第4話 約束
宵闇の中、虫の騒がしさに目を覚ました。
焚き火は消えている。
昼間は少し暑いくらいだったが夜は少し肌寒い。
日に日に夜が寒く感じるようになってきている。
もうすぐ秋が来るのだろう。
食事を終えたあと、そのまま眠りについてしまったらしい。
傍らでは、少年と同じ歳くらいの少女が眠っていた。
昨晩の食事はその少女が拵えた。
現地調達した食材で、なかなか本格的な料理を作り上げた。
世の中の基準がよくわからないが、この歳であのレベルの料理を振る舞える者はそういないのではないだろうか。
思い出しただけでもよだれが滴るあの料理をまた食べたいと思うのは、久しぶりの食事だったからだけではないだろう。
「僕にもなにかできることがあればな」
出会ったばかりで見ず知らずの自分によくしてくれるアキに、なにか恩返しがしたい。
そう思っても、彼にはまだ彼女になにか与えられるだけのものが何もない。
いつまでも頼りっぱなしというわけにはいかないとわかってはいるのだが、今のトキにはまだ一人で何かをすることができない。
それがもどかしく歯がゆかった。
「…………あれ? トキくん、起きてたの?」
「あ、ごめん。起こした?」
「ううん、大丈夫だよ」
まぶたをこすり首を横に振るアキ。
一度仰向けに寝返りを打ったが、眠気が飛んだのかそのまま身体を起き上がらせた。
寝癖でぼさぼさの髪を気にもせず、ただわずかにぼんやりと光る焚き火をぼーっと見つめていた。
「どうしたの? 眠れないの?」
「うんちょっと肌寒くて」
「あ、私も。ちょっと寒いかも」
そう言ってアキはトキに寄り添った。
肩が触れ、そこからアキの体温が漏れて伝わってくる。
「村についたらトキくんに話したいことがあるの」
「僕に話したいこと? なに?」
「今はまだ内緒。村についてから」
暗くて表情は見えないが、いつもの明るい声とはまた違う落ち着いた声。
「そう言われたらなおさら気になるんだけど」
「だめ。ちゃんと村についたら教えてあげるから、それまで我慢してね」
「はい……」
まるで母が子供を叱るような口調で指を立てるアキ。
しかし声は少しだけ明るくなったような気がした。
「トキくんは自分の故郷のこととか考えたりするの?」
「僕は全部忘れちゃってるし、でも想像することはあるかも。いつか全部思い出してその場所に帰れたらいいなって」
自分の故郷がどんな場所なのか、どこからやってきたのか。
その場所は自分にとってどんな意味を持つのか。
過去を失くしたからこそ、自分の生まれ育った地がどんな場所なのか知りたい。
そう思える気がした。
「トキくんの故郷か。私もどんなところか気になるな」
夜の暗さにも少しずつ目が慣れて、アキの表情もわずかに伺えるようになってきた。
彼女は隣で遠くを見つめるような目をしていた。
「私ね、トキくんのことたくさん知りたいの。記憶がないなら思い出せるように手伝う。帰る場所があるなら連れて行ってあげる。なにも覚えていないのも、ひとりぼっちなのも寂しいもん」
トキには出会って間もない人間のことをそこまで思ってくれるのかわからなかった。
きっとまた自分が不安にならないようにと気遣ってくれているのだと思っていた。
今はアキのその寂しそうな目が何を見ているのかまではわからない。
その目に映っているのがトキなのか、それとも違うものなのか。
それが見えるようになるにはまだ出会ってからの日が浅すぎた。
「ありがとう。記憶が戻ったら、アキにはいろいろ話さないとね」
「うん、約束。じゃあ私そろそろ寝るね」
「僕ももう少ししたら寝るよ」
「じゃあ私は先に、おやすみなさい」
「おやすみ」
再び眠りに就こうとするアキの表情には、寂しさは感じられなかった。
***
翌朝。
木々の隙間から差す太陽の光に照らされ、トキは目を覚ました。
陽はちょうど真上の昼時。
疲れが溜まっていたせいか、随分と眠っていたようだ。
まだそばでアキが眠っていたが、トキが起き上がるとその物音ですぐに目を覚ました。
「ふぁ~。おはよう、トキくん」
「おはよう、アキ」
「ん~眠たい」
大きなあくびをして半開きの眼をこするアキ。
そこに昨日の表情は見られない。
早速トキが出発の準備を始め、遅れてアキもまだ頭がぼーっとするなかゆっくりと体を動かし始めた。
どうやら朝には弱いらしい。
「よし。いつでも出発できるよ」
「ん、ちょっと待って、もう少し……よし! 私も準備おっけい! じゃあいこっか!」
「うん」
アキは、昨日と同じように元気に森の中を歩き始める。
森の暗闇を歩く少女の影に従い、トキも道なき道を黙々と進んでいく。
一晩休息を取り、トキの体の調子も昨日に比べてだいぶ良くなっている。
身体の重さと倦怠感はどこへやら、というほどに軽い足取りだ。
この調子なら、昨日よりも早いペースで進むことができるだろう、と思っていた矢先に。
「どわあ!!」
「え! 大丈夫!?」
「いてて、こんなとこに木の根が」
「トキくんって結構ドジ?」
体調は良好なトキだったが、あまり時間短縮には期待できないみたいだった。
アキも昨日、トキに無茶をさせてしまったこともあって、気を配りながら進むように心がけていた。
木の根やぬかるみなど、なにかトキの進行の弊害になりそうなものを見つけるたびに注意を促している。
――僕ってそんなに鈍いかな?
そんな調子で進みながらも特に何事もなく半日、休息も十分に取りながら昨日よりも早いペースで移動することができた。
体力さえあればトキもちょっとした冒険気分で、足取りはとても軽快だった。
道中魔物や獣に襲われることもなく、相変わらず美味いアキの料理で腹を満たし、移動中も村のことをいろいろと聞きながら目的地を目指した。
そうして歩くこと数時間が経過したころ。
「まだ村には着かないの……?」
トキの体力も底をついていた。
途中で休息を取ったとはいえ、身体能力の劣ったトキには長い道のりだった。
一向に村が見えてくる様子はなく、それどころか昨日からほとんど変わらない景色に精神的にも参っていた。
「もうすぐつくから頑張って」
「うう、足が…………」
「トキくん大丈夫?」
「だ、大丈夫……」
口ではそう言っているが自分でも身体の限界を感じていた。
「無理しないでね。もう見えるはずだから」
そんなアキの言葉さえどこまで信じていいかわからなくなるほど疲れているトキは、もうすぐ村は見えるはずだと自分に言い聞かせなんとか歩くことができている。
それとは正反対に、いまだ疲れを見せず鼻歌交じりに歩くアキ。
彼女のスタミナは底なしかもしれない。
「なんでアキは女の子なのにあんなに余裕なんだ…………。それとも僕が余裕なさすぎるだけ……?」
ため息かどうかもわからないほど呼吸を乱し歩いている間に、だんだんと日も低くなり西の空が茜色に変わり始めていた。
目覚めてから二度目の夜がやってこようかという頃、先を行く影がピタリと止まり、その先の木々の隙間からぼんやりと夕日のように輝く光が見えた。
「トキくん、ついたよ」
アキの背後に目を向ける。
その奥にある温かい光に包まれたそこはシオンと呼ばれる村だった。