。セレブ風の中年刑事が電話で説明していたところの、事務所だ。
目暮啓司の足元では、何処にでも居そうな普通の灰色ネコがウロチョロしている。そして。
《相棒ケイ君、改めて眺めてみると、例の窓の位置が変ニャネ》
「変だと?」
灰色ネコは、意味ありげに、ヒゲをピピンと揺らした。一本のネコ尾を振り振り、目暮啓司を先導する。
――単なる残像なのか、オカルト現象のゆえなのか、そのネコ尾は七本に見えたり見えなかったりする。霊感のありそうな刑事の幾人かが、「おや?」と不審な目を向けて来るのだった。
フェンスが続く路地の角を曲がる。
袋小路になっている路地裏で、若き探偵と灰色ネコは立ち止まり、備品倉庫の『例の窓』を眺め始めた。
「日暮の婆さんの息子は事務所に居た。この窓、釣り堀の方じゃなくて路地裏の方に向いてる。札束入りのカバンを、窓を通して受け取るには、いったん、フェンスの外に出なきゃいけない。しかも、その後、数秒以内で事務所へ駆け戻る必要がある。非現実な時間を過ごす羽目になっただろうな」
《元ベテラン刑事にして剣豪たる香多湯出達人の、目と耳と鼻をあざむけるレベルの密室テクニックと忍者テクニックが、日暮ジュニアにある筈が無いのニャ》
「あのゾンビ暴走を披露した黄金スカジャン野郎なら、やれたかな」
灰色ネコが、ビシッと尾を立てて振り返る。
「な、何だよ?」
《実に素晴らしいゾンビ・ツッコミだニャ、相棒ケイ君。この神猫にして猫神ニャニャオ、神技で相棒ケイ君を倍速してたニャ。単純な「倍速の術」は、科学的ドーピング効果や、魔法による暗示でも可能ニャ》
「だがスカジャン野郎は既に死んでた。ヤツが事務所へ走らなきゃならない理由はあったかも知れんが、ゾンビ映画みたいに、死体が走る筈がねえ」
《それは否定しないニャ》
目暮啓司は、『例の窓』をジッと眺めた。面格子をジックリ眺めた。
仕切りとなっているフェンスに近寄り、注意深く、鼻をひくつかせた。
あの黄金スカジャン男は、『某Z国』出身ならではの、エキゾチックな顔立ちだった。体臭の方も相応にエキゾチックだ。ツンと来るような……
「いや、あの黄金スカジャンのゾンビ野郎は、倉庫に入った後は、一歩も出てない。生きて出られなかったんだ。じゃ、外のフェンスに残ってる方は……」
面格子の幅のサイズを眺めつづけ、鼻をひくつかせて……
悪態をつき始める目暮啓司であった。
「何で最初から分かっていたかのように、札束入りナイロンバッグが、この面格子の幅を通過するサイズだったんだよ! あの札ビラ男子高生のクソガキ、締め上げてやる。こいつはキッチリ聞いておかなきゃならん」
《さすが相棒ケイ君だニャ。黄泉平坂で、新しい死人の件で頭を抱えてた『千引ノ大岩』にも、良いお知らせができそうだニャ。「誰に殺されたのかも、何で死んだのかも、分からない」ってことで、現世に迷い出る未成仏霊コース確実だったからニャ》