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問答と参りましょう

暗い闇の中でも星々は煌き輝く。

その光に照らされて、夜空は黒ではなく深く濃い藍の色なのだと気が付くのだ。



そんな天空を治める父神イフェルダートの加護の色とされる星色の輝く銀髪に夜空の藍色の目を持つキラキラしい色彩と類稀な魔法の才。二つもあれば十分だろうに神は彼にある意味試練を与え給うた。


幼い頃には愛くるしく、成長すれば凛々しく。整いきった見事な顔面と持って生まれた高い素養に良い血統。

いろんなものが相互作用してモテにモテた幼少期、御令嬢方を始めとした女性陣にもみくちゃにされたその結果、彼は軽めの潔癖症を発症したのである。


それ故にハルベルトとはまた別種の冷たさを持っている彼は、女とみると顔を歪め、侯爵子息なのに何処でそんな言葉を覚えたんだとある意味感心させられる幅広い罵倒の言葉で罵ってくれる歓迎出来ない人物である。

魔法使い殿、ケルファン・ツェラ・カーディス侯爵令息。


三男坊故に家督は継がなくていいと気楽に育てる環境を与えられ、魔法の研究にどっぷり浸かった聞こえ悪く言えば魔法オタクもしくはマニアの何処をどう見てもモテそうにない特殊な人種。他人のことなどどうでもよく、基本的に魔法学科の研究実習室を一室貸し切って新しい魔法の研究に没頭している。

そのため彼が学園内にいるのは十分あり得るので問題ない。ないが、どうしてそんな特殊な引き籠りが、今、この瞬間、この場所にいるんだ。


「……どうしてこんなところにいるのでしょうか侯爵令息様」


「アランとハルに個室に連れ込まれたあんたを待っていたからだな。光栄に思え」


パタンと恐らくは時間潰しに読んでいたのだろう文庫サイズの書籍を片手で閉じ、さも当然のようにさらりと言ったがな魔法使い殿。光栄じゃなくて不審に思うよ。

何だその言い分は。

連れ込まれたっていつから見ていたんだこの男。そして待っていたって暇なのかお前は。いつも通り一人寂しく実習室で引き籠ってろよ畜生!


「一体どのあたりから見ていたんですか」


お嬢様方の視線とそれに付随してくる真実など欠片も存在しない噂が恐い。

そんな切なすぎる理由で可能な限り注意を向けていたはずなのに、これは一体どういうことか。

人気がないお陰で見落としがちな人の目も感じられなかったはず。だというのに、どうしてこいつは目撃していたんだと出待ちまでしていた御用事部分はつい今しがたの前例がいるので問うことはせず、一番問いたい部分を投げやり気分で聞いたのに……。


「見てはいないな」


「はあ?」


意味不明な返しに柄の悪い声が出た。しかし何でもない様子で無視された。

今の私の態度に声と調子は、弱い者いじめを得意とする貴族が見ていれば、顔を顰めて「これだから平民上がりは」とか「まあ、何処かに蛙がいるのかしら。醜い声が聞こえましたわ」とかとか言われて嘲笑われるものなのですけれどね。


魔法使い殿の貴族としての振る舞いってちょっと謎な部分が多いんだよな。

普通の貴族が鬼の首を取ったかのように愉しそうに蔑むところにはまったくと言っていいほど反応しないんだよ。咎められても困るので別にいいけれど。


「何処にいるのかと追って見つけたのがあの個室だっただけだ。施錠の魔力痕跡はハルのもので、室内にあんたとハル以外にもう一人とくればアランだろう。昨日のことで思うことがあったらしいからなあの二人も」


あの二人も、とは口にしているけれど何処か他人事のように語っていらっしゃるのが気にかかりますが、もっと気になる部分があるのであえてスルーしますねごめんなさい。


「追って見つけたってどういう理屈ですか?追跡の魔法でも使われたと?」


特定相手の居場所を捜す魔法はある。効果範囲は術者の腕次第と実用的なのかそうでないのか大いに悩むところだが、稀代の魔法使いと称される魔法使い殿なら広大な学園の敷地内でも余裕だろう。

ただ、追跡する相手の生体情報が必要になるので媒介がいるはずだ。例えば髪の毛とか、愛用の道具とか、魔力の痕跡が残っているものとか。

一番可能性が高いのは最後だろうけれど、なんて考え込んでいると視線が刺さっていた。


「……何ですか、その出来の悪い生徒を見る教員のような目は」


「事実出来が悪いだろう」


しらーっとした目で見られた上に溜息吐かれた。

何この屈辱っ私と君は成績ではどっちつかずの僅差で常時競い合ってるだろう!

馬鹿にしないで欲しい!


「魔力結晶」


仕方なしに説明してくれる様子で魔法使い殿が口を開いたが……釈然としないっ。しないがピンとこないんだから説明はありがたく拝聴して差し上げますわ。

出来が悪くて悪うございましたね!


「魔力結晶?」


ぷんすかなんて擬音でも付きそうな心境を表には極力出さず、溜息と混ざって口から零れた言葉を鸚鵡返しした私に魔法使い殿はこくりと頷いた。と、そこで何を思ったのか壁に預けていた背を起こし、急に歩き出す。

話し始めたと思った矢先の行動に面食らいながらも一拍遅れてその背を追い隣に並べば、ちらりと視線を肩越しに寄越してきた。遅れることなく隣を歩く私の姿を確認したその表情は、それでいいと言っているようで……腹が立つ。どうしてあんたの誘導に従っているようになっているんだと物申したい。


だが、あの場にずっと留まっているのは放置してきた二人のダメンズが、いつ個室から出て来るのかと気にかかるのでなしだ。何処へ向かって歩いているのかはわからないが、少なくとも学園寮へ向かう為に進もうとしていた道程と同じなのでおとなしくついて……違う、仕方なく隣を歩いて行くことにする。


「自前の魔力を凝縮して取り出してみろと言われたことがあっただろう」


「あぁ、私と貴方がべた褒めされた最初の方にあった授業ですね」


魔法学の授業で魔力の扱い方を習った後に自分の魔力を結晶、石として形にしてみるように言われたことがあった。それのことを言っているのだろう。

実はその時作った結晶石の大きさと質で今後の実習でペアにすべき生徒を選り分けていたと聞いた時、その場の壁に張り付いて同化した。それ程に衝撃を受けた一件。加減すればよかったと思った頃にはとっくに魔法使い殿とペアが組まれた後でした。


悔やんでも悔やみきれない現実に、八つ当たりとわかっていてもペアを決定した教員を見かける度に睨みつけてしまうのは内緒です。魔法使い殿が攻略対象者である限り関わり合いになりたくなかったのに、授業で強制的に関わらせてくれた教員への恨みは相当根深いのですよ。恨みが晴らされてすっきりしていないのは慈悲だと思って頂きたい。


「そんな昔の話がどうかしましたか?」


入学してすぐのことだからほぼ二年前のことだ。そんな前のことを態々持ち出すのは理由があるからとはわかるが、考えるのにそろそろ疲れて来てつい安易な回答を求めて問えば、またしらーっと見られて溜息吐かれた!何なんだよもうっ!


「その結晶石、どうしたか覚えてないのか?」


「は?一度回収されてから返却された時に貴方が自分の物と交換しろと持って行きました。何ですか?ちゃんと覚えてますしそこまで記憶力悪くありませんよ」


人体から任意に取り出された魔力の塊だから魔法の媒介として有意義に使用出来る結晶石は、良質なものになればなるほどその活用性は幅が広い。個人個人で石が帯びる性質は異なるため、治癒適性持ちの私の結晶石は希少であると言える。

そんな理由で同じく良質なものである自分の結晶石をやるから代わりに私のものを寄越せという物々交換だと思っていたのだが……ん?結晶石って魔力の塊じゃないか。媒介に、なるね。


「……まだ手元に残ってるんですか、アレが」


二年も前のものなのに?活用性があって様々な用途に選り取り見取りのものなのに?まだ手元に残っているとは驚きである。なんてもの持ちがいいんですか魔法使い殿。

私なんて自分以上の攻撃適正の良質どころか最上物の結晶石だからと君の結晶石は早々に孤児院の防犯対策に突っ込みましたよ。お陰で不届き者が減ったと聞いております。ありがとう。


とっくに消費していると思っていたのにと問えば、徐に右手を自身の顔の横へと持ち上げた魔法使い殿。

何をしているのかと眺めていれば、潔癖症故に白い手袋に包まれている手の親指と人差し指、そこへ身に着けていただろう白銀のイヤーカフスを持っていた。

何の模様も細工もない金属特有の光沢を見せるばかりのシンプルなカフスだが、流石稀代の魔法使いの持つアクセサリー。漂っている魔力が普通のものではないと即座に教えてくれている。


でも、これが何?と視線を投げかけようとしたところで、引っかかった。視覚化出来そうなほど濃密な魔力の中、覚えのあるものがちらついている気が……。

じぃっと改めてカフスを眺めていると、今度は問う前に解答が得られた。


「あんたの結晶石を解かした魔法具だ。主な用途は追跡だが、石が良かったからいろいろと術式が詰め込めた。王都の何処にいても居場所は特定出来るしその時の魔力量も感知出来る。狭い範囲内なら体調の良し悪しもわかる」


「……」


説明を終えて耳へとカフスを戻している魔法使い殿。

さらりと明日の天気は晴れらしいよ、みたいに本当にさらりと事もなげにおっしゃいましたが、ね。


何なんだそのストーカーが喜び勇んで譲ってくださいと土下座なんて知りもしない文化圏なのに地面に額を擦り付けてのある意味潔い土下座をしてでも欲しがりそうなドン引き魔法具は!!

居場所の特定ちょろいちょろい、あら今日は体調がすぐれなくて休んでいるのねお見舞いに行かなくっちゃおほほほほ。

そんなことが同じ都市内にいる限りは可能だと?!冗談はやめてくれっいや冗談だと言ってくれっ!


そんな縋る思いで視線を進行方向へと向けている魔法使い殿を見上げているというのに、この場に坐す神は無慈悲だった。


「追加の魔力を流せばその場の音声も拾える。やり様によっては視点も繋げるが、流石に消費が激しい。そっちはあまり使い勝手がよくないな」


お巡りさんコイツです!ここに私のストーカーがいますっ。恐ろしいことに被害者の私にストーキング行為を一切悟らせない高度な技能で私のプライバシーを限りなくゼロにしてくれちゃってます!

盗聴も出来れば覗き見も出来るだと?!こんなに堂々としたストーカー行為の告白初めて聞いたよっ聞きたくなかったよっ助けてください切実にっ!!


ドン引きどころの話ではない驚愕の事実に血の気が引いて私の顔面真っ青よ。

何てことをしてくれちゃっているのかしらね魔法使い殿。どうして私がそんな恐ろしいものの対象にされちゃっているのかしらね魔法使い殿。推奨してはいけないけれどそこはほら、逆ハー達成されて愛しちゃってるマルティナお嬢様に向かうべきものではないのかしらねぇ魔法使い殿っ!?


ねえ君ってばそんな類の変態でしたっけ?大切なものは壊されないようにって後生大事に精神で監禁するんじゃありませんでしたっけ?!王子とは方向性が違うだけで救いは何処にもないけれど、後生大事に仕舞い込んでの箱入りお嬢様にする心配性超悪化型の愛を注ぐ君は、どいつもこいつも病みきっているのには違いないけれど、それでもあのダメンズ共の中ではましな方だと思っていたのに……っ。

この裏切りのような所業に私は痛く衝撃を受けましたよどうしてくれるっ!


あまりにも唐突にぶち込まれた身の毛もよだつ世にも恐ろしい話題を転換出来るのならば、絶叫マシンも鼻で笑える勢いで流れる川の淵、掴んだところで陸に戻れる訳はないと知っていても全力で手を伸ばし、掴んだ藁に縋ってほんの少し進行方向が変わった激流を押し流されて行くよっ。


本当は救って欲しいし逃げ出したい、けれどドン引きアイテム所持したストーカーから逃げ切れる気は一切しない。何処で詰んだんだ私の逃げ道、待ったの掛け声はありですか?!


「ド、ドウシテそんなモノヲ作られましたノカと伺っても?」


平常状態を取り繕いきれず片言チックに問いかけた私へと視線をくれた魔法使い殿は、混乱激しく動揺著しい私の反応に思うことは特にないらしく、常と変わりない調子で言い切った。


「実験用の助手として用がある時に捕まえやすい。あんたはすぐに逃げる上、逃げ足が速い。先に退路を断たないと時間が無駄になる」


まさかの我が行いからの副産物。最初の頃どうして接触してくるんだと必死に逃げ回っていたのに、ある時から逃げ道が用意周到に消失させられて「実験を手伝え」「はい喜んで」とイエスマンにならざるを得なくなったのはその所為だったのか……っ。

思いがけないというか予想出来たらそれはそれで恐い事実に、残念な表情しか浮かべられない顔がより残念になっていくのを止められない。


「そんなの他の優秀な誰かとか、自発的に手伝うと寄って来るお嬢様を適当に見繕えばよろしいでしょうに。態々魔法具を作ってまで私を捕獲したいんですか貴方は」


頭が痛いのも勘弁願いたいところなのに、その程度可愛らしいものよと嘲笑う声が何処からともなく聞こえてきそうな無慈悲過ぎるこの現状。恥も外聞もなく泣き喚くことが出来たなら、少しは楽になれたのだろうか……。

何なんだこの会話、王子と騎士見習いのダメンズコンビみたいに昨日の誓約とマルティナお嬢様強奪の話の方が余程気が楽じゃないか。どうしてこうなった。

私の日頃の行いが悪いとでも言いたいのかこの野郎。

こういう時こそ仕事しろよ主人公補正の無駄に高い幸運値っ。


物理的にも精神的にも痛い頭を押さえて遠い目をしつつ、それでも会話中なので見上げている魔法使い殿の凛々しい御顔に不快さが滲んだ。具体的には眉間に皺が寄せられた。それでも綺麗に見えるその顔面、崩壊すればいいのに。

ではなくて、何?その反応は。


「地位と血筋と魔力と顔につられて寄って来る蛆虫共をどうして俺が相手にしなくちゃならないんだ言葉は選べよ男爵令嬢」


「は、えっちょっ、いたたたたっ痛いっ痛いですってば!」


言うが早いがそれとも手が早いか。がしりと線が細く見えても性別男の大きな手が私の頭を鷲掴んで握力に任せて握り込まれる。指の部分が圧点になって痛いだけでなく全体的に締め付けられてミシミシなんて嫌な幻聴が聞こえてきそうだ。


肉体派じゃないはずなのに何なんだその握力っ、というかあんた潔癖症だろう!

女なんて特に嫌いで腹黒王子が汚物扱いとまで言った騎士見習いと争う程だろうがっ。

小動物系の可愛らしいお嬢様も、綺麗系の美しいお嬢様も、早熟でエロティックなお嬢様も等しく蛆虫扱いするくせに、手袋越しであるとはいえどうして私の頭は掴めるんだっ納得いかんぞ魔法使い殿!

人としてどうかと思うが私はあえて蛆虫側で避けて欲しかったのに何がやりたいんだあんたはっ!


触られるのが嫌いだとわかっているし思わぬ反応でより力が込められては堪らない。

そう思って私の頭を鷲掴みにしている魔法使い殿の手を引き剥がすことを最初から諦め、仕方なくお腹の前で手を組み、痛みに耐えてうっかり手を上げ振り払ったり掴んだりしないようにと配慮したのに……。


「ふんっ」


鼻息と共に解放された。このくらいで勘弁してやるかと聞こえてきそうな鼻息と共に、だ。納得いかん。

速やかに手を上げ痛む場所を撫でたなら、文句を言うのを忘れてはいけない。


「うぅ~っ……仮にも淑女の頭を鷲掴みとか紳士のすることじゃないでしょう!」


「奇人変人と謳われる魔法に携わる者が紳士な訳がないだろう」


物凄く説得力がある言葉だったが、自分で言うなよそんなこと。あんた一応侯爵家の子息だぞ。

それも魔法に関する血統でいけば何処の家よりも王家に優遇されている魔法使いの名門なのに。

鼻で笑うとかどうなんだよ。今の発言だとカーディス侯爵家全員が奇人変人扱いだぞ、いいのかそれで。

じんじんと地味に痛い場所を撫で、呻きながらも文句を言うことを諦めない。

諦めてはいけないと本能が訴えている。


「侯爵家で習う礼儀作法はどうしたんですか」


「元平民、仮にも淑女。男爵令嬢でありながらそんなことを口にするあんたに対してそんなものが必要とは思えないな」


悔し紛れで返した言葉もあっさりと、それも即座に打ち返してくる。

くっそう……我が行いがことごとく私の首を絞める。反論出来ない部分に焦点を向けられてしまい、悔しくて仕方がないがむすりと口を噤む。

ギリリなんて音はしないだろうが歯噛みしている私の顔が愉快だったのか、楽しそうに口元を緩める魔法使い殿。ああ、攻略対象者なだけあって無駄に顔がいいよね。殴ったらお嬢様方に殺されるかな。

いや、殴って治療して証拠隠滅すればいいのではないか?

そんな物騒なことを考えていたのがいけないのだろうか腹が立つ発言が頭上から落とされた。


「そもそも根本が間違えているだろう阿呆」


あ、阿呆だとぉっ?!自身と同レベルの成績を有するこの私にそれはブーメランな発言だと知って口にしたのか魔法使い殿。だとすれば、あんただって阿呆だ!

最早思考回路がいろいろとぶっ飛んで自分自身の阿呆扱いを否定する方向へと思考が回っていないことにも気が付かない。そんなお疲れとやさしく労わってポンポンと肩を叩いて欲しい状況なのに、聞こえる言葉は求めるものとは違うもの。


「俺が必要としたのはそれなりに使えるかもしれない煩わしい蛆虫じゃない。稀代の魔法使いと言われるこの俺に、媚びるどころか興味すらも持たないむしろ距離を置こうと必死に逃げ回る変わり者の使える助手だ。俺と競う頭と腕を持っているなら自分を蛆虫どもと同列に扱う愚かな真似は直ちにやめろ。不愉快だ」


……何これ、褒められてるのか貶されているのか紙一重じゃないか?え、何が言いたいのこの変人。

最後の言葉通りに不愉快だとわかる表情を浮かべ、身長の関係で私を見下ろす魔法使い殿をきょとんと見上げる。理解に苦しんでいるんですよ。酷使されてきた頭が働きたくないと訴えているんですよ。


「……はあ」


そんな無言の訴えが届いたのかそれとも単に呆れただけなのか、侯爵令息らしく背筋に芯が通った美しい姿勢で歩いていたのを溜息にしか聞こえなかった吐息で少しばかり崩した。肩をほんの少し落としたってくらいなんだけれどね。

たったそれだけで疲れたように見えるのだから普段の姿勢がどれだけ綺麗なのかが窺い知れる。口も態度も悪くてもやはりお育ちはよろしいのですね。


そんなどうでもいい感心をしていると、ふいに頭の天辺から足の爪先まで視線が流れて行き、憮然とした様子で目を合わせられた。私には貴方が何をしたいのかが本当にわからないんですが……。

でも、きっと碌なことではないんでしょうよ。付き合わされてきた数々の実験で私は学んでいる。

貴方は黙った後が一番面倒くさい。

そんな失礼なことを思われているなんて知らない魔法使い殿はマイペースに口を動かし言葉を紡いだ。


「強引に施錠を解いただけ、にしてはえらく魔力量が減ってるな。昨日まで馬鹿みたいに纏っていた魔術礼装も数が減って守りが薄い。今なら威力の高い魔法を一発不意打ちで打ち込めば簡単に殺せそうだ」


「洞察力はお見事と素直に褒められますが後半の物騒極まりない言葉は激しく要りませんよ回収してください」


一体何の殺害予告なんだ。何処からそんなことに発想がぶっ飛んだ、いや昨日までと比べられたってことは以前の状態の時に高威力の魔法ぶっ放しても殺せないと考えたってことだよなこの野郎。もしかしなくても昨日、結構本気で魔法をぶっ放そうとしていやがりましたのかこやつ。性的に危険なだけじゃなくて普通に危険じゃないか。そんなことすればマルティナお嬢様もぽっくり逝きますってわかってんだろうがっ。なんという無茶苦茶な。


ああもうっさっきから突っ込みしか入らないなんてあんたはボケ担当キャラなのか?そうなのか?そうなんだろう!生憎ボケはカタネ一人で手一杯だ他を当たってくれ頼むからっ。


「世に放たれた言霊を回収出来れば失言なんてものは存在しないんだろうな。音の回収か……出来るのか?」


「知る訳ないでしょう!何が言いたかったんですか貴方はっ脱線するなら最後まで言い切ってからにしてくださいますか?」


ふむ、なんて考え込もうとし始めたのに慌てて待ったをかける。何故止めるのか?

考え込んでいる間に逃走しようとして不意打ちの捕縛魔法を食らい、床の上を蛆虫の如く蠢いた経験が何度かありましてね。

また組まれた術式が嫌味なくらいにしっかりしていて解けないのなんのって。

その状態のまま問題提起したのは私なんだからって疑問解消するまで延々と付き合わされる異常な光景は御免蒙る。

だから考え始める前に制止をかけたのに、じとりと不満そうにねめつけられるこの理不尽。


「あんたが言ったんだろう無責任な」


「すべて真に受けないでくださいと散々言いましたよね。余計なことに付き合わされて疲れているんです。さっさと寮室に戻って休みたいんですよ私は。要件がないのであればこの問答から解放して頂きたい」


私が悪いってのかこの野郎、と言って喧嘩をする気も起きないお疲れ具合なんだとわかってくれないんですよね、この手のタイプ。

本当にくたくた、物を考える気力はもうほとんどない。一応ダメンズコンビから逃れた時にはまだ思考出来る余地はあった。が、今この場で止めを刺されたもう無理。これ以上働かせたいと言うのであれば、我に甘味を献上せよ。脳の酷使には糖分摂取がオススメね。

とか無駄なことに余力を使っていないでさっさと戻ろう。カタネの頬を摘んで泣かせて反省させて、まだまだ日は高いが眠りに落ちてしまおうそうしよう。


今度こそ休憩をもぎ取らんと決起している私の表情は、視線のきつさと言葉に遠慮がなくなってきつつある。

その現状を受け、不満の顔を下げて視線を進行方向へと向けたので、私の状態を察してくれたのかと思いきや……。


「俺の要件はマルティナの寮室だ。あんたの目的地もそこだろう、付き合え」


予想外な発言に頭が一瞬漂白されて足が止まった。何だって?

急に足を止めたことで私の数歩先へ行った魔法使い殿だが、同じく足を止めて振り返った。

何をしているんだと書いてある凛々しい御顔へと驚きに見開いた目を向けていれば、ふぅと吐息が一つ落とされた。……おい、今の吐息に含まれた意味合いは何だ魔法使い殿。場合によっては拳が唸るぞ。


「昨夜自室に帰らずマルティナの寮室で何をしていたんだ?」


意味の知れぬ吐息にイラッとして覚えた不満を告げることも、何故と問うことも出来ずにいれば、逆に問われて瞬いた。

何でそんなことを知っている、と口にしなかったのはストーカー魔法具を思い出したからですね畜生。

それはただの位置情報?それとも聞いて見ての聞き耳覗き見情報ですか脅威のストーカーよ。


「並以下にまで減った魔力量、歩く要塞から関所の門レベルに落ちた礼装。あんたのお粗末な状態と入れ替わりにマルティナの寮室からは整えられた魔力が感知出来る。それも余程の腕利きでもない限り、そこに築かれたものに気が付かないほど自然に」


コツ、コツ。そんな硬質な音を立てる足音を耳が拾い、ゆっくりと開いていた距離を詰めて来た魔法使い殿が真正面から私を見つめるのを黙って見つめ返した。

その目は、その言葉は、確信を持ってのもの。


「自身の守りを捨ててまでマルティナに過剰とも言える礼装を施す理由は何だ、未来の白百合」


「その表現金輪際私に向けないでくれませんか寒気がするっ」


問い質す低い声音とトラウマワードで貴方様の姦獄内容が走馬灯のように流れて行きぞわっと全身チキン肌。

不吉すぎる寒気に胸の前で腕を交差させて我が身をかき抱く。チキンを宥めるために両腕を撫で回すのも大切なことだ。落ち着け落ち着けそれはただの物語で悪夢で現実にはどうにか起こっていないへし折り済みフラグだ。深呼吸はひっひっふー。

…………違うっ!


ああ、こんな反応を返してしまったのにはいろいろとお疲れ様な状態以外にも深くて底の見えない穴に向かって咽喉を潰さんばかりに絶叫したくなる、そんな理由があるんでございますのよお嬢さん。


姦獄には最初に誰のどのルートで話を進めるのかの選択肢がある。攻略対象者五名、逆ハーレムの全部で六種類。各ルートの中で選択肢があってたどり着くエンディングにも差はある。どいつもこいつも絶望一択に変わりがないのは私が保証して差し上げよう。私は悟りを開きたかったのに開けなくて回を増すごとに画面を見つめる目が虚ろになっていった正常者である。……本当につらかった。


そんな強烈すぎるトラウマ案件の中、ざしゅりと心臓に致命傷の一撃を受けたのかと錯覚するほど強く深く記憶に刻まれて消えてくれないのが、記念したくもない姦獄初プレイの話で、憐れなゲーム主人公アンナの初めてのお相手である。


嫌いなものから終わらせようと逆ハーレムルートを選択したあの日の私よ気を確かに。

よりにもよって、このチョイス。逆ハーレムルートでは初めてのお相手はランダム選択で決まるため、シナリオとスチルをコンプリートしたければルート選択からやり直してね。

ただし、初回のやり取り同意なし鬼畜オンリー生息は文章の読み進め機能はオート設定でスキップ不可能となっておりますのでたっぷりとご堪能ください。

ええ、気が遠くなるほど何度でも。


最低限の知識こそあれど真っ当だろう行動しか情報にない私に突如としてぶち込まれた非人道的な光景は、常識の二文字を非常識の三文字で粉々に打ち砕いてくれるおまけがついていました。誰が求めたそんなもの。五人全員のシナリオ回収に私の心は何度へし折れただろうか。

……なんとなく、我が記憶に消えてくれそうにない傷を深々と刻んでくれた人物が誰なのか予想出来るのではないかな。ええ、今現在目の前にいるコイツです。

魔法使い殿なんでございますのよおほほほほ。

あの日の衝撃を忘れたいっ!!



ゲーム画面の向こう側、女を視界に入れた途端に眉間から皺が消えなくなる徹底ぶりの男は、嬉しそうに愉しそうに……そして妖しく笑みを浮かべている。

熱の籠った目で見つめ、その熱を移そうとしているのか目の前で、耳元で、低く囁く。


「白百合の花言葉を知っているか?」


「純潔。穢れのないことの証明だ。白百合の称号を得るものはどうしてか純潔の乙女であることが多い。あんたが白百合に相応しい純潔の乙女なのか、俺が確かめてやるよ」


「見ろよ、これがあんたが純潔だった証だ。たった今、失われたけどな。ふっ、白百合の称号には相応しくなくなっても、俺に相応しい女にしてやるよ。だから、俺を愛していると言え、アンナ」


監禁した上で同意のない営みを強要されて愛せたらどこかおかしいに決まっているだろうが。果てしなく重要であろう部分を破壊し尽くしたその結果、壊れた愛を紡がれて嬉しいのかお前は。



今現在目の前に展開されているのかと思えるほど無駄に鮮やかかつ高性能に思い出される間違いなく我が人生で一番のトラウマ案件にぶるりと震えが走る。

そんな異常な理由で名誉ある白百合の称号に全力で拒否拒絶を示す私を理解出来る日なんて永久に来ないだろうから、流石の魔法使い殿も面食らったらしい。

きょとんと目を丸くするなんて珍しい表情を浮かべている。興味はないが。


「治療師なら誰もが憧れる称号をそこまで拒否するとは……おかしな女だ」


いや、そこでくつくつとこれまた珍しく笑わないでくれますか。そんなの目撃出来ても私に感動は一切ないです。蛆虫呼ばわりのお嬢様方にお見舞いして取り囲まれて情けなく呻いてくれればいいのに。


「警戒しているのは誰の案件だ?」


「っ」


徐々にどころか加速度的に荒み始めている状況下、きょとんに笑うで油断させておいて直球を放ってきたのは計算だったのだろうか。

そうであるなら思惑通りの反応を返したことになる。すりすりと両腕を撫でていた手が、二の腕を掴んで止まってしまった。これではYesと答えているも同然。

更なる肯定になると歪みそうになる表情を取り繕っているが、意味はなさそうだ。

弧を描いた口元も細められた目も、愉快の二文字が見て取れる。ああ、腹が立つ。


「……っ」


結局唇を噛んで顔を歪ませて追加肯定しているので世話がない。


「止まってないで歩け。さっさと休みたいんだろう」


告げた言葉を持ち出されたことで更に歪んだ我が表情を見て意地の悪い笑みを深める魔法使い殿は、追撃の言葉を投げるのではなく、さっさと踵を返して歩き出す。その足取りは呆けていると置いて行かれるもので、苛立ちに任せてカツンッと踵を鳴らして隣に並ぶ。

あんたの後ろなんて意地でもついて行ってやるものか!

そんな苛立ちを露わにして追いついた私を見て、ふっと口元を弛ませて笑うその顔を私は知らない。


「確証を持っての問いでした。何を知っているんですか」


刺々しい声である。口調もそろそろ取り繕いが機能しなくなりつつあって「男爵令嬢のくせに生意気な」と言われて咎められても仕方がない。

けれど、私を見下ろすその視線にそんなものは一切ない。あるのは、面白いと聞こえてきそうな喜色だ。

……実験の時、実力ギリギリの要求に思わず素で応対して以来、取り繕いにぼろが出て来るとこんな調子なんだよこの野郎は。未熟者で悪かったなっ。


「何を知っていると思う?」


くつりと笑う様子が声に乗っているのを考えないことにする。その面白い玩具で遊んでご機嫌といったご様子に私の苛々が止まりません。これ以上は切れていけない何かが危険な気がすると視線を魔法使い殿と同じく進行方向へと向ける。

階段を下りるので仕方なく同じ方向に視線が向かうだけで魔法使い殿の行動を倣ったわけでは断じてない!


「問いに問いを返すのやめて貰えますか腹が立ちます」


コツ、コツ。


「あんたが手持ちの情報を晒したがらないからだろう」


カツン、カツン。


「警戒対象に情報を晒してどうするんですか」


コツ、コツ。


「警戒対象?俺がか?」


カッツン!

平常心平常心と繰り返しながら階段を下りたところで何のことだと問うている言葉が降った。

最後の一段を越えて床を打った私の靴音の強さは、きっと怒りのスイッチを踏んだからに違いない。


「白々しいっ。カ……マルティナ様に自分たちがなさろうとしていたことを考えれば当然のことでしょう」


高い位置にある魔法使い殿の目をギッと睨み据え、怒りに低く唸りながら告げた私を不思議そうに見ていた目が疑問を解消された様子で瞬いたことで、私へと疑問が移ってくるようだった。


「……ああ、それなら俺は除外していい」


「…………は?」


否、ようではなく、移ってきた。

困惑する私など意に介さず、至って普通の様子で言葉を発する魔法使い殿。


「マルティナがあんたの横で心底嬉しそうなのを見てどうでもよくなった。……というより、どうでもよかったんだと気が付いたが正しいな」


「は、はああああぁあぁああぁっ?!」


予想もしなかったとんでも発言に学園の通路に私の素っ頓狂な叫び声が虚しく響き渡った。

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