(7)何かが山から去ってった
数日後の寺社――
お殿様やご家老から下賜されたタップリの褒美と共に、師匠・玄照と兄弟子・玄道が戻って来ていた。その道連れは、ウサコ父・長平と、病気が治ったウサコ母、猟師、それに調査記録係の役人が一人だ。
ウサコは母親と再会して以来、母親にベッタリである。
母屋の囲炉裏の前に集合した一同は、ここ数日の出来事を話し合った。
「――それが、どうも良く分からないんですよ」
その時、何があったのか――師匠と役人に委細を問われた道照は、困惑するのみであった。
美しい飴色をした鼈甲の平打ち簪は、二本とも、このたび出張して来た記録調査係の役人に提出してある。ウサミミの詰め物の中から取り出した後、大事を取って、あのお堂の隙間に隠しておいた物だ。
久賂邪鬼の親分と子分たちは、『ウサコを捕まえて拷問し、ウサコ父・長平の口を割る』という作戦に熱中するあまり、『ブツ』すなわち行方不明になった禁制品――鼈甲の平打ち簪――の行方についてまでは、気が回っていなかったのだ。
まして、久賂邪鬼の親分と子分たちが、お堂に踏み込んだ瞬間、仏像の裏からウサコと思しき人影が走り出て行って――親分も子分たちも揃って、頭に血が上った状態になってしまっていたから、なおさらだ。
小さなウサコの、毎度の要領を得ない話を何とかつなぎ合わせてみると、こんな風だ。
*****
――話は、久賂邪鬼の親分と子分たちが、お堂に踏み込む、その少し前にさかのぼる。
久賂邪鬼の親分と子分たちが、母屋の捜索を始めた頃。
その隙を突くかのように、金色の目ピッカピカの灰色ネコが、『招きネコ』さながらに、母屋の隅に隠れていたウサコに向かって『おいでおいで』をした。
ウサコは、灰色ネコに導かれて、母屋をこっそりと抜け出した。人目の無くなった境内を走り、お堂に飛び込んだ。だが、母屋の捜索が済めば、あの神仏をも畏れぬヤクザ連中のこと、お堂にもズカズカと踏み入って来るであろう。
ウサコは、まさに絶体絶命であった。ウサコは死に物狂いで、台座に乗っている三仏像に祈った。
――『神さま、仏さま。ウチ、良い子になります。お供えを絶対に食べません。お掃除をきちんとします。お洗濯もします。それから、えーと、えーと……そういう訳で、道照さんを、助けて下さい』
普通は、まず自身の助命を願うところなのだが――動転の余り、ウサコは気持ちがひっくり返っていて、自身の事はスッカリ忘れていたのだ。
すると――何故か、三仏像の方から、応える声が聞こえて来た。
『そのウサミミのほっかむりを我々にお供えしたら、我々の後ろに隠れていなさい』
最後の方の『いなさい』が、妙に『いニャさい』と聞こえたのは、ご愛敬かも知れないところ。
ウサコは、素直に言う通りにした。三仏像の前にウサミミ付ほっかむりを置いた後、最初の日に隠れていた場所に、身を潜めた。
果たして、間もなくして久賂邪鬼の親分と子分たちが、お堂に踏み入って来た。
その荒々しい足音に、ウサコはギョッとする余り、気が遠くなった――どうも失神したらしいのだが、本人がボンヤリしていた以上、詳しい事は分からない。
ともあれ――
ウサコが次に気が付いた時、既にお堂は静かだった。久賂邪鬼の親分と子分たちは、既に居なくなっていた。
境内にも人の気配は無い。お堂の床の上で、グルグル巻きに縛られていた道照が、呆然と座り込んでいるだけだった。
金色の目ピッカピカの灰色ネコがお堂の隅に出て来て、ノンビリとした様子で『ニャー』と鳴いた。
何故かウサコは、『もう大丈夫だ』という事を確信した。そして、隠れていた場所から出て来て、道照の縄を解きに掛かったのであった。
そして。
人心地ついて、改めて三仏像にお礼を言おうと、二人で並んで、台座の上を見上げてみると。
向かって右の位置にある筈の、地蔵菩薩像が、いつの間にか消え失せていたのであった。
*****
積雪がだいぶ浅くなった、その日――
くだんの地蔵菩薩像が、氏子たちの手によって麓から運ばれて来て、寺社のお堂の中、本来の位置に戻された。
その地蔵菩薩像は、片袖の上に、ザックリと刃が走った痕跡を残している。首の後ろの方にも深々と刃が突き刺さった跡――刃の断面の形をした細い穴が出来ている。いずれも、久賂邪鬼の親分が付けた傷痕だ。
その地蔵菩薩像は、作られた当時からの、いつも変わらぬ慈悲深い笑みを湛えていた。ウサミミが付いている、奇妙な『ほっかむり』をかぶったまま。
老僧・玄照と共に、二人の弟子が、地蔵菩薩の再びの安置に関する、特別な儀式を務めた後。
――偉大なる師匠・玄照が、不意にお堂の入り口の方を振り返った。
一番弟子・玄道と二番弟子・道照が、ビックリしてその視線を追う。
お堂の入り口のところに――金色の目ピッカピカの灰色ネコが、ニヤニヤ笑いを浮かべながら座っていた。
その灰色ネコには、明らかに奇妙な特徴があった。その身は、四本の尾を持っているのである。
お殿様の寝室に出たと言われている『化け猫』と同じ、四本の尾だ。何故か千両箱の紛失と共に、この妖怪騒ぎが起きていたからこそ、師匠が山を降りて、事件解決に直々に関わったのだ。
一番弟子・玄道と二番弟子・道照は、目をパチパチさせ、何度も灰色ネコを見直した。
師匠・玄照の方は、全く驚いていない。訳知り顔で飄々とした笑みを浮かべ、灰色ネコに声を掛ける。
「皆が皆、結局は、ネコに化かされたという事かのう? なぁ、『四尾の猫天狗』よ?」
一瞬、身の引き締まるような、ピンとした緊張感が走る。
『四尾の猫天狗』と呼ばれた奇妙な灰色ネコは、生真面目そうな様子でヒゲをピピンと揺らした。金色をした意味深な眼差しで、霊験あらたかな老僧・玄照をジッと見つめた後、身をヒラリと返して雪原の先へと走り去り――そして、姿を消して行った。
「「どういう事です?」」
一番弟子・玄道と二番弟子・道照の問いの声が、綺麗に重なった。
偉大なる老僧・玄照は、長く伸びた白ヒゲを撫でつつ、謎めいた含み笑いをするのみだ。
「かの幼き少女の身代わりとなって凶刃をお受けになった事は、まことに、地蔵菩薩さまの本望であられたようじゃのう」
老僧・玄照は、改めて、三仏像を深く礼拝した。
四本の尾を持つ灰色ネコが駆け去って行った、まっさらな雪原の上には、梅の花の形をしたくぼみが幾つも出来ている。
遥かに仰げば、脊梁山脈を成す純白の山々。まばゆいまでに晴れ渡った青空に、ぽっかりぽっかりと白い雲が浮かんでいる。厳しい冬のさなかにあるこのお国にも、少しずつ春がやって来ているのであった。
*****
――我が国の豪雪地帯として知られる某県の、山地の某所。
山腹にある、その寺社が抱えるお堂には、地方文化財として指定されている三仏像がある。
その三仏像のうち一つ、特に地蔵菩薩像として知られる仏像は、片袖と首筋の後ろの方に、刃物による傷を持つ。その傷痕の不思議な由来と共に、『ウサミミ付ほっかむり』を着用している事でも、ちょっと名が知られている(ウサミミ付ほっかむりは、氏子が今も定期的に作り直して、お供えしている)。
この地蔵菩薩像は、別名『身代わり地蔵』、またの名『ウサミミ地蔵』である。『幼い子供たちの身代わりとなって災厄を受けてくれる』と言う、有難いご利益がある事でも知られている。
当時より既に数百年を経た現代になっても、なお遠方からの参拝客が絶えないと言う、もっぱらの評判である。
―《終》―