(6)うしろの正面だぁーれ
――久賂邪鬼の衆は、早くも、あの数寄屋造りの邸宅に到着していた。
山腹にある寺社から三つの谷を越えて降りて来た。流石に体力のある男衆、日暮れと同時に、終着点たる邸宅に到着したのだった。
久賂邪鬼の親分たる大柄な男に続く子分の一人が、まるで泥棒か何かのように、大きな袋を――それも、子供一人が入っていそうな袋を――抱えている。子分たちが交代で、山麓まで運び下ろした物だ。
久賂邪鬼の親分の、得意絶頂の大声が轟く。
「貴様ら、気を抜くなよ! 早速、座敷牢の奴らを脅迫するぞ!」
「おう!」
久賂邪鬼の衆は、座敷牢のある棟に踏み込んだ。日暮れという事もあり、木戸で締め切ってある邸宅の中は、既に真っ暗だ。
勝手知ったる邸宅の中を、久賂邪鬼の衆はズンズンと進む。
突き当たりにある座敷牢は、以前のままだった。格子になっている木組みの向こう側に、数人の人影がうごめいているのが、わずかな残光だけでも見て取れる――
「おい貴様ら、火を――」
久賂邪鬼の親分の指示は、途中で途切れた。
ガシャーン!
大音声と共に、座敷牢の仕切りを兼ねて格子になっている木組み部分が、『観音開き』よろしく二つに割れて、回転した。
まるで忍者屋敷の『どんでん返し』だ。
格子になっている木組みは高速で回転を続け、久賂邪鬼の衆を刷き込んだ。
「何じゃ、何じゃ?!」
余りといえば余りな、想定外の事態だ。親分も子分も呆然と尻餅をついたまま、格子状の木組みに身体を押され、転がされ続ける。
どんでん返しに回転した格子状の木組みは、再び『ガシャーン』と大音声を立てた。『ガチャリ』という、紛れも無く錠前が掛かった音がする。
「やったぜー!」
「灯りを付けろ!」
久賂邪鬼の衆の、誰からの者でも無い声が上がった。続いて、灯りが付いた。
「あッ、貴様は!」
久賂邪鬼の親分が目玉をひん剥いて、五人から六人ほどの人影の中で、最も大柄な人物を指差した。
「今ごろ気が付くとは、間抜けなヤクザどもめ! ガハハハハ!」
最も大柄な人物、すなわち、あのヒゲ面の猟師が呵呵大笑した。その左右には、様々な世代の五人ほどの零細職人たちが並んでいる。
何という事であろう――格子戸が回転した事で、久賂邪鬼のヤクザたちと、閉じ込められていた零細職人たちの立場が逆転してしまったのだ!
続いて、倍以上も増えた灯りに一気に照らされ、座敷牢とその周りは、真昼のように明るくなった。
「お前たちは、もはや、袋のネズミだ! 観念して縛につけい!」
飛び込んで来たのは、取り締まりと捕り物のための役人たちだ。その役人たちを指揮するのは、お殿様とご家老の直属部下に当たる高位役人の一人である。その後ろには、二人ばかり、僧形の人物が控えていた。
久賂邪鬼の親分は、口をアングリした。
お殿様とご家老による、汚職の取り締まりと捕り物の手は、既に、この秘密基地まで伸びていたのだ!
「控えおろう!」
防寒性の高い立派な羽織を着用している高位役人が口を開いた。
「此処に居られる、偉大なる玄照師と玄道殿の知謀の協力の甲斐あって、ようやく久賂邪鬼のネズミどもを一網打尽に出来たわ!」
手前にズイと出て来た部下の一人が、後を引き継いだ。
「久賂邪鬼の衆よ、お前たちの雇い主たる悪徳商人は既に、こちらが身柄を拘束済み。なおかつ、鼈甲細工を中心とする禁制品を扱った大犯罪、既に露見しておる! 貴様たちも観念して、かの『四本の尾の化け猫騒動』、『千両箱の紛失』、などなどの事件について、キリキリ白状せよ!」
久賂邪鬼の親分が、顔中を口だらけにして怒鳴る。
「四本の尾の化け猫など、知らんざき! 俺らが頂いたのは、千両箱だけよ!」
それは、ほとんど『白状』そのものだったのだが、怒りと動転の余り、久賂邪鬼の親分は意識していなかった。
「野郎ども、この座敷牢を何とかしろ!」
親分の命令に応じて、久賂邪鬼の子分たちは力任せに格子状の木組みをガタガタと揺さぶって動かそうとしたが、木組みはビクとも動かなかった。
猟師が大声で、久賂邪鬼の男たちに呼ばわる。
「無駄じゃ! その木組みはな、確かに最初は、ワッシの自慢の腕力で動いたわ! じゃが今は、此処に居る職人たちが、ほぼ全ての要所を補強済みだから、どんなクマ野郎だろうと出て来られまいて!」
久賂邪鬼のヤクザ男たち、思わず「ぐぬぬ」である。
「かくなる上は……!」
久賂邪鬼の親分が腰に手を回した。一瞬の後には、既に、その手には物騒な短刀が握られていた。
「ヤイ、野郎ども、袋の中身を出せ!」
「おう!」
袋の中身が姿を現し、久賂邪鬼の親分が、それに刃を突き付けた。灯りを反射して、刃先がギラリと光る。
「目ン玉ァひん剥いて、コイツを見てみろ! 少しでも怪しい動きをすりゃ、ガキの命は無いぜ!」
座敷牢を取り巻く一同が、一斉に息を呑んだ。
久賂邪鬼の親分が刃を突きつけているのは、五歳から六歳と思しき、ウサミミのほっかむりを着けた少女だ。今まで袋詰めにされていたせいか、グッタリとうつむいたままである。
「サ……サチ!」
哀れな叫び声をあげたのは、ウサコ父・長平であった。続いて、職人たちが「ウサコ!」と声を上げる。
脅迫と強要において優位性を確信した久賂邪鬼の親分の、勢いは止まらない。
「このガキの血を見たくなければ、サッサと鍵を開けるんだな!」
「やめてくれ!」
ウサコ父・長平の動揺は大きい。鍵を持っている老齢の職人の方を、チラチラと窺い始めた。
予想外の展開に、高位役人は絶句している。二人の僧形も、驚きに目を見張っている。
「おらおら、鍵を出せ、道を開けろ! このガキが死んでも良いのか!」
久賂邪鬼の親分は、いっそう狂暴に歯を剥き出した。久賂邪鬼の子分たちも既に、めいめい刃物を持って、反転攻撃の態勢である。
膠着状態だ。双方ともに、ヒリヒリするような緊張が続く。
しびれを切らした久賂邪鬼の親分が、少女の片腕を着物ごと、刃物でサッと引いた。
ウサコの着物の袖は、パックリと割れた。その着物の裂け目から、同様に、パックリと割れた切り傷が丸見えだ。その傷から、見る間に血が吹き出し、タラタラと流れ出す。
ウサコ父・長平が「ヒッ」と喉を鳴らした。ワナワナ震えながらも、呆然としている老職人の手から、鍵を抜き取る。
不意に、何やら読経のような声が始まった。
久賂邪鬼の親分が、苛立ちと共に、玄照師と呼ばれた老僧を睨み付ける。その脇に控えているのは、弟子と見える青年僧だ。
確かに老僧・玄照と青年僧・玄道は、仏教式に手を合わせて、読経のような事をしている。
余りにも意味不明の行動だ。二人の僧形を除く全員は、ポカンとするのみだ。
「あぁん? 何だ、生前弔いでもやってんのかぁ、フン!」
久賂邪鬼の親分が、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
それに応じたかのように、老僧・玄照の目が久賂邪鬼の親分を見据え、ギラリと光った。
「――喝!!」
その一瞬、凄まじい迫力と気合が閃いた。久賂邪鬼の親分がビクリと反応すると共に、その手が跳ね踊る。
――ザクッ。
少女の身体――その首筋の中ほどに、深く刃が突き立った証の、不吉な音が響いた。
ウサコ父・長平も、猟師も、零細職人たちも、役人たちも悲鳴を忘れて――アングリと口を開ける。
一同の目線が、ウサコに集中した。
「うわわわわぁッ?!」
最初に仰天したのは、久賂邪鬼の親分だ。
やけに手ごたえのあり過ぎた刃。それが突き立っているのは――
木造の仏像――地蔵菩薩像の、首筋の位置なのだった!
「お地蔵さんに変わった……?!」
優れた狩人の目を持つ猟師が、即座にその『有り得ざる光景』を理解し、絶句した。
次に気付いた久賂邪鬼の子分たちが、驚きの余り、呆然と固まった。
力が抜けた子分たちの手から、木製の地蔵菩薩像が、床に向かって滑り落ち――
――生身の人間の物では有り得ぬ、『ゴトリ』という、硬い木の表面同士がぶつかる音を立てた。
良く見ると――その木製の、三尺(一メートル)ほどの大きさの地蔵菩薩像は、その滑らかな禿げ頭に、『ウサミミ付ほっかむり』を着けている!
老僧・玄照が訳知り顔で、飄々と口を開いた。驚愕の気配が見える分だけ、玄道の方が、まだ未熟な人間らしい反応と言えた。
「かの地蔵菩薩は、我らが奉りし寺社の神仏よ。まことに、これ程に奇しき事があるとは、事実は小説よりも奇なり。幼き者を憐み、身代わり地蔵の奇跡を顕されたと見ゆる」
偉大なる老僧・玄照は、ウサコ父・長平の方を慈悲深く見やり、茶目っ気のある笑みを浮かべた。
ウサコ父・長平は、緊張がドッと取れたお蔭で、ヘナヘナと床の上に座り込んだのであった。
今や、その木製の地蔵菩薩像は、首筋の後ろの方に刃物を突き立てられたまま、うつ伏せの格好で、ゴロリと床に横たわっている。そのツルリとした頭部は、やはり『ウサミミ付ほっかむり』をシッカリと着用している状態である。
「地蔵に化かされた……」
「何で……どうして」
その『ウサミミ地蔵』を取り囲む形となっていた久賂邪鬼の親分と子分たちは、身体全身をわななかせ、顔を真っ白にしていた。ちょっとつつけば、それだけで失神しそうだ。
かくして――
城下町を荒らし回り、悪徳商人と手を結び、鼈甲細工をはじめとする禁制品でもってボロ儲けしていた極悪非道なヤクザ、久賂邪鬼の親分と子分たちは、あえなく、お縄となったのであった。