(3)化け猫屋敷をとりまく化け猫騒動とその後
「あの恐ろしい音は?」
「な、なにごと?!」
リゼールとエセルは、ベッドから飛び上がった。
家の裏口の方から、「ギャー、ニャー」という猫の鳴き声がする。何かがぶつかったような物音も。
「裏口に何か居るみたいよ、お母さん」
「そこの灯り!」
エセルがスイッチに飛びつき、裏口ポーチがパッと明るくなった。
窓の脇に滑り込み、辺りに素早く目をやる。
照明範囲の端を「ダダダッ」と駆け去ってゆく、人影。
一瞬しか見えなかったが。
背丈が高い。
あの体格は男性のものに違いない。女性だとしたら、相当に大柄で、筋骨の発達した女性だろう。
「お母さん? お母さん!」
……エセルが肩をゆすぶっている。
リゼールは、やっと気を取り直した。知らず知らずのうちに手近なスコップを握り締めていて、身体全身がガチガチに強張っている。
「だ、大丈夫……あいつ、もう居なくなったのかしら」
「居なくなったみたい」
いつの間にか足元に巨大な灰色ネコ「ヘキサゴン」が来ていて、リゼールとエセルの足元に交互にスリスリしつつ、「フミュー、フミュー」と、落ち着いた雰囲気の鳴き声を上げている。
やがて、近所がザワザワし始めた。多くの人の声が聞こえて来る。
「あの怪異な音は何だ」
「化け猫が出たんじゃないか」
「ゾンビかも知れんぞ」
「化け猫! ゾンビ! 今こそ、悪魔祓いグッズを使って、悪魔退治よ!」
「怨霊退散! 通報!」
「警察さん、早く! 何かあったらしいわよ、こっちよ!」
「尻尾のたくさんある化け猫が、金色の目をピッカピカと光らせて、翼を生やして飛んでったぞ! ワシ確かに見たぞよ!」
プラム夫人のけたたましい叫び声も混ざって来ている。
エセルが口をひきつらせた。
「お母さん、プラム夫人がヘキサゴンを見つけたら、色々ややこしくなるわよ。私、ヘキサゴンと一緒に隠れてるわ。でも、何かあったらスコップでもって援護するから」
「これだけご近所さんが出てるから大丈夫でしょ、早く!」
エセルは予備のもう一本のスコップで武装した状態になり、灰色の巨大ネコ「ヘキサゴン」のお尻をグイグイ押しながら、物陰に身を沈めて行った。
同時にプラム夫妻が、警官と思しき制服姿と共に裏口ポーチに達し、扉を叩き出した。
「リゼールさん、居るんでしょ! 化け猫が出たのよ、怪我してない? 大丈夫かしら?」
「猟銃は無いけど、ワシら、スコップと悪魔祓いグッズで武装済みだぞい。警察は拳銃も持ってるしな」
間一髪。
プラム夫妻だ。恐ろしい化け猫騒動(?)があったと言うのに、ホントに気の良い、ありがたい隣人だ。
それでも用心のために、チェーンをかけたまま、そっと扉を開けてみる。
総白髪のプラム夫妻が口々に喋り出した。二人そろって、サイケデリックな色彩の……ペアルックのパジャマだ。
「まあ、リゼールさん! 無事で良かったわ。警察も来てるから、もう安心よ」
「ちゃんと、スコップ武装してるな。よしよし。このトワイライト・ゾーンの必需品じゃよ」
「リゼール・グラント?」
低く響く、聞き覚えのある声。
思わず声の主を注目し、リゼールは唖然となった。
プラム夫妻と一緒に並んでいる、制服姿の若い警察官と、私服姿の中年……
あのコーヒー色の髪をした、背の高い刑事だ。エセルが銀行強盗犯だと指摘した、目下の100%容疑者の……
何故、こんなに早く出動して来たのだ? 出動して来れたのだ?
背格好は……まだ確信は持てないけれど、あの『ダダダッ』と走り去った侵入者と、ほぼ同じくらいだ。
そう、同一人物といっていいくらい。今まで現場に居て、素知らぬ顔で若い警官と合流し、現場に戻って来たのではないか?
脳みそが動かない。再びの緊張で、スコップを持つ手がブルブルと震え始める。
「え、どなたでしたっけ? お名前は聞いてたけど思い出せなくて」
「ああ、そのままで良いですよ、リゼールさん。何があったか聞いても?」
「え……ええと、まず、何か、何とも言えない……すごい大きな音が聞こえて、起きて……」
「ふむ、大きな音がしたと。何処から?」
若い警察官が、手慣れた様子で警察手帳を取り出し、ペンを走らせ始めた。
プラム夫妻が口を突っ込んだ。新しく顔見知りとなった、数ブロック先のご近所から駆けつけて来た面々も、後ろの方で、にぎやかだ。
「この化け猫屋敷の屋根の上からじゃよ。間違いないぞよ」
「ええ、ええ、大きな大きな化け猫が、ピッカピカ光りながら、闇夜を飛んでったわ」
「それにゾンビも出て来たんだよ、お巡りさんよ」
「教会から、また専門の悪魔祓いを呼ばねば」
さすがに刑事も苦笑いをして「皆さん、お静かに」と、たしなめる有り様だ。
(天才的な役者になれるわね、この銀行強盗犯)
知らず、コーヒー色の髪の毛を眺め始める。ポーチの灯りに照らされた白髪の数を数えていると、刑事が再び振り返って来た。
(いま気づいたけど、青灰の目ね)
「大きな音がしたというのは、この裏口の辺りだった訳ですか?」
「え、ああ、ネコの鳴き声とか、何かがぶつかったような音とかしていたので、そこの灯りを」
「何か見たものは?」
リゼールの警戒感が高まった。
嘘を言う訳にはいかない。
かといって、下手な事を言えば、姿を目撃されたと思われるかも知れない。
或る程度とは言え、背格好を目撃したという事が下手にバレてしまったら……エセルが現在進行形で感じているあろう恐怖が、良く分かる。
「一瞬だったので、あまりよく見たとは言えませんが……誰かが走っていくのを」
「人が走り去ったのを見た?」
「見たと言うか、聞いたと言うか……足音が、かなり大きかったから」
「そいつは、相当に慌てていたに違いないな」
刑事は、あごに手を当てて思案顔をし始めた。裏口ポーチの周りの地面に目をやり……ゆっくりと歩み始める。
(証拠隠滅を考えているのだろうか? こんな衆人環視の中で?)
「まぁまぁ、リゼールさん、その人影が、きっとゾンビに違いないわよ」
「悪魔祓いグッズを持つべきじゃよ。ひとつ、効果テキメンなヤツを、進ぜよう」
プラム夫妻がリゼールの手にポンと置いたのは、『これこそ悪魔の産物ではないか』と思えるほどにサイケデリックな色彩の粉末が入った、シャレコウベのデザインをしたガラス瓶だ。
「こ、これは?」
「悪魔祓いの最終チート兵器、かの聖オカルト教会の特製の、聖別された塩じゃよ」
「はあ……」
近くの茂みをつつきながら歩き回っていた中年の刑事が、やがて「おッ」と声を上げた。意外に洗練された所作で、コーヒー色の髪をした頭を向けて来る。
「何ですか?」
「ネコの鳴き声の方は、謎が解けたようですよ、リゼールさん」
プラム夫妻も、「えっ」とばかりに、パッと振り向く。
かき分けられた茂みの陰。
中年の刑事にうながされて、若い警官が懐中電灯の明かりを向ける。
五匹ばかりの、様々な雑種の野良猫がたむろしていた。
急に照らされてビックリしたのか、車座になっていた五匹の野良猫……子猫たちが、ニャアニャアとにぎやかに鳴き始める。
その中心には。
いましがた五匹の獰猛なハンターに仕留められたと思しき、大きなドブネズミの新鮮な死体が、ゴロリと転がっていたのだった。
「まぁまぁ、ビックリしたわ」
「という事は、ゾンビの正体は、この特大のドブネズミだったのかね?」
「そこまでは分かりませんが。とにかく調べられる限りは、調べますから。ところでリゼールさん、この辺の色々は、元々、こんな風でしたか?」
言われてリゼールは、チェーンを外して裏庭に踏み入った。
物置への搬入前で仮置き状態になっていた、大小のコンテナが乱雑に転がっている。サンルーム周りの草花の種類を増やそうと思って揃えていた、園芸用品の数々だ。
「いえ、こんな風に、滅茶苦茶には……」
「という事は、謎の侵入者は、此処で色々ぶつかったのかも知れないな。前の住人ブライトン夫人が居た頃は、この辺は何も無かったから、勝手が違った……」
かすかに、チッという舌打ちの音。
(さっきの侵入者は、この男だったのか? ブライトン夫人が居た頃と同じように歩き回ろうとして、色々ぶつかったという事か?)
何とはなしに、彼の足元を注目する。
コーヒー色の髪をした刑事のズボンには、泥や土が付着していた……
リゼールの中が、警戒でいっぱいになる。
この白髪混ざりのコーヒー色の髪をした中年の刑事、正体が銀行強盗なだけあって、怪しげな言動が多すぎる。
(もしかして、ブライトン夫人の大金がある事を知っていて、ひそかに押し入ろうとした……! 銀行強盗だもの、そのくらい欲深でも不思議は無い!)
リゼールの心臓が、がぜん早鐘を打ち出した。不審に思われない程度に、ジリジリと距離を取る。
刑事がコーヒー色の頭を巡らし、思案顔でリゼールを眺め始めた。
「元々この家は訳あり物件だったし、明日……いや、明後日ごろに時間を取って、詳しく調査し直すか……良いですか、リゼールさん。場合によっては屋内も調査することになるから、そのつもりで」
リゼールは思わず、ビシッとスコップを構える。
「ああ、妙な意味で言ったのではないですよ、リゼールさん。今日はもう遅いので、また明日。皆さんも戸締りをシッカリして、注意すること」
「もちろんじゃよ」
「悪魔祓いグッズも、ちゃんと動作させてね」
リゼールの背中に、冷たいものが流れ始める。
今まさに、このコーヒー色の髪をした刑事の名前を思い出した。
オスカー・ベルトラン。
(エセルに知らせて、明日には、目立たないホテルか何処かに、隠れていてもらわないと……!)
*****
翌日の昼下がり。
地元メインストリートにある公民館では、いつものようにお茶とお菓子を囲んだ井戸端会議が始まり、プラム夫人が見事なおしゃべりを披露し始めた。
「まぁまぁ、お聞きになって、奥様がた。新しい隣人のリゼールさん、ついに化け猫と対決したみたいなのよ!」
「恐ろしい悪魔の叫び声、そこらじゅうで聞かれたそうね、プラム夫人」
「人は見かけによらないわねー。ホントに。40歳で独身ってのも怪しいし、会計士とかいうのも、昼の仮の姿で、夜はスゴ腕の悪魔祓い師とか?」
「昨夜のリゼールさんは、意外に普通のパジャマだったわ。可愛らしいミントグリーンの、白いドット模様の。娘さんのエセルさんの見立てかしらね」
やがて奥様がたの一人が、ストリートに面する窓を振り返り……目を見張った。
「まぁ、噂をすれば影だわよ。リゼールさん、そこのスーパーの買い物に来てるわよ。相変わらず黒づくめの魔女スーツ」
「どういう事かしら? 今、彼女は何かを調べに図書館に来ている筈よ。先刻、見たばかりだもの。何かの資料をどっさり持って、仕切り付きの読書室の方へ入って行くとこだったわよ」
「は?」
「え?」
しばし気の抜けた沈黙が続き、もう一人の奥様が「そう言えば」と口を開いた。
「この間の銀行強盗の件だけど、犯人の一人、捕まったんですってよ」
「あ、知ってるわ。私の夫が署長の補佐をやってる事は知ってるでしょ、奥様。昨夜、タップリ酒を飲ませて、要点を聞き出したから。よろしくて奥様がた」
「聞く準備は出来たわ」
「あのね、こういう事なのよ。銀行強盗は二人いて、いずれも覆面姿。つまり誰も素顔を見てないの。襲撃されてる真っ最中の銀行から緊急通報が入って、警察が出動した。銀行強盗は警察が到着する前に素早く襲撃を済ませて、覆面を外して逃走していた。銀行のストリートとは別の通りの方で、駆け付ける途中だった警察が、『犯人と思しき人物を拘束した』ってだけ。そいつ、元々、隣町でも銀行強盗をやらかして指名手配になっていた犯人なのね」
プラム夫人を含め、聞き役になっている奥様がたは、総じて脳みその回転が速い。
「つまり、早々と拘束した一人の人相は、全国の警察に知れ渡ってた訳ね。で、現行犯逮捕とは言えない、と」
「そうなのよ、奥様。拳銃を持って抵抗したから、長期拘束が可能になっただけでね。でも、その男は大金の入ったカバンを持ってなかった。何とかして二人目の正体を吐かせようとしてるけど、なかなか突く所が見つからないそうなの。目撃者が『コイツだ!』と指摘しない限りは、観念して口を割りそうにない」
「居るのかしら、目撃者」
「さあね? ともかく、銀行強盗の一味、協力者も含めると三人組だったらしくて」
「二人だけじゃ無かったのね。謎の三人目、協力者の男って訳?」
「男じゃ無くて女」
「女?」
「逃走に成功した二人目の男、大金の入ったカバンを持って、折よく止まった車に乗り込んだんですって。その車を運転していたのが、若い女だったっていう目撃証言が出てるんですって。顔は余り見えなかったそうだけど」
「車を運転してた若い女」
「大金の入ったカバンって、結構な大きさ……」
「何か考えてる、プラム夫人?」
プラム夫人は急に顔色を変え、プルプルと身を震わせ始めていた。
「まさか、とは思うんだけどね……あの、フワフワ栗毛のエセルさん、私が見た最後の日だったっけ、車に大きな荷物を積んで猛スピードでやって来て、コソコソと化け猫屋敷に運んでたのよ。リゼールさんも風呂敷を持ってきて、協力して、コソコソと」
「プラム夫人が見かけた最後の日って?」
「なんと、あの銀行強盗があった日なのよ。たぶん、事件発生時から何時間も無いわ」
「まさかだけど」
「なんてこと」
「その風呂敷の中身って、もしかして、もしかして……銀行強盗の金?」
「ヤバいわ!」
「警察に早く知らせないと……って、アレ!」
「まぁ、リゼールさんが買い物を済ませて、スーパーを出て行くわ!」
「車を急発進させたわ! あの化け猫屋敷の反対側の方へ! まぁ、猛スピードだわ!」
「吸血鬼が入ってる棺桶みたいな、黒い車」
「銀行強盗の金を持って、ドロンするつもりかしら!」
奥様がたは、ガタガタと椅子を鳴らして立ち上がり、一斉に駆け出したのだった。