(8)これにて事件解決でござるニャン
二人の中年男は、何が何やら――のうちに、手錠を嵌められていた。
最後に公園に入って来たのは、二人の中年男が揃って『人殺しの空き巣野郎』と呼ばわった、目暮啓司と――それに、日暮の婆さん、すなわち水色トレーナー中年男の母親である。
二人の中年男は、限界ギリギリまで目を見開いて、オドオドし始めた。両者ともに、額に大量の冷や汗をかき始めている。
先ほどまでの会話は、苛立ちの余りウッカリしていたせいで、全く声量を抑えていなかった。タイミングを窺っていた警察の捜査メンバーたちは勿論、『人殺しの空き巣野郎』も、すべてを耳にしていた。日暮の婆さん――水色トレーナー中年男の母親も、余すところなく聞き取っていたのだった。
やがて、理不尽にも『人殺しの空き巣野郎』と呼ばれた男、目暮啓司が、ゆっくりと口を開いた。
「毒を盛られていた煮魚料理、カレイだったんだな。『カレェ』なんて変な発音だったから、俺も『カレー』だと思い込んでたよ。カレーと……カレイ……」
次に、目暮啓司は、ヒョイと日暮の婆さんの方を振り返った。
「日暮の婆さん、年取って、ちっと耳に不便が出てたんじゃ無いすか?」
「軽度から中等度の難聴だって、お医者様に言われてますよ。老人性難聴だから、正確な聞き取りにちょっと難があるから、注意して、と」
日暮の婆さんは、真っ青な顔色ではあったが、目暮啓司の問い掛けにシッカリと応じているのであった。
「おかしいと思ったのは、カレーを煮込み始めた後だった。豚肉を冷蔵庫から出そうとしたら、カレイの切り身が、冷蔵庫の真ん中にあるんだもの。それで、本当は、魚の方の『カレイを煮ておいて』という事だったと分かって」
水色トレーナー中年男――日暮の婆さんの息子が、思わず顔を上げて来た。全力でポカンとしている。
「でも、もう目暮さんには『カレー作ってあげる』って言ってしまった後だったし」
目暮啓司は、今頃になって、改めて背筋がゾワゾワして来るのを覚えた。もう少しで、日暮の婆さんが――目暮啓司自身も――毒に当たって死ぬところだったのだ。
――まさしく、一文字違いというか、一本違いの差だった。
日暮の婆さんの言葉は続いた。
「生魚の切り身ってすぐにダメになるし、それじゃ、鈴木さんの奥さんなら魚好きだから、今から行けばタイミング良いな、と思って、持って行って――まさか、あれに……毒が盛られているとは……思わなかった」
日暮の婆さんの最後の言葉は、震えていた。流石に、自分が息子に毒殺される所だったとは信じたくないのであろう――という事が窺える。
新人刑事が、目暮啓司と日暮の婆さんを交互に見やり、次に横目で、今宵、まさに母親を毒殺しようとしていた息子をチラリと見やった。
「――鑑識から、あのカレイに含まれていたのは、トリカブト毒だったという結果報告が出てます。20分で死に至る即効性の毒ですけど、トリカブト自体は、日本中の野山の何処にでも、チラホラと生えてますからね……特に、今は花の時期ですし。ネット上の植物図鑑なんかで調べて、入手して来るのは難しくなかった筈です」
ベテラン中年刑事が厳しい目をして、蛍光黄色トレーナー中年男と水色トレーナー中年男を見据えた。
「日暮夫人には、今は亡き日暮氏が掛けていた生命保険がある。かなり昔から積み立てていたものだそうだから、今じゃ数百万円ぐらいにはなってる筈だ。動機は、その金だろう。くだんの『礼金』とやらの財源もな。パチンコ三昧で、負けが込んで、借金が増えてたんじゃ無いのか。それに、二人して、闇金からも借りてたんじゃ無いのかね」
まさに図星を突かれた形。水色トレーナー中年男は、ブルブルと口元を震わせて脇を向いた。蛍光黄色トレーナー中年男も、ご同様だ。
かくして――
未明の闇の中、二人の中年男は、警察署に連行されて行ったのであった。
*****
「死んでも、明日になれば生き返るから、どうって事ない――と思って、あのような犯行に及んだ、だとさ。ケッ」
「人類の認識システムの欠陥が見せるロジック風景ニャネ」
翌朝。
警察署の横にある共用駐車場にて――
猫天狗は黒い翼を引っ込め、一本の尾を持つ普通のネコの姿という状態で、目暮啓司と、神託を通じた会話をしていた。
共用駐車場を仕切る縁石の端に腰かけた目暮啓司の手には、今しがた読み終えたばかりの朝刊がある。
「いわゆるゲーム脳の末路ってヤツか」
「それにギャンブル依存症が加わっているニャ。アレも脳内麻薬が関わるから、難しい問題ニャ。人類は、自分で自分の脳みそを変えていく力があるけど、その方向が歪んでしまったのニャネ。歪み切ってしまった脳みそを、本来のバランスの取れた内容に戻すには、本当に長い修練時間が必要だニャ」
目暮啓司は、お行儀よくお座りしている猫天狗を、ジロリと眺めた。
「昨夜、てめぇ催眠術か何か使ったんじゃ無いのか? 警察がいきなり行動を起こしたから、心臓が止まるかと思ったんだが。それに、あの二人が、急に棒立ちになった後、もつれあって倒れた理由も分からん。二人とも、『恐ろしい化け猫を見た』としか言ってないらしい」
猫天狗は、灰色のネコ顔のヒゲをピピンと伸ばして、それこそ『得意満面』そのものの表情である。
「神通力と言ってくれニャ。リアルVR-MMO、つまり集団レベルの仮想現実を操るのは神通力の基本だニャ」
そんな事を、目暮啓司と猫天狗が話し合っていると――
この事件で新しく顔なじみとなったセレブ風なベテラン中年刑事が、警察署横の共用駐車場に姿を現して来たのであった。
ベテラン中年刑事は、一人と一匹に近づいて来た。
それに応えて、目暮啓司は、ズボンをパッパと払って立ち上がる。昨日の『マジメ百点サラリーマン風』の扮装とは違って、カジュアルスーツと言った出で立ちなので、縁石に腰かけるのも、それほど気にならない。
猫天狗は目暮啓司の足元に、お行儀よく座った。目暮啓司の飼い猫の振りをしているのだ。
「やぁ、おはよう。律儀に約束を守って、雲隠れも高飛びもせずに警察署に戻って来るとは、大したものだ。目暮啓司くん、それは飼い猫かね?」
「違うんだけどなぁ」
猫天狗の存在――これ程、説明しにくいモノは無い。目暮啓司自身だって、今でも半信半疑なのだから。
それに目暮啓司が、わざわざ過去の空き巣の余罪を問われるリスクを冒して戻って来たのは、ひとえに、日暮の婆さんに対するカレーの恩のためなのだ。
ベテラン中年刑事は、封筒を目暮啓司の手にポンと置いた。
「これは?」
「紹介状だ。この私がわざわざ書く気になったんだ、有難く感謝したまえ。引退した先輩が、探偵事務所をやっていてね。目暮啓司くんには、探偵の素質がありそうだ。試してみるのも悪くは無かろう」
目暮啓司は、口を『への字』にして、セレブ風なベテラン中年刑事をチラリと見やった。昨夜、既に名前を教えてもらっているが、未だに名前を呼ぶ気にはならない。
――この野郎、どうもシャクにさわる言い方だ。
心の内で、失礼千万な事を目暮啓司が毒づいていると、ベテラン中年刑事が意味深な笑みを浮かべた。
「目暮啓司くんとは、これからも縁がありそうな気がするな。まぁ、これからもよろしく」
「二度と警察と縁があって、たまるか」
「素晴らしい心がけだ」
「ニャー」
猫天狗が、普通のネコの鳴き声で唱和して来た。
――この裏切りネコめ。
目暮啓司が渋い顔をしていると、ベテラン中年刑事が、「そうそう」と、思い出したように付け加えて来た。
「日暮夫人が、目暮啓司くんには世話になった、よろしく――と言って来ていたよ。こんな結果になって、こちらも驚いたし、実に残念だが、日暮夫人は、目暮啓司くんのお蔭で命拾いしたようなものだったからな。目暮啓司くんの飢えた顔を見て、頭にパッと浮かんだ料理が『カレー』だったそうだ」
それは、褒めてるのか、けなしてるのか。――それとも、妙な意味で呆れているのか。
目暮啓司は、微妙な心持ちになった。猫天狗は、金色の目ピッカピカの、かの物語のチェシャ猫さながらの笑みを浮かべている。
ともあれ、このようにして――某・住宅街で起きた奇妙な毒殺事件は、解決を迎えたのであった。
後日。
目暮啓司が、過去の空き巣の余罪を問われ、タップリ罰金を払わされる羽目になったのは、言うまでもない。
その罰金の金額を立て替えたのは、誰あろう、あのセレブ風の中年ベテラン刑事と親しくしている『引退した先輩刑事』だ。
そんな訳で、目暮啓司は現在、探偵事務所の所員として、薄給で探偵ビジネスをやっているところである。その足元には、あの金色の目ピッカピカの灰色ネコが、ニヤニヤ笑いをしながら付き添っているのであった。
「何で俺に付きまとうんだ、この化け猫め!」
「前にも言ったように、ケイ君は珍しい人材ニャ。ミーが神猫にして猫神・七尾に進化したアカツキには、ケイ君がミーの栄えある一番目の覡だニャ」
目暮啓司が奇妙な人生を歩む事になるのは、既に決定事項なのであった。
―《終》―