王子へと物申しましょう
「天の番ですがそれが何か?」
昨日攻略対象者全員の目の前で交わされた誓約、そのなかなかに派手な光景を忘れたのだというのであれば、健忘症を疑って腕のいい医師に診てもらうのがよろしいだろうよ。
「そんなことは言われずともわかっている」
何が言いたいんだお前はと思ったことが顔に出ていたのか、不快そうに言い切られた。
生憎王子様と違いお育ちがよろしくないのでそういった技能は自然には身に付きませんし、ポーカーフェイスにも持ち合わせがありませんの。御不快になられるとおっしゃるなら現在話したいことなんてこちらにはありませんので退出を許して頂きたい。満面の笑みを浮かべて足早に退散します。
「私の妻ですと申し上げればよろしいのでしょうか」
面倒くさいと隠しもせずに言葉を言い換えれば、きゅっと眉間に皺を寄せる王子。
この程度で感情的になってくださるとは、なんてやりやすいのだろう。
「マルティナは私の婚約者だ」
むすりと声音にも不快さを乗せている王子に私の口角は冷ややかに持ち上げられる。
「あら、それは誓約を結ぶ前までですわね。現在マルティナ様は私の妻になりますので王子殿下との婚約はめでたく解消ですわ」
愛想笑いはしなくても、威圧をする為の笑みは浮かべるんですよ。
「めでたく、だと?」
そんな挑発的な私の表情に不快さが増したらしい王子だが、その言葉には疑問が混ざる。
私が何を言っているのかわかりませんか?もしも本気で問うているのであれば、次期王として期待され、優秀ともてはやされている頭脳にその程度かと不名誉な烙印を押して差し上げよう。
苛立ちで細められた目を真正面から見返し、冷たい笑みを深めながら堂々と言葉を紡ぎ出す。
「ええ、巻き込まれる確率が少なくなりますもの」
目を見張り、憮然とした面持ちになったからには多少は言わんとしたことがわかった、と前向きに取っていいのでしょうかね。
「王子殿下、貴方様ご自身が命を狙われていますのは、その身へ課される責務に付き纏う闇ですわ」
誰でも簡単になれるものではないもの、王様。
それは国を代表するものであり、国の象徴でもあり、国の頂点でもあり、国そのものでもある。
多くの国が世襲制である為、次の王になり得るのは王の子である。私がいるこの国、ダナン公国も世襲制の国で、王の子とは第一王子のアラナセル、アラン王子のことである。
子が一人であるならば必然的にそのたった一人の子へと周囲は期待を寄せるだろう。
より良い王であれと。
だが、子が複数人いれば話は変わってくる。選択肢が出来れば良くも悪くも人は惑い、時に争う。
それを悪いとは言わないし、きっと言えない。より良いものを、と最善を求めることを責められるものは早々いないだろう。
ダナン公国には亡くなられた正妃殿下の一粒種であるアラン王子の他に四人の子供が存在する。
それは現在投獄されている正妃殿下を暗殺した二人の元側妃殿下の子で、第一側妃に第一王女、第三王子、第二側妃に第二王子、第二王女の計四名。王位継承権は王子殿下が先で王女殿下が後の生まれ順となっている。
現在母親である元側妃殿下が投獄中の為、幼い王子王女の王位継承権は凍結状態にあるはずで、現状第一王子のアランが次期王となることがほぼ確定している。
いろいろな経緯を経て現在はこのような形になっているが、それ以前は当然のように次期王に誰が一番ふさわしいのか、と臣下となるはずの相手に不躾で無遠慮な値踏みをされ、勝手な理想を押し付けられ、時には傀儡となることを求められていたりもしたのだろう。そうでなければこれほど愉快に性格は歪むまい。
彼の王子が抱えているのは、最上位の貴婦人争いをする元側妃殿下の余りに醜い内面を知った故の女性不信というより、王宮という権力争いの中枢で翻弄されたが故の人間不信なのだ。
そして当人たちを無視した勝手な議論に結論が出された。その結果、私利私欲にまみれた愚か極まりない目的の為に“ 不必要 ”とされたアラン王子は、本人にはどうにも出来ないひどく理不尽な理由で、幼い頃に暗殺された母親、正妃殿下と同じく命を狙われることが日常となった。
「強い光により濃い影が生まれるように、勝手な思いで妬み嫉む者はどうしてもいますの。それらを上手く捌く手腕は、王位へと就かれるのであれば必要となるものでしょう。一から十を知る力もまた然り」
王の子としてこの世に生まれ、その身に王であることを望まれる血が流れている限り、仮に本人が王位を望まなくともアラン王子はくだらない争いの火種として存在し続けることとなる。
どんなにその権利を放棄したとて、必要に迫られたなどと理屈を並べ立て、華やかに見えてその実何処よりも昏く危険な場所へと追い立てる。それが臣民なのだ。
王であるならば優秀であれ、そうでないならば……その血を絶やせ、と。
誰よりも高い地位を得る代わりに、誰よりも多くのものを失い、誰よりも重い責務を課せられるのが一国の王と呼ばれる存在だ。
それ故に、誰よりも孤独であるのもまた、王と呼ばれる生き物なのだ。
自身を守り生き残るため、国を守り栄えさせるため、たった一人で立ち続けることを強いられる華々しくも寂しい地位。
「此度は正妃殿下を暗殺なさいました犯人捕縛、おめでとうございます」
一体何を言い出すのか、といった様子で私の言葉に一応耳を傾けている王子と騎士見習いの二人に笑いそうになる。
嫌ですねぇ、私、そんなに難しいこと言っていますか?
「貴方様は御母上を殺した犯人を捕らえるという悲願が叶い、王室としても未解決であった事件が解決し面目躍如。加えて王位継承権争いで当人様方を無視して勝手に周囲を焚き付けていた愚者の一掃と良いこと尽くし。ですが、問題がありましたわ」
至極当然のことしか、口にしているつもりはないんですがね。
「問題?」
鸚鵡返しにただその単語を紡いだ王子の様子に思わず拳を握った。
その心境の変化に呼応して、挑発的に持ち上がっていた私の口角が下がる。
「何の相談もなくマルティナ様を囮になさいましたわね」
罪科を告げるその声は、冷たく鋭利な刃物を王子の喉元へと寸分違わず突きつけた。
ライリック公爵令嬢毒殺未遂。そのパーティー会場には学園の全生徒が参加しており、当然私もその場に居合わせた。カタネであると知らなかった悪役令嬢役のマルティナが逆ハーを目指して動き回っていたことを知っていた為に、恐らくイベントが発生するだろうと踏んでいたからだ。
もし、もしも好感度不足でマルティナが毒を呷るようなことになれば、その行動自体を阻止することが叶わなければ、完全な解毒は出来なくとも王宮の治療師が到達するまでの間を持たせるくらいはしようと決めていた。
これは結末の先に待っている恐ろしい真実を伝えることも、自身が転生者であることも隠し、傍観者を決め込み、主人公役を押し付けた私の罪滅ぼし、いや自己満足だ。何もしなかったわけではない、そう自分への言い訳をする為の。
だから、知っている。ゴーセテッド伯爵令嬢がマルティナへ毒入りドリンクを渡すための隙を、王子が態と作ったことを。その行動を目で追っていたことも。
第三者として外から見ていたからこそ気が付けたその姿を、私ははっきりと覚えている。
そして、悪役令嬢のマルティナが主人公のアンナへと毒入りドリンクを渡す本来の物語とは異なり、受け取る側になったマルティナ。誰から毒を渡されるのかわからない命の危険に王子が離れていくその一瞬、彼女は一度目を伏せた。
何かを覚悟する、そんなマルティナの姿を私は覚えている。
「それは……」
ほんの少しでも、後ろめたいと思う気持ちがあったのだろうか。話を始める直前までの尊大な態度はなりを潜め、断罪する私の強い視線と物言いに口篭る王子。
少しばかり萎れたその様子に私の溜飲が下がる訳などなく、さらなる苛立ちを上乗せして言い募る。
「犯人捕縛の功労者、後の功績を見れば誉れとなりましょう。ですが、それは相談もなく勝手にマルティナ様を危険に曝してもよろしいなどという理由にはなりませんわ。王子殿下が御母上の仇を取りたいと協力を求め、本人同意のもとで行われたのであれば、私が言えることは何もありませんでしたのに」
リセマラ必須のランダム会話イベント及びそれによって発生する好感度大幅アップイベントでトラウマの原因や悩んでいること、将来への不安や希望といった話がある。
腹黒王子ではあるが、いつか必ず母を殺した相手を見つけ出してやるのだと亡き母を偲び奮起する姿は心を打つものがある。
物語の王子様のような何処か現実味のない遠い存在が、目の前に存在する人間なのだと思わせるグッとくるらしいシナリオは、看護のユーザーならば知らぬわけがない常識である。
そしてそんな攻略対象者の心に寄り添って迎えたトラウマ主原因からの解放でもあるトゥルーエンドは、恋に恋して夢見るユーザーのお嬢様方には格別なのだそうですよ。
時には感涙にむせび泣く乙女もいるそうです。純粋な心をお持ちなのですね。
姦獄を知る私には感動に震える肩をそっと叩いて「負けないで、心を強く持ってね?」と虚ろな目でしか言えないです。
私のように姦獄を知っているならいざ知らず、看護しか知らない純粋さんであれば、相談さえすれば無問題だったんですよ。二つ返事で了承が返って、危険だよと知らせることで万が一の時には説明責任は果たしたと言い切れる。
たったそれだけのやりとりをしなかったから、私に攻め入る隙を与えたのだ。
詰めの甘いこと。
自発意志であるとなれば、もしもそうなるよう唆されたのだとしても最終的にはそれを決定した本人にも非がある。そうマルティナを怒らなくてはならなかったのに。
「たった一言協力を求めるだけでよろしかったはずです。もしも拒否なさったのだとしても、身の安全の保障や協力への見返りなど、利害の一致での協力関係でもよろしかった。だというのに、命の危険に曝されるマルティナ様に、貴方様は何の説明もなさらなかった」
成績優秀、薔薇の淑女と名高きマルティナ嬢であれば、この事態を自ら予測し、必要な事態だと判断して危険な役回りではあるが自ら望んだ“ だろう ”なんて、自分に都合のいい解釈による曖昧なことは言わせない。
あの時、マルティナは確かに迫り来る死と、たった一人で対峙していたのだから。
「守り切る自信があったなどということは、現状無事に済んでおります今だからこそ言えることですわ。いくら第一王子の婚約者として王妃の教養を修めていようと突発事態が起きた時、実技を修めている訳ではないマルティナ様が最善の行動を取れる保障はどこにもありません」
貴族教育と帝王学では求められる内容が異なるのだから、第一王子の婚約者となったその瞬間から次期正妃候補としての教育は行われていたはずだ。
誰よりも美しく咲き誇る淑女たれ、そんな女性らしさが必要とされている次期正妃候補。簡単な護身術すらも学んでいたかどうか。
……ああいや、あの御父上であれば本格的な体術や剣技はともかく、護身術は教えていたかもしれない。
宰相閣下ご本人が文官にあるまじき一撃を繰り出せるのだから。
まあ、それはさておき、だ。
「さらにあの日、私の知る限りマルティナ様の側に護衛の姿は一人もありませんでしたわ。護衛もなく、身を守る術もない。これで守る自信があったとは言わせませんわ」
むしろそのまま召されてください、とでも聞こえてきそうな無防備具合だったので、傍観者の立場である私の方が焦ったくらいだよ。
「最悪死に至る危険があると存じ上げておきながら、貴方様はその危険を伝えることを怠った。それも意図的に」
ぴくりと反応をした、それだけで十分な回答ですよ。
ねえ王子、あなたはこの行動によってマルティナの何を試そうとしたの?
自分のことをどれだけ想っているのかを知りたかった?それとも、別の狙いでもあったの?
「マルティナ様へ愛を語っておきながら、十分な守りも同意もなく、命の危機に曝す選択をどうしてなさったのか、私にはその意図も理由も理解出来そうにありませんわ王子殿下。そして、そのように危険なことを平然となさるような人物に、何にも代えられぬ妻を預けるなんて愚かな行為、私は一秒たりとも許す気はございませんの」
私だって悪役令嬢役が危険になるイベントと、所詮は物語の一部だと軽く見ていたのだから、偉そうなことは言えないとわかっている。
けれど、物語のイベント扱いだったとしても、主人公役を押し付けた罪悪感からくる行動だったとしても、親しい訳でもない相手に訪れるかもしれない最悪を防ごうと備えていた私と、恋愛感情を持ち得ているはずの王子との行動の差。
その不自然さは、傍観者をやめた今、見過ごす訳にはいかない。
私と誓約したことを知らぬ周囲には、マルティナは第一王子の婚約者のままだ。
おかしな噂を起こさぬ為、誓約を交わしたと公に出来る準備が整うまでの間は、夜会やパーティーといったエスコート役が必要な場でマルティナを第一王子に任せなくてはならない、なんて不愉快極まりない事態発生の可能性がないとは言えない。
だが、この世界に存在し、私ことタカネと誓約を交わしたマルティナは、ゲームの中の悪役令嬢でもなければ誰とも知らぬ転生者でもない、カタネなのだ。
マルティナがカタネであると気付いたというのに、こんな危険を冒す野郎に私の大親友を預けられる訳などないだろう。
「ですから、めでたいのですよ、王子殿下」
第一王子の肩書きを持つ故に、多種多様な悪意による危険を伴う腹黒王子に巻き込まれたり利用されたりしない婚約者の肩書きを失ったことを、めでたい以外に何と言えと?
くつりと浮かべられた口元だけの笑みは、男爵令嬢如き身分の者が王族へと浮かべていいものではない皮肉なものだろう。
反論は許さないとばかりに告げられた断罪の言葉をどう受け取ったのか、王子は一つ、息を吐いた。
「……信頼していた、と言っても駄目だろうな」
机に両腕で頬杖をつき、その上に顎を乗せた姿勢で参ったな、なんて少しも困ってはいないくせに薄らと困った笑みを浮かべた腹黒王子に蟀谷がピクリと反応しそうになった。
ついさっきは演技ではなく、ちょっとだけとはいえど萎れたというのに、現在の嘘くささが前面に押し出された大根っぷりといつの間にやらお帰りなさいしている尊大な態度、この変化の速さは一体何なのだろうか。
そして、昨日盛大に出し抜かれて無駄に高いプライドを傷つけられ悔しい思いをしただろうに、まだ私を軽んじますかそうですか。
もしもいまの私をカタネが見て聞いていたならば、青褪めた顔で例え自分に非が全くなくとも即座に謝罪してくる様子だろうな。
強制連行されて苛ついている状況にも関わらず、ご丁寧な説明まで付けてここまで言って差し上げましたのに、軽い調子で考えていますのよこの野郎は。
上等だ、王族であるが故に何をしても許されると心の何処かもしくは堂々と思っているだろうその思い上がった自尊心、いまこの場で粉砕してやろう。
きっといままで受けたことのない不遜な態度で、誰もかれもが思ったとて告げることはしなかったであろうぼやかしておきたいデリケートな物事を、容赦などない辛辣な言葉で味わわせて差し上げようではないか。
そんな邪悪な心を新たなエネルギーとして、ぎしりと握った手に力を込めながら言葉を紡ぎ出した。
「鼻で笑いますわね。いま現在まで貴方様がご自身の命を守り続けることが出来ましたのは、常に疑い続けたからでしょう。いまこの時、この状況で、この相手が、このようなことを行うのは下策だと。そんな情報に基づく可・不可判別をどれほど親しい間柄、それこそいまもこの場にいらっしゃいます将来貴方様の近衛となるでしょうリゼンデル様であったとしても適用なさる方が、どの口で信頼などとおっしゃいますの」
王とは孤独な生き物。次期王を求められている王子殿下であるあなたは、それが必要であることを嫌でもご存じでしょう。
言葉を交わし、心を交わし、相手のことを思い思われることで深まる絆ではなく、盤上の駒でも見るように最終目的の為なら手駒を失うことも仕方ない。
そんな取捨選択でしか他者と関わりを持ったことのないあなたに、無条件で信頼出来るお相手は、いますか?
「貴方様の信頼はその方個人ではなく、その方がなしてきた実績という事実への信用です。親友だから裏切らないではなく、自分を裏切るほどの利点がないから裏切らない。それは人間関係を、友情を築いている訳ではありませんわ。損得勘定をなさっているだけです。利益に傾けばどんな相手も貴方様は使うことを厭わないでしょう。そして損失へと傾けば、いままでどれほど親しくしていた相手であっても無慈悲に切り捨てることが出来るのでしょう」
そう、少なくとも同年代の少年少女へと問いかけて、王子と騎士見習いの関係が幼馴染であり親友でもあると誰もが口を揃えても、私は否と申し上げよう。
「その考え、その決断力は政を為すものとして実に正しいのでしょう。けれど、それ故に最も信頼してはならないお相手ですわ。だって、何処かで思っていらっしゃいますでしょう?傅かれるのが当然だと」
ダンッ!
と、安物であれば罅の一つも入っているかもしれない程の強さで長机を叩きつけたのは、苛烈な発言を滅多打ちされている王子ではなく、傍らに控えている騎士見習い、幼馴染であり親友であると周囲に認識されているハルベルトである。
「っ黙って聞いていれば無礼な!」
柳眉を逆立て剣呑な表情を浮かべたその様子は、立ち昇らせている怒気もあり、牙を剥いて跳びかかる寸前の肉食獣を思わせる。
向けられる視線の鋭さと殺意すらも込められていそうなその様子に、握る手になんとも嫌な汗が滲んでくる。
「お前がアランの何を知っているっ俺とアランの何を知っているつもりだ!」
剣には手をかけていないが、いつそうなってもおかしくない程に彼が激昂しているのは、王子殿下をそれだけ思っているからだ。あなたにとって王子は間違いなく親友なのだろう、ハルベルト。
ああ……なんて面倒くさいんだこの主従。
「何も存じ上げませんし今後も知るつもりはありませんわ。興味も必要もありませんもの」
「っ!!」
血気盛んな年の頃、いくら良家の子息として行儀作法に礼節を叩きこまれていようと、感情的になれば貴族も平民も所詮は人間。行動に大きな差はない。
叩きつけた手が机から浮き上がり、次の行動に移る前に声を張り上げてそれを抑止する。
「反論なさるのであればお答え頂きたいっ何故マルティナ様に何も告げなかったのかを」
私はあなたに聞いているのではないのだよ、ハルベルト。
友情など成立していないだろうと言われて激昂したハルベルトの隣で、ゆったりと構えた姿勢を変えることなく沈黙を守る王子殿下に問うているのだ。
最初の簡単に表情と感情を動かして見せたあれが演技だったのかと疑いたくなってくるほどに落ち着いた今の様子が、正直不快だよ。
カタネは私を貶されれば、言われた本人である私が言った側を気遣ってやらねばならないほど簡単に堪忍袋の緒を引き千切る。そして私もカタネを貶されれば、考える間もなく手と足が出て、口が出てまた手が出る驚くべき喧嘩っ早さである。
けれど、大親友ってそんなものではないのだろうか。誰だって大切だと思う存在を貶められて黙ってはいられないだろうから。
そして、怒ってくれたことを嬉しく思う。少なくとも私はそう思っている。カタネもそうだと思う。
でも、この腹黒王子はどうだ。こんなにもはっきりと怒りを表したハルベルトを見て、自身と王子の間に友情はあるのだと怒ってくれている姿を見て、その態度か。
違う意味での苛立ちが追加されて表面は取り繕いながらも内心で鋭く舌を打つ。
最初が演技なのか、それとも所詮男爵令嬢と舐めてかかっていたのを修正して本腰を入れて来たのか。
何を考えているのかよくわからなくなった目をゆっくりと瞬かせながら、沈黙していた王子がようやく口を開いた。
「千載一遇のチャンスだった。あれを逃せば恐らく次はない。まだ幼い弟や妹たち、私自身も場合によっては無事では済まなかっただろう。マルティナには悪いことをしたが貴族に連なる者として、国を守るために尽くしたのだと彼女自身が言っていた。本人がよしとしていることを他人がとやかく言うものではないだろう」
逆ハー達成の為に正妃になるのは御免ですと袖にしました発言をにこやかにかましたパッパラパーが国なんて大層なものの為に動いている訳がないだろう。
完全に現実の人間としてではなく物語の攻略対象者として扱われ、袖にしたことを全く後悔していないどころかすでにいない者扱いされていることに気が付いていないとは心底おめでたい。
そんな衝撃的な事実に私が君達ダメンズを哀れんだなどとは夢にも思わないだろうし、私だってそんなことになるとは思ってもみなかったよ。
ああ、それにしても残念な回答だ。やっとまともな会話をする気になったかと思ったのに、返って来たのが回答にすらなっていない回答だなんて、どうしてくれようかしら。
「つまり、王室の存続と威厳の為には婚約者を犠牲にするのも致し方ないと」
「そう言ったつもりはないんだが……」
お綺麗な面を悲しそうにしたところで、目が全く悲しそうではない。読み取り辛くはなっても演技だと見抜くことが出来るのだから、追及をやめるわけなどないですね。
ああ、しっかりしているように見えてもおめでたい頭をお持ちですものね王子殿下。残念ですわ本当に。
「貴族として国を守るために尽くした、この発言を受け入れたのであればそういうことですのよ。貴族は国に仕えるもの、それは王族である御自身へ貴族のマルティナ様が仕えるのは当然であると言っているのと同じことですわ」
だから言ったんだよ私は。
傅かれるのが当然だと思っているだろう、と。
「王族を守ることが国を守ることに繋がる。だから王族である御自身を守って死ぬのであれば、それは誉れであるのだから満足だろうと言っているも同然ですのよ」
「っ!」
視線だけで人を殺せるなら私はそろそろハルベルトに殺されているかもしれないな。
突き刺さる視線にそんなことを考えている私の不遜どころかド直球に失礼で無礼な物言いに耐えかね、再び口を開こうとしたハルベルトを王子が手で制した。
はて、何が狙いかな?
「そんなことは思っていない。マルティナは私にとって大切な女性だ、愛している。確かに危険な目に合わせてしまったが、愛する女性を失わせるような真似を意図して行ったと思われるのは心外だ」
ふぅん、言われっぱなしで流石に黙っていられなくなったかな。ちらっと目に苛立ちが見えた。
でも、それじゃあ黙っていた方がまだよかったわね。
「おっしゃっていることと実際に行われたことに大きな矛盾がありますわね。仮に危険が迫っていることを伝えなかったのは、それを知ることによってマルティナ様が予想外の行動に出てしまうことを抑止する為であったとしても、護衛の一人もつけなかった理由にはなりませんわ」
はぐらかすならいっそ直球で聞いてやろうか、腹黒王子殿下。
「一体何の目的がございましたの?」
素晴らしい鋭さの視線を維持しているハルベルトが私の問いに疑問を浮かべたのに、腹黒王子はどことなく攻撃的にも見える表情を崩さない。
「あの場には元側妃殿下の護衛として幾人かの騎士団の方がいらっしゃいました。さらに近衛騎士団長であられるリゼンデル公爵もいらっしゃいましたわ」
学園主催のパーティーとはいえ、保護者である貴族が招かれているあの場所には特権階級の貴族もいたため、騎士団から警備の人間が配備されていた。
「直接の護衛をつけることは出来なくとも、公爵閣下にご相談の上でマルティナ様を騎士団の方が近くに居る場所へと誘導することは可能でした。ですが、それすらもなさらなかった」
「アランには俺が付いているっ」
尊敬する御父上の名まで出て来ては黙っていられなかったのか、吠えるように自分が護衛として付いていたことを主張しましたが、残念ね騎士見習い殿。
「王子殿下の護衛として、ですわ。有事が起きた時、騎士見習いとして誰よりも優先しなくてはならない方はどなたでしょうか、と問われなければわかりませんか?」
「っぅ」
指摘されて返答に詰まるようなことを口に出すのはやめなさい。
余計に歯痒い思いをするのは他ならぬあなた自身だろう。
「二人とも守れる、などと口になさらなかったところは素晴らしいと思いますわよ。貴方様はマルティナ様を想っていてもご自身の誇りにかけて王子殿下をお守りする責務を果たし、例えそれ故に責められようと弁明も釈明もなさらず叱責を受けるのでしょうから」
関わりを持たないようにしていても目につくものは目につくし、耳に残るものは残るのだ。
「随分ハルを買っているんだなアンナ嬢は」
自分はボコボコに言われているのにって?言われた本人、ハルベルトも意外だったんだろう。
怒りも忘れてきょとんとしていらっしゃるもの。失礼な。
「関わりがなくとも存じ上げていることはありますのよ。私は別に茶化して騎士見習いと呼んでいる訳ではありませんのよ。尊敬する御父上のような騎士を目指し研鑚に励む姿勢と、見習いではあれど騎士たろうとする心構えは評価されて然るべきでしょう」
馬鹿が付くほど真面目な姿は本人の容姿も相まって異様なくらいに目立つんだよ。
「何より、感情的になっているとはいえ真摯な言葉を告げていらっしゃいますリゼンデル様と、表情と感情を取り繕って答えない王子殿下とでは印象も対応も異なって当然かと思われますが」
底辺がちょっと出っ張ったくらいの変化しか見られないのだがね。因みに王子殿下は絶賛抉られ中だ。
この場が解散するまでの間に何処まで地の底へと近付けるのかが楽しみですね。
「ハルのことを憎からず思っているのであれば面白いと思ったのに」
「アランッ」
ふっと笑いを浮かべて冗談を述べれば隣の真面目くんから突っ込みが入る。
おい、誰がふざけていいと言ったんだ?
演出効果での冷ややかな笑顔を作るのにもいい加減疲れてきて、無表情に睨みつける元からない愛想を更に減らした顔になった私へと、目を吊り上げて突っ込みを入れたハルベルトを無視した王子が目を鋭く細めていた。
「そもそも、最初に答えなかったのは君の方だよアンナ」
「?!」
驚いた顔をして王子を見つめるハルベルトが視界の中に確認出来るが、ちょっとフレームアウトしよう。
問題なのは、激昂したハルベルトとはまた別種の肉食獣を彷彿とさせる視線を投げつけ、何を思ったのかいきなり名前を呼び捨てて来た腹黒王子だ。
ぞわりと背を撫でた嫌な感覚に、無意識に眉を寄せていた。
「私は最初に聞いただろう?君はマルティナの何なのか、と。問われている意味がわからなかったとは言わせない。私に真摯に答えろと要求するならば、先に答えなければならないのは誰かな?」
ああ、そういうことですか。つまり貴方は最初の問いで私の反応を試し、それに応じて己の態度を軽めに決定したが、私の話が進んでくると情報を修正し直して態度の変更に出た。その結果が今現在の下手な発言取って食う様子だってことなのですね。
ようするに、最初に失敗したのは私の方だということか。やれやれ、非常に面倒くさい。
「それは失礼致しました。てっきり健忘症でも患われていらっしゃるのかと疑いましたので」
「そのいかにも取り繕った口調も結構だ。この場所は防音対策がなされている秘密を行うには適した場所だ。ここでなら第一王子ではなくアラナセルとして話すことが出来る。願ったり叶ったりだろう?」
失礼発言さらりとスルー。だが、組んだ手の甲へ顎を乗せるではなく態々変化させた今現在、片方の掌へと頬を預ける頬杖の方が態度が悪く見えるのは私だけではないと思う。
にやりと口の端を持ち上げて笑う悪どい笑みが浮かべられているのもその一端を担っているとは思うが。
「ハル、座れ。お前が俺を王子扱いしているとこの女も令嬢の被り物を脱ぐ気がない」
トントン、と指先で自身の隣の席を示して未だに立ちっぱなしのハルベルトへと着席を促すのは大変結構だが、さらりと言ってくれやがったなこの腹黒。間違ってないのが余計に腹立たしい。
指先だけでなく視線でもさっさとしろ、と告げている着席を促すというより最早命令に近い強制力を伴っている王子、いやアランの様子にハルベルトは何とも言えない微妙な顔で深々と溜息を吐き出した。
やはり君は苦労性のようだ。心中お察し致しますと哀れんで差し上げよう。
「……急に掌を返すな。俺はお前の態度の変わり様に柔軟について行けるような頭を持ってないと散々言っているだろう」
「そうか?以前よりは格段に反応が良くなったんだから慣れの問題だろう。今後に期待しておく」
「この我様王子」
「褒め言葉として受け取っておく」
はああっと吐き出される溜息にいろいろなものが集約されている気がしてならないが、このやりとりは一体何なのだろうか。見たことも聞いたこともない王子と騎士見習いの様子に私はどう反応していいのやら。
看護のユーザーやカタネならば「幼馴染の気兼ねないやりとりっ御馳走様です!!」とか興奮して眺めるのかもしれないが、私は別に攻略対象者に入れ込んでなどいないし推しキャラもいない。というか姦獄しかやっていないのにそんな存在がいたら異常者の仲間入りだ冗談ではない。私はノーマルだ。
「まったく……ベルフォード男爵令嬢」
そんな想定外の様子を目撃して思考がやや遠い世界へ旅立っていた私へと、物凄く諦めた様子で申し訳なさそうな視線を向けてきたハルベルトだったが、口を挿んで来る腹黒がいた。
「ハール、アンナだア・ン・ナ。令嬢の被り物を取ろうとしているのに男爵令嬢扱いは必要ない」
「本人の承諾もない状況で淑女を呼び捨てる気は俺にはない」
納得出来るようでしてはまずい王子の言葉に即座に応じたハルベルトの否定は全く持って正論である。
君は正しいことを述べているよハルベルト。好感が持てるよハルベルト。底辺が多少出っ張ったところで全く意味はなさないがな。
「私が呼び捨てたことに何も言わなかったのだから問題ない。そうだろう、アンナ?」
その言い方は間違いなく昨日の意趣返しですねこの野郎。
監禁への反論をせずに沈黙することは肯定であるとみなします、今回はそれを私の名を呼び捨てたことへ反論がなかったので異論はないと受け取りますってことですね。
っち、後になってケチをつける訳にもいかないではないか。それをやれば昨日の私にまでケチがつく。
ああぁーーーーっこの腹黒本っ当に面倒くさい!!
「どうぞ、お好きに」
ハルベルトのように思い切り溜息を吐きたいのを我慢して、どうにか紡ぎ出した言葉ににっこりと胡散臭い笑みを浮かべる腹黒。いらないその笑顔、悪い予感しかしない。
「因みに、“ 個 ”として対応して欲しければそちらもそれなりの呼び方で対応するように。まさか私とハルの名前を知らないとは言わないだろう?」
「……アラン」
ダナン公国第一王子、リゼンデル公爵令息ではなく、個人であるアラナセルとハルベルトと話がしたければ、敬称でも家名でもなく個人名を呼べと。
………………呼びたくねえ。
それを呼ぶことに何のお得感も感じられない。いや家を気にせず個と話せる場はこれ以上ない程においしい条件だが、その為に何かを失う気がしてならない。
「何かおかしなことを言ったか?お前個人の名はリゼンデルでも騎士見習いでもないからな」
そう、おかしくない。言っていることは非常に正しい。だからハルベルトも呆れはしても黙るしかないのだ。
ははは……もういい、本当に面倒くさい。これ以上この論争を続けていたくない。
私はさっさと学園寮に戻りたい。戻ってカタネの頬を摘むのを泣くまでやめないのだ!
はあっと溜息を一つ吐く。二種類の視線を浴びながら、諦めの言葉を心の中に掲げることを腹立たしく思いつつ口を開く。
「アラナセルにハルベルト、と呼べばいいんでしょう?どうぞ座ってください話が進まない」
「っ…ああ」
葛藤はあったが呼び捨てて来た私に驚いて目を見張ったハルベルトは、驚きはしても所作は貴族らしく丁寧に椅子を引いてアランの隣に座った。
いろいろ荒んだ心境なのでケチをつけて差し上げたいのにそつがない。非常に残念です。
「……微妙に脱げてないだろう」
「最低限度を維持しないと暴言しか出て来ないんですよ。そんなに耳を汚したいんですかあなたは」
本人からよしと言われているとはいえ、いきなり昔ながらのお友達みたいな砕けた口調で話せる訳がないだろうが阿呆。
「ふぅん……まあ、十分面白いからよしとするか」
ねえ誰か太くて硬くてそれなりに長い棒を私にくださらないかしら?鈍器として使用したいの。
「さあ、それじゃあ仕切り直しと行こうかアンナ。君はマルティナの何だ?」