第7話 忠告
翌朝、トキが目覚めたのは普段アキが使っている布団の中。アキはというと、トキが寝る予定だった部屋があまりに埃まみれだったので、自分の部屋をトキに貸して自分が代わりにその布団で眠ることにしたのだ。
「やっぱり僕があの部屋で寝たほうがよかったよな」
あの部屋を幼い少女に使わさてしまったことに罪悪感を感じ、申し訳なく思いながらトキは布団から出ようとした。
「う~ん…………」
「!?」
一人のはずのベッドから、なぜかうめき声が聞こえ視線を移すと、すぐ隣に見覚えのある黒髪の少女が眠っていた。
「!?!!?」
声にならない悲鳴をあげ、眠ったままの少女を見て必死に思考を巡らせる。
(あれ? なんでアキがここに? 昨日は一人でベッドに入って、アキは隣の部屋で寝てるはずなんだけど。え、もしかして部屋を間違えた? なんてことはない! 他の部屋はこんなにきれいじゃなかったし。それに、ずっと放置されたままで埃っぽくてこんなにいい匂いは……ってそういうことじゃなくて!!)
「…………はぁ。一旦落ち着こう」
頭を混乱させる目の前の状況をため息で吹き飛ばし、何が起きているのかを冷静に考えた。そして、答えはすぐに出た。流石にアキもあの部屋では眠れなかったのだろう。当たり前といえば当たり前のことなのだが、もしかするとアキならばと心のどこかで思っていたことは秘密だった。
それにしても、起きているときはあんなに元気なアキが眠っているときはまるで別人のように静かだ。騒がしくないアキは見ていて変な感じがした。まるで別人を見ているような感覚だ。服は寝間着に着替えられ、髪も艶のあるサラサラな髪になっている。寝癖はついているが……。きっとトキが眠った後にゆっくり湯浴びしていたのだろう。洗剤の香りがいつもよりはっきりしている。今はアキと同じ香りを自分もまとっていることが妙な気分だった。
トキはアキを起こさないようにゆっくり布団を抜け出し、そのままになっていた昨日の食事の片付けを終えると太陽の光を浴びようと外へ向かった。そしてちょうど建付けが悪くなった扉を開けると、そこには扉を叩こうとする見知らぬ少年がいた。
「は?」
「え?」
二人はお互いに固まり、しばしの間沈黙の時が流れた。
「えっと、どちらさま?」
「それはこっちのセリフだ!」
突然大声をあげる金髪の少年は鬼のような形相でトキを睨んだ。よく見るとその後ろにも、敵意剥き出しの少年よりも一回り大きく、丸いシルエットの少年がもう一人立っていた。この少年は笑顔のままそこに立っているだけで、敵意はないみたいだ。
「なに者だお前? なんで今アキの家から出てきた? さてはお前、泥棒か!」
「え? いや違っ、うわっ!!」
突然胸ぐらをつかまれ、トキは地面に押し倒された。茶髪の少年が拳を握り締めトキが殴られると覚悟したとき、奥の階段の方から足音が聞こえてきた。
「ふぁ~、どうしたのトキくん。そんなに叫んで……ってあれ?」
振り返ると、扉の前でまだ寝ぼけている様子のアキが目をこすりながらやってくる。
「ルイとグンタくん、おはよ。 どうしたの?」
アキが少年たちの存在に気づき、当たり前のように少年たちの名前を呼んだ。後ろのグンタという少年もまた、なにもおかしなことはないというようにおはようと返す。そんな緊張感のない二人にルイという少年はまた怒鳴るように叫んだ。
「なに普通に挨拶してんだ! アキ、こいつ泥棒だぞ! ちょうど出てきたところをとっ捕まえて絞めてやろうと思ってたところだ!」
ルイという少年はトキの胸ぐらを引き、拳を握りしめ怒りをあらわにしている。
「その子、泥棒じゃないよ」
「は? 何言ってんだよく見ろ! 汚い服と挙動不審な動き。どう見ても泥棒だろうが!」
毎度のことなのか、グンタはやれやれまたかと肩をすくめている。アキはきょとんとしながら経緯を説明する。
「その子は昨日、森で魔物に襲われてたところを私が助けたの。だから泥棒なんかじゃないよ」
「つまり…………それもアキの家に侵入するための演技ってことか!」
再びルイが拳を握り締めトキが縮み上がっていると、それよりも先に背後からグンタの拳がルイに飛来した。
「うおっ!? っっってぇな、なにすんだよグンタ!」
頭を抑えたルイを無視してグンタはトキの前に腰を下ろした。
「ごめんね。ルイが早とちりしちゃって。まあそんなことだろうとは思ってたんだけどね。ルイは昔からアキのことになるとすぐ熱くなるから」
「んな! おおお前、何わけのわからないことを言って……!」
「本人に悪気はないから許してあげてくれないかな?」
「う、うん、僕は大丈夫だよ」
「お前ら聞いてんのか!」
顔を赤く染め喚きながらまるで空気扱いルイに苦笑いしていると、グンタがトキに手を差し伸べた。
「ありがとう」
「いいよ、僕はグンタ。こっちのうるさい頭悪そうなのがルイ。君は?」
「頭悪いってお前、ちょっおい!!」
いろいろ怒り心頭なルイが叫び散らしているがグンタは全く気にする様子はない。さすがに落ち込んだのか、背後でアキがなだめている。
「僕はトキ」
「トキ君か。変わった名前だね」
「そうかな? 僕は気に入ってるけど」
「うん。いい名前だと思うよ」
ルイとグンタは友人のようだが性格はずいぶんと違っていた。ルイの言動が荒いのに対して、グンタはおとなしく優しい性格をしている。ルイには毒舌のようだが……。しかしそれも二人の仲がいいという証拠だろう。
「おいグンタ、いい加減無駄話も終わりにして本題に入ろうぜ」
ようやく冷静になったルイは、先ほどとはまた違った落ち着いた声でそういった。そして、その声で周りの雰囲気が変わり、さっきまでのふざけた空気はなくなっていた。ルイという少年にはそれだけのカリスマ性も備わっているのだろう。
「何かあったの?」
アキが尋ねると、ルイは神妙な面持ちで話し始めた。
「昨日の夜、アデルが死んだ」
「え…………」
グンタを含めた三人が暗い表情になる。
「なんで……」
「理由はまだわかってないが、何者かに襲われたのは確からしい」
「しばらく姿を見ないから心配してアデルの家を訪ねた子たちがいたんだ。でも家には誰もいなくて、みんなで村中探し回ってやっと森の中で死体が見つかったんだ」
膝から崩れるアキ。アデルという少年はアキにとって大切な友人だったのだろう。かけがえのない人間にもう会えない寂しさや悲しさ、怒りや後悔。まだ少女であるアキにとってそれらはとても重く、容易く乗り切れるものではない。アデルにも夢や後悔があったと思えばなおさら現実を受け入れ切れず、犯人を許せなくなるのだ。友の死というものを経験したことのないトキには、その気持ちがわからなかった。それゆえに、今のアキになんと声を掛ければいいのかもわからない。
「だが、わかっていることもある」
ルイのそんな言葉にもピクリとも反応を示さない。
「死体には右足がなかった。そのせいで犯人から逃げられなかったんだろう。それと胴体には一瞬で抉られたような大穴と火傷があった。首も近くに転がっていたが眼球だけはどこを探しても――」
「もういいよ」
その言葉でルイは口を閉ざした。しかし、アキがそう口にすることがわかっていたように顔色一つ変わらない。
「もうやめてよ。そんなの聞きたくないよ。アデルくんがどうやって、どんなふうに苦しんで死んでいったかなんて知りたくないよ。どんなに怖くて、片足失くしてまで必死に逃げようとしていたかなんて。そんなこと知ったら、アデルくんを殺した人を許せなくなるじゃん。そしたら、私はきっとその人を殺しに行くよ。アデルくんがそれを望まないって知ってても。私が私じゃなくなるとしても。でもそうしたら、アデルくんにもみんなにももう今までみたいに会えない気がするの。だからもう何も言わないで」
アキには見えていたのだ。自分たちの目の前から去っていった友の想いが、アデルがいなくなったことで自分たちに訪れる変化が今のこの日常を壊していく様子がアキには見えていた。もちろんそんなことは誰も望んではいない。誰一人として変わることなく、この死を乗り越える必要があるのだ。アデルもそれを望んでいるはずだ。
「ごめんねアキ。でも大丈夫、ルイも同じ気持ちだからアキの気持ちはちゃんとわかってるよ。それにアデルの気持ちもね」
「だからこそ、俺達はここに来たんだ。あいつなら自分のことよりもまず、俺達のことを心配してるだろうからな」
「ルイ、グンタくん」
アキにはこれから訪れるかもしれない最悪の状況が見えていた。しかしそれは、アキ同様にアデルと仲の良かったルイとグンタも同じだった。そして二人はさらに敵のこれからの動きを見越して、アキに迫るであろう危険についても警戒していた。
「犯人はまだわからない。だがアイツの死は無駄にしない。手がかりはある。うすうす勘付いてはいただろうが、忠告だ。マルクたちに気をつけろ」