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ゴブリン軍

 森の茂みの中、じっと息を潜める二人の目と鼻のさきにはあの忌々しいゴブリンたちが徘徊し、奥にも数体のゴブリンが腰を下ろしていた。アキの姿はまだ見えない。姿を確認することができれば探す手間も省けたのだが現実はそう上手くいってはくれない。ゴブリンたちがアキを連れてくるまでここで待ち伏せ、アキの姿を確認次第ゼトが隙を作りだし救い出す。敵の数や周りの地形がわからないためその後の詳しいことはトキの判断に任されていた。


 しかしトキは必ず助けると意気込んだもののやはり数いるゴブリンを前に圧倒されていた。横目でゼトを見るとなんの表情の変化もなく落ち着いた様子で、油断のない視線で目の前の敵に集中していた。トキからするとただの通りすがりのおじさんで自分の命の恩人としか思っていなかったが、まるで恐ろしさを感じていないようにすら見えるその姿にまだなにか知らない力を持っているのではないかと感じさせた。


 そんなことを考えてゴブリンたちに注意をはらって随分と時間が経過していた。日が沈んでからも随分と時間が経つ。しかし、徐々にゴブリンたちは数を増やし、その動きは慌ただしくなってきた。森中のゴブリンたちが集まるこの場所は既にお祭り騒ぎだった。大きなテーブルに豪華?な虫料理なども運ばれてくる。彼らにとってはあれもごちそうなのだろう。


「来たぞ……」


 ゼトの声が静かに聞こえる。奥から二匹のゴブリンが丸太を担いでくる。その丸太にはひどい傷を負ったアキが固く縄で縛りつけられていた。連れ去られたあとも随分と痛めつけられていたようで、傷は増し痛々しく青色に腫れ上がっている。着ていた服も刃物で切られたように破け、血が流れ染み込んでいる。トキの中に沸々と怒りがこみ上げてくる。目は殺気立ち、歯をギリギリと食いしばる。抑えるのが精一杯といった様子だ。


「おかしな真似だけはするなよ。救えるもんも救えなくなるぞ」


 その言葉に少しだけ正気を取り戻す。失敗は許されない。感情に任せて行動してはいけないと自分に言い聞かせる。だがその直後ゼトは何かを発見した。


「厄介なのがいやがるな……」


 舌打ちしたゼトの視線の先には他のゴブリンよりもかなり大きめの体をした魔物がいた。装備も豪華で全身に鉄の鎧を纏っている。他のゴブリンが持つこん棒ではなく、その体にあった大きな大剣を担いだゴブリン。やつが親玉だとひと目で分かる。周りにはゴブリンたちを従えふんぞり返りっている。


「ジェネラルゴブリンだ。あいつは他とはレベルが違う。俺が引きつける隙にお前は嬢ちゃんを救い出せ」


「あいつを……おじさんがひとりで……?」


「そんな顔すんなよ。言っただろ。腕には自信がある。ついでにほかの雑魚もできるだけ持っていってやるからよ」


 そう言うやいなやゼトは茂みから飛び出し、小さなテーブルの近くに転がっていた少し太めで長い木の棒を拾い上げた。それを雄叫びとともに振り回し、一瞬のうちに近くのゴブリン二体を戦闘不能にした。


「まさか、あんな棒きれで……!」


 ゴブリンたちが雄叫びと倒れた仲間たちの存在に気づき、それを見るや一斉にゼトに襲いかかってきた。だがゴブリンたちの親玉はまだ動かない。ゼトは棒きれでゴブリンたちを殴り倒していく。それでもやはり、頑丈なゴブリンを仕留めるには決定打に欠け、多くのゴブリンたちは何度も立ち上がり咆える。だがゴブリンたちにも疲れが見え始め、その動きは徐々に鈍くなっている。対してゼトの方は、息一つ乱れていない様子。数十倍のゴブリンの大群を相手になんのそのという顔をしている。やはり彼は只者ではなかったと自分の予感が的中していたことを理解するトキ。


 ふんぞり返っていたジェネラルゴブリンもようやくそのことに気づいたのか、重い腰を上げ前に出た。少しずつ後ろへ下がるゼト。さすがのゼトもあれを相手にするのは一筋縄では行かないのだろうか。じわじわと静かに間合いを詰めてくるジェネラルゴブリンだったが、突然大きな咆哮を上げた。同時に周りのゴブリンたちが一斉に襲いかかってくる。しかしゼトはそれにニヤリと無邪気な笑みを浮かべると、後ろへ振り返り必死な様子で背後の森の中へ走りこんだ。ジェネラルゴブリンとゴブリンの集団は尻尾を巻いて逃げるゼトに一瞬の硬直を見せるが、すぐに我を取り戻し咆哮とともに森の中へと消えたゼトを追って姿を消した。


 トキはその隙を逃すかとすぐにアキのもとへ駆け寄り彼女にもらった小さなナイフで縄を切った。硬い縄も強引に切り裂き、ようやく解放したアキを背負いその場を去ろうとする。しかしまだゴブリンが残っており、視界にそのゴブリンが映り目が合った。一瞬の硬直の後、動き出したゴブリンはすぐにトキめがけて矢を放った。


「弓も使うのか!ずるいぞずるいぞ!」


 吐き捨てながら森の奥へ走り込み身を隠す。あのまま背を向けて背中のアキに矢が当たってはまずい。このまま逃げ回っていては背後から射られるので先にゴブリンをなんとか処理することにした。遅れて先程の弓矢のゴブリンがやってくる。ゴブリンはトキの姿を見失っているらしい。だがまだ辺りを徘徊し警戒している様子。戦って自分に勝ち目はないとわかっている。心の中で早くどこかへ行ってくれと願いつつどうしたものかと思考を巡らせていた。すると突然、遠くのほうから大きな爆発音が聞こえた。


「なんだ!!……あっちはおじさんが逃げた方だ!


 幸いに追ってきたゴブリンは爆発音に驚いて慌てて逃げ去っていった。危機を逃れたトキは一度アキを安全な場所へ連れていくことにした。ゼトに何かあったのかもしれないと焦り、急いで焚き火のあった元いた場所へと戻ることにした。背負ったアキの息が微かにトキの首筋に当たって優しく撫でる。


「生きててくれてほんとに良かった……」


 森の中を慣れない足取りで走り、もうすぐ元いた場所へ着こうという時その場所から細い煙が上がっているのが見えた。火は消したはず。何者かを警戒して息を潜め覗き見る。そこには爆発に巻き込まれたと思われていたゼトの姿があった。ゴブリンたちはすでに撒かれていたのだろうか。


「おじさん……」


「おう、なんだ早かったじゃねえか」


 傷の一つ、衣服に汚れの一つも付いていない。ゼトはいつもどおり平然としていた。一体彼はあの数のゴブリンをひきつけ、中にはジェネラルゾンビもいたにもかかわらずあの大群をどのようにして撒いたというのだろう。さらにあの爆発音。一人であのゴブリンの集団を相手に勝利したのだろうか。


「そいつがお前の助けたかった娘か」


 アキの傷を見てポーチの中を探っているゼトを見てトキは尋ねた。


「……ゴブリンたちは?」


「俺が全員片づけといたぜ」


「あのゴブリンを一人で!?それもあの数を……」


 驚くトキに小さな小瓶を渡し、それをアキの傷口に塗るように言った。トキはその小さな瓶を受け取り蓋を開けた。薬の匂いの中に嗅いだことのないスッとする不思議な匂いが混ざっていた。


「その中身は傷薬だ。嬢ちゃんに塗ってやんな。お前にとってはあいつらは大層なモンスターなのかもしんねえが、ゴブリンってのは魔物の中では最下級のモンスターだ」


「ゴブリンが……最下級……」


「いっとくがそんなやつ相手にいくら数が多かったとはいえ遅れを取るなんて思われたら心外だぞ?」


 ため息を吐き、悪戯な笑みを浮かべながらトキの額を突いた。目の前の男はたった一人であのゴブリンの大群をすべて倒した。トキは未だにゴブリンが最下級の魔物だということが信じられなかった。一体でも自分の手に負えない化物が最下級だなんて。そして、その最下級モンスター相手に何もできない自分が情けなくなった。


「そんな暗い顔すんなよ。さっさと薬塗ってやんな。ほんとに死んじまうかもしんねえぞ」


 ハッとした顔をしてすぐに少量の薬を手に取りアキの傷口に塗っていく。殴られたような打傷や刃物の切傷、火傷まである。目立った傷すべてに薬を塗り終えると、ゼトはアキのそばに寄り手をかざした。


「さて……」


 ゼトが何かを始めようとしているのを、訝しげにトキは横でじっと見つめていた。すると突然ゼトのかざした手の平から白い光が放たれた。


「[光のマナの精よ 我が精よりその資格を示す かの伏す者に再び生を与えよ]」


 言い終えると光は強まり、アキの傷がゆっくりとふさがり始めた。目の前で起こる不思議な光景にトキは目を奪われ、その美しさに神秘的な感覚に陥る。ひどい炎症を起こした傷も、変色し酷く腫れ上がった肌もすべてもとに戻り、アキの顔からは苦悶の表情が消えた。


「おじさん……。いまのなに……?」


「魔法だ」


「魔法?」


 魔法とは一体何なのだろうか。今目にしたものが魔法というものならば、それが使えれば次こそは自分の力だけでアキを助けることができるのではないだろうか。ついそんなことを考えてしまっていた。そんなトキの目を見て魔法をかけながらゼトは呟く。


「まあ、興味があるんならあとで教えてやるよ」


「ほんと!」


 トキは目の前で起きている魔法の美しさに魅せられてしまった。早く魔法がどんなものなのか知りたくてたまらない。魔法を教えてもらうのが待ち遠しくて仕方ない。気持ちの昂ぶりを抑えきれずにいるとふいに静かに透き通った美しい声が響いた。


「トキ……くん……?」


 アキが目を覚ましトキの名前を呼んだ。その呼びかけにトキが応えると再びトキの名を呼んで優しく笑った。

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