対面
アルカディア軍曹の音声記録は間違いなく何かの暗号だ。
繭の場所は始まり場所に記す。
これが何を意味するかはレイヴン将軍が知っている筈だ。
あとは、この暗号にどれだけの価値があるのか。
そう考えていた時、将軍からアルペンハーゲン要塞に出頭するよう命令が下された。
一介の大尉を将軍が名指しで御指名とはいったい、どんな用件だというのか。
しかし、渡りに船とはまさにこのことだ。
将軍に面会し、アルカディア軍曹の暗号にいかほどの価値があるか確かめてみようじゃないか。
◇◇
「何でまたレイヴンのおっさんがこのタイミングで俺達を招集したのかね?」
と、カシウスが今回の招集の真意を俺に尋ねてくるが、そんなのはむしろ俺が知りたいぐらいだった。
「それは将軍に訊くしかないだろう」
訊いたところで真面な返答があるかどうかも怪しいが。
俺はカシウスにそう応えながら、ガラス張りの壁の外に目を向けた。
そこにはアルペンハーゲンを高い俯瞰から見た景色が広がっていた。そして今もその高度は上がっている。
今、俺達はアルペンハーゲン要塞のエレベータの中にいる。
アーハイム代表のオフィスに来るよう俺達の上官であるレイヴン将軍から通達が来たのだ。
代表のオフィスは最上階にある。
島で一番の高さを誇るアルペンハーゲン要塞の最上階から街を見下ろすのはさぞかし気持ちいいことだろう。
「まさか、アルカディア軍曹の音声記録をくすねたのがバレた、とか?」
とカシウスはテープの内容のことを心配する。
俺はここへ来る前、カシウスとマリアにアルカディア軍曹の音声記録の内容について話した。
意味は理解できないが、何かの暗号であることに間違いなく、その暗号の宛先がレイヴン将軍になっている、ということを。
だが、その暗号がどれほどの価値があるのかもわからない。
それを確かめたい、と思っていた矢先にこの召集だ。音声記録との関連性を疑わない方が不自然というものだろう。
「でもよ、なんで将軍はガイウスがアルカディア軍曹とやらの音声記録を持ってるって知ってるんだよ。あの時は近くに地球軍もいなかったし、部下たちが将軍に告げ口したとも考えにくい」
確かに、マリアの指摘にも一理ある。
将軍が俺達を招集した理由があの音声記録にあるとしたら、どうやって将軍は俺達があれを手に入れたと知ったんだ。
「じゃあ、なんでこのタイミングで将軍に呼び出されたんだよ。あのおっさんが俺達を呼ぶことなんて殆どないだぞ」
というカシウスの意見も一理ある。
レイヴン将軍は自警軍の司令官だが前線に姿を見せる事は殆どない。いつもアルペンハーゲン要塞の執務室にこもって何をしているのかも俺達は知らない。
「まあ、それも会えばわかることだ」
と言ってしまうと元も子もないかもしれないが、将軍に会って聞く。それが間違いなく一番速いだろう。
そして程なくしてエレベータはタワーの最上階へと到着した。
◇◇
アルペンハーゲン要塞の最上階は一フロアーがそのまま巨大な執務しつになっていた。
エレベータを降りてすぐに受付があるが、その奥の扉を抜ければそこはもうアーハイム代表のオフィスだ。
俺達がエレベータから降りてくると早速、受付の女性が受話器を取り
「将軍、いらっしゃいました」
と口にする。
そして女性は電話の向こうの人物に何度か頷き返すと受話器を戻して
「お入りください。アーハイム代表とレイヴン将軍がお待ちです」
と中に通される。
扉を抜けるとその先は小奇麗かつ豪華な調度品で彩られたオフィスになっていた。
中央には巨大な円卓が鎮座し、その最も奥側の席、ガラス張りの壁を背にする位置に一人の白髪姿の老人が腰を下ろしていた。彼こそが島の行政長官であるアーハイム代表だ。
老人、といっても凛々しい顔立ちには知性が滲み、肉体は衰えてもその頭脳は未だ明快であることが見て取れる。
そしてそのすぐ真横に深い緑色の軍服に身を包んだ厳つい顔の軍人が経っている。
角刈りの白髪と蒼白い肌、そして頬の傷が特徴的なその軍人こそが俺達のボスであるレイヴン将軍だ。
「よく来た、ガイウス、カシウス、そしてマリア」
と、レイヴン将軍が俺達に声をかける。
彼の顔を見るのも、声を聞くのもとても久しぶりだ。
「元気そうだな、おっさん。相変わらず顔色は悪いみたいだがよ」
カシウスはあって早々に、一士官が将軍に言う台詞とは思えない言葉を口にする。
だが、レイヴン将軍は慣れたものだ。
「うるさいぞ、カシウス。お前こそ、その減らず口は相変わらずだな」
ばっさり、と苛立ちを隠すことなく切り捨てる。
そしてレイヴン将軍の目は俺の横に並ぶマリアに向けらえた。
「マリア、お前も何度、注意すればわかる。その淫らな軍服を正せといつも言っているだろ」
マリアは今日も相変わらず、軍服を腹部むき出しのスタイルにしている。
俺がいつも注意しているが一向に聞く耳を持たない。
それと同じように、いくら将軍がそう注意しても
「うるせぇよ、くそジジイ。俺がどんな格好をしようと俺の勝手だろ」
「相変わらず口の悪い小娘だ」
だが、実はレイヴン将軍もそれなりに口は悪い。
「ガイウスを垂らしこむために淫らな服装をして軍規を乱すな」
「なッ……」
マリアの顔が瞬時に赤面し、それが図星であることを顔に出してしまう。
ていうか、そのためにわざわざ服装を乱して着てたのか?
「ははは、マリア、顔が真赤じゃないか。おっさんにしてやられたな」
カシウスは赤面するマリアを見て面白そうに弄りだす。
やめておけばいいのに、と俺は思ったのだが
「うるせぇッ!兄貴ッ!」
「お、おい待てって―ごぼぉあッ……!」
見えない何かがカシウスの頬を抉り、その体を吹き飛ばした。
そのままカシウスは壁に激突すると、壁に立てかけてあった絵画を衝撃で落下させ、家具の上に並べられていたブランド物の陶器を尽く砕いてしまう。
「はぁ……やれやれだ」
アーハイム代表は額に手を添えて首を振った。
「近頃の若者は血の気が多い上に礼儀すら知らん。その挙句、頭まで悪いときた。これではニューマンが地球人共に見下されるのも当然だ」
「代表、勘違いしないでいただきたい。この二人は特別だ」
今の若者の全員が全員、カシウスやマリアのようだと思われたら堪ったものではない。
少なくとも俺は真面だ。
「それが真実なら、自分の飼い猫の首輪ぐらいはしっかりと掴んでいたまえ」
そう言って代表の鋭い眼光が俺を射抜いてくる。
マリアが暴走したのは別に俺のせいじゃないのに理不尽だ。
「とにかく席に着け。私も代表もお前達の下らないお笑い劇を見るために会う時間を設けたわけじゃないんだ」
席に着くよう催促され、俺がまず代表の向かいの席に着く。だが、マリアは座らずに俺の横に立った。遅れてカシウスも腫れあがった頬を摩りながらマリアとは反対側に立つ。
「それで、今回の招集はなんのために?」
と俺から理由を尋ねる。
元気にしてるか?の一言も寄こさないような指揮官だ。
呼ぶならそれなりの理由があるだろう。
「地球軍の輸送部隊が消息を絶ったのは知っているか?」
「一応」
つい先日、それを出迎えるために俺達が出張ってたんだ。
結局、街にはたどり着けなかったみたいだが。
「近いうちに地球軍が捜索隊を出す。それも2個連隊規模の大部隊を投入してな」
「2個連隊。1000人以上の大部隊かよ」
「歩兵だけではない。地球から戦車や装甲車も持ち込まれる」
「けっ。とんだ御一行様がいらっしゃるんだな」
とカシウスが舌打ちをする。
歩兵の随伴に戦車と装甲車とは、さすが地球軍。物量が違いすぎる。
「地球軍がそこまでして取り戻さねばならなければいけない物は何なのか我々には興味がある」
「なら、お得意の外交努力とやらで地球軍に訊いたらどうだ?」
マリアは皮肉を込めてそう吐き捨てる。
アルペンハーゲンの政権は地球政府の傀儡だ。つまり、アーハイム代表もある程度の権限は持っていても所詮はお飾りに過ぎない。
だから何か問題が起こるといつも、外交努力によって解決する、と繰り返して、結局、何も解決しないことが殆ど。そんな現状を皮肉る言葉だった。
そしてそんなこと、アーハイム代表が承知していない筈がない。
「粗末な問題は外交努力と言って濁しておけばいい。だが、今回は違う」
粗末、というものに含まれる問題を抱えた人達からすれば聞き捨てならない言葉だろう。
アーハイム代表には最初から解決するつもりなどさらさらないということなのだから。
「地球政府が何をそんなに御所を大事に抱えて守っているのか我々は知る必要がある」
「知ってどうされるおつもりで?」
「そこから先は君たちに求めていない」
「勝手なジジイだぜ」
俺の隣でマリアが再び毒を吐いた。
本当に怖いもの知らずとは彼女のことだろう。
「で、結局、我々は具体的に何を?奴らの動向を探ればいいのですか?」
「いや、違う」
アーハイム代表は俺の言葉を否定すると
「奴らが守っているその何かを奪取しろ」
簡単に、いともあっさりと命令してくれる。だが
「地球軍と戦争をしろとおっしゃるのか」
相手の戦力は俺の大隊の10倍。おまけに向こうは歩兵を守るために戦車や装甲車まで随伴させている。戦力差は圧倒的だ。
しかし、レイヴン将軍がそこでしゃしゃり出てきて
「何もお前たちだけで戦えとは言っていない。自警軍第103大隊と第108大隊を援軍に回してやる。3個大隊もあれば十分だろ?」
「3個大隊?1000人の敵を相手に300人で十分だというおつもりですか、将軍?」
「そのためのお前たちだ。ガイウス、カシウス、マリア。お前たち《ハイ・ニューマン》を我々がどれだけの危険を冒して飼ってやってると思っている?こういう時ぐらい、恩を返したらどうだ」
「よく言うぜ」
と吐き捨てたのはマリアだった。
「ガイウス、こいつらマジでどうする?」
とカシウスが小声で囁いてきた。
カシウスとマリアがその気になれば二人を殺すことなど造作もない。
でも
「やめろ」
ここで争っても俺たちに益は無い。
「君が賢明な指揮官でよかったよ」
というのはアーハイム代表の言葉だ。
彼も、そしてレイヴン将軍も最初から俺が反抗しないとわかっていた。
だからここへ呼び出し、無理難題を押し付けてきたんだ。
「それで、貴方たちが求めている物の位置は?」
それがわからなければ話にならない。
「私の知る限りでは、君たちは荷へと繋がる鍵を持っている筈だがね」
「え……」
「アルカディア軍曹の亡骸から回収した筈だ。《繭》の場所を記した何かを」
(なるほど、知っていたのか)
まさか本当に気づいていたとは思わなかった。
「猿者の亡骸は隅々まで調べさせた。軍服にはアルカディア軍曹の名前も記されている。しかし、彼のドッグタグも遺留品も尽くが無くなっていた。そうなると、一番、怪しいのは亡骸の最も近くにいた者達。それが君たちだ。違うかね?」
将軍の獣のような眼差しが一直線に俺を射抜いてきた。
流石、無駄に年を重ねているわけではないらしい。
「おっしゃる通り、我々はアルカディア軍曹の音声記録を回収しました。彼は死の直前、こう記録しています。繭の場所は始まりの場所に記す、と。しかし、我々にはその暗号が何を示すのかまるで見当もつきません」
だが、レイヴン将軍は顎を撫でながら、なにやら心当たりがあるように
「始まりの場所、か」
と呟いた。
「その場所をご存じで?」
「ああ、おそらくそこは……」
―エリアアインス、自警軍東部支部―
「エリア……アインス……」
ヘルランドコミュニティーの事実上の首都、《アインス》。そこは今、無数のセンキが溢れるヘルランド内でも屈指の危険地帯だった。
「そこに我々の探し求めている物はないだろう。だが、そこへ通じる鍵が東部支部にあるはずだ」
「では、我々は東部支部へと赴き、鍵を手に入れ、そして」
「地球軍から、奴らが御所を大事に守っている物を奪取しろ。アインスまでの足に関しては君らのよく知る人物に手配を頼んでおいた。すぐに向こうから接触があるだろう」
「けッ、根回しのいいことだぜ」
とカシウスが吐き捨てる。
「でも、忘れるなよ、くそジジイ」
とマリアが念を押す。
「もし我々を裏切れば貴方たちに明日はない」
そして最後に俺が脅しをかけた。
いや、脅しではない。これは善良なアドバイスだ。
長生きしたければ俺たちを裏切らないこと。
そして、俺たちの運命を共にする覚悟を持つこと。
それが守れなければ二人は俺たちに殺されることになる。
◇◇
時を同じくして、アルペンハーゲン内部に設けられている地球軍司令部、その中の一室でジャッカルがただ一人、暗がりの中に腰かけていた。
しかし、彼はある意味、一人ではなかった。
「ご安心してください。この回線は保護されています。シュトゥルム派に盗聴される危険はありません」
『だといいがな』
唐突に、暗がりの中から声が聞こえてくる。
それは部屋に設置されているスピーカーからだった。
『そもそも、君が任務を成功させていればこんな危険は犯さなくて済んだのだ』
『現場指揮官としての能力を問われても文句は言えんぞ』
続けざまに複数の声がスピーカーから聞こえてくる。
ジャッカルは顔の前で手を組みながら、さして慌てる様子も無く
「貴方達が私を信用し、全てを話していて下さればこんな結果にはなりませんでした。途中まで事が運んでいる時に指示を下されても遅すぎるというもの」
『貴様、一軍人の分際で我らに意見する気か?』
『身の程を弁えろ、ジャッカル』
次々と浴びせかけられる辛辣な言葉の数々。だが、ジャッカルはまるで怯む様子も無く
「申し訳ありません」
しれっと謝罪の言葉を述べるが、そこに本心からの謝意は無い。上辺だけ、口だけ謝っているだけだった。
「行方不明になった輸送部隊の探索は増援が到着しだい、実行します。ですが、その前に荷が何なのかを教えていただきたい」
『その必要はない』
『お前はただそこからヘルランドを監視しておればよい』
『余計な詮索は不要だ』
「私を信用してくださらないのですか?」
無論だ、という答えが即座に返ってくる。
彼らからすればジャッカルはヘルヘイムという辺境の指揮官に過ぎない。
『増援も間もなくヘルポートを抜けて到着する』
『あれの回収と地球への輸送は《クルセイダーズ》が行う』
『お前はただ彼のサポートだけをしていればいい』
取り付く島もなくジャッカルの言葉は一蹴された。
しかし、彼の眼は静かなものだった。
「了解しました。部隊の到着を待って作戦を実行に移します」
『では、話はここまでだ。通信終了』
通信が途絶え、彼らの声は聞こえなくなる。
部屋の明かりが灯され、暗がりの中からジャッカルの執務室が浮かび上がってきた。
小奇麗な部屋だが、軍人の部屋らしく調度品などは無い。
必要な物だけが置かれた無骨な部屋だった。
「対センキ戦闘用特殊部隊。彼らを投入してまで取り戻したいものとはいったい、何なのか」
対センキ戦闘用特殊部隊、通称。地球防衛の要として組織された彼らは政府直轄の特殊部隊。地球軍とは一線を画す、正真正銘の精鋭部隊だ。
戦鬼に支配された地域へと赴いては戦鬼を狩りつくし、人々の安全を確保する。
そしてまた別の地域へと赴いて戦鬼を狩りつくすという熾烈な日々を繰り返していた。そのため、地球の人々からは《解放者》と呼ばれ、行く先々で熱烈な歓迎を受けるらしい。
その彼らが今、地球からの増援を引きつれてこちらへ向かっている。
だが、ジャッカルには彼らの作戦に介入する権限がない。
所詮は蚊帳の外。地球政府からすれば自分は地方の官吏でしかない。
ジャッカルはデスクの上に置かれた電話の受話器を取ると秘書官に
「私だ。レイヴン将軍に繋げ」
と命令する。
(外交努力とやらに応えてやるとしよう)
昨日の敵は今日の友。
敵の敵は味方。
世界には面白い諺があるものだ、とジャッカルは口元を僅かに微笑ませるのであった。
どこにでも人を道具としか思っていない人っていますよね。
でも、物語のスパイスにはなりやすい、読者には美味しく、登場人物には不味い相手です。
もし神様がこの世界にいて私達の生活を上から眺めているなら、上司や先生に叱られている私達を見てニヤニヤしているのかもしれません。