(1)何かが山からやって来た
道照は、豪雪地帯の山腹にポツンとある寺社で修行する青年僧だ。師匠と兄弟子は、お国のお殿様からの急な仕事の依頼で山を降りており、道照が一人で留守番をしている。静かな留守番の日々…の筈だったが、その日、吹雪の夜が明けると――山の方からデカい雪玉が転がって来て、お堂に突っ込んで来たのだ!その雪玉の正体は…そして、続いて寺社の居候となった謎のウサミミ少女の背後には、何やら不穏な事情があるようで…?!■
豪雪地帯の名物の吹雪が終わり、夜明けと共に一面の雪原がきらめいた。
脊梁山脈を成す純白の連嶺が、黄金色の日の出に照らされて真赭色と紫紺色に燃えながらも、雄大に広がる。
厳しい冬だ。クマや鹿、狼などの出る森が山脈全体を覆っているが、山の頂まで迫っているブナの森林はすっかり葉を落としていた。麓から見る山々は、遠目には、ほとんど真っ白である。
*****
雪深い山腹を走る峠道の辺り。その方角から、何やらゴロゴロ……という音が響いて来る。
それが、異変の始まりであった。
――ゴロゴロ、バキバキ。
途中にある細い下枝をへし折りながらも、ゴロゴロという音は続く。
そして――遂に、その異様な物音の正体が、山腹のブナ林の間から勢いよく転がり出た。バキバキと言う道連れの装飾音は無くなったが、ゴロゴロ……という音の重量感は、ますます迫力の度を増している。
――それは、雪玉なのであった。元々、山の斜面の上に雪が盛大に積もっていた事もあり、それは既に、人を飲み込む程の大きさに達している。
雪玉は猛烈な勢いで山の斜面を転がり続け、好き放題に新鮮な積雪を巻き付けながら、山腹を縫うように施工されている原始的な石畳の道に、『フワン』と激突した。その勢いで表面の雪はボロッと削れたものの、本体には全く響いていない。
石畳の道は、この山奥ならではの荒々しい舗装ではあるが、よく見ると参道らしき物である。近所の者が既に除雪作業を済ませていたのだ。そこには、一人が歩ける程度の、一筋の溝が出来ていた。
素晴らしい精度で参道の中央部の溝にハマり込んだ雪玉は、そのまま道脇に並ぶ樹林にはぶつからずに、参道をゴロゴロと転がり続けたのであった。
参道を抜けると、境内である。
神社と仏閣が一体化した、この小さな宗教施設の境内の中は、神社様式の置き物と仏閣様式の置き物とが、てんでバラバラに混在している。近ごろ流行っていると言う『札所巡礼』にも対応できる様式である――あっちに小型の鳥居&簡易型の祠、こっちに小さな五輪塔&お堂……
雪玉は、てんでバラバラに置かれている障害物を次々に避けていたが、遂に、その驀進して行く先と、小さなお堂の一つとが交わった。
――バリバリ、ドシャーン、バキ・ボキ・バキ……
お堂の正面扉を兼ねていた格子戸は、見る影も無い程に粉砕される。
雪玉もまた粉砕し、大量の雪が飛び散る――お堂の床が真っ白になる。
お堂の奥――小さな階段を備えた台の上に、ささやかながら仏像三体が安置されている。
猛然と飛び込んで来た雪玉は、仏像が乗せられている台に、ドドンと正面衝突した。
勢いこそ充分に削がれていたものの、その衝撃は、台全体をゆるがした。最大でも三尺(一メートル)程度の大きさに留まる三体の木製仏像は、揃って、蓮の花を模した三つの台座と共に、ガタガタと跳ねた。
*****
ゼイハアゼイハア言いながら参道の雪かきを済ませ、今しがた母屋に戻って来たばかりの、若い修行僧が居る。
名前は道照。
豪雪地帯の真ん中のお国の――それも山奥の――このうら寂れた寺社で、一人ぼっちで留守番をしている青年だ。
「師匠と兄弟子は、もう麓に着いたかな」
道照は、久し振りに晴れ上がった朝の空を見上げた。
峠道に沿って、ささやかな谷を三つほど踏み越えて降りて行った先の麓、お国の城と城下町は、目下、大事件で揺れている。
お国のお殿様の寝室に、デカイ化け猫が出たと言うのだ。一緒に添い寝していた奥方様が悲鳴を上げたり、召使や警備のサムライたちが右往左往したりと、散々な騒ぎになった。それに、化け猫騒動に合わせて、千両箱が幾つも失せたと言う。
そういう訳で、霊験あらたかな事で高名な師匠が、化け猫退治に駆り出されたのである。兄弟子は、師匠の付き添い世話役、兼、助手だ。化け猫を退治するため、お殿様やご家老ともども作戦を練る必要があるという事で、長く留守にしているところだ。
(昨夜は凄い吹雪だったし、この分じゃ谷の一つや二つは埋まってるな。一日でも予定がズレていたら、師匠も兄弟子も、山の中で吹雪に巻き込まれて散々だったに違いないや)
道照は、ふうっと息をついた。
(それにしても、我が師匠の天候予測は大したもんだ。座禅修行の効果だか何だか知らないが、妙な霊能力だか、神通力だかが、バリバリある御方だよ。何年前だったか、祈祷で本当にお殿様の病気を治したという、ガチの事実もあるし。師匠は――……)
――バリバリ、ドシャーン、バキ・ボキ・バキ……ドドン!
「何だ、あの音は!?」
ただならぬ破壊音だ。何処から……あのお堂だ!
道照は、駆け出した。不審者に対する用心のために、竹箒を持って。
境内のささやかな巡礼路の雪かきは後回しだったから、隣のお堂に駆け付けるにも一苦労だ。
(確か、あのお堂の中には、このうら寂れた寺社において唯一の宝物である神仏習合モノの山神の、阿弥陀如来像、一体と、左右の菩薩像、二体が……!)
――積もりたての雪は走りにくい!
「どうしよう、どうしよう」
どうしようも無い事を繰り返し喚きながらも、道照は竹箒を竹槍に見立てて、お堂に飛び込んだ。
お堂の扉となっている格子戸は見る影も無い程に粉砕され、周りにはビックリするような量の雪が散乱している。
薄暗い奥の方に、雪のカタマリが見える。雪玉が飛び込んで来ていたのだ。
いったん振り返って、雪玉が来たと思しき方向を確認してみれば、そこには雪玉の軌跡がクッキリと残っている。参道の方から転がって来た事は明らかだ。
参道には、道照が苦労して雪かきして開いた溝が通っている。
雪玉は、この一本道の形をした溝にハマり、ブレる事無く転がって来たのだ。
(昔、李白が「此地一たび別れを爲し、孤蓬萬里を征く」と吟じたと言うけれど、一体、何処からやって来たんだか、此処にあるのは、転蓬じゃ無くて雪玉だよ……)
何たる奇禍。頭痛がして来る――
道照は坊主頭をさすりながらも、お堂の中を慎重に見回した。
見るからに、人の大きさ程もある雪玉が突撃して来た事は明らかだ。雪玉の本体は、お堂の奥の台座を直撃していた。雪玉の本体は、そこで、パックリと真っ二つに割れているのであった。
「どうしよう、どうしよう」
道照は頭を振り振り、台座や、台座の上に乗っている三体の仏像に被害が無いかどうか確認し始めた。ついでに、手に持っていた竹箒で、出来る限り雪を払っておく。
――幸いな事に、台座がズレたりしている他には、特に大きな被害は無いらしい。
(あらたかな神威仏徳、これこそ霊験と言うべきか)
道照は「南無」と手を合わせた。
雪玉がぶつかった時の衝撃のせいだろう、お供え物の干し柿が飛び出してしまっている。道照はお供えの台の位置を直すと、干し柿を再びその上に安置した。
そして道照は取り急ぎ、お堂を出て、雪かき用の道具を収めている納屋へと走った。
――実を言えば、道照は、この時、パックリ割れた雪玉の周辺を、もっとシッカリと確認するべきだったのである。