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交渉と参りましょう

ふるりと触れて捕らえる手が震える。

驚きに信じたくないと見開かれた目が瞬きの後、猛禽類も真っ青な鋭いものへと激変して流石の私も怯んで震えて身が跳ねた。


「どういうことかしら、カーディス侯爵子息ケルファン・ツェラ・カーディス様」





完全に目が据わってイっちゃっているカタネの様子は切ってはならない袋の紐をぶちりと切っていないかと問わなくてもわかる悲しいもの。

非常にまずい。ただでさえ面倒くさいものがこじれて捩れてぶん投げたくなる予感しかしない。


「わたくしの(つがい)に触れるだけでなく醜い痕をつける愚かな真似をなさったのは、貴方様なのかしら?」


ヤバ過ぎる目つきで口角を上げるどう考えてもアウトな笑顔は最早魔王の領域である。お馬鹿さんでも駄犬でもない進化はやめて欲しい。戻ってこいカタネ。


「冗談だろ。興味対象を解明もしていないのに壊すような馬鹿な真似を俺がする訳ないだろう」


控えめに言ってもおっそろしい形相の般若であるカタネによくもまあ常と変らぬ無関心さで問題しかない発言を吐き出せるものだなこの男。違う意味で恐ろしくて寒心する。その面の皮の厚みが知りたいわ。


「貴方でないのであれば他の誰だとおっしゃるのかしら。否定をなさるのなら疑いようのない証拠を添えなさい」


ああああああ。こっちはこっちで逆鱗を剥いで塩をすり込み火で炙って醤油をかけられたかのような状態で手に負えない。触らぬ神になんとやらと言って逃げ出してしまいたいがそれを私がやったらいろいろ終わる。物理的にも精神的にも。


「ハルだ。アンナのポケットに治療代わりに巻いていたハンカチーフが入ってる」


人が雁皮紙(がんぴし)並みに薄っぺらい危険回避をしようとしているところにド直球の死球をぶん投げやがって魔法使いこの野郎!いまのカタネは仕事人が必殺しちゃうアレでソレな危険物なのになんてことをしてくれたんだよっ責任とって殺られてよ!


「ハルベルト様?自発的に女性に触れることなどないあの方が…………あぁ、アラン様ですか」


何を言っているんだと疑ったのは一瞬で、すぐさま答えにたどり着いたカタネが吐いた息は細くゆるく煙るように揺らいで解けて……、


「あの俺様何様我が儘王子様、調子に乗るにも程がありますわね。どうしてくれようかしら?」


瞬間冷却。鋭い氷柱に生まれ変わる吐息が極寒を感じさせるのに、浮かべる表情は蕩ける笑顔。熱を浮かせ艶めき放たれた声音は甘さすらも匂わせるのに中身はよくよく聞かなくても不穏な内容。見つめれば後悔するしかないであろう両の目に爛々と輝いているのは地獄の業火もかくやと言わんばかりの感情である。


それは大なり小なり誰もが持ち得る感情で、人を狂わす欲である七つの大罪と呼ばれる存在が頭の端を掠めていくのだが、恐れるどころかそれがどうしたのと言われそうな気しかしない艶然と輝き煌くカタネの笑顔に込められた碌でもない本気を察知した私の不幸を誰か労われ。いまのカタネなら歓喜と悦楽の笑みを浮かべて国の未来を背負いこむ第一王子の首を断頭台送りにした上で生と死を狭間で留める蜘蛛の糸たる荒縄を自ら手斧でぶった切る。


そんな凶行を嬉々として執り行うだろう悪役令嬢から魔王にジョブチェンジしそうなお馬鹿さんを止められるのは、世界でたった一人の私だけという泣くに泣けないこの愉快で憐れな事実をどうぞ御笑覧あれ。何が哀しくて救いたくもないこの野郎様の命の危機を救わなければならないのやらと鉛並みに重い溜息が出るわ。

それでもやらなきゃいけないこともあると諦めの心で口を開く。


「カタネ」


「大丈夫だよタカネちゃん。いまの私は、沈着冷静、冷酷無比の殺戮人形(キリングドール)。ご主人様に危害を加えるありとあらゆる全てに血の雨を。を実行できる良い子だよ」


あ、これアカンやつ。

何故か関西弁で浮かんだそれに何処からともなく脳内に響くちーんというお決まりのご愁傷様音。聞こえるとよろしくない残響を聞きながら、思い出されるのは今の台詞を吐くキャラがいる乙女ゲー。むしろ何でこれ乙女ゲーと突っ込み入れた後ろ暗い設定持ちのキャラが浮かべる背筋震えるゾクッと笑顔が脳裏を過る。

誰がそんなものを再現しろと言った。


「良い子じゃないわよっ落ち着きなさいバカタネ!どこぞのご主人様至上主義の台詞が出て来る茶目っ気は残ってるみたいだけどそこに思考能力使ってんじゃないわよ!倫理と道徳の観念は何処に行ったのっ?」


「罪人咎人サクッとギルティ、あなたの街の便利屋さん、掃除人(スイーパー)のモットーはどんな時でも笑顔で手早く美しく」


語尾に星とかハートが付いてくる女子高生のノリなのに、紅く濡れた刃物を手の内でメトロノームよろしくゆらゆらと揺らしながら、歌うようにして紡がれるその台詞。笑わない目のおまけ付き、表情筋だけで作った笑顔を向けてくれる便利屋と書いて殺し屋と読むキャラの台詞を引用して何それと言いたいらしい間違えたところになけなしの理性を設置している残念を止めるボタンをください。直ちに。

狂気を再現した笑顔で別の異常まで再現して欲しい訳じゃない!


「別のキャラで表現しろとも言ってないわよっ。私は落ち着けと言ってるの!なんでそんなに物騒一択なのよっ」


私の手首に手形をつけたハルベルトが有罪無罪のどちらに放り込まれているのか定かじゃないし正直どっちでも良かったりするのだが、少なくとも原因になった諸悪の根源である王子は絶対の有罪でサクッとギルティしなければ気が済まないらしい。王子の有罪確定に異論はないが相手は腐っても王子、サクッと殺ったら問題しかないだろう。落ち着いて私の話を聞け、そして誤魔化されろ。

なんて思っているのがいけないのか、狂気を漂わせる笑みが消えて真顔になったカタネに真っ直ぐ見つめられる。


「駄目なの?」


狂気の笑顔も恐いが、真顔の疑問も恐いものである。美人であるならなおのこと。

そこに無垢な子供みたいに何故何どうしての問答よ。ホラー映画見るより余程背中に嫌なものが這い回ってくれるわ。答える方が圧倒的な苦行を味わうことになるが、一問一答の会話を行ってくれる気はあるみたいである。が、……さあ、どうしたものかしら。宥めすかして誤魔化したい議題がシビアで不本意だわ。


慎重に取られていた左手はいつのまにやら離してなるものかの意図しか見えない指を絡める恋人繋ぎ、制服の袖を引き下げた手は第二の手形を腕に作成してくれそうな様子で力加減微量な圧迫具合。私は一体何と戦っているのだろうか。癒しは何処へ消えた。


「流石に第一王子相手はまずいと思うぞ。やめておけ」


「どうしてそこで会話に割って入ろうなんて思ったんだ魔法使い」


誰の所為でこんな空気になったと思ってんだ。さっき黙ってたなら今も黙ってろよこの野郎。

溜息を吐きたくて堪らないところにぶちこまれた抑止にならない無駄発言、壊滅的に空気を読む気がないのか読めないのかわからないその真顔を殴りたい。


この一触即発なピリピリした空気がわからないならお前の生存本能役立たずだと言ってやりたくなる場面で思わず突っ込みを入れた私にきょとん顔で首を傾げるな。

危機感という言葉の意味を知っているか?ないなら調べろ辞書を引け。そして風のように消えてくれ頼むから。


そんな私のささやかだけど切実な願いが叶うことがないことはわかっている。

だって魔法使い殿の開いたお口が私の突っ込みへの返答を紡ぎ始めていますもの。

外に出した言葉を回収は出来ないのだから諦めて聞くしかないと耳を傾ける。


「誓約魔法は知っての通り一蓮托生だ。マルティナが害されてもアンナが害されても双方に害が及ぶ、どちらも無事では済まない。マルティナもあんたも無事でいて貰わなければ俺が困る。無謀だとわかり切っていることに忠言を挟むくらいはするだろう」


まともなことを言うかと思えば「俺が困る」の俺様理論かよ。一瞬の感心を返せ。

呆れの脱力と共に溜息が漏れそうになるのだが、俺様理論は疑問に解を返された私だけではなく、忠言をぶつけたい相手へ当然向かった。私と話していたのに水を差され、会話をぶった切られて真顔で疑問が不快な睨みに変化しているカタネへと。


「番を傷つけられたと謝罪を要求することは可能かもしれないが、それ以上は無理だ。諦めろ。過ぎた要求は身を滅ぼす」


非常に簡潔で妥当な意見だが、室内の酸素を使い切って一時的に鎮火したように見える密室火災現場の窓を叩き割るバックドラフト待ったなしの恐ろしい所業に私の意識は遠くなりたかった。なれなかったのは手と腕にかかった力の所為である。

口にすると違うものが悪化するから言わないけれど、ちょっと痛かったわよ。


「謝罪が何をしてくださるとおっしゃいますの?傷を癒してくれますの?醜い痕を消してくださいますの?そんなものが犯した罪を贖ってくれるとでもおっしゃるのかしら」


くつりと相手を蔑み嗤う悪役の見本みたいな笑みを浮かべるカタネの抑揚のない声音が恐すぎる。視線だけで呪い殺されそうなドロドロした何かが見える目を向けられて平然としている魔法使い殿、すごいな。全然まったくこれっぽっちも羨ましくないが。


ハッとよく見て聞くわかりやすいものではないが、聞こえたそれには嘲り笑うがしっかり含まれている。だから鼻で笑うと表現するカタネの様子に私の眉間は皺を作るのをやめられない。


「なんの役にも立たないそれで溜飲を下げろだなんて愚かなことをわたくしにおっしゃるつもりですか?」


くすり、なんて音だけならやさしく微笑んでいるように聞こえたそれは最後通牒と言ってもいい代物。

次の瞬間相見えるのは、命を刈り取る死神の鎌に手をかけた真顔の激昂である。


「痴れ者が、部外者は黙って消え去りなさい」


命惜しくば立ち去れと言って貰えるのが慈悲だと思われるそれに、欠片の興味も示さぬ馬鹿がいた。


「一時の激情に突き動かされて下策に走る己こそが痴れ者だ。その愚行に振り回された挙句、巻き添えを食って儚く散らされる番の諌めも耳に入らないのか馬鹿者め。心中する為に誓約したのでないならば頭を冷やせ、人の話を聞け。薔薇の淑女が聞いて呆れるぞ見苦しい」


種火に油、燃え盛る焔には灯油とガソリンのハイブリッドをプレゼントってか。

それはそれは大変よろしく燃え上がりますことでしょうとも。えぇえぇ燃え盛った挙句に爆発するだろうそれを待たずに続け様の爆撃とか何も考えてないのか大馬鹿野郎!


ああ、何なんだこの空気は。バッチバチと燃え盛っているのに同時に肌を突き刺し凍てついてもいるこの相反しているのに共通する一触即発なご遠慮願いたい空気は一体全体何なんだ畜生。流して袖にされる以前の甘くて酸っぱいかもしれなかった攻略者と攻略対象者の関係、ちょっとどころかかなりゲームシナリオと違う可能性がないかこの二人。


いろんな意味でハラハラしながら口を出すべきか、それとも黙っているべきかと戸惑い焦る頭で空回りそうな思考を回していれば、ぽつりと誰に聞かせるでもない、きっと思わず漏れたであろう小さな言葉が聞こえた。


「その身勝手な幻想でなくしたことがない者の言葉に、何の価値がありますの」


ひどく、寒い言葉だった。怒りでも反感でもないただ零れて落ちた言葉に感情の色はなくて、真っ暗な何処かに落ちて見えなくなる。

そんな、得体の知れない何かを感じたのは……何故なのだろう。


理由の分からぬ共感もなければ、恐ろしいと震えることもない。そんな言葉にビリビリばちばちしていた場を取りなすべきかを考えていた頭に溜息が届く。

いや、ただの吐息だったかもしれないのだけれど……。私には、そう聞こえた。


「夫婦の語らいに割り込んでくるのは無粋だと申し上げましてよ。いい加減になさいませ、その耳は飾りですの?」


「無粋で結構だと俺も言ったぞ。飾りなのはどちらの耳だ?」


仕切り直し。そんな風に抜け落ちた一瞬の真顔に不快な睨みを乗せ直したカタネ。

先の魔法使い殿の苛烈とも聞こえる忠言に対しての反論でも怒りを返すのでもなく、ぶつり、と話の流れを途切ったそれは……拒絶だ。お前になど語ることはないという無言の意思表示。


それに気付いているのかいないのか、それとも気付いたところで気にする様子は一切ないのか。表情を変えずに即返したこの言葉からではわからないが、さらりとスムーズに救いにならない発言をしてくれた魔法使い殿のお陰で私の背筋はとても寒い。


寒いが、それでもさっきの寒いよりはましな気がしたので不安な気持ちは膨らむが少しだけ静観してみようかと続けられた魔法使い殿の言葉を待った。


「さっきの予測不能な見世物ならともかく、このいつまで続くとも知れない痴話喧嘩を眺めている趣味はない。本当は室内からアンナの構築した術式を見たかったが……時間だ、仕方ない。俺にも都合があるからな、今日は部屋の外から確認するに留める」


ああ、うん。二人の関係性を疑いの目で見始めたところに放り込まれる溜息まじりの自己都合。本当にこいつの脳内どうなってやがる。さも歩み寄ってやったと言わんばかりの様子だが、人はそれを譲歩と呼ばないからな。

自分の都合は通してこちらの都合は無視、さらには自分のペースに相手を巻き込む強引さに既視感を覚えるのだが、きっと何かの間違いだ。


いつのまにやら取り出して、ちら見後に懐収納される懐中時計。そんな魔法使い殿の腕の動きに合わせて魔法学科特有のたっぷりとした生地のローブが風を孕んで揺れる。

腰に手を当てたポージング、それが様になり効果的に見えるのだから憎たらしい。

自発的に愛想の単語を己が辞書から抹消しているだろう魔法使い殿の性格を考えると不吉以外の何ものでもないお綺麗な顔面に浮かんだ微笑を受け、私は眉間の皺を増やし、カタネは繋いだ手に力を込めた。……恐らく、無意識に。


「この場の議題は一つ。交渉のテーブルに着くのか、それとも着かないのか。提示するのは稀代の魔法使いと呼ばれる俺が持つ情報、要求するのは役立つ助手としてのアンナだ。大事に囲っておきたい番に手を出し、損ねるなんて愚かな真似はしないと言えば少しは安心出来るか?」


やめろそういう言葉を口にするのは。碌でもないものが思い出されて寒気がする。

ぞわりと走る悪寒で手に余計な力が入りそうになるが、我慢する。これ以上私が弱気な態度を見せればカタネは取れるはずの手段を一つ自ら葬り去ることになる。

それに、今のでこの場の話題は魔法使い殿から情報を仕入れるのか否かになった。


私を傷つけた相手を許すまじ、という脱線した話を些か強引とも取れるが最初の情報話へと戻したのは、魔法使い殿もカタネの変化に気付いていたのだろうか。

……何にせよ、さっきみたいなカタネは駄目だと思う。


だから、震えも縋りもしない代わりに指を絡ませ繋がる手、無意識に力がかかって少し白くなった形の良い爪先にそっと唇を触れさせた。


「っ?!タ、カネちゃん……?」


寒々しく鋭い視線で忌々しいと睨み据えていた魔法使い殿から、パッと弾かれた様子で私へと視線を戻したカタネ。そこに浮かんでいるのは醜い手形を見て燃え上がった感情でも、どうしてくれようかと思考した狂気でも、削ぎ落とされた何かでもない。純粋な驚き。


よしよしそのまま誤魔化されてくれ。なんて考えを頭の片隅へと押しやりつつ、虚を衝かれて見開かれた目に触覚だけでなく、視覚でも指先に口付けられていることをわからせる為に唇を押し当て、ちゅっと可愛らしいリップノイズを立てながらゆっくりと離してやる。どこかから出てると助かるんですがね、色気。


「っ、~~っ!?」


願いの効果はあったのか、ついさっきまでの剣呑として殺伐とした様子は何処へやら。白い肌を桃色に染め上げて声もなく金魚のように口をぱくつかせて恥じらう乙女がそこにいた。

よし、私にも色気はあったらしい。よくやった、引き続き頑張れ。なんて色気というより腹黒いこと考えながら花も恥じらいそうなカタネを微笑ましく見つめ、動揺して力の緩んだもう一方の手を取り告げる。


「私はあんたの天の番なのよ、カタネ」


「――」


手荒れなんてものを知らない白魚の手を指先で愛おしむように撫で、微笑みながらも視線だけは挑発的に戸惑うカタネを窘める。

私たちは番なのだ。天と地の二柱、この世界の創造神である夫婦神に誓いを立てた番。その言葉が持つ意味を、それによって守られるものを、忘れてくれるなと。


「好きに使いなさい。カタネの為にならタカネだって本気を出すわよ?」


カタネはタカネのものであり、タカネはカタネのものである。

そのわかっているようでわかっていない事実の念押しと少しだけ織り交ぜた悪戯心。それに気付いたカタネはぱちくりと目を丸くして瞬いたけど、すぐに照れくさそうで嬉しそうに頬を緩ませた。下がった眉が少しだけ情けなくも見せるけれどそこはご愛嬌。


繋いだ手、重なり絡める指先にきゅうっと力を込めてへにゃりと笑うカタネ。

そう、あんたはそんな顔していればいいのよ。


「タカネちゃんには敵わないなぁ……」


「あら、そこは旦那様だもの。譲れない一線よね」


いつものカタネに戻ったことにほっとしているとは表に出さず、他愛ない話をするように言葉を続ければ、ぷくりと頬を膨らませてくれる。

それでいい。ピリピリした空気もあんな顔も似合わない。緩いくらいで丁度いい。


「むぅうぅ、惚れた弱みなの?凛々しいタカネちゃんにキュンキュンなって可愛いタカネちゃんにメロメロになる幸せ。最高過ぎて掌で転がされちゃうのも堪らないよぅ」


「そんなに簡単に転がってくれてるなら私も苦労はしてないわよお馬鹿。ほら、女は度胸よ。格好良く決めなさい」


くすくすと笑いながら「は~い」なんて甘える声を出していたカタネだけど、視線の先を変えればスイッチを切り替えるみたいにすぅっと表情が変わる。

私が傍にいると終始お花畑の住人だから滅多に見られないクールビューティー。

それはさっきまでの刺々しく張り詰めたものとは違う。


「さぁ、どうするマルティナ?」


不敵な笑みを浮かべる魔法使い殿を視界に収めたカタネは背筋を伸ばし、凛とした声を紡ぎ出す。薔薇の淑女と呼ばれるその姿は麗しく誇り高い。

そんなカタネに釣り合えるように私は静かに背筋を伸ばした。


「貴方の魔法研究における助手の役割、それ以外のものをわたくしのアンナに求めない。自身の魔法研究に関すること以外でわたくしのアンナに付き纏わない。そういう内容で間違いありませんわね」


……のに、初手から牽制全力投球ですかそうですか。呆れていいやら、カタネらしいと笑っていいのやら。確かに名実ともに私はマルティナのアンナで、カタネのタカネで念押しもしましたけれどね。縄張り争いをする野生動物かあんたは。


「随分な警戒だな。念を押されなくとも他の用はない」


私が伸ばした背を曲げて脱力しそうになったのに、それを告げられている魔法使い殿はなんの頓着もないご様子。このカタネの反応が想定の範囲とかだったらそれはそれで要注意なんだが、どうなのだろう。


「情報が有益でない場合、この要求は無効とします。異論ありませんわね」


「構わない」


「では後ほど必要なものを書状にて請求させて頂きますが、こちらの内情を口外なさった場合はこの交渉を破棄したものとみなし、然るべき措置を講じさせて頂きます。また、わたくしのアンナに危険が及ぶことは許しません。そのような要求が成された場合にも交渉を破棄したものとみなします」


交渉とは自分に優位を敷くものである。身の安全は言わずもがな、可能な限り自身への損失を減らす為に策を弄して行うものではあるのだが……、この執拗な感じが何とも言えない。どう聞いても交渉相手のカタネへの損失ではなく、交渉条件の私に損害を与えないことが第一条件になっている。

片方に何かあっても両方に影響が出る番である時点で、お互いが弱点になるのはわかりきっていることだけど、こうもあからさまなのはどうなのかしらね。


「どちらも無事でなくては俺が困ると言っているだろうに、信用のないことだな」


流石のダメンズも繰り返される「わたくしのアンナ」に呆れているご様子だ。

肩を竦めて現されたそれに反応など一ミリたりともしないカタネに代わって議題になっている私が申し訳ない気持ちになってくるのは何故なのだろうか。

そもそも交渉条件に私の貸し出しを言い出したこの男にこそ問題があるはずなのに。解せぬなどと思っていれば、呆れで緩んだ空気がピリと引き締まる感じがした。


「承知した。が、扱う魔法によっては絶対を確約は出来ない。マルティナの時のように十分な警戒と対策を行おうと邪魔が入ることはあるからな。絶対の代わりにアンナを借り受ける際に何をするのかの内容開示と危険性の申告をしよう。秘匿すべき研究内容の開示ならば信用に値するだろう?」


魔法の研究と言うと想像し難いかもしれないが、単純に研究と考えればわからなくもないと思う。複雑な理論を知識で紐解き、見えてはいるのに認識出来ない不可思議を誰にでも理解出来るように描いて示す。膨大な時間をかけて難問に解を出すそれは努力した人が報われるべき成果として扱われるものである。


けれど狡い人間というのは何処の世界にでもいるもので、答えだけを横から掠め取ってさも己の功績であるかのように発表する不届き者がいる。そういう存在がいるから研究というものは自らの手で世間にお披露目するまでは限られた場所で情報を秘匿するのだ。それを惜しげもなく情報開示すると言っているのだから魔法使い殿の誠意は彼を邪険に思っていようとも伝わるものだ。


社交性という名の常識が欠如している人を排する自発的コミュ症のくせに、魔法に関することだけは真面目で真摯で真っ当ですよね貴方。

だからこその魔法使い殿で、稀代の魔法使いと呼ばれる所以なのだろう。


「ケルファン様の魔法使いとしての矜持は存じています。ですが、信用出来るかどうかは別問題でしてよ」


そしてカタネも魔法使い殿の魔法に対する姿勢については把握済みだ。姿勢はな。

ただ、それは事実であったとしても信じるに直結する訳ではない。

故にレースのついた華やかな扇で使用用途を大きく間違えているが虫けらを叩き潰すみたいにバチンッと発言内容をぶっ叩いた言葉が飛び出て来る訳である。


「手負いの獣みたいだな……」


取りつく島もないカタネの様子に溜息を吐く気持ちはわかるが、やめておいた方がいいと心の中でだけ忠告して差し上げよう魔法使い殿。こうなっている時のカタネは相手の一挙手一投足をチェックしている。可愛い息子の嫁に来た泥棒猫へ障子の桟に残る埃を指で掬い取り掃除不足をせせら笑って示す姑の如くねちっこくて面倒くさい。


「まあいい、何にせよこれで交渉成立だ。俺は一度この場を離れるが伝達用の鳥を渡しておく」


言うが早いか手が早いか。ポイッと無造作に放られた何かを反射的にキャッチし、手の中の物体を確認する。無色透明なビー玉、の中に白い鳥みたいな柄が入っている。もしかしてコレ、魔力によって作られる疑似生命体?魔力と術式によっては人間顔負けの高性能なホムンクルスだって作れると噂の高難易度かつ恐ろしい汎用性を誇る魔法で、まさかの伝書鳩。


「アンナ、それをマルティナの寮室の結界を通れるようにしておけ。直接会う以外での情報のやり取りは全てそれを通せ。それ以外のものは決して使うな、信用ならない」


ああ、はいはい。何処に何が潜んでいるのかわかったものじゃないものね。

情報の流れる先は確実に把握しておきたいからこそ自分が一番信頼出来るものでのやり取りってことですね。いろんな意味で規格外だなこの男。

稀代の魔法使いってそういうことなのか?なんて胡乱気に鳥柄の入ったビー玉もとい伝書鳩を見つめていれば、フンッと高飛車かつ上からっぽい息を吐いたカタネが魔法使い殿へと応答していた。……実に不服そうに。


「郷に入っては郷に従いますわよ。そちらも不手際のなきよう願います」


そうね、マルティナは魔法適正値高くないものね。自分では不可能でも技術としてその存在と活用性を知っているから黙認せざるを得ないとそういうこと。


「それじゃあ後は好きなだけ痴話喧嘩の続きをしてくれ」


あ、てめえ人が折角慣れないことして誤魔化したってのに余計なことを。

そう毒づいてやりたいがそれこそが余計なことなので、ローブを揺らしながら通り過ぎて行く魔法使い殿の姿を見送る。

早く居なくなれと声を大にして言いたいのを我慢して見送っていると、扉に手をかけた魔法使い殿へとカタネが声をかけた。


「あぁ、ケルファン様もう一つだけ」


「?」


何をしているのだこのお馬鹿、と視線をカタネへ向けて……すぐに見なかったことにした。よくない御顔だった。なのに、やはり平然とそんなカタネに「何だ?」みたいな疑問だけを向けられる魔法使い殿は本当に何なんだろうか。

いや、それより何よりこのカタネである。真顔も狂気もいらないって言ってるじゃないか。


「もしも彼女に何かあれば、わたくしの持ち得るすべてを用い愚かな虫を磨り潰しますこと、どうぞ留意くださいませ」


背筋を撫で走るおっそろしい冷気を感じているのは私だけなのか。とても解せぬ。

怯えも竦みもしない魔法使い殿だったのだが、何か思うところでもあったのだろうか。小さく浮かべた笑みは、気の所為か困っているように見えた。


「……覚えておこう」


吐息混じりにそう答えると、重い音を立てる蝶番を軋ませて魔法使い殿は学内から出て行った。


「やれやれ、恐ろしい程の執心振りだなあれは。……手間のかかる」


朗らかな空模様、明るい青空の下で誰に告げるでもなく零した言葉は魔法使い殿のローブを翻した風に乗って消えて行った。

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