(1)金魚よ金魚、大暴走して消失か
元・天才プロフェッショナル空き巣の目暮啓司は、今は探偵事務所に勤める新人探偵だ。今回の任務は張り込み。闇取引の現場を押さえ、ターゲットの容疑者を追い詰めるのだ。だが容疑者は大暴走し消失。しかも瞬く間に怪異な密室の死体となっていた!次に、死亡現場である金魚の釣り堀で、金魚の大量死事件が発生!これらに関連はあるのか。事件の全容は、いったいどうなっているのか。目暮啓司の相棒にして妖怪探偵・猫天狗が、神技の大活躍をする!■
重く垂れこめる冬の雲。空がいっそう低い。
妖怪うごめく、丑三つ時(深夜二時~二時三〇分ごろ)。
冷たいものがパラつき始めた。
「チクショウ、降って来たじゃねえか」
場末のコインパーキングの一角。
風俗チラシの大群に埋まった電信柱の陰で、くたびれたハーフ丈のヨレヨレ黒トレンチコート姿の若い探偵が張り込んでいた。その男の目は、既に不機嫌を通り越して、ギラギラと剣呑に据わっている。
苛立たしげに長めの前髪をのける探偵・目暮啓司の足元には、あやしくも半透明な銀色の、人体サイズほどもある大型の猫。
そのネコ尾は……七本。
神々しい銀色をまとう七本のネコ尾は、警戒心のままにビョーンと伸び広がり、ブワッと逆立つ毛が炎と揺らめく。神仏像でお馴染みの、火焔型の光背そのものだ。
金色の目ピッカピカの、この妖異なる銀色の猫こそ、偉大なる七尾の猫、その名も高き『猫天狗ニャニャオ』。
コインパーキングの一角を照らす看板照明は古く、チカチカと点滅していて、薄暗い。
その下に……遂に、ターゲットが現れた。
ぎらつく黄金スカジャンの背中。禍々しいまでの蛍光レッド『金魚』の刺繍!
《……来たニャ!》
金色の目ピッカピカが、カッ! と見開かれた。
*****
おどろに点滅する看板照明の下、黄金スカジャンの袖がビラリ、ビラリ……と、ほのめく。
「マネー、マネー、ハッパ、クサ、テオシ、マネー」
闇の中で、もう一人の影がギクシャクと動く。おぼろに浮かぶその輪郭は、明らかに男子の学生服のもの。
安物のナイロンバッグが、学生の手から、黄金スカジャン人物の手に渡った。
蛍光レッド金魚が華麗に躍る。
黄金スカジャン人物はナイロンバッグを抱え、駆け出した。
凄まじいまでの爆速で。
オリンピック百メートル競走の金メダル選手レベル……いや、それすら超えている。
異能パワーだ。呪われたゾンビよろしく歪み踊りながらの、魑魅魍魎マジック暴走。
《行くニャ、ケイ君!》
「うわ何をするメチャふじこニャオ」
半透明な銀色をした偉大なる猫が、ビューンと飛び出した。相棒を『神通力』にくるんだまま。まさに七尾の神風、神速だ。
急加速による強烈な物理的風圧。
黒トレンチコートが『ドバッ』とはだけ、目暮啓司の若き顔面が『ぐいーん』と引き延ばされる。その足は、ほとんど空中を泳いでいると言う有り様だ。
先行する黄金スカジャンの背中で、蛍光レッド金魚が禍々しく燃えながら踊っている。
異様な暴走追跡劇。
冷たい雨脚が不意に強まる。
黄金スカジャンの背中で踊る蛍光レッド金魚の姿が、禍々しい炎を失っていった。いまや、普通に刺繍されているものに見える。
異常な高速も止まりつつある。
……雨に浄化されて、得体の知れぬ異能パワーが落ちて来たのか……
ぎらつく姿が、路地の角を曲がった。
つづいて、猫と男の探偵コンビも角を曲がる。
金色の目ピッカピカが驚きの余り、真円に近いまでに丸くなった。
《ニャンと!》
「チクショウ」
まばらな街灯がボンヤリと照らす、場末の路地。
私有地と公道を仕切る高いフェンスが続く。
あの派手な黄金スカジャン人物は、時雨に溶けてしまったかのように、消失していたのだった。
*****
「あの金ピカ野郎、何処へ行ったんだ」
若き探偵・目暮啓司は、はだけてしまった黒トレンチコートをキッチリ着込みながらも、人通りのない路地をキョロキョロし始めた。
「あの異常な逃げっぷりじゃ、これまで警察に捕まらなかったってのも納得だが……何かあるか? 七尾」
《妖怪な気配が漂ってるニャ》
「てめぇが妖怪だろ。七尾の猫なんて、九尾の狐のお仲間じゃねぇか」
神々しいオーラに満ちる銀色のモフモフをキリリと逆立て、半透明の七本の尾を振りまわしつつ、偉大なる猫は方々を嗅ぎまわる。
《九尾の狐は、れっきとした妖怪だニャ。このニャニャオは、神猫にして猫神ニャ。この鼻をごまかせるものは、ニャイ!》
「そうだと良いんだがな」
《神に、二言はニャイ》
金色ピッカピカの目が、横一本線に、スーッと細くなる。
偉大なる神ならではの神秘的な輝きをまとう半透明な銀色の七尾の身体が、俗世の灰色ネコの身体に変わった。
しかも、普通の猫サイズに縮んだ。
目に見えるネコ尾も、一本のみ。
その変身ぶりに、目暮啓司がギョッとしていると。
後ろの方から、懐中電灯を持った姿が二人ばかり近付いて来た。
「おぉい、そこに居るのは目暮くんか」
「瞬間移動したのか、若き忍者よ!」
ひとりは、ブランド物の私服がシックリ馴染むセレブ風の中年刑事、伊織・ド・ボルジア・権堂。さる外国の大貴族とのハーフである。
もうひとり、昔ながらの剣豪の気迫を持つ、和装・帯剣姿のかくしゃくたる老人。目暮啓司の雇い主である香多湯出・探偵事務所の代表オーナー、香多湯出翁だ。腰に有るのは本物の日本刀である(ちなみに携行許可済みである)。
セレブ風の中年刑事・伊織は、目を見張って、目暮啓司の姿をマジマジと眺めた。
――髪の毛は凄まじく逆立っている。ヨレヨレ黒トレンチコートの各所に刻印された、いっそう強い、怪異なシワ。
「……おい、目暮くん、本当にすごい暴走だったようだな」
「しゃらくせえ! あのヘボ高校のガキ、捕まえたのかよ」
「部下が補導済みでな」
「ニャー」
過去の経緯もあり、目暮啓司は反射的に、セレブ風の中年刑事につっかかってしまう。タイミング良く、それをたしなめるかのように、灰色ネコが声を上げた。
香多湯出翁が灰色ネコの姿を捉えるべく、サッと懐中電灯を向ける。達人の剣豪ならではの感覚。正確な方向だ。
「おや、釣り堀じゃないか……こりゃ金魚の釣り堀屋だな。あの不審者、背中の金魚と一緒に、水の中へ逃げ込んだか?」
香多湯出翁の懐中電灯に続いて、セレブ風の中年刑事・伊織の懐中電灯の光も動き、詳細を照らし出す。
大人の背丈を超す高さの、何処にでもあるような網フェンス。
目隠しのためであろう、肩の高さまである常緑性の植え込みが、ズラリと並んでいる。時雨に濡れた葉がキラキラと電灯の光を反射していた。
灰色ネコが毛を逆立てつつ、あたりを嗅ぎまわる。
「おい、七尾?」
目暮啓司が声を掛けると、灰色ネコは金色の目を光らせてクルリと振り返った。
《此処で、臭跡が終わっているニャ》
「いけすかねぇ金ピカ野郎、此処でドロンしやがったな」
セレブ風の中年刑事・伊織が、目暮啓司の『独り言』に、不思議そうな顔をする。
「だが目暮くん、生身の人間は蒸発しないぞ。隠れ場所がある筈だ」
「妖怪変化でも無いかぎりな、若いの」
――妖怪変化が、目の前に居るんだが。
ひそかに突っ込む、目暮啓司であった。
「この通りは、袋小路じゃの。ということは、この釣り堀が怪しいのう」
「袋小路なんて反則じゃねえか」
「だが、此処まで追い詰めたのは目暮くんが初めてだよ。あのマーク中の容疑者、闇取引の場に必ず出て来るんだが、まるで妖怪変化のように逃げ足が速い。いつも取り逃がしていたんだ」
「ありゃ、筋肉増強剤を打ちまくったゾンビ野郎だったぞ」
「奇妙な特徴だな。メモしておこう」
――ドン。
ドドン。
何かが落ちたような物音。かすかな揺れ。
「何だ?」
その手の気配にするどい老剣豪・香多湯出翁が、サッと腰の刀に手を回す。
《アイツだニャ!》
灰色ネコのヒゲが、ピピーンと張り切った。




