(2)化け猫屋敷のその訳は~猫天狗、夜に光り輝く
翌朝。
リゼールは寝不足だった。
プラム夫人が、何やら訳アリ顔をして、バラの茂みから顔を突き出して来る。
「おはよう、リゼールさん、昨日、スーパーでいっぱい買い物してたでしょ」
「見てらしたんですか、プラム夫人」
「なんで買い物の後、反対側の方へ車を運転してたの? 家がこっちなのに」
「あぁ、エセルの家が、そっちですので」
「あら? 娘さん、確か、結婚してるのよね? で、町の反対側に旦那さんと住んでるのよね? リゼールさん、そっちへ行ってたの?」
「そうですが」
プラム夫人は何やら、目を白黒させ始めた。
「朝帰り。娘さんがこっちの家にいる間に、リゼールさんが町の反対側のところへ……?! ヒモ?!」
「何の事ですか?」
「いえいえ、ねぇリゼールさん、お宅で起きた『化け猫屋敷、ブルジョア夫人、浴室の惨劇』の方、その後の進展はあって? なんか昨夜、化け猫の姿を見たような気がするのよね」
「どういう事です?」
プラム夫人は意味深そうな様子になり、妙に、エセルが居ると思しき、庭の一角をうかがっている。
その一角では、引っ越し作業員に変装したエセルが、結構な数になるガスボンベを、サンルームの脇に並べて整理している所だ。
別に不自然なものではない。金属溶接バーナーに使用するガスボンベだ。
エセルの夫ロジャーは真面目な銀行員だが、その一方で、金属工芸という変わった趣味に没頭しているオタクな若者だ。大学で金属工学を学んでいたエセルと意気投合し、早々と結婚の運びとなったのだ。
引っ越しの話を聞いたロジャーは、『それなら、貸し倉庫が空くまで、このガスボンベを一時的に預かっててくれないか。何でか前の人の運び出しの作業が遅れてるみたいで、まだスペースが空かなくて、ガスボンベを運び込めない状況なんで』と依頼して来ていたのだった。
やがて。
プラム夫人は、『化け猫屋敷、ブルジョア夫人、浴室の惨劇』のあらましを話し出した。
「前の住人、ブライトン夫人が若くして未亡人になった事はご存じ?」
「確か、不動産の仲介業者さんが、そんな名前を言ってましたね」
「説明したのね。そう、そのブライトン夫人、亡き御夫君の遺産があって、かなり裕福だったのよね」
「ふむ」
「それでね、ブライトン夫人にはヒモが居たのよ。若くて金に困らない、新しい男と新しい恋を……ともなると、そうなるわね」
「個人の自由の範囲でしょうね」
「色男の方、名前は『ルカ・アルビオン』って言うんだけどね、彼、財布のひもをシッカリ管理しているブライトン夫人に嫌気がさして来て、もう少しお小遣いをくれと迫った訳ね。ブライトン夫人、あまり銀行を信用してなくて、ほとんどタンス預金だったとか」
いつの間にか、エセルが作業の手を止めて、興味深げに耳を傾け始めている。
プラム夫人の話は続いた。
「三ヶ月前、夜のお勤めの際に金の無心の話がこじれて、色男の方は、ついに化け猫を召喚して、ブライトン夫人をギッタギタに殺害したのね」
「化け猫ですか」
「えぇ、えぇ、年取ってガタが来てる心臓が、ついに止まるかと思いましたよ。あんな恐ろしい化け猫の鳴き声、忘れようったって忘れられるもんじゃありませんよ。私の夫もビックリして、『化け猫が出た』って通報したくらいよ」
プラム夫人はブルッと身体を震わせた。
「ルカ・アルビオンってヒモ男、ブライトン夫人を粉々の肉片にして、ひとつ残らず、浴槽の排水から流して、死体消失しようとしてたそうなのよね。警察が到着した時、色男はブライトン夫人を完全に粉々にできてなかったとか。化け猫が非協力的だったのか、警察の到着に気付いたのか……捕まる前に、ドロン!」
「みごと、大金を手にしてドロンしたという事ですか?」
「あら、リゼールさん、ねぇ家の中をよく探してみた? みんな言ってますよ、大金はこの化け猫屋敷の何処かに、まだあるって」
「警察は、お金を探さなかったんですか」
「随分と捜索はしてたけどねえ。ブライトン夫人が知恵の限りを尽くして保管した隠し金よ、見つからなかったみたいね」
「はあ」
「いいこと、犯人は、外見の特徴を警察に目撃されるまで、ギリギリ現場に居て、聞くも恐ろしい作業に……、警察が来て、すごく慌てて逃げ出したに違いないから、大金を探し当てる時間は無かった筈なの。犯人は必ず、大金を手にするために戻って来る。警察の方も、ずっと、この三ヶ月、犯人が戻って来るのではと踏んで、この化け猫屋敷を監視してたし。警察が大金を発見できていたら、そんな無駄な見張りはしないでしょ」
プラム夫人の推測は、『化け猫』の部分はともかく、筋が通っている。
意気揚々と総白髪をなびかせながら、プラム夫人が立ち去った後。
リゼールとエセルは、疑念を浮かべた顔を、見合わせたのだった。
*****
「そちらの方で、そんな事件があったとは。なんて恐ろしい事件だろう。エセル、大丈夫かい? そうそう、こちらの銀行強盗の件だけど、警察は、みごと犯人の一人を捕まえたよ。犯人は二人組だったそうだから、もう一人も、きっと明らかにされる筈だ」
「最新情報、ありがとね、ロジャー。そう言えば、食料は足りてる?」
「ああ、大丈夫だよ。リゼールさんに、お礼言っといてね。愛してるよ、エセル」
「私もよ、ロジャー」
エセルは受話口でチュッとリップ音を立てた後、電話を切った。
「ロジャーとの話は済んだ、エセル?」
「うん」
「じゃ、夕食にしましょ。で、問題点を整理」
「了解」
「ヘキサゴン、おいでー。夕食だよ」
「にゃー」
金色の目ピッカピカの灰色の巨大ネコが、六本にも見える尻尾を振り振り、屋根裏部屋から降りて来た。
「この家の中、あらかた探検しちゃったみたいだね、ヘキサゴン」
「にゃー」
リゼールが頭を撫でると、灰色ネコは、ゴロゴロと喉を鳴らした。大きな身体にしてはビックリするくらい可愛らしい音だ。
「エセルは引っ越しの日、フラットへ行って、ヘキサゴンをケージに入れて、車で来たのよね」
「そう。そして、住宅ローンの書類を取りに行くために、例の銀行に寄った」
「駐車場の空きスペースに車止めて、ヘキサゴンの状態を確認するのに時間を取って。そうしているうちに、たまたま、銀行強盗の二人組が覆面を付けようとしている所を目撃して。一人の方の人相は、こっちを向いてたので、シッカリと見た、と」
エセルは頷きながらも、ブルッと身体を震わせた。
「実際に見てた時は『何してるんだろう』としか思わなかった。覆面レスラーの特撮ヒーローとか居るでしょ、ああいう、子供向けフェスティバルとかのイベントだと思った」
「子供向けのイベントとかじゃ無くて、本当の銀行強盗の準備中だった訳ね」
「あ、あの襲撃が起きた時、私、住宅ローンの書類あれやこれやを持って、銀行を出る所だったのよ! あの覆面の二人、何か見た事のある覆面だなって思って、ビックリして。警察にも、ちょっと報告したけど。『ヘキサゴンを届けた後で、詳しく目撃証言を』って事になって……」
灰色ネコのヘキサゴンを届けるため、リゼールの家へ向かって運転しているうちに、パニックしていた思考が落ち着いて、冷静になって。
エセルは見る間に苦悩の表情になり、フワフワ栗毛に指を突っ込んでウンウン言い始めた。
「襲撃が終わった後で、警察がいっぱい集まって来て。その中に、コーヒー色の髪の、あの強盗と同じ顔の男が居た、と思い出して、ギョッとしたのよ。確かよ。名前は知らないけど。まさか刑事が……銀行強盗をやってるなんて。怖くなって、そのまま、こっちに引っ込んじゃった」
実際、エセルは、あの日以来プラム夫人にも目撃されないようにコソコソしているところだ。外に出る時は、リゼールの扮装だ。親しい人が見れば、二種類のリゼールが居ると思ってしまうだろう。
高齢なプラム夫妻の目は、今のところ、うまく騙しおおせているけれど……
「私、その刑事と鉢合わせしたかも知れない。いえ、鉢合わせしてる」
「何ですって、お母さん?!」
「自己紹介によれば、オスカー・ベルトラン。エセルの言った通りの背丈に人相で、私服姿だったけど、胸ポケットには確かに警察手帳があったわよ」
エセルは呆然と沈黙した後、ピンと来たような顔になった。
「目撃者の私とは、まったく縁もゆかりも無い、無関係の人だと思われたのね。お母さん、黒づくめの魔女の格好だったんでしょ。私の方は、ヒラヒラのピンク着てたから」
「急な事だったから、本名を名乗ってしまったわ。マズかったかしら」
「偽名だと、もっと怪しまれたわよ、ただでさえ魔女なんだから。んー、でもどうしようかな。警察、きっと私を疑って、探してる。目撃証言するって約束すっぽかして、そのまま行方不明の形になっちゃったから……」
「匿名の手紙とかで、通報する? お宅の刑事さんの一人、コーヒー色の髪をした背の高いイケメン風の男、オスカー・ベルトランが銀行強盗犯の一味です、って」
「警察が信じると思う? お母さん」
言われて、リゼールは改めて、ベルトランの立ち居振る舞いを思い返したのだった。
「……難しそうね。パッと見た目には、そう、顔立ちも雰囲気も悪くない。むしろ、あの年格好だけど、現職の刑事っていうのも納得するくらい動きにキレはあったし、年季の入った真面目そうな仕事人の手だったし。エセルくらいの若い子にもモテそうっていうか。エセルが色男タイプって言ったのも、納得だったわよ。あそこまで完璧に邪悪さを隠してのけるのも凄いわよね。不気味。ますます人間が信じられなくなる」
エセルが目をパチクリさせて、リゼールをしげしげと眺め始める。
いま現在のリゼールは、昼間のひっつめ髪をほどいて、長い栗毛をゆるく流す格好だ。気難しそうに寄せられた眉根の下、緑がかったヘーゼル・アイ。
「へー。ああいうの、お母さんの好みだったんだ。お母さん、なんて運の悪い……」
「脱線するな。嘆くな。ともあれ、警察は銀行強盗の一人を捕まえたそうだし、何とかなるでしょ」
ヘキサゴンが、何がツボにハマったのか、おかしそうに灰色のネコ尾を振り回し、「ニャニャニャ」と不思議な鳴き声を上げたのだった……
エセルは気を取り直し、いつものように、食後のささやかなコーヒーを淹れた。次いで、ミルクを溶かし入れた一杯を、思案顔でかき混ぜ始める。
「で、お母さん。もう一つの厄介な問題は、前の住人だったブライトン夫人を、化け猫と一緒にしてバラバラにしたとか言う、センセーショナル・ヒモ男だよね」
「まだ捕まってないらしいわね」
「プラム夫人、しょっちゅう、こっち見張ってるのよ。その辺の警官よりも、よほど優秀な警官だわよ彼女。いつかヒモ男が戻って来たら、通報できるようにしてるんだわ。こっちにはやましい事は無いけど、私がエセルだってバレたら、ややこしくなっちゃう」
「私も、いつか事が露見した時に、警察にうまく説明できる自信が無いわね」
「そこは会計士の計算能力で何とか説得してよ、お母さん」
リゼールはコーヒーを一服し、思案を巡らせた。
「エセル、この家に大金が隠されていると信じているから、真犯人はひそかに戻って来るのよ。『隠し金が無い』ことを証明するか――或いは、先に隠し金を見つけて、警察に届けるか」
「警察が大捜索したって言うじゃない。今さら見つかるの?」
「見つけるのよ、エセル。私は休暇もぎ取って、町の図書館へ行って、過去の新聞雑誌の記事を調べてみる。真犯人『ルカ・アルビオン』についての情報が、もっと無いかどうか」
「やるしか無いわね。ヘキサゴン、猫の手をいっぱい貸してちょうだい」
「にゃー」
*****
深夜。
灰色の巨大ネコ「ヘキサゴン」は、闇の中でヒゲをピクピクさせた。
――その正体こそ、神猫にして猫神となる予定の、その名も高き『六尾の猫天狗』である。
現在の、栄光ある神猫にして猫神(候補)の一時的な飼い主と認める、リゼールとエセルは、まだ各々のベッドの中で熟睡中だ。
突如。
裏口の方に、灰色のネコ顔を向ける。
灰色の巨大ネコの尻尾がピーンと緊張に立ち――なんと驚くべき事だろう――六本に分かれたのだった。
ただならぬ神威を宿した金色の目が、いっそうピッカピカと光り始める。
灰色ネコは、音も無くスルリと寝床を抜けると、屋根裏部屋の秘密のルートを神速でもってサーッと走り抜け、この家の周囲全体を眼下に収めることができる特別な位置に陣取った。
怪しげな気配が、裏口をうろついている……
蟻一匹の第一歩さえも見逃さぬ金色のネコ目が、カッと見開かれた。
……
…………
闇夜の空を、巨大なネコと思しき影が、サーッと横切っていく。
――金色の目のピッカピカ、いとも凛凛しき三角耳ぞ――
――風切る黒き烏羽、末になびくは、奇しき六尾――
「ギャギャオーーーン!!」
聞くだに恐ろしい、化け猫の鳴き声そのものの大音声が、とどろき渡った。