狩り
ルイたちが去って部屋の片付けを終えた後、トキはアキに連れられて村の中を歩いていた。
「トキくんごめんね」
「ん? 何が?」
「さっきの……ルイがひどいことしたかなって」
「そんなことは全然、それにアキが謝ることでもないよ」
「そっか、じゃあ今度ルイに謝らせるね」
にっこりと笑うアキを見て、あの暴れん坊に謝罪させるアキを想像するトキ。アキのまだ見ぬ力を垣間見たような気がした。
「あの二人はね、学庭っていうところに通っているの」
「学庭?」
「そ。お勉強を教えてくれる所でこの村には一つだけあるの。私達くらいの子がたくさんいるみたいだけどもの凄くお金がかかるからお金持ちの人しか通えないんだって」
「なんだか楽しそうだね。どんなこと勉強してるんだろう」
トキは同じくらいの歳の子が集まる学庭と言う場所を想像していた。
「きになるの? でもルイたちはいつも嫌そうに通ってるし、サボったときはお母さんにすごく叱られてるみたいだよ。数字を紙いっぱいに書いたり、文字で埋め尽くされた大きな本をたくさん持っていったり、きっと大変だよ」
アキはそう言って笑っていたが、トキはそれを聞いておっかない場所なんだと恐怖を感じた。お花畑をみんなで走り回って遊ぶというメルヘンな想像は一瞬で崩壊していった。そうやって話をしているうちに、いつの間にか村の裏の山まで来ていた。
「ねえアキ、僕達って今どこに向かってるの?」
「トキくんってさ。男の子なのに弱いよね」
「うっ……。何急に……」
アキは何気なく言ったつもりだろうが、不意をついたその言葉はトキの心にぐさりと刺さっていた。
「言うの忘れてたんだけど……もうすぐギルド加入式の日なの……」
「え、そんなにすぐの話だったんだ……」
急な話に驚きながらもやれやれと苦笑いを浮かべるトキ。するとアキが重そうに口を開く。
「うん、でね……その日って、実はもう5日後なんだよね……」
「もうすぐじゃん!」
悪びれたようで縮こまりながらも下を出しながら「てヘヘ」と笑うアキに「笑ってごまかすな!」と一喝。
「だって私も知らなかったんだもん!」
「うわ〜ん!」と嘘泣きをしだしたアキを横目に、トキはため息を吐いて本題へ戻した。
「それで?なんで僕らは山の中にいるの?」
「あ、つまりね、食料調達のついでにトキくんの修行をしよう!ってことだよ」
ビシっと人差し指を立てもう片方の手を腰に当てドヤ顔で胸を張るアキ。ついでという言葉がなんだか腑に落ちなさそうなトキだがそのままアキの話に耳を傾ける。
「冒険者になるんだったら、強いに越したことはない!」
「それはそうかもだけど……」
「うんうん、じゃあそういうことで、早速特訓!山へ行って自然の動物を相手に戦いの練習だー!」
自分の呼びかけに「おー!」と答えて山を登るアキ。体を動かすことが苦手なトキにとっては、なんだか憂鬱な一日になりそうな予感がしていた。
「アキって意外と、っていうかかなり野性的だよね……」
そんなトキの言葉をよそに、アキは持ってきたポーチから何かを取り出していた。
「そういえば、これをトキくんにあげようと思ってたの」
「ん? なに?」
渡されたのは石と木材で作られた小さな手作りナイフだった。
「トキくんの武器だよ。昨日の夜、トキくんが寝たあとこっそり作ったんだ〜」
そんな短時間で簡単にできるものなのかと思いながらも、トキはそのナイフを有難く受け取った。刃先はしっかりと研がれ鋭く光っていて切れ味もよさそうだ。
「ありがとう。大事にするね」
アキは後ろで手を組み「えへへ」と笑いながら照れくさそうにした。
「あ!ねえあれ見て!」
するとアキが何かを見つけたらしく遠くを指差しながら息を潜めながら叫んだ。指の差す先には大きな角に茶色い体毛、スリムな体をした獣が遠くの方を眺め佇んでいる。
「鹿だよ!ねえトキくん!まずはあの獲物をやっつけちゃお!」
「鹿……。わかった!」
トキは緊張しながらも少しずつ、静かに獲物に気づかれないように近づいていく。後ろからアキの「頑張って」という小さな声援が聞こえた。ターゲットは食事を始め草に夢中だ。周りが見えておらず、まだトキの存在に気づいていない。この隙を逃さぬよう慎重に接近する。トキと獲物との距離があと数メートルというところまで近づいた。いざ獲物を目の前にすると手が震えて止まらない。遠くから見守るアキも緊張で息を呑む。
遠くでただ見ているのと近くで命を狩るために近づくとではこんなに違うものなのだと感じた。覚悟を決め、そしてアキにもらった小さなナイフをぎゅっと握りしめると一気に飛びかかった。トキの振り下ろしたナイフが獲物の体に深く突き刺さる。肉を抉る音と同時に生々しい赤い液体が宙を舞う。
「ううっ…!」
初めて命に刃を突き立てる。ナイフ越しといえど、その肉や骨の感触が手の中に広がり、血の生暖かさと生臭い香りで気分が悪くなりそうだ。一撃では仕留めきれず、獲物は暴れまわる。振り落とされそうになりながらも、必死に獲物の体にしがみつく。
「このっ!」
足でしっかりと体を捉え、ナイフを抜いては獲物の体に突き刺し、また抜いては突き刺した。そのたびに一撃目のあの生々しい感触が繰り返され、命の危機を感じた獲物の聞くに堪えない声が耳元で響いた。獲物の肉か臓物かもわからない赤い肉塊と、桃色の肉壁の裂け目から垣間見える骨格だけが視界に映る。頭が真っ白になり自分が何をして何を見ているのかすらもわからなくなった頃、獲物が地に倒れ動かなくなっていることに気づいた。
「はあ……はあ……。やった……?」
肩を上下に揺らしながら横たわった鹿の死体を見て、何がどうなってしまったのか状況を把握しきれないでいる。
「トキくんやったね!」
草陰から見守っていたアキが叫びながら飛び出してきた。このとき初めて自分が獲物を殺したということを認知した。命を奪ったことを理解すると、生にしがみつくように暴れていた獲物の姿が思い出された。そしてそれは、今目の前で肉塊となりはてそこには生はない。命というものを実感し、その偉大さと自分が奪ったそれを無駄にしてはいけないという思いが湧き上がった。落ち着きを取り戻しながらこちらに駆け寄るアキを見た。
背筋に悪寒が走った。森で目覚めた日、自分を襲ったあのモンスターが、アキの背後から混紡を振りかざし今にも彼女に襲いかかろうかとしていたのだ。
「アキ!!」
叫ぶと同時に飛び出しナイフを振り上げた。しかし疲れの残るトキの体は一歩目を踏み出すに至らずナイフを突き立てるには及ばなかった。周囲には太く鈍い生々しい音が響いた。




