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魔法使いへと物申しましょう

通路に木霊し広がり響きゆっくりと消えていった我が声。

何て声を出しているのだと呆れることすら出来ないその状況、現在進行形である。




「そんなに驚くことか?」


わからないんだが、と続きそうな魔法使い殿の目に映っている私は驚愕に目を見開き、言葉を紡ぎたいのに紡げなくて金魚のように口をはくはくとさせていた。

そんな自分の様子をつぶさに観察して与えられたばかりの衝撃を逃がしているのだろう。

逃げている気はまったくもってしないがな。無駄な行動でも時間が何かを解決してくれることってあるものである。


「なっにを」


ふるりと握った拳、力を込められ過ぎて揺れたのが正気に戻る合図だったのかもしれない。

再び停止したことで床を強く踏み締められて安定した体から、これでもかと声が張り上げられた。


「何をそんなに不思議そうにしてやがりますかあんたって人はっ!これが驚かずにいられるとでも!?とんでもないことを複数人で敢行しようとしていただけでなく、邪魔した私にまで害を及ぼそうとしていた程に視界が狭まっていた恋は盲目状態のはずでしょう!一体全体何の心境変化なんですか?たった一日ですよ?あの浮足立ったお馬鹿の様子が百年の恋も冷める代物に見えたなんて嬉しい奇跡を起こしたわけでもないでしょう?貴方まさか魔法使い殿の偽者とか言いませんよね?!」


これは正気ではなく驚きに混乱しているだけなのかもしれない。

その証拠ではないが、はあっと思い切り呆れの溜息を魔法使い殿から頂いてしまった。何それ腹立つ。

驚愕から一転、むっと表情を変化させた私を見下ろしてくださるその顔面に拳をめり込ませてもよろしいでしょうか?


「俺の偽物なんて真似が出来る魔力持ちはそうそういないとわかっての発言か?驚く理由はわかったがもう少しましな予想を出せ阿呆」


「あいたっ」


物騒なことを考えていたのが思考から漏れていたのかいないのか、ぱちんっと額を弾かれて大して痛くもないのに情けなくも声が出た、のを笑われた。


何なんだ一体。一応成績優秀者の私を阿呆阿呆と面と向かって言うのは確かに貴方だけですがね魔法使い殿。

そう思わせるほどの変化を見せているのは他の誰でもない自分自身だとわかっていないのだろうなこの野郎様は。馬鹿にして皮肉気であっても、今日は随分とよく笑うじゃないか。実験中は小難しい顔、成功しても当然だろうといった様子が大半なのを知っている者から言わせれば、大変ご機嫌麗しく表情豊かなんですよ、今日の貴方様は。


心象での疑いはさて置き、実際偽者になれるかどうかなんて言われるまでもなく理解出来ているつもりですよ。繰り返すがこれでも一応成績は優秀なんでね。

魔力測定器を振り切る規模の魔力持ちである魔法使い殿の偽者なんて、見た目や声を魔法で模倣出来たとしても、肝心要の阿呆みたいな魔力量が真似を出来る訳がない。

そんな無理難題でほぼ不可能とわかっていても疑いたくなるのだから仕方がないだろう。


仮に魔力量を限りなく近く真似られるとすれば、現筆頭魔法使い様くらいなのではなかろうか。

噂では同じように魔力測定器を振り切ったというお話だし。双方ともに測定器の値を振り切っているのだから余程身近な人間でもなければ、見破るのは困難だと思われる。

思われるのだが……もしも今この瞬間、目の前にいる魔法使い殿が魔法による偽者かもしれない疑惑があったとしても、きっと私は迷わず回答出来る。関わりを持ちたくないと切実に願っていたはずなのに、たっぷりと関わりを持ってしまった所為で、この独特な会話の流れ方と思考をする人物であるこの人は間違いなく魔法使い殿で本人ですと言い切れてしまえる現実が哀しいです。


すりすりと弾かれた額を指で撫でながら、内心で語って現実では沈黙を貫いた私は賢明だと思っているが、黙っていても解放されないのが現在何故かご機嫌麗しい魔法使い殿の様子で、理解したくないけれど理解出来る嘆かわしい現状に私はどうしていいのでしょうね。無難に遠くでも見ましょうか。近くにある綺麗だけれど実害をもたらしそうな魔法使い殿の顔面から視線を逸らして。


「原因は昨日の一件だとしても急すぎるでしょう。愛はどうしたんですか愛は」


逆ハー達成したんだから状況は「君がいなきゃダメなんだ」ろう?それがたった一日で心変わりってつい先程のダメンズコンビではないけれど、どれだけ薄っぺらい表面愛だったんだよ。

逆ハー達成に向けてカタネがこなしたこつこつ逢瀬、一人分で計算したとしても決して短い時間ではないそれ。何より恋愛不適合者であった攻略対象者のダイヤモンド級に頑なかつ面倒くさい心を解かしたという相手がまともでさえあれば祝福出来た偉業がある。それが昨日の一瞬で覆るほど軽いものだったのかと声を大にして問えるものならば問うてやりたい。


そんな私の実際言葉になった発言内容以上に熱い内心の突っ込みなど知らない魔法使い殿は何でもない様子でさらりとお答えくださった。


「方向性が違ったんじゃないか?」


非常に簡潔で腹が立つけれど納得出来る回答でした。


「あー、友愛・親愛・恋愛ってことですか」


思いつく愛を口にして見せれば、「ん」と頷くが……。


「そこがはっきりしていないのに他の四人と行動同じくしたんですか貴方は……」


友愛や親愛で監禁がないとは言い切れないが、そこは普通恋愛からの愛故に、だろうよ。

いや、推奨する気はまったくないし理解する気もないよ。よくあるお話での可能性の話で現実に起こればただの犯罪者、神妙に縛について裁きを受けて欲しい。可能であるならば未遂でも今後やらかしかねない危険性があるとしてしょっぴいて欲しい。そうすれば私の憂いは晴れて手間もかからないのに。


「あんただったらそれが何からくる愛だってわかる自信があるのか?」


おいおいマジかよ状態でそう口にすれば、正論が返されて言葉に詰まった。

実に難しい問題である。


「…………いえ、はい、すみませんでした」


素直に謝罪すればこれにも「ん」と短く頷きが返って来た。うん、こればかりは私が悪かった。

そんなの恋愛玄人でも間違うことがあるのに、初恋?何それ必要あるの?発言によって周囲を絶句させた経歴を持つ恋愛素人が言っていい言葉ではなかった。

ことこの件に関してはダメンズ共の方が上……とか腹立つな畜生。恋愛なんて塵ほどの興味もない物事で、勝ち負けを競いたい訳でもなければ競うものでもないとは思っている。いるが、どうにも負けた気になって不愉快な気分になるのは何なのだろうか。


釈然としない何かにもやもやとしながらも驚き発言に急沸騰させられてしまった頭を落ち着かせる。

落ち着かせる内容が微妙すぎるといえば微妙だが、そこはきっと突っ込んではいけないところだろうという大人の対応をしようではないか。現在の私、アンナの肉体年齢は前世の大人の年齢に達してはいないが、深くは考えるまい。精神年齢?そんな不確定なものを数えても仕方ないだろう。育つ奴は若いのに老成しているし、逆に一生中身は子供のままなんてものもいる。重ねた年数がそのままイコールにならないものを数えるなんて意味がない気がするので考えない。

……別に、それでいくと結構よろしいお歳になるなとかを考えたわけでは断じてない。


「それで?」


「それで?」


それで?ってなんですか。そう反射的に聞いてしまった私に与えられたのは出来の悪い生徒を見る教員の目再び。本当に腹が立ちますね。


「俺はあんたの警戒対象からは除外されたのか?」


タカネの姦獄トラウマ一番槍である限りあんたが私の警戒対象から除外されることは永久にない。

瞬間返答した我が脳内を知ることはないだろうが、一瞬無を体現した私の反応を回答として判断したらしい人の機微を読むとか出来たんだと新たなことを発見させてくれなくてもいい反応を示す魔法使い殿が肩を竦めている。


「マルティナに譲渡しただろう礼装の分下がった物理的な自身の守りのように警戒を下げるとはいかないか」


緩めた口元に浮かぶその感情がなんであるのかを理解するより早く、私が懸念している危機を恐らく知っているのだろうと思わせる態度の方が目についた。

その所為で直後視界を攻撃したものに無意識に身を震わせることとなった。


「そうでなくちゃ面白くない」


「っ!」


弧を描いた唇が、細められた目元が、紡ぎ出された声音が、向けられる感情が、姦獄トラウマという地雷をべた踏みされて派手に炸裂している我が胸中、我が脳内。私の口が主人公の見た目を裏切らない可愛らしい悲鳴を上げなかったことだけを褒める。そんなのタカネでもある私は堪えられない。キャラが違う。悲鳴の代わりにじりっと片方の足が後方へと退いたように見えた?気の所為だ、目の錯覚だ、君は何も見ていない。


「お、もしろい面白くないの問題ではないでしょうっ」


黙るな危険と警報を鳴らした本能に従って、やや上ずった声ではあったが言葉を紡ぎ、止まってしまった足を大きく踏み出して前へと進む。そうして同じく停止していた魔法使い殿を置き去る勢いで歩を進める。


「そうか?面白くないよりは遥かにいい。何よりやる気に大きな差が出る」


何をヤル気だ!今現在、あんたの発言で想像させられるのはめくるめく十八禁要素しか出て来なくて私の精神に激しく負担をかけ追い込んでくれているので勘弁して欲しい。黙っていろ、というかむしろいなくなれ。

魔法使い殿から不意打ち捕縛魔法なんてものが放たれないという安心があるのであれば、私の方から喜び勇んで消えますよ。脱兎の勢いで駆け出して、カタネの寮室へお一人様ご案内ですと駆け込みたい。


一時の勢いで追い抜くのではなかった背後が気になって怖すぎる。振り返るのも嫌だが足を止めるのはもっと嫌だ。後をついてきていると知れる足音が耳に届くのがただの恐怖だ。

「私、○○さん。今、あなたの後ろを歩いて追いかけているの」と無邪気なお嬢ちゃんの可愛らしい声が、おどろおどろしい声よりも遥かに肝を冷やして握り潰す鬼畜の所業。吃驚恐いではなく背筋がうすら寒くて恐い、一息に楽にはさせてくれないじわじわ追い詰める系です。冷静に考えると物凄く性質が悪い。


ああ、どうして後悔は後にしかやって来ない。先に立っていたならば全力で鳩尾に拳を叩きこむのに!憂いを失くして綺麗さっぱり、清々しい気持ちで明るい道をゆっくり歩いて行きたいのにっ!

精神的なホラーを物理の拳で解決しようとしている時点で思考崩壊どころの話ではなくなっている気がしなくもない。

そんなぷちパニックを面に出すことなく、カツカツ踵を鳴らして早足に学園内から出ようと足を前に出すことだけに意識を向けていた私を責めるものはいないと思いたい。

いるならば問う。君はこの得体の知れない恐怖に耐えきれるのか?と。


人の往来が少ないという理由で普段は常時開放されている学園の扉が自力開閉してね状態になっているのに心の中で大きな舌打ちをしながら、それでも慌てず走らず美しく、慌てふためき駆け出すのではなく早足で歩みを進めるその心境がお分かりか?


逃げ出したら追いたくなるんです。そこに意味がなくても走り出す背を見たら追いかけたくなるんです。

不思議ですよね。普通の人ですらそうなのに、相手はまさかのストーカー垂涎ドン引き魔法具を持った稀代の魔法使い。

駆け出したが最後な気がしてくるだろう?その場で駆けて追い込まなかったとしてもゆっくりと退路を断って追い込みにかかってくる気がしてこないか?

絶望一択しか見えてこない最悪の想像を所詮は妄想と一蹴しつつ、内心必死な様子なのにも拘らず素知らぬ顔をし、全力疾走してこの場から逃走したいのを早足で耐えている私はえらいと思う。


そんな理由で、一目散に扉を目指して手をかけ開こうとするのは自然の摂理です。

ギィイッと聞こえ良く言えば重厚、悪く言えば古びた音を立てる頑丈な蝶番が昼日中の明るい世界への脱出口を開いてくれる――と思った瞬間もありました。


「おい」


一定の間隔を空けて追いかけてくる靴音がその速度と強さを上げたと思った時には、もう遅い。

そいつは開いていた距離を一息に詰めただけではなく、低い声を発しながらあろうことか私の左手首をがしりと掴んでくれやがった。


「ぃった」


扉に向かってまっしぐら。そこがゴールでスタートだと歩んでいた足早速度は、掴まれ引かれて急停止をかけられたが当然急には止まれない。犠牲になるのは掴まれた左手首、予想外の事態及びとんでも話ですっかり忘れていた鈍痛が刺激を受けて活性化。つまりは痛いんだよと訴え口に出た次第。


「な、っにする……っ」


不意打ちもいいところの刺激に鈍痛が思い出されて痛いのならまだましだった。何を考え思ったのか痛みに呻いた私を無視、掴んだ左手首を支点に自分の方へと引き寄せるために腕を引っ張ってくれやがりましたよこの野郎様は。お陰様で意識すると痛いかな鈍痛が圧迫現在進行形によりとっても痛いよ激痛へ変化。

まったく嬉しくない。というか何しやがるんですか魔法使い殿。


強制的に目線の高さに持ち上げられた我が左手越しに見上げる魔法使い殿をギッと睨むのに、肝心の相手がこちらを見てはいない。では何処を見ているのか?


「ハルの?あいつ、俺とはまた違った意味でひどいってのに……。何だってこんなものをつけているんだあんたは」


答え、掴んだ左手首に巻きつけられていた騎士見習い殿のハンカチーフでしたとさ。


何故過去形?そんなの我が左手を掴んで引っ張り持ち上げて、袖からチラリではなく露わにされたハンカチーフを止める間もなく解いて剥がれたからですよ。別に困りはしないがあまりの手の速さに驚かされる。

何処で身につくんですかその技能。魔法に傾倒するオタクの技能として間違えていないか?


「…………誰だ?こんな痕をつけられるなんて一体何をやったんだ?」


どうでもいいことに思考を飛ばしていた私に気付く訳など当然なく、解いたハンカチーフを見て意味が分からないと訝しみ、隠されていたくっきり目立つ赤い手形を見てどうした訳か不快そうに眉間に皺を寄せられてのこの発言。思い出させるだけでは飽き足らず、痛みを追加してくれる迷惑千万な所業に理不尽さで顔を歪めて睨むのは致し方ないことですよね。


「さも私が何かをやらかしたみたいに言わないでくれませんかね」


大変不名誉な濡れ衣である。

関わりたくなどなかったのに左手という人質を取られて強制連行された私は間違いなく被害者だ。


「訂正して欲しいなら答えろ。誰だ」


ささやかに失礼だぞと訴えたのに取り合うことをせず、妙に鋭い視線で平民育ちの割に色の白い我が左手首を飾る無粋な赤色の観察を続けている魔法使い殿。それを確認して一体どうするつもりなのだろうか。


「騎士見習い殿ですが何か?」


「ハル?」


何がしたいのかわからない行動については疑問に思えど考えず即答しておく。

面倒事及び厄介事よ、さっさと消え去れ。そんな心境で手形作成者が誰なのかを告げれば、流石に予想外だったのだろう。ぱちりと大きく瞬いた魔法使い殿。が、一つ瞬いた後で出て来た言葉はこれである。


「女は汚物に等しい扱いのハルが自発的に女に触るなんて天変地異の前触れだ。本当に何をしたんだ?」


ひどい言われようだと突っ込むべきか、それとも流石と納得するべきか。非常に悩ましくも悲しい発言が愛称呼び出来るどうやら友人枠の魔法使い殿のお口から紡がれているこの状況はどうなのだろうか。

いっそ「おめでとう、友人公認だね。それも二人目だ!」と天に向け親指を突き立て腹立たしいくらいにこやかに笑うべきなのだろうか。というか……。


「さも私が何かやらかしたみたいに言わないでくれと言いましたよね?機能していないんですかその耳は」


やらかしたのは私じゃなくてあんたのご友人だって言ってんだろうがよ。

聴覚として機能することなく顔面に付属品としてくっついているだけの存在ならそんな耳、削げちまえ。

限りなく物騒なことを繰り返した言葉の下にくっつけて告げている私の言葉に返って来たのはこれである。


「ハルが自発的に女に触る時、か。話を聞かずさっさと立ち去ろうとするあんたを場に留める目的で仕方なく、更にアランに命令され必要に迫られての捕縛ならハルでもありだな」


無視ですかそうですかそれなら私の存在ごとにして欲しかったと今更願っても無駄だとわかっていますが心の底から思います。そして本当に機能していないらしい耳、削げろ。

理不尽と嘆きで目だけではなく意識も遠くへ放り投げたくなってきた私に気が付くことのない魔法使い殿のまるで見ていたかのような、ひょっとすると本当に見て聞いていたかもしれないと思わなくもない発言が的確過ぎて激しく嫌だ。


なんにせよ仕方なくでこの仕打ちはいろいろと問題があるだろうがよ。

特権階級の御貴族様なら何をやっても許されるとかあんたも思ってんならそっと背後から忍び寄りへし折る勢いで腰骨目がけて飛び蹴りを叩きこみます。地味に辛いのがお好みならそっと隣に立ち、肘の最も鋭角な部位を脇腹にめしょりと突き込む。

油断している時がオススメです。上手くいけば臓物にクリティカルヒットが狙えます。いい仕事をしてくれることを期待しています。


現実で行うと後がどうなるのかわかったものではないので妄想の中で魔法使い殿をボコボコにしながら、一つの疑問が解消されたことで思考に侵入出来る余地が生まれているだろう魔法使い殿に激しく嫌だが現状打開の為に話しかける。


「そこで捕縛という物騒極まりない単語を選んだのは昨日の一件からのものだと推測してさもありなんと言えなくもないですが、明らかに向こう様都合での仕方なしで被害を被るなんてあまりにも突っ込みどころが多すぎます。そもそも騎士見習い殿の女性に触れる触れないの基準など理由も知る必要も興味もありませんよ」


誰が好き好んで問題しかない相手に近付きたがるんだ。虐げられて悦べる特殊性癖を開花させたいなんて願望も欲望も私には幸いなことに、ない。障らぬエロに祟りなしである。


「うっかり掴まれたのは私の油断だったと言えるでしょうが、流石にここまで力を込められるなんて思わないでしょう。何故何どうしてであれば問う相手が違います。意味不明なのでどうぞご本人にでも聞いて下さい。そんな訳で痛いんですよ放してくださいっ」


くるくるくるくるいろんな角度から真っ赤な手形を見て何が楽しいんだと痛みを刺激で増長させてくれやがる魔法使い殿に苛立つあまり被っていたなけなしの猫が興奮して威嚇音を発し始めている。

落ち着けの言葉をかけるものがいない現状況から察する数秒後の未来予想など容易いものであろう。


「回答不足だ。断る」


「何がですか!放せって言ってんでしょうっ」


ばっさりと切って捨てられた発言に反射的に食って掛かったのは仕方のないことだ。

これで感情と勢いに任せて手を振り払う荒っぽい行動に出ない私はなかなか我慢強いのではないかな。


「被った猫がはげてきたのはいいが却下だ。さっさと俺の問いに答えろ。新しい手形、もしくは上書きをご希望だというなら沈黙でも構わないがな」


嘘でも冗談でもないと示すように最も力がかけられていただろう赤色が色濃い部分へと態々指をかけて見せる性根の悪さ。ぷつりと切ってはならないものを守ろうと被った猫が奮闘しているのを感じて、心の中で落ち着けと声をかけて口を開いたつもりだが……。


「っぅ……こんの鬼畜魔法使い!ただ横を抜けて行こうと歩き出したのを今の貴方様のようにひっつかんで止められたんですよ!その後は御推測通り王子殿下に逃げられないよう放すなと言われ捕獲されてましたがそれが何か?そうして見事につけられた手形に気付いて目隠し代わりという名の応急手当の結果がコレですよ!ほら答えましたよ。もういいでしょう。さっさと放せっ!」


所詮はそのつもりのようである。辛うじてですます口調を保てた気がする程度で完全破綻は最早目前だ。

なのに……またも瞬く魔法使い殿は我関せず。

もう潔癖症故に下手な反応何が返されるかとか考慮してないで思いっきり手を振り払ってもいいんじゃないだろうか。


「応急手当?ハルが、直接、あんたに?」


「えぇえぇ、騎士見習い殿が、手ずから、私に」


「へぇ……あのハルが必要に迫られてではなく、自発的に女に触れるのか」


天変地異の前触れ発言する故の驚きを表に出しているが、よくよく考えて見給え魔法使い殿。

その言葉、そのまま自分に返って来るんだぞ。女は蛆虫扱いの潔癖症。


つーかもう……放す気零だよこの野郎。情報だけ口にさせられ、与えるばかりで得られていない損ばかりに腹が立つより何より、怒る事すら面倒くさいと諦めが顔を出してくるのがよろしくない。

疲れた。もう本当に疲れた。

そう心の底から思ってしまったのがいけないのか、それともいい加減怒りを維持するエネルギーが尽きたのか。掴まれっ放しの手を隙を見て奪い返そうとか、それ以上引っ張られないようにしようと身構えていた体から、力が抜け落ちてしまった。


「はあ……」


何の変哲もない溜息一つ。きっといろんなものが含まれているのだろう何かが共に大気に放出されてさようなら。残るのはひどく空虚な感情です。

騎士見習い殿がどんな理由で応急手当なんかをしたのか。きっとそんなことを考えていただろう魔法使い殿も急に抵抗をやめ、明らかに脱力した私の様子に気が付いたようだ。

微妙に外れていた視線が向けられたのがわかったが、合わせる気はない。一度いろんな感情をリセットしてやり直そうとしているところを邪魔しないで欲しい。


「ところで」


はあ、と切実な思いが籠っているかもしれない溜息を追加してから視線を動かす。


「素朴な疑問なんですが、どうしてそれが騎士見習い殿のものとわかったので?」


見つめるのは魔法使い殿の手によって剥ぎ取られて握られているハンカチーフ。決して持っている人物ではない。そっちはもういい、お腹いっぱい。いっそ食あたりで吐き出して……いや、それは流石に女性としてまずい気がするので取り消しておこう。飲食中の見知らぬ誰か、是非とも忘れて欲しい。


では気を取り直して、自分の持ち物には名前を書く、なんてことをされているわけではない上品な布地の何処に個人特定出来る情報があるのか。

そう思ってハンカチーフを見つめたが……貴方様なら魔力の残滓で知人くらい判別可能ですよね。個室の施錠を誰がしたのかわかったみたいに。


仕切り直しが効いてきたらしい脳が回答を得る前に答えを出してくれたことに素直に喜べない自分がいる。

ああ、きっとまたあの腹立つ目を頂戴するのだろうなと苦虫を噛む準備をしたのだが、


「家紋だ」


返って来たのは意外に普通な回答だった。……普通な回答だったけれど、私の疑問は溜息を吐かせて頼んでも放してくれなかった手首を解放させるほどに呆れる代物だったらしい。

言外に馬鹿と示されるより堂々と馬鹿だと言ってくれないだろうか。面と向かって言われるよりもキツイよその態度。

地味に傷ついている私に魔法使い殿は手にしたハンカチーフを広げて見せた。白い絹糸が気品ある光沢を返す中、小さくも大きくもない刺繍が目に入り、納得。


「そういうことですか」


そこにあるのは魔法使い殿が指摘した通りの家紋。貴族が身に着け、また所有している物品は弱小貴族を除きそのほとんどがオーダーメイドの一点物。

それらは何処の誰のものであると一目でわかる家紋が入れられているのが大半である。


とはいえ、ハンカチーフなどの細々とした消耗品にまで家紋が入っているのは貴族でも上位のものになってくる。それだけ金に余裕があるってことですよねと捻くれた考えと共に、万が一が起きた時にその時身に着けていた物でしか個人特定が出来ない状態を見越しているのだろうとも思わせる。そう思うと微妙な気持ちになれる。

とにかく、この家紋によってハンカチーフが騎士見習い殿のものであると気が付かれた訳である。


「そういうところには元平民が生きているな」


「しみじみと言わないでくれますか。何やら腹が立ちます」


「何でだ?」


「…………いえ、もう結構です」


間違えていない事実で否定もしないが指摘されると思うところが多少ある。そんな思いで反論してはみたものの……。養子縁組によるなんちゃって貴族と蔑み嘲る大多数とは異なった感性をお持ちの変わり者侯爵令息殿にはどういう訳なのかそういった悪意がないので、言葉にしなかった細かな意味合いは伝わらないご様子です。

不思議そうに見ないでくれないかな。私だって悪い訳ではないのに何故か居た堪れない気持ちになる。


「すっかり忘れていました。面倒なのに指摘される前に気が付けたのは幸いです。それについては素直に礼を述べておきますよ。ありがとうございます」


痛みは倍増させられたがな。不幸中の幸いとでも思ってやろう。有り難く思いたまえ。


「誰のことだ?」


労わるように手首を撫でながら言葉のみの礼を口にする私へと綺麗に畳んだハンカチーフを差し出してくる魔法使い殿。意外に几帳面ですよね。

正直いらねえよと言いたいところだが、貰ったわけではないのだから返すべきなのだろうと平民の心が訴えているのでしぶしぶ受け取る。そのままゴミ箱へと向かいたいのを我慢してハンカチーフをポケットへ封印しつつ、魔法使い殿の疑問に答えるべきなのかと悩んだ。


普通に考えるなら面倒なのイコール騎士見習い殿に熱を上げているお嬢様方だものね。

ぼっちだったアンナであればそれで間違いない。けれどタカネである私にはある意味お嬢様方よりも面倒な相手がいるのである。

そういった部分を表に出していないのであれば、魔法使い殿がぱっと思い浮かばないのも無理はない。


別に悩む程のことでもないのだが、態々教えるようなものでもない。そう思ってしまうと口が重くなり、代わりに体が動いていた。一度阻止された自由への出口、学園の外へと続く扉へと手をかけあわよくばそのままフェードアウトを目論んだのだが……。

これは私への窘めですか、父神イフェルダート。黙秘して逃げるなんて狡いことしないで加護する魔法使い殿に教えてあげてよってそういうことなのでしょうか。


「タ・カ・ネちゃああぁーーーーーんっっ!!」


「は?」


ギイィッと予想違わぬ重い音を立てて開いた扉の向こうから突撃兵のようにお馬鹿が突進してきたのは。

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