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話し合いと参りましょう

晴れ渡る空の青が異常に眩しい。煌びやかな調度品がない自然の色が目に優しい。

ああ、学園に戻って来れた。本当に良かった。もう終わったかと思った。

この場所はこの場所で無理難題が積まれているのだが、それでも予想もしていなかった展開に続け様に強制遭遇させられたいまの私にとっては、解放感に満ち溢れていた。


「やあ、お帰りアンナ嬢。待ちわびたよ」


例え学園の門扉を潜った先に良家の御令嬢方を陶然とさせる甘い笑みを顔面に張り付けている王子様と怫然(ふつぜん)とした面持ちの騎士見習いが待ち構えていたとしても。


ええ、所詮子供レベルですからね。正真正銘の魑魅魍魎を見て来たばかりの私の目には可愛らしいものですよあはははは。


「これはこれはご機嫌麗しゅう存じます。王子殿下に騎士見習い様」


まったくもって麗しくなどないが、こんな人目につく場所で喧嘩腰応対するには最もふさわしくない相手である王族と公爵令息コンビだ。それ故やや態度悪い調子でにこやかに令嬢応対して差し上げましょう。

勿論、最低限の応対だがな。


「高貴な身分の御二方が取るに足らぬ石くれ如きに一体何用でございましょうか?」


学園内で最も高い身分の特権階級が、最底辺扱いである平民上がりの男爵令嬢に一体何の用だよこの野郎共、と言い換えても可だ。


「っ」


左目にある泣き黒子が端麗な容姿をより妖艶に見せるとお嬢様方に大変評判高い御顔をお持ちの騎士見習い殿は、挑発的な笑みを口元に浮かべて冷たく見返す私の態度に苛立ったのか、そのお綺麗な御顔を歪ませている。

はっはっは、嫌ってくれて結構だ。まともじゃない嗜好がある限りお近づきにはなりたくないからな。本当ならこうして会話していることすら御免(こうむ)りたい。


「取るに足らぬ石くれ、とは随分ひどい言い様だね。稀にみる治癒適性と高い魔力を兼ね備えた治療師の最高峰、白百合の称号に近しい令嬢にはふさわしくない言葉だ」


「……御戯れを」


流石に幼い頃から王宮で生き延びてきただけあるか。この程度じゃ表情一つ変えないばかりか他の耳があれば横柄な態度を取った私は睨まれて、窘めた王子は寛大だとかで好感度が上がる仕組みですね。あー嫌だ。


というか、知る訳はないだろうが白百合表現は勘弁願いたい。

『看護の白百合』の題名は治癒魔法を極めた治療師に与えられる最高位の称号としてゲーム内で用いられている。お陰で授業とかでよく耳にするのだが、その度に反応してしまう実に嫌な単語だ。

ええ、『姦獄の白百合』をもれなく思い出すからですよ。予備知識なしで救いなんて一切ない鬼畜なエロゲーをプレイする羽目になった私のトラウマ案件だ。

偶に(うな)されるよ。


態度の悪い笑みを貼り付けてはいるが、その表情を揺らせたことに少しばかり満足頂けたのか、同じく貼り付け笑顔を浮かべていた王子の目にほんの少し喜色が混じったのに内心で思い切り舌打つ。

何だろうかこの争っている訳でもないのに負けた気分にさせられるのは。

地味に腹が立つ。


「私、外出先から戻ったばかりで少々疲れておりますの。御用がないのであれば失礼させて頂きますわ」


用があっても立ち去りますけれどね。疲れているのは本当だもの。午前中のあれこれで精神力と気力はごっそりと消失させられたというのに、その上こんな面倒な奴の相手なんてしたくない。

出がけに心配してくれていたカタネとリズリットには報告も兼ねて会いに行くが、それが終わったら小休止でも入れようそうしよう。


昼からの予定を脳内会議により決定し終えたのだから、面倒事の予感しかしない彼らからは一秒でも早く離れてしまうべきであると結論が出ている行動には迷いがない。

礼を取ってさっさと通り過ぎようとした私の態度は不遜と取られるかもしれないが、約束もなくこちらの都合も聞かず、勝手に待ち伏せて話しかけてきた相手にどうして合わせてやらなければならないのか。

後々には嫌でも話し合う時間を取る必要は出て来るが、それはいまこの瞬間でなければいけない訳ではない。

故に速やかに立ち去る。それだけだ。


「用ならある。止まれ」


「っぅ」


なのに、すれ違いざまに伸ばされた手がそれを阻んだ。

反射的に逃れようとしたが、流石に御父上のような立派な騎士を目指しているだけあって真面目に鍛えている騎士見習い殿を相手に、注意を払っていなかった反射の行動で逃れることは敵わなかった。

人目のあるところで力技には出ないだろうと思っていたが、認識が甘かったか。

すれ違いざまであれば手を取る動作くらい体の影に隠してしまえるのだから人の目を誤魔化すなど容易いことだ。それに気付くのが遅れたのは私の落ち度だ。


だから左手首を掴まれて逃走防止されたこの状況は仕方ないと妥協してやろう。

だがな、ギチリと骨が軋むのを感じられるほど強い力で淑女の手を取る騎士見習いってのはどうなんだこの野郎。

想定外の痛みを与えられては流石に表情を取り繕えず、顔が歪む。


「人目につくのは互いに困るだろうベルフォード男爵令嬢。おとなしくついて来るんだ」


声を潜めるからって勝手に人様の耳元に顔を寄せて囁くなセクハラ騎士っ。

御令嬢方にこれまた好評、魅惑の低音ボイスでの脅し文句が姦獄の碌でもない台詞を思い出させて寒気がすると同時に吐息がかかってくすぐったいわ!


「わ、かりましたからっ手をお放し、くださいますか。淑、女に対する力加減が、なっていませんっわよ」


嫌な予感しかしないからついて行くのなんて真っ平御免だが、ギリギリと締め上げられて悲痛な叫びをあげている左手首を犠牲には出来ない。

仕方なくこれにも妥協して差し上げるのだから早く解放しろと痛みに顔を歪めながら、顔を寄せられた所為で近い位置にある見目だけはよろしい騎士見習い殿を睨みつける。


「…………」


な・の・にっ、何を驚いた目で見下ろしてくれてるんだこいつは。

っていうかさらに力込めるなっ折れる!


「っくぅ、リゼンデル様…っ……はな、してっ」


「っ」


掴まれた指先に爪をかけて無駄だと知りつつ外そうとしながら、ほぼ呻くようにして皮肉った敬称ではなく、一応ちゃんとした名前を呼んで訴える。

これ以上は本当に折れると魔法による実力行使を決断しかけたところで、はっと我に返ってようやく力を緩めてくれた騎士見習い、ハルベルト・ニケイエ・リゼンデル公爵令息殿。


「いっつ…ぅ」


「ぁ、すまない、大丈じょ」


不愉快そうに眉を寄せられている御顔も素敵、だなんて理解不能なことをのたまう御令嬢方が求めるそれ以外の表情、しまったと読み取れる表情を浮かべたハルベルトに私がときめく要素は皆無どころか絶無だ。

ズキンズキンと鈍く断続的な痛みを訴える左手首は未だにハルベルトの手の内にあり、それに私が怒りを覚えるのは必然だろう。

ギッと生理的なものでやや滲んではいるが、きつく睨み据える私に紡いでいた言葉が途切れる。


「っ私は、力を緩めて欲しいのではなく、放して欲しいと申し上げました。一度応じたことを反故にするようなことは致しません。故に、逃げ出すかもしれないと思ってこの手を捕らえているのであれば不要です。即刻お放し頂きたいっ」


決して周囲の目を集めてしまうような声を荒げることはせず、怒りで低く唸る声音ではあるがゆっくりと、一応公爵令息に対して失礼にはならない程度の言葉で丁寧に訴えたつもりだ。

流石に力を込め過ぎていたことを理解したのか、今度こそ力を緩めるのではなく手を放そうとしていたハルベルトへと言葉が落ちる。


「ハル、放すな」


「っな!」


それも、命令系という性質の悪い言い放ち方をした王子殿下の。

お陰で締め上げられはしていないが、隙間なくぴたりと痛みに嘆く我が左手首はハルベルトの手に再び捕らわれることとなった。

おっのれどういうつもりだこの外道王子めっ。人が痛みに悶えていたのをただただ傍観しておいて、いざ解放を求めたら駄目だとか喧嘩売ってんだろうこの野郎!


痛めつけられた相手に手を取られたままという大変気分のよろしくない状態から逃れられるとほっとしたところへ無情な発言。

驚き見上げた王子様は、実に楽しそうに微笑んでいらっしゃって性根の悪さが滲み出ていた。

勘弁してくれ。


「アラン」


運がいいのか悪いのか、誰も通りかからないから私に救いの手を伸ばしてくれる味方はいないと思っていたが、演技でも何でもない痛みの訴えに思うところがあったらしい。

ばつが悪そうにやや眉尻を下げたハルベルトが仕える主であり友人でもある王子殿下、アラナセル・クレイ・レストルゾォ・ダナン第一王子を限られた一部しか呼ぶことが許されていない愛称で呼ぶ。

しかし、微笑みを湛えた王子様は申し訳なさそうなハルベルトの態度を意図して介さない。


「アンナ嬢には前科がある。昨日、まだ話は終わっていないのに、魔力を感じた、マルティナの声がしたと何があったのかを心配して訊ねてきた皆へ事情説明をしている私たちを置いていなくなった、ね」


「都合のよろしい誤魔化しの間違いでしょうがお疲れ様でご愁傷様です」


厭味ったらしい含みを持たせた言い様に黙っている気はない。

というかこの状況にいい加減カチンときているのだよわたくしは。


「ほらね。おとなしく出来ないお転婆さんにはエスコートが必要だ」


誰がお転婆だ。鈍痛訴える手首を掴んだこの状態の何処がエスコートだ。寝言は寝て言え、そしてそのまま私の前に姿を現すな腹黒王子。

見て見給え、意外なことに君の騎士見習い君は小さいが息を吐くことでこれはおかしいことだと訴えているぞ。ご主人様の命令があるから放しはしないがな。


「行くぞ、ハル」


「ああ」


油断からの仕方なしでも一応ついて行ってやると応じてやったのにこの始末。

腹が立つと無言で怒りに震えた私に近付いたかと思えば、にやりと世の大多数が思い描く王子様には似つかわしくない悪どい笑みを浮かべたこの野郎は、ハルベルト同様顔を寄せて耳元に囁いてくれやがった。

何なんだお前ら主従は!


「そう何度も逃がす訳がないだろう?いらぬ噂を立てたくないなら、いまの内に従うべきだよアンナ嬢」


くすっと笑いながら歩き出した腹黒外道王子の背を睨み、またも姦獄を思い出させる碌でもないお声を披露してくださりやがったことへの叫ぶに叫べぬ苛立ちでプルプルと震える。

この怒りを何処の何で発散するべきか。

いまなら吐き出す息がぷしゅーっと蒸気に変わっている気がする。


腹立たしいが腹黒王子の言うことは尤もだ。こんな目立ちすぎる人物と共にいる姿を目撃されでもすれば、翌日から妬んで嫉むことには全力を注ぎこめる集中力の無駄遣いが御上手なお嬢様方に何をされるか分かったものではない。加減を知らない世間知らず共は限度も知らないのだ。

あの手の類はこちらが上手く捌けば捌く程に熱を上げて、厄介なことに手を出してはいけない方向へと爆走する。騒動は勘弁願いたい被害者である私の方での微調整が大変なんでございますよ。


「?」


仕方なしに吐き出すわけにはいかないものを必死に飲み下していたら、隙間なく握り込まれていた手首から熱が離れて掌を掬い上げられた。

何事?なんて必要もないのにいつまでも近い距離を維持されたままの頭一つは余裕で上にある美貌を見上げれば、こちらを見下ろす目と目がお見合い……しなかった。


「んっ」


つぅっと解放された左手首を羽根でなぞるように指先で触れられて、鈍い痛みと別に与えられたくすぐったさに手を引く。……掬い上げられた左手をぎゅっと握られて回収失敗しましたが何か?


ってか、何してますのか騎士見習い殿。解放してくれたのは助かるが、王子に放すなと言われた手首をあっさり放して、私の目線の高さまで左手を持ち上げて一体何がしたい。

見事なまでにくっきりはっきり我が手首を余裕で一周している君の大きな手形が、痛々しくも赤く浮かび上がって可哀想な様子になっている自分で言うのは何だが華奢な左手首を眺めて罪悪感でも感じておいで……か。


「すまない」


下がった眉尻と寄せられた眉根、秀麗な面持ちは戸惑いと共に後悔を浮かべる。

吐息を零すようにか細くも聞こえた魅惑の低音には、確かな詫びが含まれていた。


「後で手当てをする。いまは共に来てくれ」


一度目を伏せ、感情に一区切りでもつけたのか、令嬢方が黄色い声をあげる平常運行へ表情を戻したハルベルト。愛想がいいとはとても言えない仏頂面の何がいいのか正直わからない。

顔の造りは綺麗だとは思うが、それだけだ。


「はぁ、左様でございますか」


取りあえず、本当に申し訳なく思っていた様子なので、

「平民上がりの男爵令嬢とはいえど、仮にも淑女に対して手荒い扱いをなさるのが騎士の教訓にあるのですね」

と皮肉ってやろうかと思って口を開きかけていたのだが、やめてあげよう。

身分に関係なく謝罪を口に出来て、反省もしている相手に塩をぶん投げるほど私は狭量ではない。


何より、きっと振り解こうとすればぎゅっと握られるだろうけれど、壊れ物を取り扱うような力加減で手を引き正しくエスコートしているハルベルトは、あの腹黒のような非常識さはないご様子だ。

……一部救いようのないレベルで非常識だが、いまは目を背けておこう。どうせ私に向けられることはない代物だ。そういう嗜好がある、という事実だけを忘れていなければ現状ではなんの問題もない。


「こちらだ」


すいっと手を引いて、本当にエスコートを開始したハルベルトに気付かれないよう心の中で深々と溜息を吐く。逃げられないならおとなしくしておこう。

甚振られて悦ぶ趣味はないのでね。




人目を憚りたいのは私ばかりではない。元々今日は学園の卒業という行事的にも立派なイベントであったことの反動なのか、学園内には人の気配が極端に少ない。

ええ、学園寮でも寮内の個室も完備してあるサロンでもなく、態々学園へと連れてこられた。


学園と学園寮は同じ敷地内にあり、徒歩で移動出来る範囲内にある。別に場所については人目を気にしなくていいなら何処だって構わな……いや、流石にこの二人の特権階級仕様の寮室は嫌だ。

誓約があるから私を害するような馬鹿な真似はしないとは思うが、魔法使い殿が言ったように閉じ込めてしまうことは可能なのだから。


間接的にもたらされる害については何処まで誓約が反応するのかは試してみなければ私もわからない。

私を完全にカタネから切り離しての監禁、であれば二人を別つことで罰は生じるだろうが……。

例えば互いの姿が確認出来る、触れ合えることが可能な距離感で監禁されたら、結果はどうなるのかわからない。それこそ神のみぞ知る、だ。


万が一逃げる必要が出て来たとき、ハルベルトがいれば身体能力で劣る私に勝ち目はなく、仮に王子だけであったとしてもマルティナがリズリットを伴っていたように当然控えの部屋に執事がいるはずだ。

二対一は分が悪いし、王子一人だとしても力づくなんて状態になれば、そこまで鍛えきれていない私が男に敵う訳はない。


また当然のように魔法は使えない。防御魔法で引き籠っても誰の助けもないのだから自分から囚われに行っているようなものだ。

攻撃なんて当てていなくても攻撃の意志があったとみなされ、堂々と捕縛出来る理由を与えてしまうことになるので絶対になしだ。

まあ、場所が何処であっても計画的にいろいろ仕込めば変わりはしないのだが。


ああ、折角の快晴が心境の所為でどんよりだ。明らかに昨日の話をするだろうことへの面倒くささもあるが、短くはない学園寮から学園への道中ずぅーーーっと、ハルベルトに手を引かれてのエスコート状態だったのが堪えている。

何が楽しくて全力で避けて通ってきたこれからも関わりたくない相手に、いまどき小学生ですらやっているのかどうか怪しいお手々繋いで学校へ~、を強制されなくてはならないのか。

振り解けないから我慢するしかありませんでしたよ畜生。


案内されたのは私も利用したことのある勉強用の個室。……鍵がかかって場所が人気のないところにあるのでどうしてか使用頻度は高いのですって。一体何に使われているのかしらねおほほほほ。

室内に通されてようやく手を放して貰えたその背後でガチャリと嫌な音が聞こえたのだけは覚えておく。

自然と室内の様子を眺めたのは我が身が可愛いからですよ。

元々室内に常備されている防音用の魔法が静かに作動しているのがわかって溜息を吐いた。


「こちらの席へどうぞ、レディ」


何がレディだ腹黒め。勉強用の室内環境なのでソファやローテーブルの応接セットなどではなく、あるのは図書館などでよく見られる多人数用の大きな机とそれに対応する数の椅子。

そして自分はさっさと椅子に腰を下ろして、自分の対面側へと座れと促してきている。

恐らくハルベルトは椅子に座ることなくこの腹黒の傍らに控え続けるのだろう。

友人の関係があろうとも、いまは何をしでかすかもわからない私が同じ室内にいるのだから警戒するのは当然のことだ。

受けたことはないが、警察の尋問が光景的には似ているのではないかと思えてくる。

突っ立っていても何も変わらないし時間ばかりが奪われていくので、諦めて席に着こうとして踏み出した足へ停止の命令を出す。否、出さざるをえなかった。


「アラン、ちょっと待ってくれないか?」


又も手を取られて停止をかけられたので何ですかと睨んでやろうとしたのに、ハルベルトの視線の先にはきょとんと驚きに目を瞬かせている腹黒がいて私は眼中外。

ねえ、騎士見習い殿って女性不信で言い寄って来るような女にはとびきり辛辣なのではなかったのかな。

私の情報は間違えているのだろうか。いや別に私は言い寄っている訳でもないし言い寄るなんて死にたくないので御免蒙るが。


「……ハルが自分から女の手を取るなんて珍しいな。天変地異でも起こるのか?」


にぃっと意地の悪い笑みの形に口角を上げ、お行儀悪く頬杖なんてついてハルベルトを長机から見上げている腹黒の口調と態度の変化に気が遠くなりそうである。

防音仕様だからか?使用予定がなかったからなのかしっかりとカーテンで遮られた窓故に人の目を心配しなくていいからか?


この俺様何様腹黒外道王子様、いい子ちゃんで人々が求める理想の王子様の被り物をあっさり脱ぎ捨てやがりましたわよ。最悪だ。声の調子まで通常より低くなるこの状態は看護では見られない姦獄仕様です。

冗談きついわ。

気を抜くと碌でもないあれやこれやが脳内に再生されそうで生まれたての小鹿ちゃん並みにぷるぷる震えられそうです。


なんて目線の高さに左手を取られたまま無言で現実から逃避している私の様子には気が付かず、からかう王子の言葉に眉を寄せて不快そうな表情を浮かべたハルベルト。


「怪我をさせたと知って放置は出来ないだろう。この程度で天変地異など起きて堪るか」


ハルベルトまで口調が砕けているのは話している相手が気が置けない王子だからだよそうに違いないんだよ私は一切関係ない。空気だ空気。


「怪我ねえ……触り慣れない女の手なんか掴んだから力加減を間違えただけだろう。肌の表面に赤く色が付いただけで筋を痛めてもいない、骨を砕いた訳でもない。怪我なんてものじゃないだろうその程度。手当てなんかいらない」


さらりと問題発言だよこの王子様。筋を痛めていなくても骨折していなくても肌の色が変色しているのは、それだけの力がかけられたということ。そんな変化があれば痛みは当然の如く発生し、痛みを伴う事実があれば怪我に相当しない訳がない。

そもそもここまでくっきり手形とわかるほどに変色しているのは内出血起こしているからだよ。

当分消えないわよこの痕。こんな目につきやすい場所に何事かと怪しまれる手形なんてつけてくれやがってどうしてくれるんだこの野郎と罵っていいならとっくに罵っている。


呆れて取り合いもしない様子で王子がのたまっているということがまず癪に障るし、本来ならこの問題発言に教育的指導が必要になると思う。

が、手当てなんかどうでもよくさっさとこの状況から解放されて学園寮へと戻りたい私としては、悲しいかな王子の手当て不要発言は都合がいいので黙っておくことにする。

こんな内容で二人の会話に割って入るのなんて御免です。可能ならばいますぐに退室して走り去りたい。

女性不信の癖に中途半端に誠意を見せての手当てなんていらないから私の手を放せ騎士見習い。


「はっきりと手形が残っているんだから全くないとは言えないだろう。……想像以上に細かったんだ」


ぽつりと零された発言も聞こえてないない。私は空気。溶けて消えたい。

ポツリの言葉が看護で聞ける台詞だったようなとか思ってもいないし私はその詳細を知らない。知らないと言ったら知らない。

ふうと息を吐く音は王子からで、その表情はどうでもいいといったものだ。

是非とも私がこの場にいることになった原因に対してその感情を向けて欲しい。

喜んで退散する。


「まったく……好きにしろ。自分へ治癒魔法をかけさせるもよし、律儀に手当てしてやるもよし。ハルの好みでやり給え」


ひらひらとやる気も興味もなくさっさとしろという言葉が透けて見える態度に、隣からはあと控えめな溜息が聞こえた。

理想の王子様の外面を脱ぎ捨てた腹黒王子の友人をやっている騎士見習い、実は苦労性なのかもしれない。

まあそんなことは私には全く関係ないことなので、是非とも私とカタネに関わりのないところで勝手に苦労していてくれ。


目の前で展開されている所謂幼馴染共のやり取りを心底どうでもいいと思いながら一応視界に入れて行動を注視していれば、私の手を取っていないもう一方の手をハルベルトが持ち上げていた。

視線だけで追った手は胸ポケットのハンカチーフを取り、しゅるりと衣擦れの音を耳に届けた。

滑らかな生地同士が立てる音ですねとか瞬間的に思ったのは現実逃避かもしれない。


「これ以上時間を取ると機嫌を損ねる。すまない、いまはこれで許して欲しい」


そう小声で告げながら、予想通りの肌触りの良さと光沢から上質の絹とわかるハンカチーフで我が左手首につけられた手形を隠すハルベルト。


「これで結構です。後は自分で対処出来ますので……手当てをありがとうございます」


原因は貴方様ですけれどね、と思いつつ、一応申し訳ないと思い手当てをしてくれたその気持ちと行動には感謝を述べておく。って、何をきょとん顔して驚いているのかしらコイツ。


「何か?」


「ぁ……いや……」


もごもごと歯切れ悪くしていたが、結局何も言わずに視線を外すハルベルトに、言いたいことがあるならはっきり言いなさいという言葉が喉まで出かけたが飲み込む。

さっさと本題を済ませておさらばしたいのだから重要性がないなら無視する。


「ハール、終わったなら連れて来い」


トントンと机を叩いて催促。我が儘という単語を付け足してやろう俺様王子。


「わかった。こっちへ」


あーあー我が儘王子の所為でまたもエスコートかよ。余計なことを。

ちっと舌打ちをしそうになるのを押さえながら、どういう訳か椅子まで引いて座らせるところまでやってくださった公爵令息。

エスコートとしては正しいかもしれないが、それをここで披露して一体何になるのだハルベルト。

私には騎士見習い殿の思考が何処へと向いているのかわからないよ。わかる必要もないけれど。


「さてと」


私が対面位置に座り、予想通りハルベルトが傍らに立ち控えてから王子は切り出した。

いま私の目の前にいるのは、物語の王子様が本から抜け出してきたかのような錯覚に陥る容姿をお持ちのリアルな王子様。

恋に恋して夢見るお嬢様方ならば、向けられる麗しの表情に頬を薔薇色に染めてうっとりとなれるのだろうが、生憎私にそんな可愛らしい感覚はこれっぽちもない。

にこりと向けられた笑顔に思うのは、実に胡散臭いなんて顰蹙(ひんしゅく)ものの言葉である。


「いろいろ聞きたいことと言いたいことがある訳なんだが、まずはこれからにしようか」


表情だけはにこやかに、けれどその目は笑うことをしない。交わされる会話の中で返すだろう私の反応を見落とさぬように窺っているのだろうとわかる。恐らく施政者の立場にあれば自然に身につくのだろう。

感情を読み取らせにくい表情と自分の方が上なのだと本能へと訴えるような威圧感。

本来なら無意識に身を竦ませて問われること全てに答えなければならないと錯覚させることが出来るのだろうが、午前中に味わってきた格上に比べれば、だ。

冷静に勿体ぶらずにさっさと用件を言えよと思っている私など知らない王子がようやく話を始めてくれた。


「君は一体マルティナの何なのかな?」

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― 新着の感想 ―
読んでると凄く物語に入りこんでしまって、その時々の自身の感情に合った表情をしてしまったり声が思わず出てしまいますね… 主人公…タカネちゃんはもしかして看護等の医療に元々精通していたのでしょうか?でなけ…
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