絡み合う運命の果てで~界渡りの少年~
さらりと読める内容となっております。
――――パンドラの箱を開いた先に待つのは、希望か絶望か。
囁くほどのかすかな声で、それでも美しいと感じられる声。
その声は、水面に響きわたる波のように、葉がさざめく震えのように、自分の身体にすうっと染み込んでくる。
助けを求める悲痛の声のような、ようやく見つけた喜びの声のような、混ざりあった複雑な感情の発露。
その声が聞こえると、自分の心の奥が痛いくらいに締め付けられるのが分かる。
何となく、何となく感じただけだけど、この声の持ち主は自分にとっても大切な人なんだろう。
ああ、行かなくちゃ。あの人がいるところへ。僕はここにいるよ、と。
手を伸ばして、「今度こそ守るよ」と、その約束を果たすために―――。
少年は、ぱちりと目を覚ました。まばたきしても、頭が働かないのか、目の前がぼんやりする。
(何だろう、何か夢を見ていた気がする。哀しくて、だけど恋い焦がれるようなーーー)
未だにベッドの上で手を見ながらぼーっとしていると、扉の近くからバタバタと騒がしい足音が聞こえてくる。
「おーい!!早く起きないと遅刻するよー!!」
ガチャ!と、大きな音を立てて、少年の部屋の扉が開いた先にいたのは、セミロングくらいの黒髪にぱっちりとした大きな目をした、世間一般的に見ても美少女と断言できるだろう、女の子だ。
扉の先を見た少女と顔を上げた少年の目が合う。
少女の瞳が丸く開き、少年を凝視する。少し抜けたその様子は何とも可愛らしい。
「え? うそもう起きてた! 今日は雨が降るかも……、お母さーん!」
しかし、その可愛らしい口から飛び出たのはなかなかに辛辣な言葉だった。少女は、少し驚いたような、有り得ないものを見たような、間抜けな顔をしたまま、母を呼びに行ってしまった。
少女の叫び声で完全に覚醒した少年は、一連の様子をぽかんと見つめるしかなかった。
(……ちょっと待て。確かによく寝坊するのは認めよう。認めるが、何もそこまで驚かなくてもいいだろう!?)
心の中で思わずつっこんだ少年は、同時につれない妹の言葉と態度に涙する。
だが、いつまでもベッドの上にいるわけにもいかないので、しぶしぶベッドから降りて、制服に着替え始めることにする。
朝は、妹が兄を起こしにきて、家族と朝ご飯を食べて学校に向かう。それが少年―――高司悠哉の日常だった。
学校が終わったら部活に参加して、へとへとで家に帰ってきて、家族団欒でわいわいと話しながら母が作ってくれたご飯に舌鼓を打ち、寝る前に勉強して、そして1日が終わる。
―――そんな平穏な日常が崩れることになるとは、誰が予想出来たのだろうか。
「行ってきます」
「行ってくるね! お母さん!」
「車に気を付けて行くのよ!いってらっしゃい」
手を振る母と、いつもと変わらない挨拶を交わしながら、悠哉と妹の瑞葉は家を出た。そのまま歩きながら学校に向かう。悠哉と瑞葉が通う高校は、家から徒歩15分程度の場所にある公立高校だ。
『現在の時間は8時10分です。本日の東京の天気は、曇りもなく、素晴らしい秋空が続く1日となるでしょう。さて、本日のニュースのラインナップはこちらです。まずは―――』
頭上では、決まった時間に流れるニュースが空間に投影されている。
元々人類が有していた魔力を別の形に変える技能―――魔術と呼ばれている―――に電子技術というものが導入されるようになってから数十年。この数十年という短い期間で、電子技術が組み込まれた魔術―――現代魔術―――は飛躍的に進歩した。
複雑な原理は省くとして、電子技術が搭載された小型の回路機器に自らの魔力を流すことで、魔術が容易に現実に顕現する仕組みになっている。
祖父母の時代まで、魔術の発動を補佐する回路機器はなく、時間がかかり、技量も極めなければまともに扱えない魔力はむしろ不要扱いされていたそうだ。
魔術が初めて表舞台に登場したのは平安時代といわれている。今でいう、陰陽師が魔封じに使用したのが最初だと歴史書に記されていた。
しかし、魔術は便利でもましてや万能な力では無かった。海外から素早く強力で物理的な武器が入ってきてからは、魔術に価値を見出だすこともなくなり、必然的に衰退の過程を辿ることとなった。
それでも、魔を退ける力が人類の中から消えることはなかったのだ。
けれど、約50年前に一人の研究者が登場し、世界は大きな転換期を迎えることになった。かの人がいなければ、魔術の発達とここまでの世界の発展は有り得なかっただろうと言われている。
天才と称された研究者は、非常に優秀な頭脳と柔軟な発想を持っていた。当時、現存する全ての魔術を実用的なものに作り替え、基となる電子技術を編み出し、今に続く現代魔術を産み出した。
その功績から『現代魔術の祖』、『電子工学の天才』ともいわれている。
そんな天才の正体は誰も知らない。そんなバカなとも思うが、本当に真の姿を知る者はいないらしい。
男だと言う人もいれば女だと言う人もいる。老人であり、青年であり、少年であり、少女でもあると言う。そう、認識しているのだ。そして、そう思っていることに疑問を持つ人は誰ひとりとしていない。そういうひととして考える。
たとえ、疑問を持つ人がいたとしても、誰も何も言わないだろう。かの天才がいなければ、世界はここまで便利で豊かにならなかっただろうから。
歩きながら、復習も兼ねて前日に習った授業内容を思い浮かべていると、横から声が聞こえてきた。
「ねえねえ、お兄ちゃん、もうすぐ中間試験だよね? また勉強教えてもらってもいいかな?」
気が付けば、いつものように肩を並んで歩いている、妹の瑞葉が悠哉の顔をそっとのぞきこんでいた。
悠哉が高校2年、瑞葉が高校1年に在籍している。家から近いという理由だけで選んだ高校だが、公立高校の中ではまあまあレベルが高い。悠哉や瑞葉は、勉強も運動も同学年の中で上位に位置していて人気者でもあるので、それなりに充実した高校生活といえるかもしれない。
「ああ、もうそんな時期か。分かった、今日から始めようか」
悠哉は、微笑みながら快諾する。
いつものことだ。既に習慣となりつつある妹からのお願いに兄が断れるはすがない。
勉強会で妹と妹の友人に勉強を教えていると知った友人が、リア充爆発しろ、リア充爆発しろ、と血走った目でぶつぶつ呟いていたなあと、ふと彼らの反応を思い出して、思わず遠い目になる。
その場にいた友人たちから、どんよりと重い空気を感じたのは恐らく気のせいだ。…うん、多分。気持ちは分からなくもないが、本当にそういう恋愛じみたものは起こっていないと言っても、彼らは納得しないので、放置しておくことにした。
悠哉は、毎日予習復習をしているので、学校のテストくらいなら問題ない。対して、瑞葉は悠哉より頭の回転は早いものの、悠哉ほど家でこつこつ勉強しないためか、試験前にこうして兄に教授をお願いしてくる。
「ありがとう!」
悠哉からの返事に、瑞葉はお礼を言う。
「いいか、ちゃんと考えて連れてこいよ」
「問題ないよ、大丈夫だって!」
「おいおい、前回の期末試験の時のこと、忘れたんじゃないだろうな」
「え、えーっと、その節は大変ご迷惑を……」
ジト目で見てくる兄からそっと目をそらし、瑞葉は、あはは、と誤魔化すようにひきつった笑顔で言う。
「瑞葉は賢いから、ちゃんと分かっていると信じてるよ」
妹の様子に気付いているのかいないのか、悠哉は満面の笑顔で言ってきた。
それを見た瑞葉は、こくこくこくと壊れたように、涙目で首を縦に振る。兄がキレたらそれはもう恐ろしいことになると、身をもって知っているのだ。
前回の期末試験のための勉強会で、その光景を目の当たりにしたばかりである。絶対にあの悲劇は起こさせない、と瑞葉は心に決めた。
ぷるぷる震える瑞葉の様子に憐憫を感じたのか、ため息をついた悠哉は、別の話題を振る。
「それにしても、もうすっかり秋になったなぁ」
「そ、そうだねぇ! ほら、紅葉が赤くなってきてるよ」
わたわたと瑞葉が指差した先には、楓の木々が立ち並んでいた。確かに数多くの紅葉が赤く色づいている。
今は10月中旬。夏の気配はとうに消えて、秋の気配が色濃くなっていた。爽やかな風が吹き、過ごしやすい季節になった。
二人が住んでいる場所は住宅街だが、歩道の脇に街路樹が植えられている。電柱が建てられていない分、多種多様な樹が植えられていて、季節が移り変わるたびに見る者の目を楽しませてくれるのだ。
そんなやりとりがありながらも、高校までの距離を二人は終始仲良く会話をしながら歩いていく。
―――いつもと変わらない日常に変化が起きたのは、高校に着く直前だった。
高校に近づくにつれて、二人と同じ制服を着た学生があちこち見かけるようになった中での出来事。
何の前触れもなく、悠哉の目の前が眩しいくらいに白く染まったかと思えば、そこに何も無かったかのように、―――悠哉は足元から崩れて落ちていった。
深い深い闇に落ちていく。
「――兄―――!?」
遠くで、瑞葉の声が聞こえたような気がした。
あまりにも突然の出来事に、悠哉はただ落ちていく流れに身を任せるしかなかった。いや、そんなことを考える余裕があったのかも怪しい。
ようやく思考が回った時はすでに、光のない暗い闇しかなかった。
悠哉の思考が、恐怖に、絶望に染まっていく。このような状況で冷静に考えられるはずもなかった。瑞葉のことも他のことも何も考えられなかった。
声も出せず、何も出来ないまま、時間だけが経過する。
何も見えない、何も聞こえない、感じられるのはただ下に落ちていく冷たい感触だけ。手を伸ばしても何も掴めない。ただただ、奈落の底に落ちていく感覚だけがあった。
だからこそ、悠哉は自身に起きている異変にも気付かなかった。
限界が来たのか、恐怖に耐えられなかったのか、悠哉の意識が段々途切れていく。抵抗しようにも一度委ねてしまえばそこからは早かった。
闇に堕ちていく。闇に融けていく。
悠哉は、薄れる意識の中で悟った。もうあの日々には戻れないのだと
(―――ああ、俺はここで終わるのか、でももっと―――)
それが、高司悠哉としての最後の言葉だった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




